7.さあ、張り切って初仕事だ
それからも順調に、新人研修は進んでいった。
クライヴさんの講義を受けたり、空いた時間に訓練室で魔法の練習をしたり。
既に魔法が使えるギルバート様とベリンダ様とは違って、私とレイは基本中の基本であるマナの操作から学んでいた。これはこれで、結構面白かった。
とはいえ正直な話、あれこれと支えてくれるレイと、素敵なギルバート様の存在がなかったら、私はとっくの昔に音を上げていただろう。
そう断言できるくらいに、面倒だったのだ。研修の内容ではなく、隙あらば口説いてくるアンドリュー様が。
「ああ、シンシア……今日も朝から君の顔を見られたことが、とても嬉しい」
「私も、君を見習わなければな……たとえ研修であろうとも手を抜かずに頑張るその姿勢、素晴らしい……」
「こうして君を知れば知るほど、君への思いがつのっていく……やはり、ただの勘違いではなかった。私が君に焦がれるようになったのは、きっと神の思し召しなのだろう」
だいたい毎日、こんな具合だ。研修内容自体は面白かっただけに、それに集中できなかったのが悔しい。
そんな風に日々ばたばたとアンドリュー様をかわし続けている間に、いくつか気づいたことがあった。
一つ、アンドリュー様はベリンダ様に婚約破棄を突き付けたこと自体は申し訳ないと、多少なりともそう思ってはいるらしい。多少、だけれど。
一つ、でも彼は私への恋心をあきらめきれないせいで、婚約破棄の破棄はできずにいるらしい。
というか、婚約を破棄したことで、彼は解放感に浸ってしまっているようにも見える。そんなにベリンダ様が嫌なのか。
そしてもう一つ、アンドリュー様はベリンダ様のことを嫌ってはいないけれど、彼女と一緒にいることは気まずいと思っている。これは明らかだ。
しかしベリンダ様のほうはあんまり気にしていないようで、いつもおっとりと優雅に微笑んでいるのだ。なんだか、不思議な関係だ。
そんなこんながありつつも、にぎやかに過ごしていたある日。クライヴさんはいつもの研修室に顔を出すなり、うきうきと言い放った。
「今日は研修は休みだ。そして、いよいよ初仕事だ! 泊りがけの旅になるから、ひとまず帰宅して準備を整えてくるように!」
クライヴさんはとっても楽しそうだ。研修を受けているうちに何となく気づいてはいたのだけれど、彼は現場で走り回っているのが何よりも好きな、そんな人物のようだった。
大急ぎで準備を整えて、魔法省の正面玄関に戻ってくる。そこには二台の馬車が、私たちを待っていた。魔法省の名が記された、ちょっとおしゃれな馬車だ。
しかし、さあ馬車に乗り込もうとした時に、また一騒ぎするはめになった。
私たちはクライヴさんまで入れて、全部で六人。そしてこれらの馬車は、どちらも四人乗りだったのだ。
「もちろん私はシンシアと同じ馬車に乗るぞ」
すかさずそう言ったアンドリュー様に、疲労を覚えながら言い返す。
「アンドリュー様、これは仕事なので……あなたと同じ馬車にずっと乗っていたら、私が疲れてしまって仕事になりません。……というか、できるならギルバート様と一緒がいいです……」
すると、レイとベリンダ様が冷静に口をはさんできた。
「シンシア、でもアンドリュー様を止められるのはギルバート様だけだと思うよ」
「わたくしもそう思いますわ」
「ううむ。これは困ったな。ちょうど今日は六人乗りの大きい馬車が空いていなくて、このような形になったのだが……上にかけあって、仕事を明日にずらしてもらうべきか……」
小声でぼやいたクライヴさんに、ギルバート様がぴしりと言った。
「クライヴ殿、このようなことで仕事の日程をずらすなどありえません。私たち魔法省の職員がわざわざ出向くということは、それなりに緊急性のある事案が発生しているのでしょう?」
「……まあ、緊急といえば緊急なんだが……それ以前にこの状況を、どうしたものか……」
その言葉を受けて、ギルバート様が動いた。彼はそれはもう見事な手際で、この混乱を収めてしまったのだ。
まずは、私にくっついていたアンドリュー様を力任せにひっぺがした。
それから私たちに、君たちはそちらの馬車に乗るように、と言い放つと、クライヴさんと一緒に別の馬車に向かっていったのだ。アンドリュー様を引きずったまま。
「ええと……あっちの馬車があの三人だから……」
「僕たちはこっち、か」
「ギルバート様、見事でしたわ……」
あまりの早業にぽかんとしながら、レイとベリンダ様と一緒に馬車に乗り込む。ギルバート様に捕獲されたままのアンドリュー様が死にそうな顔をしていたけれど、それは見なかったことにした。
やがて、馬車が走り出す。そこでようやっと、ほっと一息つくことができた。窓の外に目をやり、流れていく景色をのんびりと眺める。
こんな風に馬車に乗るのは、王立学園に入学した時以来だ。
私の実家は遠いし、入学してから一度も里帰りしていない。というか、したくなかった。もうあそこに戻ることなんてないから、どうでもいいけど。
「あっ、そうですわシンシアさん」
ぼんやりと考え事をしていると、向かいのベリンダ様がふと口を開いた。
「改めて謝っておかなくては、とずっと思っておりましたの」
「謝る、ですか? ……何かありましたっけ」
心当たりがなさすぎて、小首をかしげる。隣のレイが、そっと私のわき腹をひじで小突いてきた。
「まさか、忘れたの? 卒業パーティーの時に聞いたよね」
