【セントノリス中1−1】お貴族様が来た。
入学式直後くらいです。
夕飯後
今日は1号室に、2号室の面々が遊びに来ている。
質素で平和な空気をまとう平民に対し、向き合う3人が3人ともキラキラしている。
もはやおなじみフェリクス=フォン=デ=アッケルマン。今日も彼の御髪は整えられ一筋の乱れもない。
初顔合わせのテオドル=ツー=オーグレーン。深い茶のきちんと整えられた髪、セントノリスカラーの深緑の瞳。穏やかで真面目そうな顔立ち。
こちらも初めましてのハインリヒ=フォン=ベルジュ。金色の巻き髪を長く伸ばし後ろで結っている。煌めく青い瞳に勝ち気そうな唇。これぞ貴族といった容貌である。
「粗末な菓子しかなく、お口汚しで申し訳ありません」
言ったアントンに、ピクリとハインリヒ=フォン=ベルジュが眉を上げた。
「かしこまるのはやめてもらえるかな。ここはセントノリスの門の中。王以外同等のはずだ。君たちはアッケルマンとはもう親しいのだろう? できれば同じように接してほしい」
すごい。口に出している言葉と顔が全く合っていない。褒めよ讃えよ跪け、という顔で彼はキラキラしている。
「おい、いつもよりランプ増やしたか?」
「いつも通りだよ」
こそこそっとハリーとラントがしゃべっている。
なんということだハインリヒ=フォン=ベルジュ。あまりの輝きにハリーでさえ目がチカチカしているではないか。
「先ほどアッケルマンから紹介のあった通り、ハインリヒ=フォン=ベルジュだ。星位を言って君たちを脅かすのもなんなので伏せさせていただこう。ここでは意味のないことだ」
ふっと自信たっぷりに彼は笑う。
今、僕んちすんごいんだからねと言ったようなものではないか。
ぺこ、ぺこ、ぺこと平民3名はなんとなく平民らしくお辞儀をした。そうしてもらいたそうな顔をハインリヒがしていたからだと思う。
その様子をじっと見、誰も発言がないのを察した第2の男が口を開く。
「……テオドル=ツー=オーグレーンです。優秀な君たちを心から尊敬しています。仲良くしてもらえると嬉しいな」
上品に微笑む顔の優しさ、落ち着きのある包み込むような声の響きと雰囲気にアントンの胸はときめいた。
「……調整およびまとめ役」
「え?」
「いえ何も」
ハリーにテーブルの下で小突かれ、アントンは気を取り直した。
「ハリー=ジョイスです」
「ラント=ブリオートです」
「アントン=セレンソンです」
平民はシンプルである。
アントンはフェリクスを見上げる。
「今日はどうしたの?」
「いや、ベルジュが是非にと言うので。急にすまない」
「ハリー=ジョイス」
まだ話しているところなのにきんきらきんを振りまいてハインリヒがハリーを呼ぶ。この僕に名前を覚えてもらえているなんて光栄だろうという風情を醸して。
「はい?」
「入学式では素晴らしいスピーチだった。実に感動したよ。間もなく学年代表生の選抜があるわけだが、君は立候補する予定かな?」
ああ、そういうことかと平民たちは察した。
本日は釘を打ちに、わざわざ金槌と釘持参でおみ足を運ばれたわけだ。この高貴なお方は。
「無論そのつもりはありません。やはり学年の代表には代表たる者の品と格が求められる。自分のような勉強しか取り柄のない平民にはとても務まりません。教養と人格を備えた代表たるに相応しい人物がきっと立ち、皆がその価値を認めることになると思っています」
「そうか。いやいやもっと砕けてくれと言っているだろう僕達は同級生なのだから」
なんでもないようにそう言いながら、ハインリヒの鼻の穴が大いに広がっている。美形なのにもったいない。
ああそうだねもちろん相応しいのは僕以外いないね。身の程をわきまえてもらえていて実にうれしいよと彼は言っているのだ。
