11.憧れの人がすぐそこに
そうして私たちの初仕事も終わり、研修も全て終了した。私たちはいよいよ魔法省の職員として、本格的に働き始めることになる……はずだった。
「ねえレイ、私たちいつまでこうしていればいいのかな?」
「ある程度、魔法を制御できるようになるまで、だね」
私とレイは、このところずっと魔法の練習にかかりきりになっていたのだ。
魔法省の別棟にある訓練室、そこの壁にはめこまれた大きな石に向かって、ひたすらに魔法をぶつけていた。この石は魔法を受け止めて吸い込んでくれるので、魔法の練習台にはうってつけなのだ。
魔法の練習の邪魔になるから、あと危険だからという理由で、アンドリュー様はこの部屋には立ち入り禁止だ。
特にレイの闇の魔法、人の心を操る魔法が暴発して、それにアンドリュー様が巻き込まれでもしたら、大変なことになる。
……いっそ事故を装って、アンドリュー様の恋心を消してくれないかなあ、なんて恐ろしいことを考えてみたりみなかったり。
そんな訳で、ここ数日は割と平和だった。それはありがたいのだけれど、来る日も来る日も同じことばかりでちょっと飽きてきた。
「ほら二人とも、手が止まっているぞ」
背後から、快活な声が飛んでくる。クライヴさんが私たちの練習を見てくれているのだ。
もっとも私たちの新人研修自体はもう終わっているので、彼が自主的に付き合ってくれているのだけれど。
「君たちは筋がいい。この分なら、もう数日で魔法をものにできるだろう」
「……まあ、魔法を覚えたところで、結局使うことなんてないんですけどね。闇の魔法は、禁忌ですから」
ちょっと自嘲しているような口調で、レイがぼそりとつぶやく。
「そんなことはないぞ。魔法の素質を持つ者は、何かの拍子に魔法を暴走させてしまうこともある。しっかり練習しておけば暴発する確率を下げることができるし、暴走したとしても止めやすくなるからな」
「……はい、そうですね。僕の魔法が暴走したら大変だから、もっと練習しないと……」
レイはやはり暗い顔だ。それも仕方ないかな、と思いつつ、意識して明るい声で話しかけた。
「大丈夫よ。ほら、私は光の魔法使いでしょう? 反対の属性って、互いに抑制する方向に働きがちだって話じゃない? だからもしあなたが暴走しちゃっても、私が抑え込めるかもしれないわよ」
一生懸命そう言い立てると、レイは金色の目をちょっと見張って、それから優しく微笑んだ。ひどく切なげな、けれどとても嬉しそうな笑みだった。
「君は本当に前向きだね、シンシア。……君がそう言うなら、なんとかなりそうな気がしてきた。自分でもおかしいとは思うけど」
「そうそう、何事も気の持ちようよ。だからさっさと魔法を制御できるようになって、さっさと仕事にかかりましょう。仕事が始まったら、きっととっても忙しくなるわ。それこそ、細かいことを悩んでる暇なんてないくらいに」
「確かに、そうかもね。じゃああとひとふんばり、頑張るか」
その時、私たちを見守っていたクライヴさんがふと思い出したように言った。
「ああそうだ、君たちの仕事が決まったぞ。その魔法の訓練が終われば、ギルバート様の仕事を手伝ってもらうことになる」
「えっ本当ですか、やったあ!」
さっきまでのしんみりした空気を吹っ飛ばして、手をぱんと打ち合わせてはしゃぐ。そんな私に、レイが苦笑するような視線を向けていた。
「そうと決まったら、ぱぱっと片付けてしまおうか。君のためにもね」
「うん! 頑張ろうね、レイ」
そうして私たちは、今まで以上に気合を入れて魔法の練習に取り掛かった。結局その日の夕方には、クライヴさんから合格の一言をもらえたのだった。
次の日、私たちは二人そろってギルバート様が仕事をしている部屋に向かっていた。
ちなみにアンドリュー様はベリンダ様と共に別の仕事を割り振られているとかで、あと数日くらいは魔法省の外に出ているらしい。
私にとっては、まさに願ったりかなったりの環境だった。というかこの状況は、私の事情に同情してくれた上司たちが、意図的に彼を私から引き離してくれた結果らしい。もう感謝しかない。
「おはようございます、ギルバート様!」
部屋に入ってすぐに、元気な声であいさつをする。既に席について何やら書類を整理していたらしいギルバート様が、顔を上げてふっと口元を緩めた。
彼はどちらかというと鋭さを感じさせる面差しだけれど、そうやってちょっと表情を変えただけで、驚くほど雰囲気が柔らかくなる。
