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6.王子様はすねている

 そうして今日の分の研修が終わり、私たちはそれぞれの住みかに戻ることになった。


 ここ魔法省は、端っことはいえ王都の中にある。なのでアンドリュー様とギルバート様は王宮へ、ベリンダ様は公爵家の屋敷に戻る。


 地方出身の私とレイは、魔法省から少し離れたところにある文官の寮で暮らしているので、帰る方向も一緒だ。


 魔法省の玄関先で、別れのあいさつをする。それからギルバート様がベリンダ様を送っていき、あとには私とレイ、それにアンドリュー様が残された。


 レイと二人で、寮のあるほうを向く。けれど私たちのどちらも、足を踏み出すことができなかった。


 肩越しにちらりと後ろを振り返ったレイが、気まずそうな小声でささやいてくる。


「……で、あれだけど。どうするのさ?」


 私たちの背後、少し離れたところには、アンドリュー様が突っ立っていた。帰るでもなく、こちらに近づいてくるでもなく、ただ立っているだけだ。


 それだけならまだしも、アンドリュー様はそれはもう見事に落ち込んでしまっていたのだ。彼は両手で頭を抱えて、盛大にため息をついていた。


「できることなら、あれに気づかなかったことにしてそのまま帰ってしまいたいわ……」


「けど、放っておくのもよくないと思うな……あれを他の職員の人が見たら、かなり驚くよ」


 アンドリュー様のことをあれ呼ばわりしながら、私たちはひそひそと相談し合っていた。


「それはそうなんだけど、ここで私が声をかけちゃったら大変なことになると思う……」


「……うん。間違いない。『やっぱり君は優しかった!』とか何とか叫んで抱き着いてきそうだよね」


「それだけは絶対に避けたい」


 そうして話している間も、アンドリュー様は深々とため息をつき続けている。その合間にちらちらと、私を見ていた。期待に満ちた目で。


 個人的には、一切彼の相手をしたくない。私としては、アンドリュー様の勘違いから始まった謎の恋心をさっさと叩き壊して、彼に邪魔されずに新生活を楽しみたい。


 でも彼を放っておいたら、いつまでいじけるか分からない。ベリンダ様を送り終わったギルバート様が戻ってくれば何とかしてくれるだろうけど、それまでこのままにしておくというのもどうかと思う。


 大いに苦悩して、ためらいにためらってから、そっと振り返って声をかけた。


「……あの、アンドリュー様。どうされたんですか。何だか、悩んでおられるようですが……」


 とたん、アンドリュー様がばっと顔を上げる。とっても嬉しそうな顔だ。


「ああ、シンシア! どうか私の胸の内を聞いてくれ。私はずっと嘆いていたのだ。それはもう、海よりも深く」


「はあ」


 何とも大仰な言い回しと苦悩に満ちた表情に、つい気の抜けた声が出てしまう。しかしアンドリュー様は、まったく気にしていないようだった。


「君たちはみな、魔法の素養を有している。その力は、いずれこの国を支えてくれるだろう。それにひきかえ、私は……なんと無力なのだろう」


 要するに彼は、私たちの中で一人だけ魔法の素質を持っていないことが悔しいらしい。何となくそんな気はしていたけれど、どんぴしゃりだった。この王子様、予想以上に単純だ。


「魔法の素質は、持っていない人間のほうがずっと多いですから……確か人口の一割にも満たないとか……」


 彼もよく知っているはずの、分かり切った事実をそのまま伝える。できるだけ、感情を込めずに。


「それにアンドリュー様は、未来の王です。私たちを手足として使い、国を治めるのがアンドリュー様の役目です。もし魔法の素質を持っていたとしても、実際に魔法を使う場面なんてないと思いますよ」


 火、水、地、風の魔法は、直接それらの要素を操るものだ。


 目の前にある魔法省の風変わりな建物を作り上げて現在も拡張しているのは地の魔法使いたちだし、その周囲の草原の草刈りをしているのは風の魔法使いたちだ。


 火の魔法使いは火事の時なんかに駆り出されて消火の任に当たることもあるし、とびきり高温の炎を生み出して、金属加工の手伝いをすることもある。水の魔法使いは干ばつの時には重宝されるし、治水工事にも参加する。