ハインリヒに向けて微笑みながらもテオドルがそっと申し訳なさそうな目でアントンたちを見た。
めんどくさいからいいよとハリーが目で答えている。
「まあ、今日はただの挨拶だ。長居してもご迷惑だろうからここで失礼するよ」
アントンたちの出した粗末な菓子に手を付けることなくハインリヒは立ち上がった。
風もないはずなのに彼の髪がなびききらきらがまた部屋に散っている。
彼は魔術師なのかもしれない。光か風の。
貴族三人は部屋を去った。まだ部屋に光の粒子が残っているような気がしてきょろきょろしてしまう。
「窓あけよう。なんとなく」
「うん」
換気換気。平民には平民の平たい空気が必要だ。
「だあ」
様々な発見の興奮の余韻冷めやらず、アントンは自分のベッドに飛び込んだ。
「僕も『だあ』していい?」
「いいよ」
「だあ!」
「ぐえ」
「あっはっは」
アントンのベッドにラントが飛び込んできて、もみくちゃになる。
「犬か」
ハリーが笑う。
とんとん、とノックの音がした。
「はい」
「フェリクス=フォン=デ=アッケルマンだ」
「どうぞ」
扉を開けたフェリクスがベッドの上のアントンとラントを見て一瞬不思議そうな顔をした。
それから気まずそうに俯く。
「……先程は君たちに失礼な真似をして、すまなかった」
「いいよ。なんか貴族も大変そうだな」
「……二人とも中央で権力を競う家の者たちだからな。同じ貴族といえども彼らのほうが格上で、そもそもアッケルマンとは役割が違う。関わりがないのだから彼らの気を損ねたとしても家に影響はないが、それでもやはり緊張はするものだ」
ふうと息を吐いた。
最初に会ったときの思い詰めたような色が少しだけ、彼に戻っている。
「フェリクスも『だあ』するかい?」
「だあ?」
不思議そうな顔のフェリクスをハリーが後ろから押した。
「だあ!」
なぜかうまい具合に叫んだフェリクスをアントンとラントが掛け布団で受け止めて、もみくちゃにする。
「な! 待ってくれなんだこれは髪が! 髪が乱れる!」
「乱れとけ乱れとけどうせこのあと風呂だろ」
「はい、いいこいいこ」
「がんばったがんばった」
「……」
掛け布団を被された白いフェリクス型のさなぎのようなものがモゾモゾして、やがて止まった。
「……すまない。ベルジュが君たちにあんな態度を取ると知っていたら、絶対に顔繋ぎなどしなかった。先ほどだって君たちが、目の前で、あんな風に見下されているというのに。……僕は……」
「いいんだよ。雑草は踏まれたほうがかえってよく伸びるんだ」
「踏まれたうちに入るかあんなもん」
「ほらハリーもあんなこと言ってるよ。大丈夫だ僕は楽しかった。いいこいいこ」
頭っぽいところをアントンが撫でる。
「がんばったよ」
背中っぽいところをラントがとんとん叩く。
「……ありがとう」
白いさなぎから髪が乱れて目の赤いフェリクスが羽化してくるまでそうやって、見送って、3人で風呂に向かう。
「ハインリヒの石鹸はものすごく泡立って、いいにおいがするらしいよ」
「泡いっぱい出したいな。今度貸してくれないかな」
「おだてりゃホイホイ貸してくれるだろ。多分」
「どうやって?」
「『君の品格に相応しい素晴らしい泡の出る石鹸だ』」
「なんでもいいってことだね」
「いや、彼はとてもいいと思う。あんなに象徴的で、なおかつわかりやすくて扱いやすい人はなかなかいない」
「まあな」
「貴族って大変みたいだけど、大丈夫なのかな」
「さあな」
「僕は彼、とてもいいと思う」
その後しっかりハインリヒから石鹸を借りてみんなで泡をブクブクにした。
すごくいい匂いだった。