【セントノリス中1−1】初夏の芸術祭4
「いい天気ですねジルベール様」
「ええ。馬でご一緒するのは久しぶりですねアレクサンドル様。楽しみです」
「王家の庭の範囲内でございますよ。何かと物騒ですからね」
アレクサンドル、王位継承権第2位で現在10歳のジルベール公に、ジェラルド、アルバンが付き従う。
皆乗馬姿だ。馬はドナルドがこだわり抜いて作った木馬。ちゃんと揺れる。
「やあ楽しい!」
「お上手になられましたね、ジルベール様」
「なんだか体が強く、軽くなったのです。計算も、読書もずっと早くなりました。おかげでここ一年は『薬』も不要。これが成長というものですか?」
「……きっとそうでございましょう」
馬を止め、布を引き、バスケットに詰めたとりどりの食材を並べ身分なく平たく座って食している。
こんなことは初めてだと目を輝かせてジルベールが無邪気に笑う。
病弱だったジルベールに与えられていた『薬』。どこか終始ぼんやりとした様子だった3年前のジルベール。一体あれには何が混ぜられていたことやら。
王子アレクサンドルは小さな尊い少年をじっと見つめた。3年前よりもはるかに大きく、賢く、強くなられた。
その瞳がじわりと潤む。これなら、これならば。
王子アレクサンドルは今度こそ死んだということとして、ただ一人の少女として、この城を出て生きられるのではないだろうかという甘い夢が胸を走っているのが、アレクサンドルの、そこだけシルヴィアに戻ってしまった瞳からわかる。
国を、父を守るためその名を捨てた少女の儚いひとときの夢は、現れた男たちの荒々しい空気によって霧散した。
友好的でないのは一目で知れた。ジルベールをアレクサンドルが背にかばい、その前にジェラルドとアルバンが立つ。
「王の庭と知っての狼藉であるな」
「……」
「許可なく踏み入っただけで死罪である。承知しているな」
「……」
黒の男たちは答えない。幾重にも守られているはずのこの地にこの男たちがいるというだけで、その管理を行う立場にあるものの悪意が知れる。
徐々に権威から遠ざけられ、追い詰められ、ついに最後の悪手に出たかとアレクサンドルはその男の狂気を知る。
ここまでやっていてなんの証拠も残さぬことなど絶対に無理だ。今度こそは尻尾をつかめるはずだ。この場さえ切り抜けられれば。
敵は6名。秘密裏に入れることのできた最大の人数だろう。
構えからして素人ではない。だがしかし歯が立たないとも思わない。こちらはジルベールを除き3名。勝てると思う。
まずジェラルドとアルバンが迎え撃った。
「殺しても構いませんね王子」
「許す。手加減しようなどと思うな。あの男のことだ、そいつらは何も事情を知るまいよ」
「承知いたしました」
ジェラルドが鮮やかに一人斬り捨てた。迷いのない、強い剣筋だ。
飛び出してきたもう一名をアルバンが斬って捨てる。彼の剣は堅実で、基本に忠実。
アレクサンドルも決して弱いわけではない。向かってきた男の首に剣を振ったところを、ジェラルドに横取りされた。
「ひどいじゃないか」
「血を浴びるのは我らの仕事です、王子」
「そうか。心強い」
向かってきたもう一名は、当然アレクサンドル狙いであろうとそのつもりで剣を振った。かわされ、ヒヤリとする。
己に振られる一刀を防ごうと剣を立て直し、それが襲ってこないことに驚く。
その男の剣は……ジルベールに今まさに、振り下ろさんとされていた。
正しき継承者。この国の未来の王に。
ああ、見限られ、見限ったのだあの男は。
決して己の言うとおりにはならぬだろうアレクサンドルとともに、己の羽根を押しのけ飛び始めた力なき金色の小鳥をもひねりつぶすことにした。力なきうちに。
そうしてこれまでと同じ毒の手で、さらなる小さきものを己の傀儡として狙うのだろう。どこまでも愚かしく、汚らしい男。
させるものかとアレクサンドルは思った。王冠を継ぐ男たち。この国を率い、守りゆくために生まれし男たち。守らなくてはならない。お育てしなくてはならない。清らかに、強く、賢く。
血が舞った。アレクサンドルの腕は正しく男の胸を切り裂いた。少女のごときその顔は血にまみれている。
「ご無事ですか。ジルベール様」
「……アレク……」
「お触れになってはなりません。お召し物に血が」
「アレク……アレク」
抱きついてきた小さき方を、王子は抱きしめる。
ゴーン、ゴーン、と重厚な鐘が鳴った。そっとアレクサンドル、ジェラルド、アルバンは目を伏せた。王の崩御を知らせる鐘である。それを知らぬジルベールだけが、目を瞬かせている。その頬を、王子アレクサンドルはそっと撫でた。
