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20.お出かけのお誘い

 そうして、お休みの日。朝一番に、寮の部屋の扉が叩かれた。居間の椅子に腰かけたまま、ちょっとぼんやりした声で答える。


「あの、今まだ寝間着ですので少しお待ちください」


「僕だよ、シンシア」


 扉の向こうから、レイの声がする。なんだか周囲を気にしているような、そんな声だ。


「どうしたの、こんなに早く。私、今さっき起きたところよ」


「今日、君も休みだろう? 少し出かけない?」


 外出か。彼の言う通り今日はお休みだから、魔法省の書庫にでもこもって読書でもしようかと思っていたのだけれど。


「……君のことだから、たぶん読書か掃除で一日つぶすつもりだったんじゃないかと思ってるんだけど」


 すごい、見事に考えを読まれている。


「たまには気晴らしでもしようよ。ほら、前に約束したよね。卒業パーティーの時に」


 そういえばそんなこともあった。勉学にひたすら励んだ学園生活も終わるのだし、これからは何か気晴らしをしたらどうかと言われたはいいものの、何も思いつかなかった。


 だからレイに頼んだのだ。何か面白そうな気晴らしを考えておいて、と。


 どうやら彼は、そんな気軽な約束をしっかりと覚えてくれていたらしい。


「……それにあんまりここにいると、アンドリュー様が押しかけてこないとも限らないよ。君が休みだって知ったら、あの人突進してくるかも」


「分かった! 大急ぎで支度する! ちょっとだけ待ってて!」


 勢いよく立ち上がった拍子に、近くの机に置いてあった本にぶつかって落としてしまう。拾おうとしたら机に頭をぶつけてよろめいて、そのまま寝間着のすそを踏んで転んだ。


「……うん、落ち着いてね、シンシア」


 どたばたという音だけでだいたい何が起こったか理解したらしいレイが、苦笑交じりにつぶやいていた。




「それで、気晴らしって何?」


 大急ぎで支度を済ませて寮を飛び出し、二人一緒に朝の城下町を歩く。人通りも少なくて、とても静かだ。朝の散歩も、清々しくていいかも。


「色々あるよ。ほら、一つ目が見えてきた」


 レイがそう答えた時、私たちは城下町のはずれにある公園にたどり着いていた。たくさんの木々が生い茂っていて、ちょっとした森のようになっている。


 長年の土地不足のせいで建物が密集している王都において、この公園はみんなの憩いの場になっているのだ、と聞いたことがある。来たのは初めてだ。


 公園の奥に歩いていき、空いている木のベンチに並んで腰を下ろす。私たちの目の前には、澄んだ水をたたえた池があった。


「こうしてぼんやりと水面を見ていると、ちょっと肩の力が抜ける気がしない? 君はいつも張り切りすぎだから、こういうのもいいと思うよ」


「そうね。風が気持ちいい……」


「僕、水辺が好きなんだ。小さい頃暮らしてた孤児院の近くにも、綺麗な湖があって……こっそり夜に抜け出して、水面に映る月をよく見ていたよ」


 隣から聞こえてくる声は、とても穏やかで、そして少し悲しそうだった。きっと、過去の辛いことを思い出してしまっているのだろう。


 なぐさめたくなって隣を向いたその瞬間、レイはいつも通りの声で続けた。


「……っと、いけない。僕のことを語りにきたんじゃないよね。どう、シンシア。こういう気晴らしは?」


「こんな風に緑の多い場所でのんびりするのって初めてだけど、結構気に入ったかも。また来てみようかな」


 そう答えると、レイはあからさまにほっとした。いつも物事に動じない彼にしてはちょっと珍しい反応だった。


 小首をかしげてレイの様子をうかがう。彼はほんの少し照れたような顔で、まっすぐに池を見つめていた。まるで、わざとこちらを見ないようにしているかのような、そんな態度だった。




 そうして公園でのんびりしてから、町をぶらぶらした。目についた店で買い食いして、出店を見て回って。


 あちこち動き回っているうちに、ふとあることに気づいた。レイは劇場やサロンといった貴族らしい場所や、書店などの仕事に関係しそうな場所を意識的に避けているようだった。


 そのことを指摘すると、彼は自信なさそうに笑って尋ねてきた。


「君は男爵家の人間だし、こういう平民の気晴らしのほうが新鮮でいいかなって思ったんだ。それに気晴らしなんだから、仕事のことはできるだけ忘れたほうがいいと思うし……」


「そうだったの。ありがとう、レイ。あなたの言う通りよ。確かに新鮮だし、これくらい肩ひじ張らないほうが気楽でいいわ。……ただ」


 そこまで言って、小さく笑う。左手の小指にはまった小さな指輪に視線を落とした。


 さっき立ち寄ったアクセサリーの露店で見つけたもので、とろりとした緑色の石をそのまま環の形に削り出した素朴なものだ。


「……結局、仕事からは逃れられなかったみたいだけど」


「だね。こんなところでそんなものを見つけるなんて、さすがに予想してなかったよ」


 この指輪の石は魔石と言って、空気中のマナを集めて蓄える性質がある。魔導具の材料にもなるし、魔法使いたちが魔法を使う時の助けにもなるので、見つかり次第魔法省の管理下に置かれることになっている。


 けれどこの指輪は、どういう訳か魔法省のチェックをすり抜けて、ごく普通の飾り石として市場に流通していたようだった。


 魔法使いである私とレイは、一目でそれが魔石だと分かった。中々に可愛かったので、自分で買って身に着けることにした。魔法省の職員である私が持っていれば、まあ問題ないだろう。


