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31.月夜の再会

 それからすぐに、私とアンドリュー様はレイの養父が用意してくれた小型の馬車に乗り込み、夜の草原を走っていた。その先にある孤児院を目指して。


 御者席も屋根もない、二頭引きの小ぶりな馬車だ。アンドリュー様がたくみな手綱さばきで馬を走らせている。


 レイの養い親が暮らしている町から孤児院まで、馬車で十時間足らず。私たちは少しでも早くあちらにたどり着くために、一番軽くて一番速く走れるこの馬車を借りて町を飛び出したのだ。


 見上げれば、満月が頭の上に輝いている。もう真夜中だ。私たちが町を出たのがちょうど夜になってすぐのことだった。この分なら、朝早くには孤児院につけるだろう。


 いきなり訪問するには向いていない時間だけれど、状況が状況なので仕方がない。のんびりしている時間は、私たちにはないのだ。


 魔法省の人たちよりも先にレイを見つけたいし、そもそもその前に私たちが出てきていることがばれたら、最悪そのまま連れ戻されかねないし。


「……シンシア、上着を着てくれ。フードをしっかりとかぶって、私にもたれかかってくれ。眠っているふりをするのだ」


 手綱を取っていたアンドリュー様が、声をひそめていきなりそう言った。やけに切羽詰まった様子に、ひとまず言われた通りにする。


 風よけに羽織っていた長いコートの前をきっちりと閉めてフードをかぶると、着たままになっていた魔法省の制服がすっぽりと隠れた。


 そのままそっと、隣のアンドリュー様の肩にもたれかかる。こんな時だというのに、ちょっと緊張する。というか、恥ずかしいと感じてしまった。なんだか、むずむずするのだ。


 そんな思いをこらえてじっとしていたら、何かの音が近づいてきた。顔を上げられないので断定できないけれど、馬車の音だと思う。


 その音はどんどん近くなり、やがて私たちの馬車とすれ違った。触れているアンドリュー様の肩がこわばったのが気になったけれど、それでも懸命に寝たふりを続ける。


 しばらくして、アンドリュー様が深々と息を吐いた。


「……よし、もういいぞ。まったく、肝が冷えた。……君と触れ合っていたおかげで、肩と心はこの上なく暖かかったが」


「それはそうとして、今のはいったい何だったんですか」


 疑問だらけのままそう問いかけると、アンドリュー様はいつになく緊迫した声で答えた。


「今すれ違ったのは、魔法省の職員だ。通常よりも速く進める魔導具付きの馬車だったから、月明かりでもすぐに分かった」


「それって、もしかして……」


「孤児院の調査を終えて、戻る途中だったのだろうな。どうにかやり過ごせたようだが……」


 この道をしばらく進み、途中の分かれ道を右に行くと孤児院で、左に行くと別の町がある。


 たぶん魔法省の人たちは、私たちのことをその別の町の住人だと思ってくれたのだろう。隣町まで遊びに出て、戻るのが遅れた二人連れ。


 馬車がすれ違う時に私が起きていたら、きっと切羽詰まった表情を隠せなかっただろう。だからアンドリュー様は、私に寝たふりをさせたのだ。


「……一度、ギルバートと連絡を取ったほうがいいだろう。馬たちの休憩を兼ねて」


 もう少し馬車を走らせて、街道わきの川のほとりで止まる。二頭引きで多少負担が少ないとはいえ、ここまでずっとかなりの速度で走らせてきたから、馬たちを休ませなくてはならない。


