3. 練習(2)
ハロルドの『練習』はジェナの勤務中に行われていた。
時には長椅子に隣り合って、時にはハロルドは執務机で仕事をし、ジェナは側で護衛として立ちながら。
当初、主君の不慣れっぷりと男女交際の知識の偏りに慄いたジェナだが、彼は飲み込みの早い男であった。
もともと、国に関することや一般的な文化教養の知識はある。
振られた世間話に季節や食べ物、書籍や戯曲の話題を組み込み、それなりに品のある会話を出来るようになるのに時間はかからなかった。
今なら淑女の茶会に彼を放り込んでも、それなりに無難な結果を残して帰って来られるであろう(心的ストレスは抜きにして)。
「陛下、お手紙を送ってみましょう」
「手紙?」
ある程度会話に慣れた頃、ジェナは新たな提案をした。
姿絵のやりとりは行ったものの、本人同士の直接の交流ではない。面会前に手紙で話をしておけば、会った時に会話がスムーズになる。
添削するので試しに書いてみてください、とハロルドに宿題を出した。
数日後、執務室で二人きりとなったのを見計らって、ハロルドは恐る恐る手紙を差し出してきた。
「一応、自分の技術を詰め込んでみた」
「拝見いたします」
便箋を開く。数行黙読したジェナは頬を緩め、文章を読み上げ始めた。
「……『ヨルハーバーは青い海に緑の森、果物が豊富で魚介類の美味しい国です。一度来れば離れられなくなること間違いなし』」
「声に出して読まれると恥ずかしいな」
照れたようにハロルドが頬をかく。ジェナは続けた。
「『おすすめの甘味専門店を記します。ハシゴするなら足元は歩きやすい靴の方が良いでしょう。砂浜も近いので遊べます。その際は拭くものをお忘れなく』……」
「君は行ったことが? この店は海を見渡せてとても良いのだ」
「それは素敵ですね。いつか行ってみたいです」
「それに大通りに面しているので……」
ハロルドが嬉々として語り出す。
彼の解説を最後まで聞き、ジェナは手紙から顔を上げた。
「陛下、国の魅力が非常に伝わる素敵な文章でございました」
「うむ」
「ですが、これはお手紙というより観光案内本ですね」
「えっ」
かさりと便箋を閉じ、目を丸くするハロルドに返す。
「おそらく我が国の一般的な情報については、先方はすでに学ばれているはずです。こういった、地元の人間しか知らないお得な情報は親しくなったら教えて差し上げましょう」
「ほお……」
「まずは、皇女がお越しになるのを楽しみにしていますという姿勢を伝えましょう」
ハロルドは慌てて手元の紙にジェナの言葉を書き込んでいく。
「こちらは良い気候ですよ、お嫌いな食べ物はありませんか、お会いできるのを楽しみにしています。短くても結構です」
「なるほど、書ける気がする」
「さすがです」
それから推敲を重ね、端的だが上品な手紙が完成した。
書き上げたハロルドは疲れを滲ませてこめかみをもみながら、ぐったりと椅子に体を預けた。
「手紙ひとつ書くのも難しいものだな……、仕事ばかりして情緒を学ばなかったツケがきた」
「そんなことございません。陛下は素晴らしい君主です」
「表面上は取り繕っても、実際は雅さなどない男なんだよ。皇女は幻滅するかもな」
そう言って自嘲気味に笑う。
ジェナは首を横に振った。彼は素敵な人だと本当に思う。
苦手なこと、分らないことをまずは自分で調べる。
知識に偏りはあったけれども、それを認めて改善しようとする。
相手が部下でも卑屈になることなく教えを乞い、正しいと思えば素直に意見を聞き入れる。
誰にでも出来ることではない。特に地位の高い人間であればあるほど。
だからこそハロルドの努力が報われて欲しいと思うのだ。
「大丈夫です、陛下。初めは剣を振るえなかった騎士だって、訓練すれば勇者になれます。必ずうまくいきます。私が保証します」
「……本当か?」
「ええ。陛下、私がどれだけ女性に人気かご存知ありませんか?」
茶化すようにジェナが言えば、「知ってる」と彼は顔を綻ばせた。
♢
無事に手紙を送り、次にジェナが提案したのはダンスレッスンである。
もちろん、彼は踊れる。高位貴族であった領主の頃も現在も、夜会に出る機会は多い。
だが、ハロルドは踊る以外の接触を令嬢ともたないことで有名であった。彼はルーチンワークのように令嬢と順繰り踊るがその間はだんまりで、終えれば貴族たちに最低限の挨拶だけして会場を去る。
近衛騎士からすれば楽な護衛対象ではある。
けれども女性との親交を深めようという点において、それでは足りないとジェナは考えていた。
「ダンスと基本的なエスコートには問題ないわけですから、接近した状態で交友を深められるように練習しましょう」
「うむ」
「では」
ジェナは二人で話していた長椅子から立ち上がり、動ける場所に移動した。つられて、ハロルドも立ち上がる。
「陛下、いま私は夜会で美しい格好をした令嬢とします。髪を下ろし、深紅のドレスを着ていると想像してください」
ハロルドは眉間にしわを寄せて、それを想像しているようだった。髪は高い位置で一つに結んだだけだが、近衛騎士の騎士服は赤なのでイメージはしやすいだろう。
