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23.薄闇の中の打ち明け話

「……ううん……」


「気がついたか、シンシア。よかった……」


 目を開けると、ほっとした顔のアンドリュー様の顔が見えた。彼は石の床に座ったまま、私をしっかりと抱きかかえていたのだ。


 何がどうなっているのかさっぱり分からないまま、大あわてで彼から離れる。


「あ、あの、どういう状況ですか、これは!?」


 少しでも落ち着こうと深呼吸しながら辺りを見渡す。


 周囲は薄暗くてだだっ広い。広すぎて、壁が見えない。そしてずっと上のほうには、うっすらと明かりが見えていた。その明かりのところで、誰かが動いているようだ。


 どこだろう、ここ。混乱している私に、アンドリュー様が説明を始めた。


「私の一撃で、スライムは見事動きを止めた。だが……その直後、スライムがいきなり爆発して、マナが噴き出した。私にはマナは感じられないが、ギルバートがそう叫んでいたからそうなのだろう」


 けろっとした顔で、アンドリュー様はそう言っている。おそらくアンドリュー様の剣は、スライムのマナ袋と呼ばれる器官を貫いてしまったのだろう。


 マナ袋とは、魔法生物のみが持つ特殊な器官だ。その名の通り、中にはとびきり高濃度のマナがつまっている。


 けどマナ袋ってかなり小さいらしいから、剣の攻撃があれに当たることなんてまずないと思っていたのだけれど。


 というか、アンドリュー様は大丈夫なのだろうか。彼はあのマナの流れをもろにくらっているはずなのだけれど。


 心配しつつ、アンドリュー様の様子をうかがう。生命吸収の魔法でスライムの生命力を吸い取ったからか、むしろ元気そうだ。


「そうしたら、いきなり土の壁がなくなった。吹き荒れるマナにほんろうされて、魔法を維持できなくなったとかなんだとか、ギルバートはそんなことを言っていたな」


 ああ、少しだけ思い出した。そうして無防備になった私たちに、マナの突風が吹きつけた。


 私は運悪く、ひときわ濃いマナを吸い込んでしまって、頭がぼうっとして……それからどうなったんだったか。


「君がよろめくのが見えて、駆け寄ろうとした。その時君の足元に、いきなりぽっかりと穴が空いたのだ。ほら、上に見えているのがそれだ」


 アンドリュー様が指さす天井には、さっきの明かりが見えていた。


 あの上が、さっきまでいた通路なのだろう。おそらくスライムからあふれだしたマナの影響で、ダンジョンがまた形を変えたに違いない。


「私はとっさに、落ちていく君を追いかけて飛び降りた。考えるより先に、体が動いていた。……そうして、不思議なことが起こった」


 大きく両手を広げて、アンドリュー様が感動したようにつぶやく。


「落ちていく私たちを、つむじ風が受け止めてくれたのだ。君は気を失っていたが、それでも私たちは傷一つ負うことなく、ここに降り立つことができた」


「……つむじ風、ですか?」


 人間二人を受け止めるほどのつむじ風が自然発生するなんて、聞いたことがない。このダンジョン内にはたくさんのマナが流れているけれど、それは空気や水のように触れられるものではないし。


 だったら、そのつむじ風は自然にできたものではなかったのかもしれない。つまり、誰かが魔法で生み出した、とか。


 でも、誰が。あの場に、風の魔法使いはいなかった。


 ……まさか。


 ふと、とんでもない考えに思い至ってしまった。それを確認しようと、辺りをきょろきょろと見渡す。案の定、近くに小さなマナの泉があった。


「あの、アンドリュー様。この近くに、マナの泉があるんです。それがどこなのか、当ててみてもらえませんか?」


「私には分からないはずだが……」


「あてずっぽうでもいいんです。ここじゃないかな、と思う場所を指してほしいんです」


 突然の私の申し出に少し戸惑いつつも、アンドリュー様は大きくうなずいた。


 そうして辺りを見渡し始めて……ぴたりと動きを止めた。その視線は、少し離れた床にすえられている。


「あそこに何かあるような……まるで水でも流れているかのように、床がひずんで見える。もしかして、あそこなのだろうか」


「……はい、正解です。あそこに、マナの泉があります」


「おお、偶然とはいえ嬉しいものだな。……でもどうして、あのマナの泉だけが違って見えているのだろう?」


「……その、これはあくまでも仮説なのですが……」


 アンドリュー様は魔法生物であるスライムの生命を吸収し、ついでにスライムの体内に蓄えられていたマナをたっぷりと浴びた。


 その結果、魔法の素質に目覚めたのではないか。おそらくは、風の属性に。私たちを救ったつむじ風は、アンドリュー様がとっさに生み出したものではないか。


 そう説明すると、アンドリュー様はぱっと顔を輝かせた。


「そうか! だとしたらこれほど喜ばしいこともないな! いや、一番は、君が私の求婚を受け入れてくれることなのだが」


 彼はもう、すっかり浮かれてしまっている。そのあまりに無邪気な喜びように、なぜか胸が苦しくなった。


「とにかく、上に戻ったらみなに話そう。そして魔法省に戻ったら、改めて素質の検査を受けよう。うむ、楽しみだ」


「上に……って、どうやって戻れば……」


「ああ、今、上でギルバートが作業を進めてくれている。さっきの音とマナの流れを感知して他の隊も来てくれたらしいのでな、手分けして土の魔法で階段を作ってくれているのだ」


 上を見て目を凝らすと、確かに階段のようなものがこちらに向かって少しずつ伸びているのが見えた。


「私たちは、しばらくここで待っていればいい。というか、動かないでくれと頼まれてしまった。この広間はどうやら未調査区域だとかで、うかつに動くとどうなるか分からないのだそうだ」


