19.恋愛には縁のない私たち
そうやって、さらに熱烈に迫ってくるアンドリュー様をかわしたり、ギルバート様やベリンダ様と仲良くお喋りしたり、上司やクライヴさんと和やかに交流しながら働く日々が続いていた。
もちろん、私とレイはほぼいつも一緒にいた。
今日の仕事は、魔法省の書庫の整理。目録と照らし合わせながら、蔵書が正しい位置にしまわれているか、傷みや汚れなどはないかということを一つ一つ確認して回る。
地味だけれど、レイと二人だけなので気楽でいい。
ちなみにアンドリュー様もこちらに来たがっていたけれど、彼には魔導具の整理の仕事があてがわれていた。私が彼から逃げ回っていることを知っている上司たちの配慮だった。
アンドリュー様は、最初こそ不満そうな顔をしていた。けれど、魔法と同様の働きをする魔導具に数多く触れることで、もしかしたら魔法の素質が目覚めるかもしれないとみんなでほのめかしてみたら、あっさりとそちらの作業につくことを承諾した。
あれだけ言ったのに、彼はまだ魔法の素質のことを気にしているようだった。意外とねちっこい。
そんなことを思い出しながら、レイと二人で手分けして作業を進める。書庫が静かすぎて落ち着かないので、雑談でもしようかと口を開く。
「ねえ、レイ。私、気づいたことがあるんだけど」
「へえ、偶然だね、シンシア。僕もだよ」
「あら、そうなんだ。何々? 聞かせて?」
興味を隠さずにそう言うと、レイはおかしそうに笑った。
「君が先に言い出したんだろ、君からどうぞ」
「じゃあ、二人同時で」
有無を言わさずそういうことにして、顔を見合わせる。目で合図しながら、同時に言った。
「ギルバート様って、いつもベリンダ様のことを気にかけてると思わない?」
「ギルバート様とベリンダ様って、よくお互いを見つめてるよね」
そうして、また二人黙り込む。そしてどちらからともなく、くすくすと笑いがもれていた。
「やっぱり、そう思うんだ。よかったあ、私の勘違いじゃなくて。私、そういうの疎いし」
「そういうのって、好きとか恋とかのこと? だったら僕も疎いし、あてにはならないと思うけど」
レイは納得がいかないという顔で小首をかしげている。確かに私たち二人は、あの王立学園でぶっちぎりに浮いていた。変わり者同士でつるんでいたのだし。
でも、年頃の乙女でありながら浮いた話の一つもなく、とても平和に過ごしていた私より、多少なりとも女性たちに人気があったらしいレイのほうが、まだこういった判断をするには適任だと思う。
……アンドリュー様については、一方的にあっちが迫ってきているので、私としては浮いた話にカウントしたくない。
「あの二人……お似合いだと思うのよ。とっても素敵なギルバート様の隣には、そんじょそこらの女性は似合わないわ。でもベリンダ様なら、心から応援できる。というか、二人が並んでいるところを眺めていたい。そうしたら、これまで以上にすっごく元気になれそう」
「相変わらず、君がギルバート様に寄せる思いってよく分からないよね。恋とか愛とか、そういうのとは違うの?」
「もっと純粋な、もっと熱い感情だと思うの。うまく説明はできないんだけど」
「……やっぱり分からないよ。それよりさ」
ちょっぴりあきれた目で私を見ながら、レイがおおげさにため息をつく。私がギルバート様についてきゃあきゃあ言い出すと、大概彼はこんな顔をする。
「もしあの二人がうまくまとまったとして。そうなったらアンドリュー様はどうするのさ」
「そこが問題なのよねえ。というか、あの人ちっともあきらめてくれないし……むしろ、悪化した気がするし……」
「いっそ、受け入れちゃえば?」
レイがさらりと口にした一言に、びっくりして手にしていた本を取り落とす。
「ななななんてこと言うのよ、レイの人でなし!」
「そこまで言われるようなことを口にした覚えはないよ? だって、あの方は君のこと本気で好きだし。きっかけこそ勘違いだったけど」
「それは、まあ……そうなんだけど」
「君だって年頃なんだし、こうやって魔法省に入ったからには、もう実家の言いつけで嫁がなくてもよくなったんだろう? もう自由なんだから、少しはそういうのも考えてみたら?」
「そういうの、って……」
「恋愛」
レイはびしりと言い返してきた。彼に顔を見られないように軽くうつむいて、唇を噛む。
確かに、私はもう自由だ。でも、私はアンドリュー様の求婚を絶対に受け入れたくない理由がある。その理由は誰にも話していないし、話すつもりもないけれど。
少しだけ考えて、明るく言った。話をそらすように。
「それを言うなら、レイはどうなの? 気づいてないかもしれないけど、王立学園であなた、結構人気あったみたいよ?」
私の言葉に、レイは穏やかに笑った。いつものぶっきらぼうな雰囲気なんて少しもない、きらきらと透き通った笑みだった。まるで、私の内心すら見透かしているかのような。
「僕は……勝手に結婚相手を探すのは、ちょっとね。ほら、僕は豪商の家の養子だから。僕の縁組は、養い親の商売を有利にするのに使えるんだよ」
「……政略結婚なんて、貴族だけだと思ってたわ」
「そうでもないんだよ。それに僕、養子になる前は孤児院にいたから。他の子よりちょっと賢かったおかげで、こうして新たな生活を得ることができた。だから、その分の恩返しをしたいんだ」
レイはそう言って、目を細めている。その表情からは、彼が養い親のことを大切に思っていることがうかがい知れた。うらやましいな、という思いがこみ上げてくる。
「それにね、僕にだってひそかに思う相手くらいいるよ。……まあ、ただの片思いだし、どうこうするつもりもないけど」
どうして、と尋ねることはできなかった。彼の金色の目は、その問いかけを拒んでいるように見えたから。
だから黙って、作業を続けた。最初の頃の沈黙よりも重くじっとりとした静けさが、やけにまとわりついてくる。
ちらりと横目で、レイを見た。彼はいつもよりもずっと大人びた表情で、淡々と作業を進めていた。その顔に見とれて、手が止まりそうになる。
「シンシア! 手伝いにきたぞ!」
その時、いきなり書庫の扉が勢いよく開いた。満面に笑みを浮かべたアンドリュー様が、軽やかな足取りで近づいてくる。
「え、あ、あの?」
「私のほうの作業はもう終わった。書庫は君とレイの二人きりだと聞いてな。ぜひとも、君たちの手伝いをしたいと思ったのだ」
そうして止める隙すら与えずに、アンドリュー様は私たちの作業を手伝い始める。
とっても意外なことに、彼は案外有能だった。思い込みが激しくて暴走気味で、おまけにちょっぴりデリカシーもないけれど、彼は意外にも実務もきちんとこなせるようだった。意外だ。とにかく意外だ。
アンドリュー様の働きぶりに、こっそりレイと目を丸くする。
「……やっぱり彼、変わったね」
「……うん」
そうして、心の中で思う。今だけは、アンドリュー様が来てくれてよかったなと。レイと二人きりの、あの何とも言えない気まずい空気を、アンドリュー様が一瞬で吹き飛ばしてしまったから。
「……こんな風に思う日が、くるなんてね」
こそこそとささやき合う私たちにはお構いなしに、アンドリュー様はいい笑顔で、作業をばんばん片付けていた。