12.ギルバート様の胸の内
私たちのほうが立派だなんて、いったいどういうことだろう。ギルバート様の言葉の意味が分からなくて、レイと二人して困り顔を見合わせる。
そうしていると、ギルバート様がまた口を開いた。彼はさっきとは打って変わって、朗々と言葉を紡ぐ。
「シンシア君、君は貴族の令嬢でありながらひたすらに勉学に励み、首席を勝ち取るまでになった」
その言葉に、つい背筋を伸ばしてしまう。ギルバート様は苦笑して、さらに言う。
「あの学園において、どうしても貴族の家の者たちは勉学をおろそかにしがちだ。特に女性はその傾向が強い。……彼女たちは王立学園を、勉学の場としてではなく、伴侶探しの場とみなしがちだからな」
それは事実だった。だからこそ、貴族の女性でありながら勉学に打ち込んでいた私は、あの学園ではとんでもなく浮いていたのだし。あそこで過ごした三年間で、友人と呼べたのはレイただ一人だった。
「そしてレイ君、君もまた優秀だ」
続けて、レイに声がかけられる。レイはいつも通りの顔で、それを聞いていた。
「あの学園では、貴族と平民とが共に学ぶ。それはあの学園を設立した時の王の思いをくみ、共に高め合っていくためだ。しかし現実では、そうではない」
その言葉に、レイと視線をそっと見かわす。ギルバート様の言いたいことは、分かっていた。
「……愚かなことだが、優秀すぎる平民は、貴族たちから敵視されることが多い。君もきっと、一つや二つは不愉快な思いをしてきたのではないかと、そう思う」
その通りです、という言葉をそっとのみ込む。そもそも私とレイが知り合ったのも、そういった不愉快なことがらがきっかけだった。
王立学園では、平民もたくさんいる。しかし彼らは、目立ちすぎないようにそこそこの成績を取るようにしている。
その程度の成績であっても十分に良い仕事を得られるし、うかつに貴族に目をつけられると面倒なことになりかねないからだ。
しかしレイは、そんなことはお構いなしにトップクラスの成績を維持していた。そして当然のように、貴族たちににらまれた。
貴族たちはレイに対して、ちょっとした私物を隠すとか、そういった地味な嫌がらせを繰り返していたのだ。けれどレイは、そんなことをものともせずに平然と過ごしていたようだった。たった一人で。
そんなある日、私はたまたまそんな嫌がらせの現場に行き合ってしまった。腹が立ったのでとっさにレイと貴族たちとの間に割って入って、貴族たちに言い放った。
よってたかって一人をいたぶるとか、恥ずかしくないんですか、どうせなら勉学で打ち負かしてみたらどうですか、ここは学びの園なんですから、と。
私の気迫に押されたのか、レイに嫌がらせをしていた貴族たちは決まりの悪そうな顔ですごすごと引き下がっていった。
それ以来、私とレイは何となくつるむようになっていたのだった。私たちは割と馬があったし、知的なお喋りをするのも楽しかった。それに、彼といるとほっとするのだ。とても、自然体でいられる。
そんなことを思いながらちらりとレイを見ると、彼もまた同じようにこちらを見ていた。ギルバート様はそんな私たちを、微笑みながら眺めていた。
「しかしレイ君はそういった雑音をはねのけて、とても優秀な成績を修めた。本当に素晴らしいことだ。二人とも、今の自分を誇るといい。努力の果てにつかみ取った、この地位を」
「あ、ありがとうございます……」
「どうも……」
ギルバート様にべた褒めされていることが落ち着かなくて、どうしてもぎこちない返事になる。レイも、彼にしては珍しく戸惑っているようだった。
「それに引き換え、私は……侯爵家の次男という立場も、アンドリュー様の友人であり側近であるという立場も、自分でつかみ取ったものではない。みな周囲が、私に与えたものでしかないのだ」
「あの、でもギルバート様も、学園で優秀な成績を修められていましたよね? 貴族の方々は勉学に手を抜きがちなのに、ギルバート様はすごいなあって、いつも思ってたんです」
私が素直な感想を述べても、ギルバート様の憂い顔は変わることがなかった。