 そう言って、アンドリュー様は私をまっすぐに見つめた。


 こうして彼と二人きりになるのは、果たしていつぶりだったか。なにせあの卒業パーティー以来、つまり彼と知り合って以来、私はずっと彼を避けているのだから。


 と、アンドリュー様が不意に切なげな笑みを見せた。思わず胸がどきりとする。


「……シンシア、こうして二人きりの時間を持てたのも、何かの縁だろう。少しでいい、話がしたい」


 いつになく真剣で、そして寂しげな雰囲気に戸惑いつつもゆっくりとうなずいた。


「こうして君と過ごすたびに、君への思いはつのるばかりだ。……だが、君が私を避けていることには、気づいている」


 派手目で堂々とした美形の彼が、めずらしくもしょんぼりとしている。


「もしかして、私にはもうひとかけらも望みがないのだろうか? ……もし、そうなら……私は引き下がろう。愛する君を苦しめないために。だからどうか、君の本当の思いを聞かせてくれ」


 彼は明るい緑の目を悲しげに細めて、じっとこちらを見つめ続けている。


 その目に宿っていたとても真剣な光のせいか、あるいは辺りを覆いつくしている薄闇のせいか、自然と口が動き出していた。


「……アンドリュー様のことが嫌いとか、そういうことではないんです。最初は、あのいきなりの婚約破棄とか様々な勘違いとかに、かなりあきれてはいましたけど」


 率直な言葉にも、アンドリュー様は気を悪くした様子はない。彼はただ黙って、私の話を聞いてくれている。


「あなたは突っ走りがちですし、色々と面倒くさい方ではありますが、悪い人ではないんだなって、そう思います」


 そこまで言っても、アンドリュー様は嬉しそうに笑うだけだった。彼はきっと、この先の話を受け止めてくれる。そう思えた。


「でも……私には、あなたの求婚にどうしてもうなずけない理由があるんです」


 だから私は語った。アンドリュー様の目を見ることなく、うつむいたまま。


 私は男爵家の娘だ。王立学園で良い成績を修め、仕事を見つけなければ、親の決めた相手と結婚させられる。周囲にはそう話していた。


 けれど、それはあくまでも真実の一部でしかなかった。誰にも、レイにさえ告げたことのない残りの真実を、淡々と語っていく。


「私の母は、私を産んですぐに亡くなりました。父は周囲の勧めで、すぐに後妻を迎えました。五年後、腹違いの妹が生まれてすぐに、今度は父が亡くなりました」


 それからずっと、私に味方はいなかった。家は後妻に乗っ取られた。私は継母と妹に虐げられ、ずっと縮こまって生きてきた。震える声で、そんなことを告げる。


「あの二人にとって、私はただの道具でしかなかったんです。私の意志などおかまいなしに格上の家に嫁がせて、我が男爵家をより栄えさせるための。だから私は死に物狂いで勉強することで、二人から逃げたんです。そうしてやっと、自由と居場所を手に入れたんです」


 冷たい石の床に座ったまま、ひざの上に置いた手をぎゅっとにぎりしめる。


「だから……私は、絶対に格上の人には嫁げないんです。家の利益になるようなことはしたくないんです。それが、私にできるたった一つの、ささやかな意趣返しですから」


 本気でアンドリュー様が私と婚約しようとするなら、そこには身分の問題が立ちはだかってくる。未来の王妃が男爵家の娘では、格好がつかないからだ。


 このような場合、私をいったんどこか上位の貴族の養子とするか、あるいは私の実家である男爵家を新たに伯爵家あたりに格上げするとか、そういった対策が取られるのが一般的だ。


 そのどちらになろうと、継母と妹は大喜びするだろう。格上の貴族との接点が、人脈が生まれるのだから。


 あの二人を喜ばせたくはない。自分でも心が狭いと思ってはいるけれど、そう思いたくなるくらいに私の少女時代は悲惨だった。当時のことなんて、思い出したくもない。


「……そうか。君にはそんな過去があったのか。普段の明るくはつらつとした君の姿からは、まるで想像がつかなかった」


 アンドリュー様はとても静かに、そう答えた。ほんの少しだけ、しんみりしたような声音で。彼の表情は、薄闇に隠れてよく見えない。


「……内緒にしておいてくださいね。暗くなっちゃうから、誰にも話さないでいたんです」


 王立学園にきてからはずっと、自分のそんな過去を隠してきた。もう二度とあの家には戻らない、これからは新しい自分として生きるのだと決めていたから。


 こんな形で打ち明けることになったのは不本意だけれど、でも、黙ったままでいるのはアンドリュー様に申し訳ない。


 それに彼は、きっと私の秘密を内緒にしていてくれるだろうと、そう思えた。彼は能天気で猪突猛進だけれど、でも素直で誠実な方なのだとも思う。


「無論だ。思い人の秘密をみだりに口外するなど、ありえない。今聞いたことは誰にも話さないと、そう誓おう」


「……ありがとう、ございます」


 それきり二人、口を閉ざして上を向く。


 天井にぽっかりと空いた穴から伸びている階段は、さらに下へと伸び続けていた。作業している人たちの顔がはっきり見えるくらいに、階段の端が近づいてきている。レイがこちらに向かって、手を振っていた。


 彼に手を振り返しながら、さっきまでのことを頭から追いやる。きっとアンドリュー様は、何事もなかったかのように接してくれるはずだ。だから私も、忘れよう。


 でも、同じように手を振っているらしいアンドリュー様がどんな顔をしているのか見る勇気は、今の私にはなかった。

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