【セントノリス中1-0】ハリーの誕生日1
本編 【7】ミネルヴァ植物園に行く と同時並行のお話です。
クリストフとの待ち合わせに向かうミネルヴァが見た
『セントノリスの深緑の制服に指定の茶の外套を羽織った可愛らしい男の子たちが、頬を染めて店先を覗き込んでいる』の部分のお話。
とんとん、と部屋の扉をノックをされてフェリクス=フォン=アッケルマンは顔を上げた。読んでいた本にしおりをはさみ、机に置く。
「どうぞ」
かちゃりと開き、深緑の制服に茶の外套を纏ったアントン=セレンソンとラント=ブリオートが顔をひょっこりのぞかせる。
フェリクスの同室はいまだに入室しない。もうすぐ入学式だというのに、フェリクスは寂しくてしょうがない。
そういうところにひょいと現れるのが彼らなので、フェリクスは思わずぱっと顔に嬉しさを出してしまった。貴族たるもの常に冷静沈着でならねばならぬのはわかっているのに。彼らはあまりにも感情豊かで正直すぎて、つい近くにいると引きずられてしまう。
「フェリクス、今いいかい?」
「ああ、問題ない。ハリーはいないのか?」
「貸本屋さんに写しを売りに行ってる。あのね今日ハリーの誕生日なんだ。こっそりプレゼントを用意しようと思って。これからラントと買い物に行くんだけど、フェリクスも行かない?」
目をキラキラさせてアントンが言う。頬が赤い。
友達をびっくりさせて、喜ばせてやるという気概に満ち満ちている。
「……」
フェリクスは財布の中身を考えた。質素な金額しか送られてこない予定だが、今回は最初なので多めにもらっている。平民の彼らが友人に高価なものを買うとも思えない。
それにフェリクスは今まで同世代の友人と、そういったイベントを楽しんだ思い出がない。街にもそう何度も出かけてない。彼らと外出するのは、とても楽しそうだった。
「そこまで言うなら行ってやらないこともない。着替えたら1号室に行くから待っててくれ」
「わかった」
アントンとラントが引っ込みぱたんと扉が閉まった。
二人とも細くて小さくて女子のような顔をしているし、地方出身だ。あの二人だけで街に行かせるのは心配だとフェリクスは心の中でお兄さんのような気持になりながら誇りに頬を染めて着替えた。
「わあ……」
きらきら、と街は輝いているように見えた。
きょろきょろと田舎者丸出しで街を見上げながら歩く二人の後ろをフェリクスは守っているつもりで歩む。
「飴屋さんだって。きれいだなあ」
「馬の形のがある。パルパロのはないかな」
「多分ないよ」
「ああ、多分ない」
「おっセントノリスのお兄さんたち。おいしいよ。買うかい?」
アントンがじっと飴細工を見、看板に書いてある値段を見、ぎゅっと財布を握りしめて首を振った。
「また今度にします」
「そうかい」
お店のおじいさんも事情を察したのだろう。優しく微笑むだけだった。
「革のお店だって」
「パルパロのはあるかな」
「多分ないよ」
「ああ、多分ない」
店構えが高そうで怖いので外から恐る恐る覗き込むだけにした。
フェリクスなら見覚えのある革製品の数々を、彼らはきっと初めて見るのだろう。目が好奇心で輝いている。
「フェリクス、あれは何?」
「馬の鞍だ」
「あんなに細かく細工をするの? すごく高そうだよ」
「値段なんか天井知らずだ。言うなれば見栄の張り合いだからな」
「へえ。フェリクスの家にもある?」
「あいにくアッケルマンは質素にして剛健を常にしている。飾りのついたのはほとんどないな」
「へえ」
「ねえあれは?」
次々来る質問に答える。
「ハリーの手袋が破れていたから手袋にしようかと思ったんだけど、もうあたたかくなっちゃったもんね。別のにしよう」
「そうだな」
「アントン、果実のジュースだって」
「……見ない」
ぎゅっとアントンが辛そうに目を瞑った。
「……本の写しで稼いでいるんじゃないのか?」
彼らが図書館にこもり切って仕事をしているのはすでに有名な話だ。
本音を言えばフェリクスもそれに交じりたい。
だがフェリクスは貴族。平民に交じって金稼ぎなど、できる立場の人間ではない。
本を借りたり返したりするたびに彼らを見た。
三人はいつも静かに座って、静かにそれぞれの好きな分野なのだろう本を写している。
そこには静けさと、常に『個』が見えた。
とても仲良しで、打ち解け合っているにも関わらず、彼らの関係に甘えるような、ベタベタしたものを感じない。微笑み合い、困ったときは助け合い、教え合う。だが溶け合うことを互いに許してはいない。これは平民だからなのか、彼らだからなのかまだフェリクスにはわからない。なんだか不思議な者たちだなと思う。
「……目標を決めて貯金してるんだ。一回目標まで溜まったら、その一部を使って何か記念に買おうと思って。何かあったときに使える金額を確保しておきたい。今日は今まで貯めたお小遣いを持ってきた」
