4. 皇女
「ヘラルダ帝国ラフォイル王家第二皇女、アマンダ・グレース・ラフォイル・ヘラルダでございます」
帝国の第二皇女は、海を挟んだ隣国から船でやってきた。
といっても近いので、船旅を含めた馬車の移動でも一日と少し。やってきた皇女は疲れも見えず、溌溂とした表情である。
姿絵通り、いやそれ以上。花が咲き誇るかのように生命力溢れた、美しく若い女性。
「アマンダ姫、ようこそいらっしゃいました。ハロルド・ルハン・ヘルフォードと申します。長旅お疲れでしょう。どうぞ」
ハロルドが君主になってから初めて使用する迎賓館にて、面会は行われた。ここは他国の要人の歓待兼、滞在施設である。
型通りの挨拶を交わし、ハロルドは自らアマンダに施設内を案内した。応接室を出て、ジェナたち近衛騎士や官僚を従えながら、庭を望める回廊を通る。橙色のマリーゴールドが艶やかだ。
「到着されて、いかがですか? 世界的にそうですが、今年は我が国も非常に暑くて」
「いえ、我が国の方がもっと暑いですわ。船から降りた時、風が涼しくて驚きましたの」
「それはちゃんと避暑になりそうでよかったです」
回廊を通りながら、会談用の部屋や夜会用のホールの場所を指し示しながら歩く。その間も、二人は当たり障りない世間話をしていた。
最後に一番奥の貴賓室に辿り着き、ハロルド自ら扉を開けてアマンダを中に入れた。
その部屋の絢爛さに、彼女が「まあ素敵」と感嘆の声を漏らす。
「お疲れでしょうから夕食までごゆっくりどうぞ。建物からお出かけの際は騎士をお連れください」
「まあ、建物から出てもよろしいのですか?」
「もちろん。色々ご覧になりたいところもおありでしょう。正面玄関を出た坂を降りたところの喫茶はブリュレが美味いですよ。では」
喜色を浮かべたアマンダとメイドたちを残し、部屋を出る。扉が閉まって、ハロルドは明らかに肩の力を抜いた。
視線でジェナを見つけて「なんとかうまくいった」と言うように頷く。ジェナも小さく目礼した。とりあえず、初対面での互いの印象は悪くなかったようだ。
アマンダの王都への滞在は三日間であるが、この間、ハロルドが歓待するのは二日間の夕食会と王家主催の夜会。日中は官僚らが各地の視察や行楽に付き添う予定である。
その日の夜、ハロルドや高位貴族たちとの夕食会に現れたアマンダは興奮した面持ちであった。
「仰っていたように、ブリュレは最高でございました! それにお店のテラスで頂けるなんて初めての経験です!」
若い姫の喜びっぷりに貴族たちも頬が緩む。
長テーブルの中心にハロルドとアマンダが向かい合い、二人の両側に貴族たちが連なって座っている。
入念に準備された歓待の様子に、貴族たちも今回の帝国皇女の来国の目的をうっすらと感じ取っていた。
「それはよかったです。おすすめした甲斐がありました」
「わたくし、国では自由に外に出られるなんてことがないのです。ヨルハーバーは素晴らしいですね」
「他国から要人をお迎えすることを国民たちもよく理解していますので。おかげさまで治安も悪くなく」
「素晴らしいですわ」
運ばれてくる料理に舌鼓を打ちながら、帝国のこと、ヨルハーバーのこと、アマンダ自身のことなど、話が弾む。
その様子をジェナは壁に控えながら見つめていた。
帝国の姫ということで、もっと『お姫様』らしいタイプと想像していた。清楚で控えめで、淑やかな。
だが、実際の彼女は普通の朗らかな少女だ。笑顔で会話する皇女とハロルドに、ジェナはほっとした。きっと彼の心中も同様だろう。
食事が一通り済み、お開きとなった。
アマンダを部屋まで送るということでハロルドが席を立つ。
二人を邪魔しないよう、他の近衛騎士にはついてこないよう制し、ジェナは一人で彼らの後ろについた。その後ろを帝国のメイドたちがついてくる。
陽も沈み、回廊には足元を照らす灯りが等間隔で置かれている。ヨルハーバーは湿度が低いので、夜になると肌寒いくらいだ。
