【セントノリス中1−4】フェリクスのペン殺ペン事件1
「サロ、おはよう」
「朝っぱらからアントンかよ今日はついてねぇな」
「僕はついてる。今日も伸び盛りだね素敵だな」
「あ~あ。やだなぁ隣の部屋。誰かまた風邪でもひかねぇかな」
「対策は万全だから大丈夫。心配してくれてありがとう優しいね」
そんなことを言い合っていたところで、サロが自分の鞄の中を見て固まった。
「どうしたの?」
「……」
「おはようアントン。どうしたサロなんで止まってる?」
「おはよう」
「ああ、フェリクス、アデル、おはよう。今ハリーとラントも来るよ」
「おはよう」
「おはよう」
皆が固まっているサロを見た。
「サロ?」
「……俺じゃない」
「何が?」
サロの顔が白い。
彼の鞄をアントンが覗き込む。
赤が見えた。
葡萄酒のような、赤。そこに金が一筋。
サロの鞄の一番上にあるのは、ぽきりと折れた、フェリクスが一生懸命お金を貯めて買った、大事なペンだった。
「俺じゃない。信じてくれ」
サロが白い顔で、ブルブルと震えている。
サロ=ピオラは海辺の街で生まれた。
大きな港があるので一日に何度も大きな船が出たり入ったりして男たちの大声が響き、市場には新鮮な食べ物が並ぶ。いつも活気がある、カラフルな街だ。
父親はなかなか裕福な貿易商。上に兄が3人、姉が1人いる。5人兄妹の、遅くにおまけのように生まれた一番下だから、結構甘やかされて育ったと思う。いつも好き勝手していても、特に誰からも文句を言われた覚えはない。
家は兄の誰かが継ぐだろう。さて自分はどうしようかと考えた。幸いサロは勉強が得意だった。初級学校で一番で、訪れる家庭教師皆がサロを天才だ、神童だと褒めたたえた。
そういう期待をみんな裏切って船乗りになるのもいいなあと思ったが、なんだかそれも子供っぽくてつまらないなと思った。
まったく見たことのない景色を見てみたい。その思いがサロにセントノリスの門をくぐらせた。開かれた、自由ななんでもある街から、真逆の固い世界への門をくぐった決め手は、いったいなんでだったのだろう。
時折訪れる女王の船の美しさに憧れたのかもしれない。女王の品を海外に向けて届けるために進むその船は、気品あり、実に美しかった。
あんな船を動かすもの。国というものの中身を、もしかしたら知りたかったのかもしれない。
家庭教師をつけて必死に勉強した。どうせ入るなら1位が良かった。
なのにだ。入試では10位。今のところ最高でも6位。上はきっと小さいころから英才教育を受けたキラキラのお貴族様だろうと思ったらそんなこともなく、1号室の全員がサロと同じ平民、しかもセコセコと写本をしないとやっていけないような貧乏人たちだった。
惨めったらしく必死でやってるならまあ許せた。なのに彼らはいつでも楽しそうだ。妙に仲良しで、真っ直ぐで、いつ見てもへらへらと笑っている。
サロは気に入らない。そこはサロがいるはずの場所だった。
意地悪して泣かせてやろうと思ったアントン=セレンソンはなぜかすっかり友達面をしてサロの横にためらいもなく立つ。
同室の貴族アデルは妙に大人で、サロが嚙みついても吠えている子犬を見るような顔をしている。怖い顔で。
貴族のフェリクスは最初こそ神経質に反応していたが、サロとアントンのやり取りを見て急に何かを悟ったようで、アデルと同じく受け流すようになった。いったい何を悟ったというのだろうか。
サロはなんとなく納得いかない。自分はこんなに扱いの軽い人間ではなかったはずなのに。こんなはずではなかったのにと。
「イーノック=ボールズ!」
いきなり名前を呼ばれて5号室イーノックは固まった。
黒ぶちの大きな眼鏡がずれる。
その日最後の授業が終わったところで駆け寄ってきたのは1号室のアントン=セレンソンだった。
平民3トップの、黒髪の少年だ。本の虫なのはイーノックと同じだが、どちらも本が好きすぎて図書館で隣になっても今まであまり話したことはなかった。
急に何だろう、とイーノックは思う。アントン=セレンソンは必死の表情でイーノックを見つめている。
「お願いがあるんだ」
「なんだい」
「君の頭脳を貸してくれイーノック=ボールズ」
黒い目が輝く。
「推理小説で事件が起きた数ページ後に犯人の名前をポソっと呟く君の奇跡の推理力を、僕たちに」
「なるほど」
イーノックは折れたペンをつまんだ。今回の被害者だ。
2号室に5人座っている。ハリーは図書館で写本を、ラントは馬の世話に行っている。彼らはクールな男だなと思う。
イーノックは眼鏡を上げる。
「アッケルマン君が最後に被害者を使ったのはいつだい?」
「昨夜だ。手紙を書いた」
「夕飯の前? 後?」
「前だ。夕飯後は1号室に行ったから」