「僕も」
「……」
領主は領民をまとめ導く対価に収められる税で家を維持している。
自分の労働で金を得たこと、それで物を買ったことが、フェリクスは一度もない。
「そうか。偉いんだな君たちは」
「君だって偉いじゃないか。どこを歩いてもアッケルマンの顔をしていなきゃいけないなんて、大変だっただろう」
「……当たり前のことだ」
「今だってお家を離れているのに全然だらけたり、羽目を外したりしないでいつもきちんとしてる。尊敬する」
「……」
アントンの黒い目がフェリクスをまっすぐに見ている。
アントン=セレンソンという男はいつもそうやって人を見る。
「……それよりどうするんだ。他に何か候補はあるのか?」
「うーん……あ!」
「なあに?」
「どうした」
「ペンにしよう。今ハリーは書きにくいのを使ってるんだ。何回かひっかかって、紙に穴をあけてた」
「うん、あけてた」
「フェリクス、文房具屋さん知ってる?」
「確かあっちにあったはずだ」
その途中に見える様々な魅力的なものたちの誘惑を避けながら、三人はお店に向かった。
文房具店の店先、三人は額を寄せ合って唸っている。
「こっちのペンの方が高いけどなんだかすごくハリーっぽい」
「でもこっちなら二本買えるぞ。本数が多い方が喜びそうだあの男は」
「それはある」
「確かにハリーっぽいねこのペン。茶色いからかな?」
「トト鳥の羽なんだって。茶色に少しだけ金が入ってるのがかっこいいよね」
「空の狩人だ。確かにハリーっぽい」
「だろう?」
アントンとラントが話しているのを見ながら店内を見回したフェリクスの目が、一か所に引き寄せられた。
葡萄酒のような色の羽根に、一筋の金色。
アッケルマン家の家紋と同じ色の羽根だ。形までなんだか高貴だ。
そっと手を伸ばし持ってみた。持ち心地までちょうどいいような気がする。
値札を見る。ぎゅっと目を閉じる。高い。
じっと羽根の表面を見た。ふわふわ広がるのではなくスッと細くすんなり伸びているところが、なんとも好ましい。
「……」
フェリクスも自分で働いて、お金を貯めてみたい。実家からの援助に甘えるのではなく自分の力で貯めた金で何かを買えたなら、それはきっと一生大事にしたい宝になるだろうと思う。
「……」
そっと元の場所にペンを戻した。
振り向けばまだアントンがラントと額を突き合わせて悩んでいる。
さんざん悩んで結局あの『ハリーっぽいペン』に決め、お店の人に深緑のリボンをつけてもらったそれを、アントンが大切そうに持っている。
ちなみにリボンの色でも、青か緑かで彼は悩んでいた。
「あとケーキを買って帰ろう。今日夕食とお風呂が終わったらうちの部屋に来てフェリクス。お誕生日の歌、わかる?」
「歌うのか……ああ、わかる」
アントンは本当にうれしそうな顔をしている。
こんなにも大切にしてくれる友達がいるなんていいなあと、同世代の友人のいないフェリクスは思う。
フェリクスもこれからの6年間で、こんなふうに自分への誕生日プレゼントを選んでくれる友人を、選びたいと思える友人を、セントノリスで作れるだろうか。
「毎年こうしているのか?」
「ううん、初めてだよ。ハリーは去年転校してきたんだ」
「そうか。仲がいいから小さい頃からの友人なのかと思ってた」
「ううん。……仲良くなったのは最近なんだ。僕ずっと、友達いなかった」
「……君がか?」
意外な言葉に驚いてフェリクスはアントンを見た。
明るくて、柔らかで、すぐに人を受け入れるアントン。
きっとたくさんの友人に囲まれて、笑ってきた人間なのだろうとフェリクスは思っていた。
恥ずかしそうにアントンは頬を染めている。
「うん。一人でずっと勉強ばかりしていて、仲良しの友達ができなかったんだ。……だから今日、すごく楽しい。こんな風に友達の誕生日プレゼント選ぶの初めてだから。楽しいんだね。選んでいる間ずっとその人のことを考えていられるんだ。彼ならどうかな、驚くかな、喜んでくれるかなって考える時間もプレゼントなんだね。僕、知らなかった。本当に楽しいな。ハリーがこれを見て、いいペンだって喜んでくれるといいな」
黒い目が潤んでいたのでフェリクスは目を反らした。
「……喜ぶさ、きっと」
「うん。今日は付き合ってくれてありがとうフェリクス。突然ごめんね」
「ああ。……僕も楽しかった」
「ありがとう」
そうして寮に戻った。
「ラント、先に入ってハリーがいないか見てきてくれ。もしいたらフェリクス、このペンとケーキ隠しておいてくれないか」
「わかった」
「ああ、いいぞ」
「大丈夫!」
「じゃあ僕のクローゼットに入れておこう。フェリクス、きっと来てね」
「ああ」
「またあとで」