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5. 幸せを願うのは


 アマンダが帰国し、ジェナとハロルドは普段の日常に戻った。


 他の近衛騎士と交代で、彼を護衛する日々。

 行く先々で彼の一歩前、あるいは一方後ろで。執務室で護衛に当たるときには以前と変わらず部屋の調度品の一部となった。


 だが、変わったことが一つある。

 ハロルドが積極的に夜会に出るようになり、淑女たちと会話を交わすようになったのである。

 その姿を見た貴族たちは、彼が本格的に妃選びに乗り出したのだと判断した。

 そして自分たちの親族を売り出せないかと、彼には夜会の誘いが劇的に増えたのである。



「……だんだん、誰が誰だか分からなくなってくるな……」


 執務机に大量の招待状を広げ、頬杖をついてぼやくハロルドに、ジェナは眉を寄せた。


「陛下、女性にお慣れになったのはよろしいですが、それは外では仰らない方が」

「分かっているよ」


 どきどきしちゃう、などと言っていたハロルドだが、今では問題なく女性たちと話が出来ている。その様子を夜会でジェナは見ていた。

 何を話しているのか分からないものの、いたく自然な表情でお喋りを楽しんでいるようなのだ。淑女たちからの評判もすこぶるよい。


 だが周囲の思いとは反面、ハロルド自身はぴんときた女性には出会えていないようである。それは先ほどの言葉からも分かる。

 特定の相手と逢瀬を重ねるというようなことは、まだない。


「しかし女性たちは女性たちで様々な情報を持っていて、とても興味深いものだな」

「……一体、どんなお話を?」

「どんなって、基本的にはバリー隊長に教わったことから話を始めて、それからは彼女たちの話を聞いている。男とは違う目線で国を見ていて非常に参考になる」

「陛下があまり色気のないお話をなさっていることが分かりました」


 きっと官僚たちと話すような、農畜産や観光、あるいは彼女たちに最近流行の事柄でも聞いているのだろう。

 それはそれで淑女たちも楽しいだろうし、ハロルドにとっても情報収集になる。


 だが、それだけでは先に進めない。

 皇女との縁談が無かったことになった今、彼の婚姻は国の重要議案でもあるのだ。



 窓の前で立っていたジェナの背を、風で膨らんだカーテンが撫でた。

 踵を返し、空いていた窓をわずかに閉める。

 ジェナはハロルドに気付かれないようにため息をついた。


 ハロルドが特定の女性と親密な交際に進まないのは、自分と行った『練習』のせいかもしれないとジェナは思っていた。


 彼はそのままで素敵なのに、ジェナが『練習』で一般的な価値観を押し付けてしまった。だから女性と表面的な話しかできず、深い間柄になれないのではないだろうか。

 練習なんてするべきではなかった。ありのままの彼が素晴らしいのだから、それを理解してくれる女性と出会って欲しい。

 でもそれは不可能である。なぜなら、ジェナが表面的で凡庸な男性像を植え付けてしまったから。


 皇女と踊っていたハロルドの姿を思い出す。

 皇女との将来を期待していたハロルドは、それがうまくいかなかったにも関わらず自然に皇女と話していた。


 ジェナはそれを見て、もやもやした。

 自分のことではないのに、なんだか努力が報われなかったような気がしたのだ。

 そして、根底にある自分の気持ちに気付いた。


 ──ハロルドに、幸せになって欲しい。


 誠実で聡明な主君は、日々、心身を削りながら国のために働いている。

 その苦労を労わる人に傍にいてあげて欲しい。

 彼を理解し、受け入れる女性を見つけて欲しい。


 だというのに、自分と行った『練習』のせいでハロルドはありのままの姿を出せていないのだ、きっと。



 ジェナはさらに一つ大きくため息をついた。

 ハロルドに背を向け、レースのカーテンを握ったまま小さく呟く。


「……陛下、練習したことは一度忘れた方がよろしいでしょう」

「ん?」


 振り返れば、きょとんとしたハロルドと目が合う。


「私がお教えしたような上辺だけの会話を交わすだけでは、陛下に合う女性は見つかりません。陛下を支えたい、もっと内面を知りたい、そう思う女性がきっといるはずです」

「え、バリー隊長がいてくれていれば、べつに」


 ハロルドが事もなげに言う。

 ジェナは「うん?」と首を傾げた。どうも話がうまく伝わっていない。


「そういうことではなく」

「心配しなくても大丈夫だ。まだ緊張することはあるが、貴族女性たちも他の人たちと同じように接すればいいことに気付いた」

「ですが」

「練習は役に立ったよ。それをベースに、今は自分の言葉で話せている」

「そうですか……」


 そう言われると、それ以上のことはなにも言えない。


 しかし、ではなぜ、ハロルドは特定の女性との交際を進めないのであろう。多くの女性と会っているはずだ。

 まさか、出会う貴族女性たちが彼のお眼鏡に敵わない?

