27.日常はあっさりと砕け散って
それからも、だいたい同じように毎日は過ぎていった。しいて違いを挙げるなら、アンドリュー様がちょっぴりおとなしくなったことぐらいだろうか。
あのダンジョンで私を守れたこと、魔法の素質を手に入れたこと。そういったことが、彼に自信を与えたらしい。
彼は今までのように全力で迫ってくるのではなく、余裕を持って私に接してくるようになったのだ。暑苦しいことに変わりはないけれど。
そうなると、私のほうも落ち着いて彼のことを見られるようになってきた。
私はやっぱり、恋愛についてはよく分からない。でもそういったことを抜きにしてなら、アンドリュー様といるのも案外悪くないかなと、そう思えるようになっていたのだ。
それでもやっぱり時々暴走するアンドリュー様と、遠慮なく言葉でやり合うレイ、あきれつつも二人の話を聞いている私。ギルバート様とベリンダ様は、そんな私たちを微笑みながら見守っている。
ギルバート様とベリンダ様は、秘めていた思いを告げ合った後も、以前と同じようにふるまっていた。むしろ、少し吹っ切れたようにも見える。
結ばれるかもしれない、結ばれないかもしれない。だからこそ、ただ一緒にいられる今という時間を大切にしたいのだと、ベリンダ様ははにかみながらそう教えてくれた。
そんな風に、私は意外と穏やかに、そして幸せに暮らしていた。
信じられないあの知らせが、突然もたらされるまでは。
「……レイ、が……?」
「ああ。残念ながら、あれだけのことができるのは、王都では彼ただ一人だ」
その知らせを持ってきたのは、クライヴさんだった。いつものように仕事をしていた私のところに、彼は真っ青な顔で駆け込んできたのだ。
目を丸くする私に、彼は肩で息をしながら状況を説明してくれた。
このところ王都には、盗賊がちらほら出没するようになっていた。旅をしながらあちこちを荒らしている、そんな一味らしい。
彼らはみな身が軽く、衛兵たちがうまく剣を振るえないような細い路地を通ったり屋根の上を伝ったりして移動するため、衛兵たちは彼らを中々捕縛できずにいた。
そうして魔法省に協力要請が来たものの、町に被害を与えずに盗賊を捕らえる方法が見つからずに、衛兵たちも魔法省の上のほうの人たちも、みんな頭を抱えていたのだそうだ。
しかしそんな盗賊たちを、レイが捕まえた。それもたった一人で、全員を。
「……彼は闇の魔法で盗賊を片っ端から眠らせた。一部の盗賊に対しては、精神操作を行ったらしい。おそらくは逃げる盗賊に、逃げるな、と命じたのだろうな」
「精神、操作……」
ぶっきらぼうだけれど優しくて、気遣いもできるレイ。勉学なら私のほうがほんのちょっとだけ上だったけれど、冷静にものを考えて判断する能力は、彼のほうが上だ。
そんな彼に、そんな物騒な魔法は似合わない。
「町はずれの廃屋で盗賊たちが発見された時、彼らはみな夢うつつで、きっちりと縛り上げられていた。そして彼らからは、闇の魔法の痕跡が検出された。今この王都及びその周辺にいる闇の魔法使いは、レイだけだ」
どうして、そんなことを。そんな言葉が喉元まで出てきて引っかかる。何も言えずに立ち尽くす私に、クライヴさんは口ごもりながらさらに言った。
「……目的はどうであれ、彼は禁忌である闇の魔法を無許可でまた使った。それも、前回よりもさらに危険なものを。現在魔法省は、全力で彼を探している。……要するに、指名手配だ」
レイは数日前から休みを取っていた。ちょっと用事があると言ってどこかに出かけたきり、姿を見ていない。けれど明日になれば戻ってくると聞いていたから、気にしていなかった。それなのに。
「そんな、彼がそんなことをするはずがありません! 彼は冷静で、良識があって!」
「落ち着いてくれ、シンシア。盗賊たちの状態から見て、レイが盗賊を退治したのはおそらく二日ほど前だ。それ以降の彼の足取りはつかめていない。おそらく、意図して行方をくらましているのだと思われる」
クライヴさんは沈痛な面持ちでそう言って、痛々しげに息を吐いた。
「ともかく、レイを見つけないことにはどうしようもない。……彼について、上司が話を聞きたいんだそうだ。協力、頼むぞ」
悔しさにぎゅっと唇をかみながら、それでもきっぱりとうなずいた。レイが見つからないことにはどうしようもない、それは事実だと、そう思ったから。
そうして私は魔法省の一室に向かい、そこで上司の取り調べを受けた。
レイの生い立ち、学園にいる間私たちはどんな風に過ごし、この魔法省に来てからどんな話をしたのか。そんなことを必死に思い出しながら話していった。
レイは王都から離れた小さな町の孤児院で暮らしていた。けれど子供の頃からとびきり賢かった彼は、その才能を買われて豪商の養子になった。
彼はそれから猛勉強し、王立学園に入学した。そうして私と出会い、それからはずっと行動を共にしてきた。
でも彼は、自分のことをあまり語りたがらなかった。だから私が知っているのは、彼が一人でいることを好むということや、一歩引いて周囲の状況を眺めがちだということくらいだ。
一通り話を聞き終えた上司は、一気に難しい顔になった。
「……ふむ、魔法省が持っている情報と、大差ないか…ああ、協力感謝する、シンシア。もう下がってくれていい」
そうして上司の執務室を出ると、そこにはアンドリュー様が立っていた。ギルバート様とベリンダ様、それにクライヴさんも。
みんな既に事情を知っているのだろう、とても心配そうな顔をしていた。