王立学園の女生徒たちも、彼が笑うたびにきゃあきゃあと黄色い声を上げていたものだ。
「おはよう、シンシア君、レイ君。さっそくだが、こちらの作業を手伝ってほしい」
はい! と元気よく返事して、ギルバート様がいる大机に近寄る。
そこにはいくつも椅子が並んでいたけれど、さすがに彼の横に座る度胸はない。なので、二つ飛ばしたところの椅子に腰を下ろした。
ここからなら、作業をしながらギルバート様をちらちらと眺めることもできる。
レイは私の隣、ギルバート様から遠いほうの席に座った。王立学園にいた頃からよくこうやって一緒に勉強していたので、レイと並んで座るのはもう当たり前のようになっている。
それから三人して、書類の整理に没頭した。ギルバート様が目を通して大まかに分類し、それを私とレイがさらにじっくりと読んで、さらに細かく分けていくのだ。
私たち三人は、みな勉強が得意だ。そして、書類仕事にも向いていたようだった。無言での目くばせとちょっとしたジェスチャーだけで、お互いに言いたいことを何となく伝えられている。
付き合いの長い私とレイは当然として、ギルバート様とも予想外に息が合っていた。
そんなこんなで、気づけば私たちはただ黙々と、しかしかなりの速さで書類を分類し続けていた。
ギルバート様が分類後の書類の山を見て、満足げに微笑む。
「……少し、休憩にしようか。思いのほかはかどった。君たちが優秀で、助かる」
そう言いながら、彼は目にかかった前髪を払いのけ、ふうと息を吐いて椅子の背もたれに寄りかかっている。そんな仕草の一つ一つが、とても目を引く。
「シンシア、あんまり見とれると失礼だよ」
レイが小声で注意してくる。しかしその声はギルバート様にもしっかりと聞こえてしまったらしく、ギルバート様が苦笑しながらこちらを向いた。
「いや、構わない。しかしシンシア君は、どうしてそんな風に私を気にしているのだろうか」
先日、私がアンドリュー様にしたのと同じような質問を、真正面から投げかけられる。
とっさに言葉が出なかった。というか、言葉にするのが恥ずかしかった。当人に対して「あなたが素敵だからです」なんてことを堂々と言えるほど神経は太くない。
だからちょっとだけ、話をそらすことにした。
「ギルバート様を見ていたのって、私だけじゃないですよ。王立学園の女生徒の半分くらいは、ギルバート様に見とれていたと思います」
「あ、ごまかした」
また小声で、レイがちゃかす。しかしそれに反論する余裕はなかった。
「……なに?」
私の言葉に、ギルバート様はぽかんと口を開けて、目を真ん丸にしてしまったのだ。
「気づかなかった……しかしまた、どうしてそんなことになっていたのか」
ぽかんとしているギルバート様に、レイが冷静に説明を付け加える。
「ギルバート様は人気があったんです。アンドリュー様をいつも冷静に補佐していた姿は、僕から見ても立派でした」
レイの言葉に、ようやくギルバート様も我に返ったらしい。いつになく落ち着かない様子でまばたきをしながら、独り言のようなつぶやきを返してきた。
「あ、ああ、そういうことだったのか……予想もしていない話を聞いたので、つい取り乱した。すまない」
ギルバート様は冷静沈着、頭脳明晰、おまけに眉目秀麗。しかも偉ぶることも、でしゃばることもない。人気が出ない訳がないし、熱い視線を注がれない訳もない。
そこまで考えて、ふと違和感を覚えた。目の前でちょっぴりうろたえているギルバート様は、そんな完璧な人間というよりも、むしろ年相応の、十九歳の青年に見えていた。
もしかして、私は彼に勝手にイメージを押しつけていたのだろうか。アンドリュー様が私のことを勝手に美化しているのと同じように。
もやもやしたものを感じて、胸を押さえる。視線の先では、ギルバート様が首をかしげていた。
「しかし、人気か……どうにも実感がわかないな。私はただ、やるべきことをこなしていただけだ。何年も前に与えられた、アンドリュー様を支える役目をただ全うすべく努力している、ただそれだけなのだから」
やけに弱々しくそう言って、ギルバート様は私とレイを順に見た。そうして悲しそうに、彼はつぶやく。
「……それに立派だと言うなら、君たちのほうがよほど立派だと、私はそう思う」
話題が突然、それも予想もしていなかったほうに変わったことに、思わず目を丸くする。
隣をちらりと見ると、レイもまた金色の目を丸くして、驚いたような顔でギルバート様を見ていた。