 そう言えば彼の好みは──


「そうか、お尻……」


 呟いたジェナに、ハロルドは片眉を上げた。


「なにかおかしなことを考えているな?」

「いえ、なかなか陛下がお好みの女性に出会えないようなので、探そうかと……。以前お尻の大きな」

「結構」


 言いかけた言葉をぴしゃりと遮られる。

 一瞬むすりとしたハロルドだが、なにかを思いついたようで、持っていたペンをくるくる回しながらにやりとジェナに問いかけた。


「そういうバリー隊長は、どういった男が好みなんだ?」

「私ですか」


 考える。

 近衛騎士として勤め、周りに男性は多いものの、自分の恋愛を考える余裕もなかった。

 むしろ淑女たちの相手役であり、彼女たちの理想とする騎士像を壊さないよう注意して生きてきた。では自分がその立場に、となったところで──


「──思いつきません。結婚も想像できませんし、私には過ぎた話です」

「ふーーーーん」


 満足のいく答えではなかったようで、ハロルドは大仰に椅子に背をもたれた。ぎぃ、と椅子が鳴る。


「……まあいい。とりあえず、私を心配する必要はない。君のおかげで女性たちと話すのが苦ではなくなったことは感謝している。練習の成果を君に見せられないのは残念だが」


 執務室の扉がノックされ、別隊の隊長が顔を覗かせた。護衛交代の時間だ。

 ハロルドが手元の作業に戻ったので、ジェナは交代して部屋を出た。




 騎士団に戻ろうと、大廊下を進む。


 ハロルドは、女性たちと話すのが苦ではなくなったと言った。自分の言葉で話していると。

 ハロルドはジェナが自分の内面を知っていればいいと言ったが、むしろジェナは執務室以外のハロルドの姿をほぼ知らない。遠目で見ているしかないからだ。彼の言うように、練習の成果を知る機会はない。

 周囲の評価が良いことを見ると、当初のようなおかしなことは言っていないようだが、どうなのだろう。


「練習の成果、ね……」


 どのような言葉で、声で、令嬢たちと交流を持っているのだろう。

 それは、自分の知っている主君の顔と同じなのだろうか──?


 考え事をしながら歩いていると、「ジェナ様」と呼び止められた。見れば、顔見知りの子爵令嬢であった。


「こんにちは、ジェナ様。先日は踊ってくださってありがとうございました」


 アマンダを歓待する夜会で踊った令嬢だ。

 まだ辿々しくステップを踏んでいたそのときのことを思い出し、ジェナは柔らかく微笑んだ。


「こちらこそ。久々にお相手をさせて頂いて、私も楽しかったです。陛下とも踊られましたか?」

「ええ。あの日だけでなく、他の夜会でも陛下がいらっしゃることが増えたので、お相手して頂くこともあります。ジェナ様もぜひまたご機会があればお願いいたします」


 そうだ。あの日、ハロルドも普段より多くの女性たちと踊っていた。そして会話を交わしていたのだ。


 ──知りたい。


 ジェナはそう思った。

 執務室以外の、ハロルドの姿を知りたい。

 仕事を離れた彼と話してみたい。



 子爵令嬢と別れ足早に騎士団に戻ったジェナは、近衛の予定表を机に広げた。

 会議や謁見だけではなく地方への視察などもある中、あちこちの貴族からの誘いも多い。ハロルドは多忙で、さらに伴い護衛となる近衛も忙しい。

 ジェナは夜の予定を指で追った。

 会合、食事会、夜会。出席予定の詳細を読み進め、その中の一つで指を止めた。


 侯爵家主催の仮面舞踏会。


「これだ……」


 仮面付きなら正体が分からない。

 だが、あいにく当の舞踏会の護衛担当はジェナであった。


 ジェナは隣の席で地図を広げている副長のレフに声をかけた。


「レフ、悪いがこの日私は体調不良になる。代わってくれないか」

「え? は?」


 地図から顔を上げたレフが目を丸くする。


「体調不良の事前申請なんてあるんですか?」

「ある。この時期は寒暖差が激しいだろう。私は風邪をひく。特大のやつを」

「隊長、そんな繊細でしたっけ?」


 レフは訝しげにしながらもジェナの持つ予定表を覗き込み、「まあいいですけど」と了承した。


 準備は出来た。

 騎士としてではなく、令嬢としてハロルドと会う。


 ジェナの胸は高鳴っていた。



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