回廊を通る風に、アマンダがわずかに身を縮ませた。するとジェナの後ろにいた帝国のメイドがショールを差し出したので、通してやる。
「ありがとう」
そのとき、ジェナは視線を上げたアマンダと目が合った。
ぱっちりとしたまつ毛、大きな瞳を真正面で捉えてしまい、慌てて頭を下げる。不躾な視線ととられれば不敬になるからだ。
だがアマンダはぱっと破顔し、ジェナの顔を覗き込んだ。
「まあ! もしかして女性騎士でいらっしゃるのかしら?」
声をかけられて一瞬驚いたものの、すぐに姿勢を正し「はっ」と返事する。アマンダは珍しいものを見たように、ジェナを見つめた。
「素敵ですわ、我が国は女性騎士はほとんどいないのです。あなた、お名前は?」
「ジェナ・バリーと申します。近衛騎士団第一隊長を務めております」
「素晴らしいわ、バリー隊長!」
突然手を握られ、ジェナは動揺した。
同性に好意を持たれることに慣れているとはいえ、さすがに皇女相手では驚く。自分とは全く違う、白く柔らかいすべすべの手。
アマンダは瞳をキラキラさせて言った。
「あなた、よかったら帝国にいらっしゃらない?」
「えっ!?」
驚きの声を上げたのはハロルドである。
近くでやりとりを聞いていた彼は、ぎょっとして間に入ってきた。
「アマンダ姫、それは」
「いけませんか? 実は女性の職業選択の自由は我が国の課題の一つなのです。その凛々しい姿を見せて頂けたら、騎士になりたいという女性志願者が増えるのではないかしら」
うきうきとした口ぶりのアマンダに、ジェナは控えめに頭を下げた。
「アマンダ姫、お誘いはありがたいのですが、私は陛下に忠誠を誓った身です。騎士としての力が衰えるまで、あるいは女として家に入るまでは、国に身を捧げたいと思っております」
「えっ!!??」
ハロルドが二度目の驚愕の声を上げる。
アマンダはがっかりという表情で肩を落とした。
「そうなのですか、残念だわ。私の婚姻までに女性騎士を国で見られたら嬉しいと思ったのだけれど」
「はっ!?」
今度はジェナが驚きで固まった。
「ご、ご婚姻ですか?」
「ええ。国内の貴族の元に嫁ぐのですが、それまでに女性の社会的立場の改善に取り組んでいますの」
「婚姻……」
聞いていた話と違う。
てっきり、皇女の来国はハロルドとの縁談目的だと思っていたのに。
ハロルドに目をやると、呆然としている彼と目が合った。互いに頭が混乱しており、無言で見つめ合う。
だがハロルドはすぐに落ち着きを取り戻した。
咳払いをして「それは大変おめでとうございます」と微笑み、止めていた足を進める。
「姫、新婚旅行にもいかがですか? 島の端の方はリゾートとしてとても人気ですよ」
「良いですわね、婚約者にも相談してみますわ」
客室に着き、アマンダが扉の奥へ消えた後、帝国のメイドが追い抜きざまにジェナに耳打ちした。
「先程は姫様が失礼をいたしました。姫様は騎士の方がとてもお好きでして。ご婚約者も騎士なのです」
「そ、そうですか……」
メイドは「また明日もよろしくお願いします」と頭を下げ、客室へ入った。
扉の前にはハロルドとジェナの二人が残る。
「……………」
二人は揃って脱力し、「はあぁ」と大きなため息をついた。
「……陛下とのご縁談目的かと思ったのに、まさかご結婚が決まってるとは」
「そうだな……、ってそっちじゃない。バリー隊長、辞める気なのか」
「えっ?」
慌てたような、怒ったような表情のハロルドに詰め寄られ、ジェナは一歩下がった。
「先ほど言っていただろう。姫から誘いを受けた時に」
「ああ……、もちろんそうです。騎士として衰えたら陛下を守れませんし、いずれ結婚するかもしれません。母も結婚して退団しました」
「んんん……」
眉を寄せてハロルドが唸る。
だがジェナは気が急いて話題を変えた。
「そんなことより、陛下、アマンダ姫がご結婚というのは」
「え? あ、ああ、そうだな」
「てっきりご縁談目的の来国かと思っていましたが」