「でも、レイって物知りね。あの公園といい、今日見て回ったお店といい。素敵な場所ばかりで。私は王都のことなんて何も知らなかったのに」


 ふと素直な感想を口にすると、レイが気まずそうに視線をそらした。


「……実は、今日のために下調べしたんだ。君くらいの年頃の女の子が好きそうな場所を」


「ど、どうやって? 誰かに聞いたの?」


「……最初は、道行く人を観察してた。でもそうこうしてたら、女の子たちのほうから僕に寄ってきて……結局丸一日、彼女たちに付き合う羽目になっちゃった。でもおかげで、たくさん情報を得られたけれど」


 女の子たちに一日付き合うレイ。想像がつかない。レイは学問はとっても得意だし、観察力もある。でも人付き合いは極端に悪い。私とこうしてつるんでいるのが奇跡だと思えてしまうくらいには、彼は人嫌いだ。


「それって……結構、大変だったんじゃ……」


「まあ、ね。さすがにあれは疲れたよ。彼女たちが次の約束を取りつけようとするのを断るのが、一番大変だったけど」


 やっぱりレイってもてるんだなあ、というちりちりした気持ちと、私のためにそこまでしてくれるなんて、という嬉しい気持ちがごちゃごちゃに混ざり合って、うまく言葉にならない。


 だからあいまいに笑って、お疲れ様、ありがとうと当たりさわりのない言葉だけを返した。レイはそんな私の心境に気づいているのかいないのか、妙に嬉しそうに目を細めていた。




 それからレイは、私を大通りに面した店に連れてきた。彼によれば、ここが今日のメインイベントらしい。


 さっきまで回っていた店は、みんな庶民的なところばかりだった。ところがここは打って変わって、上品で静かなたたずまいだ。どうやら、軽食やお茶を出す店らしい。


 そのまま、二階の個室に通される。窓が大きくて明るい、居心地のよさそうな部屋だ。窓の下には、通りを行きかう人たちの姿がちらちらと見えている。


「ここ、僕の養い親の知り合いの店なんだ。そういう人脈を頼るのはちょっと気が引けたけど、でも間違いなく、君はここを気に入ると思って」


 レイはやけに自信たっぷりにそう言い切る。どういうことだろうと思った時、ワゴンを押した給仕が何人もやってきた。


 あっという間に、湯気を立てるお茶と、可愛らしいお菓子がずらりと私たちの前に並べられた。ごゆっくりどうぞと言い残して、給仕たちが去っていく。


 目の前に並んだ魅惑的なお菓子をうっとりと見つめていると、レイがおかしそうに笑った。


「やっぱり君って、そういうお菓子が大好きだよね。卒業パーティーの時も、そんな顔してたし。ここは僕のおごりだから、遠慮なく食べてよ」


「えっ、それは駄目よ。お金ならあるし、半分払うわ」


「いいんだって。ずっと君にお礼がしたかったし」


「……お礼?」


 どうも今日のレイは、いつもとちょっと様子が違う。思わず小首をかしげると、レイは金色の目で私を見つめて静かに言った。


「うん。君に出会ってから、僕はずっと楽しかった。そのお礼だよ」


 そうして彼は、ゆっくりと語る。懐かしそうな顔で。


「僕を見出してくれた養い親に、僕は恩返しをしたかった。でも僕には商売の才能はない。だったら、得意なことで役に立とうと思った。王立学園で好成績を修めて、文官として働こうと思った。その結果、貴族たちに目をつけられるって分かっていても」


 レイはため息をついて、視線を落とす。


「一人になるのは慣れてたし、敵意をぶつけられるのも慣れてた。でもやっぱり、寂しいと思うこともあった。そんな時に、君と出会った。君は僕のそばにいて、寂しさを埋めてくれた」


「それは、私がそうしたいって思ったからよ。私もあなたといたいって、そう思ってたから」


「それでも、嬉しかった。ありがとう」


 ちょっとしんみりしていると、レイが不意に明るく言った。切なげな空気を吹き飛ばすように。


「さあ、シンシア。お茶が冷める前に食べよう。ここのお菓子、とびきりおいしいって話だから」


 そうしてお茶とお菓子を楽しみながら、他愛ないお喋りに花を咲かせる。お互い、いつも通りの表情で。


「ああ……すっごくおいしい。ほんとレイって、私の好みを熟知しているわね。このお店も、お昼に行った屋台の料理も……アンドリュー様にも、少し見習ってほしいわ」


 何気なく言ったそんな一言に、レイが食いついてくる。


「確かにアンドリュー様は、他人に合わせるのが下手だよね。というかあれは、そもそも誰かに合わせるっていう考え自体がないんだと思う。王太子って、ああいうものなのかな」


「あはは……言われてみれば、そんな感じね」


「でも、僕はアンドリュー様がうらやましいよ」


 レイがぽつりとつぶやいた言葉に、今度は私が首をかしげた。


「あの人は、力を持っている。でもその力を使いはしないと、あの人はためらうことなく言い切った。あの芯の強さが、まっすぐさが、うらやましい」


 そこで、彼は口をつぐんでしまう。何だか今日は、彼の意外な一面をたくさん見たように思う。


 じっと見つめる私と目を合わせずに、レイはそっとお茶を飲んでいた。


 どうしてそんなことを言うのか、どうしてそんな顔をしているのか、きっと尋ねても答えてはくれないんだろうなと、なぜかそう確信できた。それがちょっと、寂しかった。

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