「お強く、賢く、優しくお育ちください。王の持つべき強さとは、剣の強さではございません。多くの人間を、広く、厚くその手で支える強さにございます。賢くお育ちください。お一人で一つのことを深く考えるのではなく、その道その道で賢きものに正しく頼り、耳を傾け、最も国の利になるものを選ぶ賢さを。一人でも多くの国民が幸せに過ごす道を探し続ける、ときに冷たくも見えるほどに動じぬ鋼のような人への労りの優しさを、どうかその御身に」
「アレク……?」
「補佐にはオーバン氏を。厳しく見える彼が誰よりも冷静に、この国のことを憂いている男だと、ご存知なはずでございます。すべて書き留めたなアルバン」
「確かに」
「そうか。では参ろうジェラルド。私はキリオスの崖に眠る」
「……眠る……?」
そろり、そろりとジルベールが目を下ろし、大量の血をにじませる切り裂かれたアレクサンドルの腹を見る。押さえている手が真っ赤に染まり、賊の血を拭った顔はやはりそれで赤く上書きされる。
「深すぎます。助かりません。次の王はあなただ」
「……」
「お守りせよアルバン。顛末を全て語るように。王子アレクサンドルは賊を追い騎馬にて走り去った。賊とともに落ちるところはお前が見ておけジェラルド。せめて『王子は最期まで勇敢であらせられた』と伝えるくらいの親愛はあると信じるぞ」
「……承知いたしました」
駆け寄ろうとするジルベールを、アルバンが抑える。
「ジル」
「……」
「せめてレディの足を踏まない程度には、ダンスの練習をしておいたほうがいい。あれは本当に痛かった」
「……」
血まみれの王子は微笑んだ。少女の顔で。
「……シルヴィア姫……?」
「国は任せました。あなたの勇気を信じます」
姫の体を抱え上げ、ジェラルドが馬に乗せる。
「ジェラルド」
「アルバン。良き友でいてくれてありがとう。まあなんだ、じじいになってから来てくれ」
「……やはり、そうなのか」
長年の親友同士は言葉なく、互いを見る。
「いつだって俺は置いてけぼりだったよ。最後までとは、恐れ入るね」
「優しい君が好きだよアルバン。元気で」
「ああ、道中気をつけて」
「もちろん。無事に門までお連れする」
「ああ」
ジェラルドは馬を走らせた。
舞台が暗転する。
「ブラッドフォード! 大丈夫かブラッドフォード!」
幕内に入った瞬間崩れ落ちたブラッドフォードにチャーリーが駆け寄る。
「どうした!」
「……僕が位置取りをしくじった。僕にぶつからないようによけたときに捻ったんだ。右足をほとんど地面に付けられてない」
「それでもあの演技か……どうしよう、このあと、チャーリーを抱き上げるんだぞ」
「もう出番だ。代役なんていないのに……」
「ジェラルド無しでこのあとのシーンができるわけない! あとワンシーン、がんばれないかブラッドフォード」
「もちろん。……片足で余裕さ」
「無理だよほらすごい汗だ! 保健室の先生は?」
「さっき呼ばれて観客席の方に行っちゃった」
「ジェラルド無しでどうするんだ!」
呆然と目を見開いているアルバン役のマチューに、何かが寄り添った。
木だ。
「ざわ」
「……」
「ざわざわ……」
「……」
揺れる木を見て、マチューは一瞬固い顔をし、そして意を決したように頷き、手を挙げた。
「俺がジェラルドをやる。幸い衣装は揃いの乗馬服だ。そのままでいい」
「マチュー……」
「でもマチューとブラッドフォードじゃ……その」
「なんでこのシーンにアルバンがって思われるんじゃないか?」
「ジェラルドに見せてみせる。かつらと剣だけ貸してくれ」
「……」
チャーリーがじっとマチュー、ブラッドフォードを見る。
「すまなかったブラッドフォード。僕のミスだ」
「姫を守るのが俺の仕事だ。ぶつかって吹き飛ばすわけにはいかない」
「……ありがとう。頼めるかマチュー」
「ああ」
「ありがとう」
ぽん、とチャーリーは二人の男の肩を叩いた。
ついでのように木を撫でた。
「ざわ」
木がざわめいた。
「よし、木! 中央に移動してくれ。音立てるなよ」
「ざわ」
木が静かに真っ暗な舞台を移動する。
やがて暗転していた舞台に、一本の木と転がる大岩。少女を腕に抱く男が浮かび上がる。
ジェラルドを演じる俳優が変わったことに、観客は気付いていない。全く正反対のように思われたブラッドフォードとマチューは、身長も体格も、こう見るとよく似ていた。
アルバン役だった俳優が『ブラットフォードが演じるジェラルド』を指の先まで演じていることに気付いたのは演劇部の一同と、その顧問くらいであろう。
「ついた? ジェラルド。もう目がよく見えない」
「ええ。キリオスの崖です。精霊の崖。本当に良いんですねシルヴィア様」
「その名を呼んでくれて嬉しいジェラルド。ええ、王子の服を着た女の遺体を置いておくわけにはいかないもの。事実を隠してきた父と、母が責められてしまう」
「そうですねシルヴィア様。……ここは静かだ」
「ええ、ガラシアの葉の音だけが聞こえる」
「俺はこの音が好きです。子供の頃から聞いてきた、この国の音だ」
