9. 男女の機微は難解
本日2話更新しています、こちら2話目です
──私が勝ったら騎士を辞め、求婚する許可をくれ。
ハロルドの言葉に、観衆が沸いた。主君であるはずのハロルドを激励するように拍手し、口笛を吹く輩まで。
一方のジェナは固まっていた。
力が衰えたら、あるいは結婚したら騎士を辞める。確かに以前そう言った。
仮面舞踏会で出会ったことを示唆されて、否定もした。近衛騎士でありながら主君に好意を抱くことが騎士としての倫理に反していると思ったからだ。
だが、先ほどの言葉。
ハロルドに、自分の気持ちは気付かれていた。そして互いの関係を進めるためには、ジェナを騎士という土台から下ろさねばならないと考えたのだろう。
騎士を辞めるのは、主君を守る力が衰えたら。
すなわち、戦ってハロルドが勝つということ。
理解したジェナは急激に恥ずかしくなり、手で顔を覆った。
ささいな言葉を覚えてくれていたことが嬉しい。
一度はこちらから関係性を絶ってしまったのに、ハロルドが手を伸ばしてくれたことが嬉しい。
──だが。
今は国王の近衛騎士なのである。
負けるわけにはいかない。騎士の名が廃る。
たとえ女であろうと、守るべき主君に劣るなどということは、あってはならない。
ジェナは顔を覆っていた手で頬をぱんと叩いた。
気合を入れ、ハロルドに鋭い視線を投げる。
「……やりましょう」
再度訓練場を囲む騎士たちが沸き、その中からレフが剣を持って寄ってきた。上着を脱いで、剣を受け取る代わりにそれを渡す。
「隊長、陛下はずっと訓練されていました。油断なさらず」
「……なるほど」
夜会への出席を減らし、夜の時間帯を空けていた理由がわかった。こっそりと訓練していたということだ。であれば手加減は不要である。
騎士が輪を作る訓練場の中心で向かい合う。
「バリー隊長、手加減するなよ」
「もちろんです」
構えた状態で互いの剣を合わせ、その音を合図に開始だ。
まずはハロルドが打ち込んでくるのを、ジェナは冷静に受けた。互いの剣がぶつかり、高い音を立てる。
訓練していたというのは本当らしい。剣を振るう速度は速く、正確。
力もあるので、長期戦になれば自分の方が不利になるかもしれないとジェナは判断した。
強く打ち込んできた瞬間を見逃さず、剣を受けるふりをして半身をずらし、受け流す。
「……っ!!」
その拍子にハロルドが体勢を崩した。
瞬時に攻撃に転じようとしたが彼はすぐに構えを戻したので、感心して距離を取る。
「陛下、ずいぶん訓練されたようですね」
「君が言ったんだろう、新人でも訓練すれば勇者になれると」
「その勇者が倒そうとしているのは、本来姫にあたる相手では?」
この状況を揶揄すれば、彼は「ふん」と不敵に笑った。
ガキン、と剣がぶつかる。
ハロルドは攻撃の手を緩めることなく打ち込んでくる。集中した状態で気付いてるのかいないのか、彼の息が上がってきているのが分かった。
ジェナも同様だ。騎士であるとはいえ男女の体力差があるので、剣の全てを受け止めない。打撃の強い剣を止めることで腕は削られる。
早めに終わらせねば。
ジェナは押されたようにわざとじりじりと後退した。優勢かと、ハロルドの表情に油断が生まれる。
ジェナはそれを見逃さず、攻撃の間のわずかな隙を見つけ、そのタイミングで素早く距離を詰めた。ハロルドが一瞬、焦りを浮かべる。
意識が離れた手元をジェナは強く打った。
「あっ!」
カラン、と音を立ててハロルドの剣が転がった。
見ていた騎士たちが嘆息混じりのがっかりした声を上げる。ジェナは身を引き、剣を下ろして頭を下げた。
ハロルドも大きくため息をつき、その場に座り込んだ。
「あーあ、勝てなかったか……」