「え? ……あ、何だったっけ? 卒業パーティーっていうと、アンドリュー様の衝撃的な行動しか覚えてなくて……」
そう白状すると、二人が同時に目を丸くした。
「……というか、あの日のことは極力思い出さないことにしてるから……」
「本当に君って、おおらかというか何というか……まあ、あの日の出来事がとんでもなかったってところには同意するよ。当事者でなくてよかったって、心からそう思ったから」
小声でささやき合う私たちに、ベリンダ様がまた声をかけてきた。優雅な仕草で頭を下げて、それから申し訳なさそうに眉を下げた。
「わたくしは魔法を暴発させて、シンシアさんに迷惑をかけてしまいました。それも、二度も」
ああ、やっと思い出した。アンドリュー様が嫌がらせだと勘違いしていた、あの件か。
「しかも動揺のあまり、謝罪もせずに逃げてしまいました。本当に申し訳ありません」
「いえ、まったく、これっぽっちも気にしていないので。どちらもちょっとした事故のようなものですし、私も無事でした。どうかベリンダ様も、気にしないでください」
力いっぱい言い切ると、ベリンダ様がほっとした顔になる。
「ありがとうございます。けれど、できれば何か償いをしたいと思っておりますの。何でも、申しつけくださいませ」
「あ、だったら……アンドリュー様から逃げる、というかアンドリュー様をあきらめさせる手伝いをしていただけると、助かるなあって……」
「シンシア、気持ちは分かるけどちょっと図々しくない?」
またレイが小突いてきた。そちらを向いてにらみつけると、レイはつんとあごを上げて明後日の方向を見る。やけに澄ました顔で。でもその口元が、愉快そうにちょっとだけゆがんでいた。
「……レイの薄情者。私、必死なんだから。それこそわらでもつかみたいくらいに。あなたももっと手伝ってよ」
「だって、僕は傍観者でしかないし。そもそも、ただの平民でしかない僕に、王族、それも王太子に意見する権限があると思う? 学園でならともかく」
「それを言うなら、私だって似たようなものだってば! 貴族なんて言っても、下っ端中の下っ端だもの。うわあん、レイがいじめる」
「はいはい、からかって悪かった。おわびに、今度何かおごるよ」
「約束だからね」
そうしていたら、向かいから可愛らしい笑い声が聞こえてきた。
「ふふ、仲がよろしいんですのね。わたくしとアンドリュー様もそのような関係であれたならって、そう思わずにはいられませんわ」
そう言って、ベリンダ様は優しく目を細める。その表情からすると、彼女は婚約破棄されたことを恨んでいないどころか、今でもアンドリュー様に親しみを感じているように思える。
それが不思議で、思わず首をかしげた。それがおかしかったのか、ベリンダ様はいたずらっぽく微笑んだ。
「わたくしがそんな風に考えているのが信じられないという、そんな顔ですわね。……よければ、少しお話しましょうか?」
ついうっかり、力いっぱいうなずいてしまう。しかし隣のレイも、やはりしっかりとうなずいていた。そんな私たちを見つめて、ベリンダ様は声をひそめる。
「アンドリュー様とわたくしが婚約したのは、もう十二年も前のことですの。わたくしが八歳、アンドリュー様はまだ七歳でした」
王族や公爵家など、特に身分の高い家では小さいうちに婚約者が決まることもあると聞いたことがある。貴族の中でも底辺の男爵家の娘でしかない私には、関係ないけれど。
「そしてアンドリュー様は、当時からずっと世話の焼ける方でした。少々思い込みが強くて、しかもその思い込みのまま突き進まれて……子供の頃は、王宮を走り回るあの方をみんなで追いかけたものですわ」
卒業パーティーの時、アンドリュー様は、それはもうぶっとんだ行動力を見せていた。はた迷惑なほどのその突進っぷりは、どうやら子供の頃からのものだったらしい。
「わたくしたちは婚約者というより、姉弟のような関係だったのかもしれませんわ」
銀色の目をどことなく切なげに細めて、ベリンダ様は宙を見つめる。
「愛のない、でも気心は知れた夫婦。わたくしたちは、そんな夫婦となるはずでした。……けれど運命の相手であるあなたと出会って、アンドリュー様は変わられたんですの」
その変化、この上なくありがたくない。というか、運命の相手とかって、絶対違う。一から十まで勘違いなんですから。
そんなうんざりした思いが顔に出てしまっていたのか、ベリンダ様がまたおかしそうに微笑んで、ちょっと上目遣いに私を見てくる。
「ですから、アンドリュー様が本当に愛する方を見つけたのであれば、わたくしは身を引こうと、そう思っていたのですけれど」
「それは誤解です、だからどうか身を引かないでください、あなたに頑張ってもらわないと!」
あわてて主張すると、ベリンダ様は頬に手を当てた。何だか、ちょっと楽しそうだ。
「ええ、そうみたいですわね。こうなったら、アンドリュー様があきらめるまで逃げてくださいまし。わたくしもお手伝いいたしますけれど……あの方、意外と根性はおありですから、長期戦になるかもしれませんわ」
うげ、と声に出そうになったのをあわてて飲み込む。隣のレイの肩が、笑いをこらえるようにかすかに震えていた。
と、ふとベリンダ様が何かに気づいたような顔をした。小首をかしげて、可愛らしくつぶやく。
「……いっそ、あなたがギルバート様と婚約してしまうというのはどうかしら?」