廊下を歩きながら、ギルバート様が固い声で告げる。
「……シンシア君。私たちに待機命令が出た。レイ君が何を考えているのか分からない以上、彼と親しい私たちを彼とうかつに接触させないほうがいい。上は、そう判断した」
「でも、レイさんは悪い盗賊の方々をこらしめたのですよね? でもこれではまるで、罪人か何かのようですわ……」
戸惑いを隠せないベリンダ様に、クライヴさんが辛そうに答える。
「それでも彼が闇の魔法を勝手に使った。これは処罰の対象だ」
その理由が何であれ。クライヴさんは食いしばるように、さらに言葉を付け加えていく。
「それに、彼が盗賊退治に踏み切った理由が分からない。普段の彼なら、こんな風に無茶苦茶をやらかしはしない。だからみな、警戒しているんだ。何か事情があるのかもしれないと」
クライヴさんの言う通りだ。前に闇の魔法を使って謹慎となった時も、抗議しようとする私をレイが止めていた。
レイは目立つことも、波風を立てることも嫌いだし、それにとても合理的だ。もし盗賊たちを何とかしないといけないと思ったとしても、こんなとんでもないやり方は選ばない。
「おかしなことはもう一つある。闇の魔法で眠りについた盗賊たちは、城下町の廃墟にまとめて押し込まれていた。三日に一度、見回りの衛兵が通るほかは、ほとんど誰も通らないところだ。まるで、ことの発覚を遅らせようとしているようだった」
「……盗賊を退治した上で、闇の魔法を使用した事実が明るみに出る前に逃亡した。そう考えるのが一番筋が通っているのでしょう。納得はいきませんが」
ギルバート様が、静かにつぶやく。それ以上誰も、何も言わなかった。私たちはみな無言で、待機場所となる部屋へと向かっていった。
魔法省内には、泊まり込みの仕事のための宿直室がたくさん用意されている。待機命令が出ているから、ここでしばらく寝泊まりすることになる。
後で誰かに付き添ってもらって、一度寮まで着替えなどを取りにいかないと。でもその前に、少し休みたい。
与えられた個室に入り、扉を閉めた。そのとたん、ものすごい疲労感が襲ってくる。
「……レイ……どうしちゃったのかな……」
彼は自分の持つ闇の魔法の素質を、どちらかというと疎んじているようなそぶりを見せていた。
そして彼は王都を荒らす盗賊たちのことも知っていたけれど、民を救うためにたった一人で立ち上がるとか、そういう性格でもない。
つまり今回の件は、あまりにもレイらしくないのだ。考えれば考えるほど、訳が分からなくなっていく。
いつもなら、こんな風に考えがこんがらがってしまっても、レイとお喋りしているうちに自然と解決策が見つかっていた。でもよりによって、そのレイがいない。
寝台に腰かけて頭を抱え、背中を丸める。何もできないのが辛くて悲しくて、うっかり泣きそうになるのをこらえながら、ただじっとしていた。
そのまま、どれくらい経っただろう。こつん、こつんと窓が叩かれる音がした。くるりとそちらを振り向くと、すっかり夕暮れのオレンジ色に染まった空が見えた。
オレンジ色の空を背景に、また何かが飛んでくる。どうやら、ドングリのようだ。ドングリは窓ガラスに当たって音を立て、そのまま落ちていく。
窓を開けて身を乗り出す。すぐ下の地面に、アンドリュー様が立っていた。いつになく、険しい顔で。
「シンシア、こっそりとこちらに降りてきてくれ。話しておかなければならないことがある」
そのただならぬ様子に、彼の言葉に従うべきなのだと悟る。
こっそり部屋を出るには窓から出るしかないけれど、ここは二階だ。私の運動神経だと、あそこまで飛び降りるなんて芸当はできない。
戸惑っていると、アンドリュー様が両手を広げた。
「大丈夫だ、そのまま降りてくるといい。私が風の魔法で受け止めよう。時間がない、早く!」
せかされるがまま、窓枠をまたいで外壁に足をかける。そのとたん、空気の塊に包まれたような感触を覚えた。
そのまま私の体はふわふわと浮いて、アンドリュー様の前にそっと降ろされる。
「……シンシア、君にレイから伝言だ。もし自分がいなくなるようなことがあったら、シンシアだけに伝えてほしい言葉があるのだと、彼は前に言っていた」
「私だけに、ですか?」
「ああ。君だけをこっそり呼び出す方々が思いつかず、伝えるのが遅くなった」
思いもかけないアンドリュー様の言葉に、目を丸くする。
最近のレイはアンドリュー様としょっちゅう元気に言い合っているし、多少親密になったのかなとは思ったけれど、そんなことを頼むなんて。
「『僕にもしものことがあったら、僕が一番好きな本を君にあげるよ』だそうだ。具体的にどの本のことなのかを言わなくていいのかと尋ねたのだが、彼はそれ以上何も言わなかった」
これは、何かある。すぐにぴんときた。レイは、こういうちょっとした謎かけをするのが好きなのだ。そして、レイはその言葉で私が正解にたどり着くと信じてくれている。
彼が一番好きな本。駄目だ、見当もつかない。彼は本の虫で、毎日のように何かしら本を借りてきては、空いた時間に読んでいたのだから。
心配そうにこちらを見ているアンドリュー様に言葉を返す余裕すらないまま、必死に記憶をたどる。
「……あっ!」
そうしているうちに、一つだけ思い当たるものがあった。そうだ、きっとあれだ。
突然駆け出した私を、アンドリュー様が黙って追いかけてくる。後ろを振り返ることなく、ただひたすらに走った。寮の、レイの部屋に向かって。




