【セントノリス中1-0】ハリーの誕生日2
夜。
風呂から帰ったハリーを、三人で迎えた。
ろくに拭かなかったのだろう髪を片手の布でガシガシぬぐいながらハリーは現れた。彼はどんなに乱暴な仕草をしても何故かどことなく気品が漂う。顔立ちのせいか、その知性のせいか。男から見てもかっこいいと思わせる彼が、フェリクスは羨ましい。
「なんだよフェリクス。また寂しくて遊びに来たのか?」
ふあーあとあくびをして彼は自分の机につく。
「ハリー」
「なんだアントンちょっと待ってくれ。手紙の宛先だけ書く」
「わかった」
彼が背中を向けているのをいいことに、真ん中のテーブルにラントがケーキを置く。アントンが吹き出しそうな顔をして、『お誕生日おめでとう』と書いた紙を出そうとしている。
だがフェリクスには見えてしまった。ハリーが動かす羽ペンが。
背筋がぞわっとして鳥肌まで立った。
「ハリー」
「ん?」
「……最近ペンを買ったかい?」
「ああ。折れたから。今日帰りにいいの見つけて。高かったけど最初の目標額溜まったから、記念にちょうどいいかなと思って」
「……」
アントンがハリーの手元を凝視している。
立ち上がり、歩み寄った。ハリーの背中越しに手元を、食い入るように見ている。
「なんだよアントンもうちょっとだって。座ってろ」
「……」
ハリーに追い払われてアントンが戻って座った。
潤んだ黒い飴玉のような目から、涙が落ちた。
「……」
「……」
フェリクスは額を押さえる。
なんたる悲劇。
誰も悪くない。
そう、誰も悪くないのに。
一体どうしてこうなった。
「よし、書けた。なんだってアントン」
振り向いたハリーが止まった。彼の手にはアントンが背中の後ろに隠しているのと同じ『ハリーっぽいペン』
彼の目線の先には小さなケーキ、『誕生日おめでとう』のカード、そして泣くのをこらえようとしていると思われる変な顔で泣いているアントン=セレンソン。
「……」
ハリーはちらとフェリクスを見て、ペンを揺らすように動かした。唇を噛みしめてフェリクスは頷く。それだけで現状を理解したらしいハリーが自分のペンを見てから置いて立ち上がり、テーブルに着く。
「……」
「……お誕生日、おめでとう、ハリー」
アントンの顎から涙が落ちる。
フェリクスはいたたまれない。なぜか腹がぞわぞわする。ああこれは誕生日会ではない。葬式だ。
『ハリーをびっくりさせて喜ばせたい』と張り切ったアントン=セレンソンの心の葬式である。
「……これ、僕たち3人から君への誕生日プレゼント。……もし、もう、同じのを持ってたら、……ごめんね」
「……」
アントンの手が動き背中に隠していたペンを出した。結ばれたセントノリスカラーの深緑のリボンがブルブル震えている。
泣いているアントンをハリーが見ている。
アントンも泣くまいとはしているのだろう。これは3人からのプレゼントだからだ。切れるんじゃないかと心配になるほど唇を噛み締めている。
ハリーがチラとラントを見た。
ラントは微笑んでいる。
はあ、とハリーがため息をついた気がした。困ったように、でもあたたかく彼は同郷の友人を見た。
「アントン」
「なんだい」
「これ一目ですごく気に入って、本当は同じのが2本欲しかったんだけど、高かったから1本しか買えなかった」
ん、とハリーがアントンに手を伸ばす。
アントンが顔を上げてハリーを見る。
「くれないのか?」
「……どうぞ」
アントンがリボンのついたペンをハリーに手渡す。
ハリーの青い目が、アントンを見ている。
「これで欲しかったペンが、欲しかった2本だ。ちょうどよかった。これにしてくれてありがとうアントン。ラントも、フェリクスも、ありがとうな」
「……」
ハリーが笑う。
この男は本当にかっこよく笑う。
アントンがスンと鼻を赤くして鳴らし、目をこすってからハリーを見つめ、にこりと笑った。
「うん。……きっとそうだろうと思ったんだ」
「ああそうだ。ケーキ切ろうぜ」
「こんなちょっとなんだ。ハリーが食べてくれ」
「お前らに見られながら1人でなんて、どんな罰ゲームだ」
「そう? じゃあ分けよう」
きっかり四等分された。
四等分なところが、フェリクスには嬉しい。
「皿は? フォークはないのか?」
「お上品なこと言うなフェリクス。こんなん手づかみだ」
言ってひょいとハリーがケーキを口に運ぶ。
「甘い」
片目をつぶって彼は口の端についた滓をぺろりと舌で取る。何度でも言う。この男はかっこいい。
皆が手でつまむのでフェリクスもそうした。フェリクスはケーキを手で食べるのは生まれて初めてだ。
アッケルマンの子であるフェリクスにそんな行為を勧める人間など今までいなかった。
彼らは当たり前のようにフェリクスを、アッケルマンではなくフェリクスとして見ている。
羽目を、少しだけ外した。当然今だけ、ここでだけだ。フェリクスは誇り高きアッケルマンの息子である。
「確かに甘い」
「甘くておいしいじゃないか」
「うん、おいしい」
「あ、歌い忘れた」
「やめてくれ。子供か」
「僕その歌知らないや」
「じゃあフェリクス、僕と一緒に歌おう」
「……わかった」
恥ずかしかったがアントンと声を合わせて歌った。
ハリーが頭を抱えて聞いている。
「誕生日おめでとうハリー。君にフーリィの加護がありますように」
「……どうも」
セントノリスは間もなく入学式を迎えようとしていた。