3.王子様は往生際が悪い
私たちしかいない談話室は、見事なまでに静まり返っている。
アンドリュー様は、とっても得意そうな顔だ。ベリンダ様が隠していた悪事をあばいてやったぞと、その顔に書かれている。
しかしそんな彼とは対照的に、残りの私たちは何とも言えない顔を見かわしていた。
アンドリュー様はまたしても見事に勘違いをしている。誰かがそれを、正さなくてはならない。
誰がやるのか。私たちは無言で、その役目を押しつけ合った。けれどしばらくして、アンドリュー様以外の全員の目が私に集まってしまった。
確かに、今のアンドリュー様は私以外の人間の話を聞かなさそうに思える。というか、私の話もあんまり聞いていないけれど。
深々とため息をついて、アンドリュー様に呼び掛けた。
「……あの、アンドリュー様。一つ、聞きたいんですが」
「もちろんだ、シンシア。一つと言わず、いくらでも聞いてくれ」
「その、嫌がらせがどうとかこうとか……それは、どういうことなのでしょうか?」
「そうか、君は優しいから、嫌がらせを無意識のうちに許してしまって、気づきもしなかったのだな。いいだろう、君が知りたいというのなら、真実を伝えなくてはな」
今日の今日まで話したことすらなかったのに、アンドリュー様は勝手に私の性格をでっち上げている。
別に私は冷たい人間ではないけれど、嫌がらせに気づかないほど間が抜けているとも思えない。
複雑な気分で次の言葉を待っていると、アンドリュー様はおごそかに告げた。
「私はこの目でしかと見た。君が学園の庭を歩いている時、いきなり上から大量の水が降ってきたことがあっただろう。あれは、ベリンダの仕業だったのだ」
そこにすかさず、ギルバート様が割って入る。一瞬だけちらりと、ベリンダ様のほうを見てから。
「……アンドリュー様。そちらについては、私から補足を」
語っている途中に水を差されて不満げなアンドリュー様に、ギルバート様は淡々と説明し始めた。どことなく苦しそうな顔で。
「ベリンダ様は水の魔法の素養を持っておられます。ですが……その、魔法の制御のほうはたいそう苦手でいらっしゃいます」
この世界には、魔法と呼ばれる不思議な力が存在する。といっても誰でも魔法が使える訳ではない。
たまに、いずれかの属性の素養を持って生まれる者がいて、その者がしっかりと訓練を積むことで、その系統の魔法のみを使えるようになる、という仕組みになっているのだ。
ベリンダ様は水の魔法の素養を持っているらしい。つまり、水を生み出したり操ったりすることができる、はずなのだ。
「……アンドリュー様が嫌がらせと呼ばれていた事件が起こったその時、ベリンダ様は二階のバルコニーの植木に水をやっておられました。魔法の練習を兼ねて」
ベリンダ様が恥ずかしそうに、そっと目を伏せる。
「…………そうして、ベリンダ様は魔法を暴発されてしまわれたのです」
私とレイは無言で顔を見合わせ、うなずいた。何となく、話の流れが読めた。
「そうしてあふれ出た水が、たまたま下を通りがかったシンシア君にぶちまけられてしまったのです。あれは決して、故意ではありません」
「ならば、ベリンダがいきなりシンシアの足元を凍らせて、転ばせたのは!」
アンドリュー様が、さらに食い下がる。そんなことあったかな? やっぱり覚えがない。
その問いに答えたのは、ギルバート様ではなくベリンダ様だった。
「あの、それは……たまたまそこに水たまりがありまして……放っておいたら誰かが足を濡らしてしまうかもしれないと……ですからその前に水の魔法で蒸発させておこうと、そう思ったんですの……」
うつむいたまま、ベリンダ様が消え入るような声で答える。思わず守ってやりたくなるような、そんな姿だった。
「でも失敗してしまって、水たまりは逆に凍りついてしまいました。どうしようとあわてていたところに、シンシアさんが通りがかって……わたくし、驚いてつい、隠れてしまいました……」
その言葉を最後に、またしても場が静まり返る。やがて、レイがそろそろと言った。
「あの、いい加減認めてしまったほうがいいと思います。アンドリュー様の婚約破棄の宣言は、全て勘違いに基づくものだったって。さっきのパーティーの参加者全員にそう説明すれば、まだ穏便に済ませることもできるでしょう」
「ぐっ……だがそれでも、私のシンシアへの思いは、少しも揺らいでいないのだ! たとえきっかけが勘違いであろうが、そのようなことは関係ない!」
そう宣言すると、アンドリュー様が席を立った。そのまま、驚くほどの速さで私の前に立ち、するりとひざまずく。
「シンシア、君が私に思いを寄せてくれていないことは分かった。だが、私はまだあきらめられない」
その緑色の目は、思わずどきりとするほど真剣だった。って、こんな勘違い王子に揺らいでどうするんだ、私。確かに彼は、美形ではあるけれど。
「私に機会をくれ。一年でいい、私が君のそばにいて、君と交流を持つことを許してほしい。一年の間に君の心を動かせなければ、私は素直に引き下がろう」
どうやらアンドリュー様は、私のことをそう簡単にはあきらめそうになかった。思わず小声でうなりながら、必死に考えをまとめる。