 そんな風に、魔法使いはあちこちの現場に出向いて仕事をすることが多い。


 だから、もし仮にアンドリュー様が魔法の素質を持っていたとしても、おそらく護身術くらいにしかならないだろう。王がそれらの現場にほいほい出向くことなんて、まずないし。


 そんなことを可能な限り淡々と説明する。アンドリュー様は異様に真剣な顔をして聞いていたが、私が話し終えるとまた顔を輝かせた。


「ああ、君はなんと優しいのだ! 伝わってきたぞ、君のとても温かな思いやりの心が! ますます、君のことが愛おしくなってしまう……」


 彼はずいっとこちらに近づいて、感激した様子で私の手をしっかりとにぎりしめた。そのまま潤んだ目で、私を見つめてくる。頬はほんのりと赤みを帯びていて、とても絵になる表情だ。


 ……うん、そうじゃない。そんなこと考えている場合じゃない。確かにアンドリュー様は派手目の美形だし、こんな表情をしているとたいそう様になる。だからって、うっかり見とれてどうするんだ、私。


 というか、どうにかして彼の恋心を冷ましたいと日々考えているのに、完全に逆の方向に進んでしまっているような気がする。


 ため息をつきたいのをこらえていると、アンドリュー様の肩越しにレイの姿が見えた。彼はお手上げだと言わんばかりに肩をすくめていた。




 それから、私を寮まで送ると言って聞かないアンドリュー様(レイのことはまるで眼中にないようだった)と押し問答を続けていたら、ギルバート様が駆けつけてくれた。


 ギルバート様は問答無用とばかりにアンドリュー様の腕をしっかりとつかんで、会釈してから歩き始めた。


 ギルバート様に引きずられるようにしながら、それでもアンドリュー様が嬉しげに手を振って去っていく。それを見届けて、私とレイはようやく帰路につくことができた。


「……なんだか、どっと疲れたわ」


「お疲れ。アンドリュー様も悪気はないみたいだし、国のためになりたいって熱意はあるみたいだけどね」


「悪気がないから、困ってるんじゃない……もし悪意とかよこしまな思いがあるんだったら、彼に一年の猶予なんて与えることなく、仕事の邪魔です迷惑ですこっち来ないでくださいってきっぱりはっきり断れたのに」


 そんなことを話しながら歩いていく。やがて草原を抜けて、建物が集まっている区画に出た。魔法省の制服を着ている私たちを、すれ違うよその文官たちが興味深そうに見ている。


 彼らをぼんやりと見ながら、ふとレイが言った。


「そういえばシンシアは、どうして魔法省を選んだの? 学園で首席だった君なら、他の省庁も選び放題だったと思うけど」


「単に、気になってたの。自分が魔法の素質持ちだって知ったからっていうのもあるし、それに魔法省は色んな仕事をするって聞いてたし、楽しそうだなって」


 実はもう一つ理由があった。私が光の素質持ちで、しかも首席だと知ったからなのか、魔法省から熱烈な勧誘があったのだ。お給料多め、出世も考慮する。だからどうかうちに来てくれ、と。


 私は一応男爵家の娘ではあるけれど、もうあの家に戻るつもりはない。これからは自分の力で生きていく。お給料が多いというのは、それだけで魅力的だった。


「レイこそ、どうして魔法省なの? 一緒にいられて嬉しいけど」


「内緒。……なんてね。気が向いたから、それだけだよ。ここ、変人が多いって噂もあるし。それなら僕も悪目立ちしないかなって」


「変人が多い、か……クライヴさんも第一印象よりは変わったところがあるみたいだし……」


 そんなことをつぶやいていると、ふとレイがぽつりと言った。


「……闇の魔法を練習することになるとは、思いもしなかったけれど、ね」


 いつも通りに見える彼の笑顔は、なぜかそれ以上の問いかけを拒絶しているように見えた。


 彼は私から目をそらして遠くを眺める。長い前髪が風になびいて、金色の目がはっきりと見えていた。


 夕焼けの色に染まったその目は、どきりとするくらいに深い色をしていた。

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