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1.婚約破棄と、求婚と

「ベリンダ、君との婚約は破棄させてもらう! きっと父上も、理解してくださるだろう!」


 卒業パーティーの会場に高らかに響いた、青年の声。パーティーの参加者たちはみな、そちらに注目しているようだった。かすかなざわめきが、あちこちから聞こえてくる。


 しかし私は、そんな騒動に完璧に背を向けていた。目の前には、料理が並んだ大きなテーブル。


 魚のパイ、野菜のゼリー寄せ、果物のコンポート、とにかく目についたおいしそうなものを次々と取り皿に乗せていく。


 背後からは、まださっきの声が何か言っているのが聞こえた。しかし私は、取り分けた料理を堪能するのに忙しかった。


「うん、おいしいわ。……それにしても、こんなところでわざわざ婚約破棄を言い渡すなんて悪趣味ね。誰かしら」


 そんな独り言に、すぐ隣から声が返ってくる。


「あれ、王太子のアンドリュー様だよ。王太子ともあろうお方とは思えないふるまいだけど、あの方だから……ね」


「レイはあの人のこと、知ってるの?」


「噂だけはね。思い込みが激しくて、しかも行動力は人一倍。その結果、ちょくちょくおかしな方向に突っ走る人みたいだね。悪気はないらしいんだけど、その分余計にやっかいでもある」


 私の問いに答えたのは、隣に立つ青年だった。彼の名前はレイ。私同様に騒ぎに背を向けて、せっせとごちそうを食べていた。


 長めの黒い前髪の間から、線の細い美貌がのぞいている。体格も細目で、ちょっと女性的だ。


「ふうん、そうなんだ。初耳だわ」


「シンシア、君はこの学園に来てからずっと、勉強ばかりだったけど……アンドリュー様の噂すら知らなかったって、さすがというか、何というか……」


 彼は金の目を細めて、とがめるような目つきで見つめてきた。とはいえ、本気で私の行いを苦々しく思っているわけではない。


 こういったお喋りは、これまでに何度も繰り返された、ちょっとしたじゃれあいのようなものだ。


 だから肩をすくめて、いつもと同じように答える。


「だって、私は絶対に立派な就職先を見つけなくてはいけなかったの。そのために、わき目も振らずに猛勉強してたんだから」


「さもないと、親の決めた相手と結婚させられる、だったっけ。貴族様は大変だね」


「貴族って言っても、吹けば飛ぶような末端の男爵家よ。私はどうしても、あの家を出たかったの。だからこうやって、この王立学園に来たんだから。ここでのしあがることに、人生賭けてたの」


 胸を張って言い切ると、レイがふっと目元をゆるませた。


 他の人に対しては冷ややかな視線を向けていることの多いレイだけれど、私にはたまにこんな柔らかな表情を見せてくれる。


「……頑張ってたよね、君。僕も首席を狙ってたんだけど、負けちゃったし」


「あなただって相当頑張ってたじゃない。私、あなたのことを好敵手だと思ってたのよ? 貴族の中にも、平民の中にも、あなたほど賢い人は数えるほどしかいなかった」


 私たちはつい先日まで、王立学園の生徒だった。貴族の子弟は望めば簡単に入学できるが、平民の子弟は厳しい入学試験を突破しなくては入れない。私は前者で、レイは後者だった。