 馬たちが川の水を飲んでいる間に、アンドリュー様は腕にはめた銀色の腕輪に触れた。それから腕輪に、何事か話しかけている。


 ギルバート様が金貨と共に渡してくれたこの銀色の腕輪、これは一対の魔導具となっていて、離れたところにいる者同士での会話を可能とするものなのだそうだ。


 もう一つは、ギルバート様が持っている。今アンドリュー様は、ギルバート様と話しているのだ。


 私は川辺の岩に腰かけて、そんなアンドリュー様を離れたところからぼんやりと見ていた。レイが行方不明だと聞いたのが午前中、魔法省を出たのが夕方で、今は真夜中。


 あの恐ろしい知らせを聞いてからまだ一日も経っていないのに、一か月くらいこうやってさまよっているような、そんな気分だった。


 きっとそれは、私が焦っているからだ。レイが残した言葉を聞いてからずっと、言いようのない不安感が私の胸をちくちくと刺していた。


 急がないと、大変なことになる。不思議なことに、それはもう確信に近かった。


 レイに会うことさえできれば、この不安感も消えてなくなるに違いないのに。レイに話したいことがたくさんある。レイから聞きたいことがたくさんある。それなのに、レイが見つからない。


 苦しくてうつむいた拍子に、ひざの上に置かれた自分の手が見えた。


 そこにはまっている、とろりとした緑色の魔石の指輪。気晴らしに誘うという約束を律義に覚えていたレイに連れられて、城下町で遊んだ時に見つけたもの。


 ふと、レイの言葉がよみがえる。孤児院の近くにある湖で、こっそりと月を見るのが好きだった。彼はそんなことを言っていた。


「……今のところ、まだ魔法省はレイを発見できていないらしい。孤児院に向かった面々も、どうやら無駄足を踏んだようだな」


 じっと指輪を見つめていると、アンドリュー様の足音が近づいてくる。


「どうする、シンシア。当初の予定通り孤児院を目指そうか。あるいは、一度さっきの町に戻るという手もある。レイの両親に協力してもらうというのは……」


「……湖」


 もう一か所、探すべきところが見つかった。自分のことを話したがらないレイが、たぶん私にだけ打ち明けた場所。たった一度だけ、それもさらりと打ち明けられたから、私も今の今まで忘れていた場所。


「孤児院の近くに、湖があるはずです。そこに向かいましょう」


 顔を上げて、まっすぐにアンドリュー様を見つめる。彼は突然のことに戸惑っているようだったけれど、それでも黙ってうなずいてくれた。




 地図を広げて、周囲の地形を確認する。


 そばの川を下っていけば、じきに湖に出られる。そこから湖岸沿いにぐるりと歩いて孤児院に近づけば、たぶんレイが言っていた場所にたどり着けるだろう。馬車が通れるような道はないけれど、歩いていくことはできる。


 もし見つからなかったら、さらにもう少し先に進めばいい。どのみち目的の場所は、孤児院からそう離れていないはずなのだから。


 馬たちをひとまず近くの木につなぐ。ここなら、草も水も口にできるし、少しくらい私たちの帰りが遅くなっても大丈夫だろう。


 それから私たちは、川岸を走り出した。アンドリュー様が先に立ち、障害物を風の魔法で切り払ってくれている。


 私は転ばないように注意しながら、ひたすらに走り続けた。息が上がって苦しかったけれど、それをアンドリュー様にさとられないように必死に走った。


 やがて、湖に出た。大きくて静かな水面は、まるで夜空を映す鏡のようだった。こんな時だというのに、思わず見とれてしまいそうになるくらいに美しく、清らかだった。


 レイも今どこかで、この美しい湖を見ているのだろうか。きっとそうだろう、そうであってほしい。


 そう祈りながら、今度はもっとゆっくりと、湖岸を歩いていく。あんまり大きな音を立てれば、気づいたレイが逃げ出してしまうかもしれない。


 けれどそんな気遣いは無用だったことを、私たちはすぐに思い知らされることになった。




 湖に面した、小さな空き地。まるで森に囲まれた隠れ家のようなそこに、レイが横たわっていた。目を閉じて、まるで眠っているかのような姿だった。


 そして彼は私たちが声をかけても、近づいて肩を揺さぶっても、目覚めることはなかった。

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