「宰相からそう聞いていたが……、彼の早とちりだったようだな。なんだか、なにもしていないのに振られたような気分だ」
そう言いながらも全然気にしていない様子で、ははは、と朗らかに笑う。
しかし、ジェナには若干不満が残った。早とちりしたのはこちらとはいえ、ハロルドが忙しい中、慣れぬことをしつつも努力を重ねて準備してきたのに。
むくれるジェナの背を、苦笑したハロルドがぽんと叩く。
「気にするな。アマンダ姫はヨルハーバーに好印象を持ってくださった。それで十分だよ」
「そういうことではありません」
「まあまあ、バリー隊長。もう夜も遅い。戻ろう」
ジェナはハロルドに宥められながら、王宮へ戻った。
♢
第二皇女アマンダの来国の本当の目的はすぐに分かった。
彼女は来国二日目、果樹園の視察の後、ハロルドに帝国からの親書を手渡したのである。
「今回、わたくしがお邪魔した一番の目的は果樹園を視察することでしたの」
聞けば、帝国は今後の人口増に備え、農畜産、穀物の基礎研究開発に注力していく方針を打ち出している。その中で、ヨルハーバーの果樹についても帝国との技術者の派遣交流や共同研究を進めていけないかと考えていると。
アマンダは先鋒として視察と、ハロルドに伺いを立てに来た使者の役割を担っていた。
話を聞いたハロルドは、一度保留にして返答すると約束した。帝国の方針について異論はないものの、共同研究のやり方によっては技術や種苗そのものの流出などに繋がりかねないからだ。
アマンダはその回答に頷き、「滞在はとても楽しかったですわ、また来ますわね」と締めた。
最終日の夜、王家主催の夜会で、ジェナは文字通り壁の花となっていた。
もちろん勤務中であるため、騎士服である。懸念がないよう周囲に気を配りながら、フロアで踊る色とりどりの男女を見つめていた。
その中心ではハロルドとアマンダがにこやかに顔を寄せて踊っている。
アマンダは落ち着いた水色のレース地のドレス。
ハロルドはどのように褒めただろう。
彼女の髪や、瞳の色や、ドレスを、どのように表現したのだろう──?
なんだか気分が上がらないジェナは、ため息をついて目を逸らした。
ハロルドは「婚約してしまいたいほど仲良くなったらどうしたらいい?」と言っていた。きっと、やって来る皇女との恋を期待していたに違いない。
実際、踊る二人は大層お似合いで、美しく、恋人同士と言われてもおかしくない。
なのに、アマンダには婚約者。対するハロルドは想定通りいかなかったというのに気にする様子もない。むしろリラックスして自然体に見える。
なぜなのだろう。
そして、そのことに心が晴れない自分はなんなのだろう。
混乱したジェナの前に、す、と手が差し伸べられた。
ぱっと顔を上げると、アマンダに笑顔を向けられている。いつの間にか曲が変わっていた。
「バリー隊長、踊ってくださらない?」
「え、いやしかし……」
うろたえて視線を彷徨わせれば、別の女性の手を取るハロルドと目が合った。
微笑んだ彼に小さく頷かれたので、ジェナは仕方なく白い手を取る。リードしてフロアに出れば、貴族女性たちの黄色い声が上がった。
「バリー隊長は大変人気なようね」
「女性からはお声がけ頂くことが多く、ありがたいです」
「女性だけとは限らないと思いますわよ?」
アマンダが悪戯っぽく笑うが、ジェナは首を横に振った。『結婚して家に入るかも』と言ったものの、実際に縁談の予定はない。
ジェナが手を引いてダンスを緩くリードすると、アマンダも身を委ねる。美しい帝国の皇女と騎士服の麗人。二人の様子に、周りからは羨望のため息が漏れた。
「ご本人は気付いていないようね。まあいいわ、この国でうまくいかなかったら帝国にぜひお越しになって」
「お気遣い痛み入ります」
アマンダとのダンスを終えて手を離すと、ジェナが相手になってくれると判断した淑女たちが我先にとジェナに寄ってきた。
結局、その日ジェナは誰よりも注目を集め、最後まで淑女たちのダンスの相手となった。