 そしてそんな制度のためか、貴族組と平民組は学園内でも真っ二つに分かれてしまっていた。当然ながら、互いの交流はほとんどない。


 貴族組は優雅に他の貴族との交流にいそしみ、平民組は勉強にいそしむ。ただし、貴族組に目をつけられないよう注意しながら。


 それが、この学園でごく当たり前に見られる光景だった。でも私とレイは、そんな当たり前をかき乱す、風変わりで浮いた存在だったのだ。


 私は、貴族として入学しながらひたすらに勉強漬けだった変わり者。そしてレイは、平民でありながら貴族たちを大きく引き離した好成績を納めていた目障りな者。


 そんな私たちはたまたま知り合って、そのまま行動を共にすることが多くなっていた。もっともそのせいで、他の生徒は私たちにろくに近づくことすらなくなっていたけれど。


 だから私にとって、レイはこの学園でできた唯一の友達だった。私たちは二人で学問に励み、高め合ってきたのだ。


 そうして私は首席での卒業が決まり、そのかいあって魔法省への就職が決まったのだ。


「色々あったけど、今日はお祝いだもの。無事に王立学園を卒業できたことと、良い就職先を見つけられたことへの、ね。だから遠慮なく飲み食いすることにしたのよ」


 小さくて可愛いケーキを一個取って、大きく口を開けてぱくりと食べる。どうせ誰もこっちなんて見てないし、行儀なんて気にしなくてもよさそうだった。


 というか、みんなもうすっかり背後の婚約破棄騒動に気を取られているみたいだし。


「だからって、食べ過ぎるとまた太ったって大騒ぎする羽目になるよ。ほどほどにね。……まあ、君は少しくらい太ったって可愛いとは思うけれど」


 そう言いながら、レイはバターたっぷりのタルトを口に運んでいる。


 よほど気に入ったのか、これで三切れ目だ。食べても太らない体質なんだと前に言っていた。うらやましい。


「もうレイったら、お祭り気分に水を差さないで。今日は太ることなんて気にせずに思う存分食べるって、そう決めたんだから」


「既に水は差されてると思うけどね。アンドリュー様のせいで。卒業パーティーの最中に婚約破棄って……ねえ」


「いいの、あちらは私たちには関係ないんだから」


 そんなことをひそひそこそこそと話し合っている間も、アンドリュー様は何か言い立てているようだった。


 そして私たちはその言葉には一切耳を傾けず、涼しい顔をして料理をぱくついていた。アンドリュー様とやらに興味はなかったし。


 たぶん寝て起きたらこのパーティーでの騒ぎのことはきれいさっぱり忘れている気がする。王子だの婚約破棄だの、私には全く関係のない世界の話だ。


 そんなことをちらりと考えつつ、目の前の料理に集中する。料理のテーブルのところにいるのは私とレイだけということもあって、邪魔されることなく料理を選び放題だった。


「ほんと、どれもこれもとってもおいしい……さすが王立学園の卒業パーティーだけあって、料理も豪華よね」


「そうだね。僕は一応豪商の家の養子だけど、こんなにぜいたくな料理は、年に数回ってところだったかな」


「私はせいぜい年一回。男爵家って、そんなにぜいたくはできないし」


「でもこれからは、自分で稼いだお金で、少しくらいならぜいたくもできるんじゃない? シンシア、今まで勉強漬けだったし……気晴らしも覚えたほうがいいと思う」


「そうね、魔法省はお給料がいいし。でも、気晴らしねえ……駄目、思いつかないわ。レイ、また今度でいいから、何か提案してよ」


「はいはい。どうせ僕たち、勤め先も一緒になるしね。何か考えておくよ、君にもできそうな気晴らしを」


 レイは学年二位の成績で卒業する。首席の私とは、僅差だった。そうして彼も、私と同じ魔法省への就職を希望したのだ。


「ふふ、あなたが同じ職場にいるって、心強いわ」


「でも、魔法省の仕事は忙しいし、同じ部署に配属されるとは限らないよ。休みの日を合わせれば、一緒に遊ぶくらいはできると思うけど」


「それでも、やっぱり知った顔が近くにいるって、安心できるの。今回卒業する人たちの中で魔法省への就職が決まったのって、私とあなた、それにギルバート様だけだし」


「……ギルバート様、ねえ」


 ゆっくりとお茶を飲んでいたレイが、意味ありげに顔をしかめる。もう何度も見た表情だ。


 ひたすら勉強だけに明け暮れていた私の学生生活で、ギルバート様の存在はたった一つの心の癒しになっていたのだ。


 私だけではなく、女生徒の半数くらいは彼のとりこになっていたと思う。とにかく、ギルバート様は素晴らしい方なのだ。


 眉目秀麗、頭脳明晰、それでいて偉ぶったところなど全くなく、とても礼儀正しい。他人にあまり興味のない私ですら、素敵な方だなと素直に思える人物だった。


 といっても、彼に近づこうとか親しくなりたいとか、そんな大それたことは考えていない。


 なにせギルバート様は侯爵家のお方で、貴族たちの中でも上位の家の出だ。おまけにアンドリュー様の側近でもあるのだ。私のような下級貴族とは、生きる世界が違う。


「そんな顔しなくてもいいでしょ。あの方は、私の心のよりどころなの。ただ遠くから見つめているだけで、疲れも吹き飛ぶしやる気も出てくる……そういった存在なの」


「それじゃあまるで、ギルバート様が危ない薬か何かみたいに聞こえるんだけど」


「ちょっとレイ、失礼なこと言わないでよ」


「あーはいはい、ごめんごめん」


 まるで謝罪する気のない顔で、レイは肩をすくめている。


 その時、ふと違和感を覚えた。なんだか、やけに視線を感じる。それに、ざわざわという声が大きくなってきたような。


 どうしたのかなと何の気なしに振り向くと、周囲の人たちがなぜかこちらをちらちらと見ているのに気がついた。違う、みんなが見ているのは私だけだ。


 何かおかしなことが起きている。私が状況を把握するよりも先に、人々は左右に分かれて道を空け始めた。


 その道を、一人の青年がゆったりと歩いてきた。銀髪に緑の目の、ちょっと派手目の美男子だ。自信に満ちた足取りで、こちらに近づいてくる。


 どこかで見たような見ないような、そんな顔だ。誰だっけ。


 青年の後ろには、麗しのギルバート様。明るい栗毛に知的な茶色の目、角度によって緑色を帯びるその目はとっても綺麗だ。


 いつもきりりとした凛々しい目つきをしているけれど、なんだか今は、さらに目つきが険しい。何かあったのだろうか。


 と、ギルバート様と目が合った。彼と目が合うなんて、この三年間の学生生活で数えるほどしかなかった。きゃあ、嬉しい。


 思わぬ幸運と戸惑い、そして嬉しさと恥ずかしさに思わず頬を押さえて視線をそらす。しかしその手を、誰かがそっとつかんできた。


 驚いて顔を上げると、そこにはさっきの派手目美男子が立っていた。やけに距離が近い。彼はうっとりとした目で私を見つめ、ささやいてくる。


「さあ、シンシア。見ての通り、ベリンダとの婚約は破棄した。私はもう自由の身だ。これでやっと、君の思いに応えてやれる。どうか、私の妻になってくれ」


「はあ!?」


 その時飛び出してしまった「はあ!?」は、間違いなく私の十八年の人生の中で一番大きな「はあ!?」だった。

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