【セントノリス中1−0】ラントの三日咳1
【5】セントノリスの新入生たち2 のあとのお話です。
同室になったラント=ブリオートをアントンはつい見てしまう。
色の薄いふわふわの髪。澄んだ深い茶色の瞳。アントンと同じくらい細くて、妖精のような容姿なのに、彼は生命力と男らしさに溢れている。
聞けば赤ちゃんの頃に川べりに捨てられていたのだとなんでもないように言う。そこを通りかかった土族のラントのお父さんが彼を拾い、実の息子として育てた。定年退職した元教師に見出されて養子となり、セントノリスを受験したそうだ。
そんな過去があっても、ラントにはお日様みたいなあたたかいものが溢れている。きっとラントを囲むひとたちが、これまでそういう光でラントを照らし続けたのだと思う。
彼の語る世界は広大だった。地の神様ヴァドを信仰し、地の上のものはすべてヴァドからの恵みとして受け入れ、その物語を体に刻みながら地を流れ、歌い、踊って地に祈る。
フーリィを信仰し星を祀るアステールの教えとは違う。それでもその美しさ、力強さに、胸が熱くなる。まだ出会って数日。きっと彼の知る世界のほんの一角しかアントンは触れていない。でもそれだけでも、なんて美しい生き方があるのだろうと感動する。
アントンが知らないだけで、きっとこの世界にはたくさんのそういった美しいものがあるのだろう。アントンはもっともっと世界を知りたいと思う。
同じことをラントも言っていた。ラントは土族の世界を愛していて、家族を愛していて、ヴァドを信じている。それでも知らない何かがこの世界にあることを知り、どうしても地平線のその先を見たくなったのだと。
きっとラントはアントンでは見えない角度から世界を知る人になると思う。だってラントの目はとてもきれいで、遠くまで見えて、見えた全てを受け入れる穏やかさと深さがあるから。
一緒に三食ご飯を食べて、一緒にお風呂に入って同じ部屋で寝起きしていれば、だんだんに彼がどんな人なのかわかってくる。その魅力も。きっと深くに素敵なものがもっともっと隠れていることも。彼ともっと仲良くなりたいな、と思っているとき、ラントの身にそれは起きた。
「うん、三日咳」
朝起きたらラントの顔が真っ赤で、顔にも体にも赤い点々が出ていて、熱があって咳が止まらなくて一人で歩けなくなっていた。あんなにも元気な彼が。ハリーがラントをおんぶして連れて行った保健室で、小さい眼鏡をかけた白いひげの白衣の先生に顔を見た瞬間あっさりとそう言われた。
「『みずたま』じゃ……」
「『赤返り』じゃ……」
「それもどっちも三日咳。地方で呼び方がいろいろあるのう。一般的な病気だからなあ。お前さんらは済ませてるかい」
ハリーとアントンは目を合わせ、先生に向き直ってはいと頷いた。
トイスではこれを『みずたま』と呼んでいた。初級学校に入る前の、小さな子がかかる病気だ。まさに今ラントに出ているような症状が三日三晩続きいきなり消える不思議な病気。アントンは何故かかかるのが遅くて、初級学校1年生のときにこれをやった。
喉が痛くて、息が苦しくて、体が熱くて重かった。普通なら三日で終わるはずのものが何故かアントンは治るまでに五日かかった。昔から小さかったから、両親は随分と心配したらしい。
健康な子供ならなんの後遺症もなく元気になる成長のうちの通過儀礼のような病気だが、もともと体の弱い子や遅くかかりすぎた人はまれに命まで取られることもある。薬はない。自然に治る病気だからだ。
「……」
「一回やってりゃ伝染らん。三日寝てれば治るから部屋で寝かせておきなさい。熱冷ましを出しておこう。何かあればまた来なさい。そんな死にそうな顔をするんじゃない。君の友達は健康で強い体を持っとる。心配なら、痒がったとき冷やしてやりなさい。食堂のゲルデさんに言えば、こっそり氷をくれる。彼女は魔術師だからな。あまり言いふらすなよ。氷菓子を食いたい生徒が夏彼女に殺到してしまう」
「……はい」
涙目のアントンをハリーが呆れたように見る。
「皆かかって今元気だろ。心配しすぎだ。ラントだってそんな顔されたら困る」
「うん……」
先生から粉薬を受け取った。水の量と溶き方をしっかり聞く。ハリーがまたラントをおんぶする。
いつも生命力に満ちたラントのよく動く手足が、力なくぶらんとしているのが見えてまたアントンは泣きそうになった。
「……」
「その顔やめろアントン。ラントが死んだと思われる」
「……」
ハリーがアントンを見て何か諦めたようなため息をついた。
「上は登れないから、僕のベッドに寝てもらおう。今日は僕が上に寝る」
「俺のベッドに寝かそう。アントンが上だと、何かが起こる気がする」
「何かってなんだい」
「慌てて下に行こうとして落っこちたりとかな」
「まさか。でもそうだね、こっちのほうが頭がごちんしなくて介抱しやすい。ハリーのベッドに寝てもらおう」
新しいシーツを敷き、ラントを寝かせる。
手の届くところにベルと、『お腹へった』『喉乾いた』『トイレ行きたい』等文字の書かれたカードを数枚。水差しを置く。
「ラント、声が出ないだろうから、何かしたいことがあったらこれを鳴らして。かゆかったら食堂のベルデさんに氷をもらってくるよ。今かゆい?」
ラントはアントンを見て、わずかに首を振った。大丈夫ということらしい。咳き込む。
見ているだけで辛そうで泣きたくなって、アントンはラントの背中をさする。
「苦しいね。体を横向きにするといいよ。これはみんながかかる病気だから、何も心配しなくて大丈夫だよ。僕ですら五日でやっつけたんだ」
「五日かかったのか」
「僕のはとりわけしつこかったんだ。母がずっとつきっきりで。心配そうで、なんだか申し訳なかった」
「へえ。俺んとこは割とほったらかしだったな。昼は仕事だったから近所の婆さんが来て、夜はずっと針仕事をしてた」
「夜は側でやってたんだろう」
「そういえばそうだな」
「ハリーのお母さんも本当はずっとそばにいたかったよ。平気な顔でお仕事をしてても、心ではきっとずっとハリーを心配してた。……強いお母さんなんだね」
「……ああ」
「だから大丈夫だよラント。熱冷ましを飲んで、眠ろう。苦しいけどみんながかかって治る病気だ。こわくないよ。大丈夫だよ。守り歌を歌おう。うるさかったら首を振ってね」
アントンは小さい声で守り歌を歌った。病気につけこんで子供の魂を持っていこうとする悪い魔物を寄せ付けないための歌だ。
歌いながら、きっとラントの守り歌はアントンの知っているこれではないと思う。
本当ならラントの知っている歌を歌ってあげたかった。きっと彼は昔を思い出して安心したと思う。
文化が違う。言葉が違う。自分たちは子供で、まだこれまで身の回りにあった与えられたものしか知らない。それでも自分が知るものの精一杯で彼を守りたい。初めての場所で、まだ会ったばかりの自分たちに囲まれて、知らない病気できっと不安でいっぱいだろう友達に、少しでも大丈夫だと思ってほしい。
薬を飲んだラントはすうっと眠りに落ちた。
大きな音を立てないようにしながら勉強して、ときどき様子を見て額の布を替え、かわりばんこに夕飯を食べ、かわりばんこに風呂に行った。夕飯はまだ食べられないだろうが食堂で事情を話したらパンと牛乳をもらえたので『お腹へった』のカードをラントが上げたら出そうと思って持って帰った。