「私も。ガラシアは、人を暖めてくれる。優しい木」
そっと姫を腕に抱き、ジェラルドとシルヴィアは見つめ合う。
「……愛していますジェラルド。小さな少女だったころから」
「俺もずっと。きっと貴方様よりも早く。あれは目が合う前だった」
微笑みながら、共に涙する。あまりにも未来のない、愛の告白だった。
「私に、意味は、あったかしら」
「3年のうちにグレゴワールは徐々に失脚し、ジルベール様は大いにご成長なされた。国のために、なくてはならぬ3年でした。とても大切な、この国のための3年間を、貴方様はお作りになられました」
「……良かった」
そっとシルヴィアの震える手が上がる。ジェラルドがしっかりと握り、見つめ合う。
「口づけを、ジェラルド」
「……」
男が姫にそっと触れた。実際のところは触れていない。今マチューは唇に、姫の血糊を塗りつけている。
顔を上げたジェラルドの唇が赤々と濡れている。あの日最後まで塗れなかった姫の震える紅を、皆が思い起こしていることであろう。
塗りたかった赤。憧れた色。
それは悲劇の姫シルヴィアが恋い焦がれた、少女の色だった。
やがて動かなくなった姫を、ジェラルドはそっと抱き上げる。
彼は風に揺れるガラシアの木を見上げた。
「花もなく、実ることもなく、その美を褒められることもない。それでも静かにその役を全うする君を、心から尊敬する。君は誇り高く、美しい」
「……」
木は語らない。ただ涙するようにその身を震わせ、ざわざわ、しゃらしゃらとその葉を鳴らすのみだ。
「不肖ジェラルドがお供いたします。暗き道、貴方様をお一人でなど、歩ませはいたしません」
軽やかに地を蹴り、騎士は崖下に消えた。
そこにはもはや誰もいない。
一本のガラシアの木だけが、しゃらり、しゃらりと悲しげに揺れている。
暗転
中央に一本のガラシア
母子連れがその横を通りかかる。
「おかあさん」
「なあに坊や」
「どうしてこの木だけ花が咲かないの」
「ガラシアね。この木は花も咲かないし、実もつかないの」
「つまんないね」
「いいえ、とっても偉いのよ。見えない地面の中にたくさんの根を深く張って、地面を支えてくれているの。大雪が振っても、大雨が降っても、その根っこでごくごく水を飲んで、土が崩れないようにしてくれるの。見えないところでみんなを助けてくれる、とっても偉い木なのよ」
「ふうん」
ぱさぱさとその葉の一部が揺れ、小さな黒い鳥が現れた。なおこれには見えない黒い糸が付いている。
「あの鳥はガラシアが好きなのよ。花も、実もないのに、ガラシアばかりにとまるの。きっと、ただ、好きなのね」
「ふうん。なんて鳴くの」
「鳴かない鳥なのよ。不思議ね」
「ふしぎね」
「ええ、不思議」
そうして親子は去っていった。
中央に一本の木
ざわり、しゃらり
かすかな風に揺すられて、ガラシアがかすかにざわめいている。
暗転。
はじめは小さく、徐々に大きく、割れんばかりの拍手が舞台を包む。
やがて舞台が明るくなった。
役者が勢ぞろいしている。皆が笑っている。
ジェラルド役の生徒をアルバン役の生徒が肩車している。
「……よかったなあ」
「泣いちゃった」
「……」
「ハンカチいるかフェリクス」
「……」
「アントン出てた?」
「あの木か? 顔わかんないな」
「……素晴らしい揺れだったぞアントン……!」
「やっぱあれがアントンか。自然すぎて木かと思った」
「僕も。すごく自然だったね」
その日、舞台を囲む拍手はいつまでも鳴り止まなかった。
後日
その日の授業を全て終え廊下を歩いていたアントンは、前から楽しげに議論しながら歩いてくる見慣れた二人組に気がついた。
「やあ、チャーリー、マチュー。仲良しになったんだね」
「やあアントン。うん。一緒に演劇部に入ったんだ。お声がかかってね」
「授業ではなかなか会えないな。俺らのせいだけど。元気そうで嬉しいアントン」
足を止め頬を染めアントンは二人を見上げた。二人とも、とても充実した顔をしている。
「うん、僕もかかるかもしれないと思ってたんだけどかからなかった。僕は写本と勉強があって部活動はできないから、却ってよかったよ」
「……うん、君の演技は少し完璧過ぎたかもしれないね。君はあまりにもガラシアすぎた」
「ああ。すごく良かった。まるで木が泣いているようだった。君にガラシアの木を演ってもらえて、本当に幸運だった」
「そう言ってもらえて嬉しい。ありがとう」
手を振って別れた。
楽しかった。本当に。セントノリスって素晴らしいなあとアントンは心から思う。
その後風が吹く度にフェリクスに見られるのが不思議だったけど、そのうち見られなくなった。アントンはもう、ただのアントンなので仕方ない。
来年もきっといい役に立候補するぞ、とアントンは燃えるのであった。




