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第1章 第3話 胡蝶之夢

 引きこもりになってから時間感覚が本当になくなった。気がつけば暗かった空は白み、俺は家へと帰っていた。



 どんよりとした日常に帰ったが、俺の頭の中はあのバーの中での出来事でいっぱいだった。だが何を話したかはよく覚えていない。覚えているのは、ひさしぶりに人と話せたという感覚だけ。たとえるならただ幸せだったという感情がある夢を思い返している状態に近い。



 そう。本当に夢のような出来事だった。俺の常識からは、人生からは考えられない考えを持っていた人たちが、幸せそうにしていた。善悪や正否なんて枠組みをはみ出して生きていた。俺のようにドロップアウトしていても、落ちた先で笑っていた。



 だが夢は手が届かないからこそ夢。現実は俺の知っている常識だけで動いている。



「…………」



 帰宅した俺を出迎えていたのは父と母だった。いや、出迎えていたというのは誇張表現が過ぎる。ただ二人の出勤時間と重なっただけ。それを証明するかのように、狭い廊下で触れ合うこともなく両親が俺の隣を通り過ぎていく。



「立場を弁えろよ」



 ただ一言、父さんが小さく苦言を呈して。



「…………」



 学校を辞め、仕事もしていない人間が朝帰りをしたら小言の一つや二つ言いたくなるのが普通だろう。父さんたちは何も間違っていない。間違っているのは俺だ。それでも。



「ぉ……れは……」



 必死に絞り出そうとしようとした声が扉を閉める音にかき消される。やはりあれは夢だったんだ。家族とすらまともに会話もできない俺が初めて会った人と楽しく会話なんてできるはずもない。



 そう、ただの夢。さっさと忘れていつもの日常に戻るに尽きる。そう思っているのに。自然と俺の足は、外へと向いていた。



 ついさっきまでまばらだった人影が、朝を迎え忙しなく動いている。登校、通勤、旅行。人たちはみんな目的を持って歩いている。何の目的も、意味すらもなく生きているのは俺一人。俺だけが、社会から落ちている。それがひどく屈辱的で恥ずかしい。



 制服もスーツもおしゃれもしていない、ただのジャージ姿のはみ出し者を見て誰もが笑っている。いや、視界にすら入っていないのかもしれない。だがそんな俺にも声をかけてくる人がいた。



「あれ、佐藤じゃん」



 俺が着ることができなくなった制服を玩具のように着崩した高校生。そう、俺をいじめて退学に追い込んだ奴らだ。



「何やってんだよニート」

「社会のゴミが朝っぱらから周りに迷惑かけてんじゃねぇよ」



 かつてのクラスメイトが俺の足を蹴ってくる。まるで地面に落ちているゴミを蹴り飛ばすかのように。そんな扱いを受けてなお俺は。



「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……っ」



 何も言えなかった。言い返すことができなかった。トラウマに襲われ、ただ荒い息を吐くことしかできない。



「ははっ、さっさと家に帰れよヒキニート。外の世界にお前の居場所なんてねぇんだよ!」



 冷や汗を垂らしガタガタと震える俺の姿に満足した不良たちは、朝からいいものが見れたと幸せそうに笑いながら去っていく。



 それでもあいつらの言っていることは間違っていない。俺は社会のゴミだ。教育を受ける義務も勤労の義務も納税の義務も果たしていない非国民。



 つまり俺が悪で、そんな悪人をこらしめるあいつらが正義。それが社会からの評価で、どうしようもない事実。



「……はは」



 やっと出た声は、笑い声だった。嘲笑。自分自身で自分を嘲笑っている。



 俺は幸せにはなれない。ここに俺の居場所はない。俺が生きていい世界ではない。



「あははははははははっ」



 気がつけば俺は走っていた。どこに向かっているかはわからない。ただ死にたかった。こんな現実から逃げ出したかった。そして辿り着いた場所は地の底。正確に言えば地下一階。『BAR BEAT BOOST』。



「はぁ……っ、はぁ……っ」



 しかし今の店内は俺が知っているものとは大きくかけ離れていた。明るく華やかで、全くいなかったはずの客はみんな身なりが良く、店員も綺麗でエプロンを付けていて衛生的。ジャージ姿に汗だくで息を切らしている俺だけが浮いている。やはりあれは夢だったのか。



「この店ね、日が出ている内は喫茶店なんだよ。こっちが本業なんだけどね」



 いや、ただ一人。屋内なのにキャップを取らず、テーブルにもたれかかりながら眠そうな目を擦っている女性が。俺は一人ではないと語っている。



「夜更かししといてよかったよ。どうしたのさ、正義のヒーローくん」

「……一つ訊かせてほしいんだけど」



 不思議と自然と出た言葉に驚く暇もなく、俺は訊ねる。



「いま夜流さんが両親と会ったら、どうする?」

「逃げる。だって会いたくないもん。そりゃもう無様に泣いて逃げ出すね。そんで遠くから石でもぶん投げてやる。むかつくからね」

「そっか……」



 きっと彼女の考えは間違っている。逃げても後が辛いだけだし、暴力なんてもってのほか。でも安全な位置から復讐してやると語る彼女の姿はとても堂々としていて。



「俺もそうしたいんだけど……いいかな」

「いいね、一緒に落ちよっか。地の底まで」



 俺もこうなりたいと、強く思った。

ここまで暗い話に付き合っていただきありがとうございます。ここまでが序章。次回から夜流さんと新しい居場所での生活が始まります。よろしければこの先も付き合っていただけると幸いです。


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