【セントノリス中1−0】ラントの三日咳2
「ラントが三日咳だと聞いた」
そう言って訪れたフェリクスは、小さな包みを持っていた。
「これは?」
「飴薬だ。喉に良くて、とても栄養がある。実家から持たされたものだ。足りなかったら言ってくれ」
「……ありがとう」
琥珀色の飴は虫が集めた蜜を固めたものだという。きっと希少で大事なものだろうに、彼は包みを差し出してそう言う。フェリクスの優しさに目頭が熱くなった。
ラントの咳き込む音にフェリクスが自分のどこかが痛いように眉を寄せる。彼は細やかで、優しい。
「フェリクスはもう済ませてる?」
「ああ、5歳の頃だったそうだ。アッケルマンでは『三日咳のとき家の者が300回素振りをすれば子を取られない』という言い伝えがあって、休んでいる間祖父と父の気合の入った素振りの声が部屋までずっと聞こえた。……おかげで随分とうなされたものだ」
「色々あるなあ」
「……兄も陰で300回やってくれていたらしい。後で母に聞いたことだが」
「素敵なご家族だ」
アントンは笑った。ふわりと胸があたたかい。
本当に皆、いろいろだ。いろいろな人の中に、いろいろなものがある。
ラントはうとうとしながら水を飲み、ハリーに背負われてトイレに行き、飴は舐めたけどパンは食べられず、またうとうとと眠った。
それが彼の寝方の習慣なのかどうしても上を向いてしまうようなので、咳き込んだら背中をさすり横向けに寝かせ直した。
夜中も咳は聞こえて、アントンはなんとなく眠れなかった。
そっとベッドを抜け出しては横向きにして背中を撫でて、自分のベッドに戻り、また咳の音に撫でに行く。
ぬるくなった額の布を取り替えて、顔を覗き込んでをしていたら、いつの間にか朝になっていた。
目の前にラントの顔があった。どうやら覗き込んだまま寝たらしい。首が痛い。
「おはよう」
ラントがぱっちりと目を開いて言った。アントンは目を見張る。
赤い『みずたま』がラントの顔から消えている。
アントンはラントの額にてのひらを置いた。熱くない。
「ラントが一日で治した!」
「朝から叫ぶなアントンおはよう。おはよう、ラント」
「おはよう」
身を起こしたラントの顔を見て、とんとんとはしごを降りたハリーがにっと笑う。
「よさそうだな。腹減っただろ」
「ペッコペコだよ」
「よかったな」
ハリーがカーテンを引き、窓を開ける。明るい光が差し込み部屋に満ちる。
眩しい光に、微笑むラントが白く浮かんだ。やわらかな髪が朝日に透けて、キラキラと輝いている。
「アントン」
「なんだい」
「ありがとう。君の手、ずっと優しかった」
「……結局僕は見てるだけだった。何もできなかったよ。ラントが強いから、一日で病気を倒したんだ」
「二人に見てもらえたから、一度も寂しくも、こわくもなかった。アントン、ハリー、ありがとう」
すっかり澄み切ったその瞳に、ぽろりと涙が出た。
みんながかかる当たり前の病気でも、普通は治る病気でも、もしかしたらは、万が一は、いつだってある。ラントはアステールの文化に初めて混じろうとしているのだ。未知のものに、彼の体が勝てて本当によかった。
ラントは泣き出したアントンの肩を優しくぽんぽんと叩いた。
「ありがとう。君たちに何かがあったら今度は僕が『ハレラ・ハレッマ』を歌うね」
「何て?」
「ハレラ・ハレッマ、知らない?」
「知らない」
「知らない」
「歌おうか?」
「一応聞くけど、大きい?」
「うん。地平線の向こうにいる精霊に来てもらうようお願いする歌だもの」
「気持ちだけもらっとく。俺は静かに寝かせてくれ。アントンもだぞ頼むから」
「わかった。僕はぶっ倒れるか自分からお願いするまで知らんぷりしてほっといてくれていいよ。今後は男らしくいくんだ」
「泣きやんでから言え」
「おなかへった」
「パンがあるよ。もう固いかもしれないからスープに浸そう。顔を洗って着替えたら、フェリクスも誘って朝食に行こう。フェリクスはきのう飴をくれたんだよ」
「そうなんだね。お礼を言わないと。フェリクスはハレラ・ハレッマ聞きたいかな」
「確実にうなされるタイプだ。やめてやれ」
通常営業になった1号室で、皆が微笑み動き出す。
誰かが知ってて、誰かが知らないものがある。
誰かが持ってて誰かが持っていないものがある。
それぞれの知っている持ってる色々なものをごちゃまぜにして分け合って、これからセントノリスはできていくのだろう。
まだ見ぬ、自分にないものを持ち寄ってくれるたくさんの同級生に、これから出会うのがアントンは今楽しみで楽しみで仕方がない。