第1章 第1話 善悪混濁
正義が勝って、悪が負ける。そんなルールは創作の中だけの話。現実は違う。俺がそのいい例だ。
いじめられているクラスメイトを助けたら、代わりに俺が標的になり、その結果精神を病んで高校を退学することになった。
なんて理不尽な話だろうと今でも思う。いいことをしたはずの俺の未来が終わり、悪いことをした奴らは今でものうのうと学校に通い続けている。
きっとこの先の未来も同じだろう。中卒が働きづらいのはどう綺麗ごとを言っても事実。対してあいつらは高校を卒業して、大学に行って、普通に働いて、人の親になっていく。まるで俺の存在なんて。人間一人の人生を狂わせたことなんてなかったかのように。
悔しい。だがどうすることもできない。壊れた心はどうにもならないし、普通の人生はもう送れない。
親には見放されたし、昼夜は逆転したし、人と話すことはできなくなった。
今日も俺は家族が寝静まった深夜リビングに置かれた500円玉を手にし、一日分の食糧を確保するためにコンビニに向かう。
毎日毎日同じことの繰り返し。引きこもってから何ヶ月経ったのかもわからない。ここ最近は少し夜風が涼しくなってきた。退学したのが五月だったから三ヶ月か四ヶ月か……いやどうでもいい。季節が移り変わり歳を重ねようが、どうせ俺には何も変わらないのだから。
「ねぇ君、俺らと遊んでかない?」
だがその日はいつもと様子が変わっていた。近所のコンビニの駐車場。そこに派手なバイクが大量に停まっており、それ以上に派手な髪型をした男たちが一人の女の子を囲んでいた。
小さな身体を覆い隠すようにパーカーを羽織り、厚着した分の涼を求めるかのようにパーカーのすぐ下から生足が出ている少女。年齢は俺と同じくらいだろうか。キャップを深く被っているがその下のかわいらしい顔は隠せず、ブラウンに染めたセミロングの髪が夜でも眩しい。
大方夏休みで調子に乗り、深夜に買い物に出たところ絡まれてしまったのだろう。まぁ今が本当に夏休みの頃かなんてわからないが、時間は深夜2時を回っていたはず。そんな時間に高校生か大学生くらいの女子が一人で出歩いているんだ。危機感が欠如しているとしか言えない。
だからこうなるのも自業自得。自分で身を守れないならでしゃばるべきではないのだ。俺のようになりたくないのなら。そう、俺は学んだんだ。身の程を弁えるべきだって。
「そ、その子嫌がってるからや……やめた方がいいんじゃ……ないですか……?」
学んだはずなのに、俺は彼女の前に立ってしまっていた。
「その……警察とか……呼んで……呼んでたりするからその……」
まずい、人と話すのなんてそれこそ間違いなく数ヶ月ぶり。まともに声も出ないし顔も見れない。怖すぎる……!
「なんだお前。ヒーロー気取りか? かっこつけてんじゃねぇよ」
その通りだ。ヒーロー気取りなんて馬鹿すぎる。かっこつけてもいいことなんか一つもない。そんなことは一番俺がよくわかっている。それでも。
「悪いことは……駄目だろ……!」
そうだ。この子は何も悪くない。夜中に出歩いたから自業自得? そうじゃない。悪いのは絡んでいるこいつらだ。だから酷い目に遭うのは間違っている。それだけは確かだ。だから俺は……俺が……!
「やー、かっこいいねぇ」
パチパチと手を叩く音がする。背後から、かわいらしい声と共に。
「かよわい女の子を助けてくれる正義のヒーロー。あこがれちゃうぜ」
一瞬誰がこれをしているのかわからなくなり、ゆっくりと振り返る。だが状況はそのまま。男たちにナンパされていた少女がいたって平然とした様子で、楽しそうに手を叩いている。
「でも気をつけた方がいいよ。誰が一番の悪人かなんて、見た目からじゃわからないんだから」
「おい兄ちゃんたち。誰に手を出してんのかわかってんのか」
さらに後ろから声がして、元の位置に向き直る。すると俺たちを囲んで凄んでいた彼らの後ろに、比べ物にならないくらい屈強な体格の男たちが立っていた。
「ありがとね、急に呼び出して」
「いいってことよ。また何かあれば呼べよ」
「うーい」
パーカーに片手を突っ込んだまま気軽に男たちと会話する少女。彼女が手を振ると、男たちは絡んでいた奴らを連れて闇に消えていった。一瞬の間の出来事。身体どころか声すら出なかった。
「な……なにあれ……ヤクザ……?」
「うんヤクザ。ちょっと知り合いでね。めんどくさかったから呼んでたんだよ」
すっかり落ち着きを取り戻した深夜の駐車場でひとりごとのようにつぶやくと、少女がこともなげにそう答える。
「悪い人たちじゃな……いこともないか。なんせヤクザだからね」
ヤクザと知り合い。じゃあこの子は悪人なのだろうか。ただナンパしていただけの男たちよりもよっぽどの。じゃあ俺は何をしている。本当に悪い奴は目の前でつまらなそうに笑っている彼女なのかもしれないのに。
「でも悪人だっていいことはするし、逆もまた然り。そもそも正義か悪なんて主観的な話でしかないし、決めるだけ無意味。そう思わない?」
俺の人生は悪人によって狂わされた。でもあいつらにとっては俺が悪だったのだろう。自分たちの邪魔をした悪。じゃあ俺が悪人なのかというと、絶対に違うと断言できる。だったら俺は何なんだろうか。一体俺の人生はどうして……。
「さて、助けてくれてありがとね」
自問自答に答える者はいない。ただ目の前の少女が笑うだけ。
「助けてくれたお礼でもしようか。ねぇ、正義のヒーローさん」
そして彼女との出会いにより、終わったはずの俺の人生が動き出した。