「想像しましたか? では、ダンスに誘って頂けますか?」
「うむ」
ハロルドはそのままの難しい顔でジェナに近付き、無言で手を差し出した。
「……すまない、バリー隊長の名を知らないのだ」
「そういうときは正直に『お名前を?』と仰れば良いのですよ」
「……お名前を?」
「ジェナ・バリーと申します、陛下」
「ジェナ嬢、よかったら踊って頂けますか?」
「はい、喜んで」
互いの手を取る。
が、ハロルドがそのまま足を踏み出そうとしたので、ジェナは身体に力を入れてそれを遮った。結果、勢い余ってハロルドが躓く。
「っと、なんだ?」
「陛下、私はいま大変時間と手間をかけて美しく着飾っております。なにかございませんか?」
にっこりと微笑むジェナに対して、ハロルドは眉間のしわを深くして呻いた。
「……むう」
「初対面では相手の容姿に言及しない方が良いと申し上げましたが、夜会ではもうある程度顔合わせを重ねた後のはずです」
「そうだな」
「ですから、思いっきり褒めてください。とびきりの賛辞を」
ハロルドはますます俯いた。褒め言葉が出てこないらしい。それもそうだろう。異性との世間話に慣れてきたばかりの彼にとって、洒落た言葉はまだ難しい。
予想していたジェナは、助け舟を出した。
「美しいなと感じるところを素直に口に出して良いのですよ。私から」
そうしてハロルドの手を引き、ゆっくりとリードする。
「陛下、陛下の瞳は穏やかな夜の海のようですね。髪のお色と相まってとても温かい雰囲気で落ち着きます」
「ええと、ジェナ嬢の瞳は胡桃のような色をしているな」
「もう一声」
「うーん……、蜂蜜のような滑らかな髪がとても甘そうだ」
「ふふ、ありがとうございます、素晴らしいです」
表現は独特だが、ジェナはその褒め言葉が嬉しかった。不器用ながら、自分で考えたということが伝わる。
それからも互いを褒め合いながら踊っていると、突然部屋の扉が開き、ワゴンを押したメイドが入ってきた。
密着する二人に気付き、目を見張って「きゃっ」と頬を赤らめる。
ジェナはメイドに向かって素早くウインクを飛ばした。
「しっ、失礼いたしました!」
ジェナの合図にさらに頬を染めたメイドはスカートを翻し、ワゴンをその場に残したままぱたぱたと去って行った。
ハロルドが動きを止め、渋い顔で身体を離す。
「……しまった、見られてしまった。バリー隊長、悪かった。噂が立つかも」
「問題ございません」
「しかし」
「影響ないでしょう。むしろ、私の方はより評価が高くなるかもしれません」
「?」
「そういうものなのです」
練習を止め、メイドの置いていったワゴンを長椅子に寄せた。ちょうど夕暮れ時。気を利かせたメイドが休憩にとお茶を運んできたようだ。
ジェナはハロルドの分を注ぎ、長椅子に座る彼に差し出して自分はその側に立った。
「君も座ったらどうだ?」
「いえ、そろそろ交代の時間ですから」
そうか、と言ってハロルドがカップを口に運ぶ。伏せた睫毛が美しいなとジェナは思った。
皇女がやって来るのはもう四日後。出来ることはやったように思う。姿絵を送ったし、手紙も出した。初対面の所作や日常の会話、女性の褒め方も練習した。
滞在は三日間のみ。当初彼が心配していたような『顔も見たくないほど嫌われる』といったような状態にはならないだろう。
そう考えていたジェナだが、ハロルドは不安そうに顔を上げた。
「バリー隊長」
「はい?」
「あの、もし、の話だが」
「はい」
もじもじと視線を彷徨わせ、言い淀む。
根気強く待っていると、ハロルドは小さな声で言った。
「……もしも、皇女ととても仲良くなって、婚約まで取り交わしたいとなったら、どうすれば良いと思う……?」
ジェナは驚いて、胸に手を当てた。
「なんと……!」
なんという進歩であろう。
『女性とうまく話せない』『どきどきしちゃう』『気持ち悪いと思われなければいい』
そう言って自己評価の低かったハロルドが、その先に進もうとしている。これぞ訓練の賜物であろう。だから言ったのだ。剣を振るえない新人でも、勇者になれると。
感動を抑え、ジェナは大きく頷いた。
「陛下、お心のままにお気持ちを伝えればよろしいのですよ。真摯に伝えれば、きっと皇女殿下も気持ちを返してくださいます」
「そ、そうか」
「練習しましょう。試しに、どうぞ」
何事も練習が大切である。
促すジェナにハロルドは頷き、思い詰めたような真剣な表情になった。
「……あなたに、ここに一生居てもらいたいのだ。離宮を用意するので、このまま帰らないで欲しい」
「…………陛下、お気持ちは伝わりますが、少々重いかと」
素直な気持ちを伝えろと言ったものの、そんなに怖い顔で「このまま一生ここにいろ」と言われたら皇女は怯えるのではないか。
気楽な避暑に来たつもりが、まさか溺愛監禁に至るとは思いもよらないだろう。
ハロルドはふむ、と首を捻り、別の言葉を考えた。
「気が向いたらうちの王妃にならないか?」
「一気に軽くなりましたね」
思わず笑みを漏らしてしまったジェナに、ハロルドもつられて「言っていて自分でもそう思った」と笑った。