「あれくらいは当然だ。王太子たるアンドリュー様をそばでお支えするためには、文武ともに高みを目指さなくてはならない。それに、私は結局君に負けてしまったのだからな」
そんなギルバート様を見ていると、ちょっと後悔しなくもなかった。せっかくだから、最後くらいギルバート様に花を持たせてもよかったのかな、と。
私が魔法省に就職することは、王立学園の最終試験の前に既に決まっていたから、最終試験はそこまでがつがつしなくてもよかったのだ。
けれどついいつもの癖で、万全にテスト対策を済ませ、全力で試験に挑んだ。レイと勝負できるのもこれが最後かもしれないと思ったら、自然と気合が入ってしまっていたのだ。
そうして私は、ぎりぎりのところでレイの追い上げをかわし、首席で卒業していた。ついでにギルバート様をもぶっちぎっていたことに気づいたのは、成績発表の時だった。
「……ああ、らしくない話を聞かせてしまったな。すまないが二人とも、今私が弱音を吐いたことは忘れてくれ」
その言葉に、思わずレイと顔を見合わせる。それから同時にうなずいて、口を開いた。
「いえ、忘れたくないです。……なんだか、前よりもギルバート様に親近感がわいてしまいました。私、というか学園の女生徒の大半は、ギルバート様のことをこう……なんというか、あがめていたんですよね。素敵すぎて」
「同じ男性から見ても、ギルバート様はちょっと近寄りがたいところはありましたね。完璧すぎて」
興奮気味に言い立てる私に、レイが苦笑しながらそっと言葉を添える。
「でも、こう言ったらなんですけど……ちょっと親近感がわいたかもしれません」
「そ、そうなのか? 私は情けないところを見せてしまったように思うのだが」
私の言葉が予想外だったのだろう、ギルバート様は目を白黒させている。
ギルバート様は人知れず苦悩を抱えていて、でもそれを少しも表に出さずにふるまっていた。
その完璧な姿にみんな憧れていた訳だけれど、こうやって彼の別の一面を知ることができて、彼との距離がぐっと近づいたような、そんな気がしていた。
「……ギルバート様にも、弱いところがありました。でもそんなところも素敵ですよね」
「僕もそう思いますよ」
二人でたたみかけたら、ギルバート様は目を真ん丸にして横を向いてしまった。それからこほんと咳払いをしたかと思うと、そのまま背筋を伸ばして書類を手に取った。
「つい、話し込んでしまったな。さあ、そろそろ職務に戻ろう」
澄ました顔のギルバート様から、隣のレイに視線を移す。それから小声でささやいた。
「……照れ隠しかな」
「照れ隠しだね」
「こら二人とも、無駄口は終わりだ」
そう叱るギルバート様の耳は、ちょっぴり赤かった。
「ところでさ、ギルバート様との初仕事、どうだった?」
仕事を終えて二人で寮に戻る途中、レイがぼそりと言った。
「憧れの人の下で、しかも同じ部屋で丸一日働くって、君からしたら最高の状況だったよね」
なぜか彼の口調は、いつもより少しつっけんどんなものに聞こえた。違和感を覚えながら、思ったままを答える。
「そうね、あなたがいてくれてよかったって思ったわ」
「何それ」
「そのまんまの意味よ。ギルバート様って、やっぱり素敵だけど……その分、ちょっと緊張しちゃうのよね。二人きりだったら、仕事にならなかったかも」
「……つまり、僕は緩衝材、と。中和薬かもしれないけど」
「うーん、ちょっと違うかな? もっと重要で、もっと大切な感じ。なんだろ、空気みたいな感じかな?」
「空気って、褒められているのかどうか微妙だね」
「もう、素直に褒められてよ」
そう言うと、レイがぷっと吹き出した。金色の目をおかしそうに細めて、声を出さずに笑っている。
普段はぶっきらぼうで無愛想な彼だが、笑うとがらりと雰囲気が変わるのだ。元々顔立ちが整っているということもあって、驚くほど目を引く。
「こうしてると、王立学園にいた頃を思い出すね」
「そうね。……私たち、ずっとこんな感じで、わいわい騒ぎながら過ごし続けるような気がするわ。これまでも、これからも」
「ずっとこのまま、か。……うん、そうだといいな」
ぼつりとつぶやいた彼は、いつも通りの静かな表情をしていたけれど、なぜかどことなく寂しそうに見えた。