一年でいいからそばにいさせろと言われても、正直困る。
私たちは、今日この王立学園を卒業したばかりなのだ。
最下層の貴族である男爵家の令嬢でしかない私と、次の王であるアンドリュー様とが一緒にいられる場所なんて、まずない。王立学園は、その数少ない例外だったのだ。
それに私は、魔法省への就職が決まっている。しばらくは仕事を覚えるのに忙しいし、アンドリュー様との時間を作るのはちょっと難しい。
どうやって断ろうかなと考えていたら、今度はギルバート様が口を開いた。
「ですが、アンドリュー様。彼女はもう魔法省への就職が内定しています。あそこは特に激務ですし、アンドリュー様と関わるだけの時間はないと思われます」
「ふむ……彼女の入省を一年遅らせて、その間私と共に王宮で暮らすというのは……」
「そのようなことをすれば、常に人手不足にあえいでいる魔法省の恨みを買います。アンドリュー様が王になられた暁に、何かの形でしっぺ返しを食らわないとも限りません」
ギルバート様の静かな、しかし容赦ない反論に、アンドリュー様はたじたじとなっている。しかしすぐに何かを思いついたように、にっこりと笑った。
「ならば私も魔法省で働こう。何、どこか手頃な省庁でしばらく働き、見聞を広めてこいと父上もおっしゃっていたからな。それにギルバート、お前も魔法省で働くのだろう? ならばちょうどいい」
何一つ解決しなかった。むしろ悪化した。私は魔法省で働くことを楽しみにしていたのに、アンドリュー様がうろちょろしていたら、それどころではなくなってしまう。
仕事の合間にアンドリュー様がやってきて、さっきみたいな甘い言葉を……想像しただけで寒気がした。恥ずかしすぎる。一年もそんな生活が続くとか、無理。
というか、アンドリュー様にあきらめてもらわないと、たぶん一年後も似たような感じになりそうな気がする。彼がさらに魔法省に居座るとか、私が王宮勤務に移動させられるとか。
そんなことになる前に、どうにかしなくては。ひとまず、レイとギルバート様には協力してもらえるだろう。
けれど暴走するアンドリュー様を止めるには、もっと人手が欲しい。できることなら、さっさと根本的に解決したいし。
必死に考えていたその時、ふと気づいた。そうだ、だったらあの手はどうだろう。
「……私からも、一つ条件をつけさせてください」
手を軽く上げて、そう言う。みんなが、今度は私を見た。
「アンドリュー様が私のそばにいるために魔法省に入られるのでしたら、ベリンダ様も同じように魔法省に来ていただけませんか」
そう言うと、アンドリュー様が首をかしげた。というか、あからさまに嫌そうな顔だ。そんな彼にも分かるように、丁寧にかみくだいて説明する。
「アンドリュー様は、ベリンダ様が悪女であると勘違いして、婚約の破棄を宣言されてしまいました。誤解は解けたと思いますが、改めてお二人の仲を修復する、そんな時間が必要だと思うんです」
ベリンダ様が、まあ、とつぶやいて私を見る。おっとりとした可愛らしい顔に、驚きが浮かんでいた。
「……もっとも、ベリンダ様が望めば、ですけれど。でも私は、お二人には仲直りしてほしいなって、そう思っています」
「ありがとうございます、シンシアさん。わたくしでよければ、ご一緒いたしますわ。もっともわたくしが、魔法省で役に立つとは思えませんが……」
しゅんとした顔で、ベリンダ様がうなずいた。その様子に、罪悪感がこみ上げてくる。
仲直りさせたいというのは建前で、彼女がアンドリュー様とよりを戻してくれれば、穏便に全てが丸く収まるのだというのが本音だったから。
どう声をかければいいのかなと悩んでいると、すかさずギルバート様が割って入った。
「いえ、ベリンダ様。あなたは魔法を使えますから、魔法省では歓迎されるはずですよ」
その言葉に、ベリンダ様はぱっと顔を輝かせている。本当に、ギルバート様は誰にでも優しいなあ。その博愛を、アンドリュー様も少しは見習えばいいのに。
そんな私たちを見渡して、レイが静かに言った。ちょっとあきれているような声だ。
「……ということは、ここにいる五人全員が魔法省に行くということで、決まりですか?」
「ああ。これから私たちは、共に働く仲間だ。いくらでも頼りにしてくれたまえ、愛しいシンシア」
私の手を優しく取って、アンドリュー様がにっこりと笑う。
頼りにするも何も、学園での成績は全科目私のほうが上だったのだけれど。何といっても、私は首席で卒業したのだし。
科目によってはレイやギルバート様に負けたものもあるけれど、その二人以外に負けた覚えはない。
見せつけるようにため息をついたが、アンドリュー様は少しも笑顔を崩さなかった。
彼は思い込みが激しく、勘違いが得意で、そのくせ変に打たれ強い。とにもかくにも、面倒な相手だった。唯一の幸いは、結構単純だということくらいか。
ああ、何だかどっと疲れた。もう一度ため息をついて視線をそらしたら、レイと目が合った。
ご愁傷様、と彼は声に出さずに唇だけでそう言っていた。ほんのちょっぴり、おかしそうに。
こうして、私の三年間の学生生活は、想像もしていなかった形で幕を引いたのだった。