がっくりとうなだれる。だがその表情は憂いが失せたように清々しかった。王族ではない、普通の青年のように見えた。
一方、ジェナの心も晴れていた。
騎士として、負けなかったことにほっとした。自分が大事にしている騎士としての面目は保たれたのだ。
肩を落としたハロルドは砂埃で乱れた髪をさらにガシガシとかき、立ったままのジェナを見上げた。
「…………大見得切って戦いを挑み、さらに負けてみっともないということは分かっているが……、バリー隊長、」
「はい」
「君は私のことをどう思う?」
執務室で初めて声をかけられた時と同じ問いかけ。
彼は覚えているのだろうか。あの時、騎士として主君に宣誓をした。
しかし今は──
「……国民のため、身を粉にして執務に励まれる国王陛下のことを敬愛しております」
「…………うん」
「ですがそれ以上に、陛下のことを好きになってしまいました」
続けたジェナの言葉に、ハロルドが瞠目する。
「ずっと、陛下に幸せになって頂きたいと思っていました。あなたを支え、励ます存在に出会えたらいいと。でも今は違います」
息を吸い、一言で言い切った。
「他の誰でもない、私があなたのことを幸せにします」
一瞬、その場がしん、と静まり返り、だがすぐにわっと沸いた。騎士たちが肩を叩き合い、拍手を送る。
呆然としていたハロルドだが、勢いよく立ち上がり、ジェナに駆け寄って強く抱きしめた。
あまりにも力が強いものだから、呻き声が漏れる。だがその腕は緩まらない。
「こちらの台詞だ、バリー隊長。苦労をかけるかもしれないが、私に君を守らせて欲しい。……君の方が強いかもしれないが」
付け加えられた自嘲的な言葉に、思わずジェナは笑いそうになった。
物理的な戦いなら自分の方が強いが、王宮で生きていくにはこれまで目に見えなかった壁も多いだろう。
しかしハロルドなら一緒に良い道を探してくれるはずだ。不安はない。
ジェナが抱きしめ返そうとしたところで、ハロルドはおずおずと身体を離した。
「?」
「……しまった、女性に軽々しく触れてはいけないことを忘れていた」
『練習』を思い出してバツの悪そうなハロルドに、ジェナは今度こそ噴き出した。
♢
窓から伝わる冷気が背を冷やす。
執務机ではハロルドが手を握ったり開いたりしながらかじかんだ指先を温めていた。
さすがに寒すぎで仕事が進まないと思ったのか、侍従を呼んで暖炉に火を入れさせる。それでも部屋が広いので暖まるまでに時間がかかるだろう。
ジェナは廊下を通りかかったメイドに声をかけ、膝掛けを持って来させた。暖炉からの温もりが逃げないよう扉を閉め、膝掛けをハロルドに渡す。
「ありがとう」
ジェナはまた元いた窓の前に戻った。
ハロルドとの戦いを経て婚約者になったものの、王族というのはすぐに結婚出来るわけではない。手続きや式の準備に時間がかかるからだ。
特にジェナは父が準貴族で身分が高いわけではないので高位貴族の養女となって婚姻を結ぶことになり、さらに時間がかかる。
そのためジェナは王妃教育を受けながらも、変わらず近衛騎士としての勤務も行っている。
「ああ、疲れた」
ペンを放り出したハロルドが、うーん、と体を伸ばした。机の上のカップを手に取り、移動する。ローテーブルにそれを置いてから、「よいしょ」と長椅子に腰掛けた。
「バリー隊長、休憩しよう」
そう声をかけられて、ジェナは若干顔をしかめながらも近寄った。長椅子の端に座るハロルドとは距離をおいて姿勢よく腰掛ける。
「なぜそんなに距離を取るのだ」
「それは……」
言わずとも、本人に理由は分かっているはずだ。
婚約者になってからというものの、ハロルドの距離感が近いのである。二人きりになれば隣に座らせ、手を撫で、髪に触れようとしてくる。