「机の上に立ててたんだね?」
「ああ」
「夜のうちに鞄にしまおうとはしなかった?」
「授業では別のを使ってる。……なるべく長く使いたかったから、普段使いにはしていない」
「寝る前に確認しなかったかい」
「していない」
「なるほど。ピオラ君、君は昨日夕方から就寝まで何をしていた?」
「授業の後はテニックをしてた」
「誰と」
「3号室のサイラス=アドキンズ」
「そのあとは?」
「風呂入って飯食って寝たよ」
「部屋に戻ってからアッケルマン君の机の上は見たかい?」
「見てない。見る理由がない」
「そうか。ヴィート君は?」
「ずっと部屋で本と、予習と、室内トレーニングを」
「部屋を出たのは?」
「夕飯と風呂のときだけだ」
「そう。夕飯は一緒に行ったのかい?」
「昨日はアントン達と行ったな」
「ああ」
「俺だけサイラスと行った。汗かいたから、風呂を先にして」
「当然部屋に誰もいないときは鍵をかけたんだろう?」
「ああ」
「かけた」
「……」
しん、とした。
「なぜ答えないサロ=ピオラ」
イーノックは眼鏡を上げる。
「……汗かいてて、早く風呂、入ろうと思って」
しん、としている。
「……そういや焦ってかけ忘れた、かも」
「……」
「……」
じーっと皆がサロを見ている。
「……ごめんなさい」
「まあ終わったことだ。誰かが入れるとしたらその時間だけか。念のため言っておくがこれは外部犯がいるという前提で考えている。セレンソンがそう言うからな」
サロがアントンを見た。
「なんだいその顔」
「……俺を疑わないのか」
「疑うわけないだろう」
アントンが不思議そうにサロを見ている。
「夜トイレに付き合ってくれるの、今フェリクスだけだろう? なんとなくアデルには頼みにくいから。毎回文句も言わずに付き合ってくれるフェリクスに、サロはちゃんと感謝してる。こないだフェリクスが風邪ひいたときだって、いつもより丁寧に見やすいようにノートを取って写してあげてたじゃないか。フェリクスがこのペンをすごく大事にしてたこともよく知ってる。論理的で無駄が嫌いな君が、フェリクスのペンを折って自分の鞄に入れて自分で公開するなんて意味の分からないこと、やるわけがない」
「もちろん僕も疑っていない。君はこんなことしない」
「……」
泣きそうな、怒りそうな、なんとも言えない顔をサロがしている。
「もちろんアデルもやるわけがない。だってアデルだから。間違ってぶつかって折ることならあるかもしれないけどそのときはちゃんと謝る」
「ああ」
うん、とアントンとアデルがおもむろに頷いた。
それでいいのかとイーノックは思ったが何の反論もないので、それでいいのだろう。
イーノックは続ける。
「……動機は……まあ2号室の分断だろうね。揉めて動揺させて疑心暗鬼にさせて、君たちの成績がガタ落ちになればいいなとそういうところだろう。今回はペンだったけど、ひょっとすると続くかもしれないぞ。充分注意した方がいい」
「……」
イーノックは部屋の中を見回した。
皆賢くて、見た目が良くて、仲がいい。今だって友達のためにこうして集まって、互いを思い合って、考えている。
「君たちは実に眩しいからね。その眩しさが影を作ることもある。それは君たちのせいではないけれど、僕はちょっとこの犯人に同情しないでもない。部屋に侵入して物品を破損しそれを別の者の鞄に入れるなんて汚い行い、バレれば下手すると退学だよ。そうじゃなかったとしても信用ガタ落ちだ。まだ長いセントノリスの時間をどうやって過ごすというんだ。犯人だって地元じゃ神童だっただろうに。随分と浅はかで恥ずべき、馬鹿なことをしたもんだ」
「……」
皆が黙り込んでいる。
ああ、この男たちは心まで優しいのかとイーノックはなんだか拍子抜けしたような、嬉しいような不思議な気持ちになった。
「2号室メンバーの成績落ちを狙うんだ。犯人は3から5号室あたりだろう。君たちの夕飯のとき、そしてサロ=ピオラの風呂の時間に食堂にいなかった者を探す。証言を取って照合すれば、意外に難しくもないんじゃないかな。問題は証拠だ。証拠無しで心情に訴えかけて落とす話の流れ、僕は好きじゃないんだ」
「西側のテーブルにいた人たちの名前は僕が全部書き出すね。残りの部分はハミルトンとブレンダンに聞けばだいたい網羅できると思うよ。彼らはいつも同じところに座るし、二人ともそれぞれ全体を見る記憶力のいい男たちだから」
「いやぁ君ってなんかすごく気持ち悪いなあセレンソン。わかった。そうさせてもらう」
イーノックは眼鏡を上げながら立ち上がり胸を反らせた。
「あとは名探偵イーノック=ボールズにお任せあれ」
イーノックは本当はここで髭を撫でてマントを翻したかった。