婚約者になったからと、あの恋愛指南本の教えを実践しても問題ないと考えている節がある。
だが、今は勤務中である。そういった不適切な接触はすべきではない。
「許可を取ればいいのだろう? バリー隊長、髪に触れても?」
「いけません」
すげなく断られ、ハロルドが肩を竦める。
確かに、ハロルドはジェナの教え通り、触れる際には許可を求める。強引なことはしないので、その点はジェナは安心しているのだが。
「……そういえば、仮面舞踏会では許可していないのに髪に触れましたよね?」
ふと、その時のことを思い出した。
仮面舞踏会では、「髪に触れてもいいか」と質問され、ジェナは答えなかったのにハロルドは触れてきたのだ。
彼もそのときのことを思い出したらしい。
「あれは、仕方ないだろう」
「でも無許可接触でしたよ、あれは」
冷たい視線を向けるジェナに、ハロルドはムッとして口を尖らせた。
「というか、好きな女に触れたいと思って何が悪い!」
「なっ!!」
開き直ったハロルドの態度。ジェナは顔を赤らめて言葉を失った。
自分の主君はこんなあけっぴろげな人物だっただろうか。もっと思慮深くて冷静だったはずなのに。
動揺したジェナを面白がるように、ハロルドが笑みを深める。
「そうだろう? せっかく恋人になったのに、私は仕事、君も警護。逢瀬の時間など取れやしない」
「わ、うわわわ」
長椅子の端に追い込まれ、かぶさるように捕えられて逃げ場を失う。
一つに結んだ髪を長い指が梳き、その髪先に唇を落とす。硬直したジェナは視線を離せなくなった。
自分の主君はこんな男だっただろうか。女性と話すのにどきどきしちゃうなどと顔を赤らめていたあの人が。かつて『練習』と称して男女交際を教えた相手に、こんなに翻弄させられるなんて。
体が触れる。鼓動が相手に伝わりそうなほど。
髪から離れた指が自分の頬を撫で──
と、その瞬間に扉が開き、「きゃっ」というメイドの悲鳴が聞こえた。
「はっ!!」
「ちっ」
頬を赤らめて口元を手で押さえたメイドが、「失礼しました!」とスカートを翻す。
「わ、わわわあ! ちょ、ちょっと!」
ジェナの焦りの声も届かず、無情にも扉は閉められた。
なんてことだ。絶対噂になってしまう。国王と騎士が二人きりで不適切な接触をしていたと。
メイドを止めようとして伸ばした手が宙に浮いたまま、がっくりと項垂れる。そんなジェナに対し、ハロルドは悪戯が見つかった子どものようににやにやしていた。
腹立たしい。ジェナは彼をキッと睨みつけた。
「どうするんですか、噂になってしまいますよ!」
「別に噂になったって大丈夫って前に言ってたじゃないか」
「い、以前はそうでしたけど、今はもう……」
以前は恋愛関係になることないと自分も周りも分かっていたから、多少距離が近いところを見られたところでメイドたちの楽しい噂の種になるだけであった。
しかし今は正式な婚約者なのだ。悪い噂は避けたい。
むくれるジェナの唇を、ハロルドがむに、とつまむ。
「分かったよ。私だって、普段凛々しくて格好いいバリー隊長が、実は好きな男の前でとろけるような顔をするということを他のやつらに知られたくない」
「そ、そんな顔していません!」
「してるしてる。でも周りには見せたくないから結婚まで自重しよう」
そう言って長椅子を立とうとするハロルドの服の裾を、ジェナは思わず掴んでしまった。
「あっ」
「?」
距離感を保つよう告げたものの、いざ結婚までおあずけとなると、なんだか少し寂しく感じてしまったことに気付いた。
裾を握ったまま、赤くなった顔を背ける。
「ちょ、ちょっとだけならいいですよ……」
ハロルドが吐息で笑う。
額に落ちる唇を受けとめて目を閉じれば、暖炉の火が爆ぜる音が聞こえた。
《 おしまい 》