【セントノリス中1−1】初夏の芸術祭3
「あれ」
「やあアントン、早いね」
今日もお茶の準備をして練習場に行ったアントンは、舞台の上に這いつくばる同級生を見つけた。
マチュー=オルダン。背が高くてよく見れば整った顔をしているのに静かな男だから、なんだかそれこそ木のように扱われる優しい男だ。チョコレートみたいな色の髪は清潔に短く切られ、同じ色の目が穏やかだ。
今回はヒーロー役ジェラルドの親友にして頼れる同期アルバンの役どころだ。台詞は少ないけど、登場シーンは多い。
「転んじゃったの?」
「いや、小道具で削れたところの棘を削ってた」
「……」
「ブラッドフォードのやつ、なんにも気にしないから立ち回りのシーンの後はすぐ床がボロボロだ。でも本当に舞台の上でよく映える。ちゃんとどう見せたら華があるか、本能的に理解した上でさらにちゃんと考えてるんだ。すごい役者だ」
「そうなんだ」
並んでアントンも床を確認した。確かにところどころトゲトゲだ。工具箱からヤスリを持ってきていっしょに削った。
「マチューはチャーリーをどう思う?」
「彼こそ天才だと思う。天性の、努力の。ただ立ってたって素晴らしいのに、ちゃんと台詞の意味、その場面の意味を考えて、クライマックスまでの流れを考えた上で演技してる。気付いてるか? 彼はこれまで一度も台詞を間違えてない。すごいことだよ。優れた容姿にあぐらをかくことなく、主役だからとふんぞり返ることもなく、彼は誰よりも地道に努力してる。努力家故に言葉に棘があるのが玉に瑕だったけど、そのことに自分で気付いて、最近はちゃんとメンバーに歩み寄ろうとしてる。彼は本当にすごい。すごい俳優が成長するさまを、こんなにそばで見られて本当に嬉しい」
「……マチューは」
「うん」
こちらを見たマチューの一見落ち着いた顔が赤い。アントンは嬉しくて微笑んだ。
「お芝居が大好きなんだね」
「……ああ。大きな劇場のある町の出で、小さい頃はよくチラシ売りのふりをして潜り込んで舞台を見てた。正直大好きなんてもんじゃない。俺の演劇に対する思いを聞いたら、君はとても引くと思うアントン。何しろ俺はシルヴィアなら、全配役の台詞を言える」
「引かないよ。何かにこだわりの深い人の話を聞くのは、語る顔を見るのは僕の最上の幸せだ」
「……君も大概だ」
「皆が変人なんだよセントノリスという場所は」
目を合わせて笑った。どうしてセントノリスは皆、こんなに面白くて素敵なんだろうと思う。アントンは尊敬を込めて目の前の男を見上げる。
「君のアルバン役、すごく良いと思う。目立たず、とても自然にいつもジェラルドの横にいる男」
「地味な俺にぴったりの配役だろう。しかも一番いいところで主役二人の演技を見られる最高の役だ」
「僕もそう思ってアルバンも考えたんだけど、騎士役にはイマイチ体格が足りなかった」
「それでガラシアの木にしたのか。最後のシーンを一番近くで見られるいい役だ。もうすぐ衣装ができるらしいな。こないだこっそり一人で練習をしている君を見たけど、すごくいい自然な揺れだった。楽しみにしているよ」
「ありがとう」
ぽつぽつとメンバーが現れたので、二人はあとは黙々と床を削り、そのまま練習に入った。
芸術祭まで、あと一週間。不思議な熱気が練習場を包んでいる。
最初こそバラバラだったメンバーの心はチャーリーを中心にまとまり、一つの方向に向けて進む。
いい演技をしよう
いい舞台にしよう。
汗だくで、俳優たちは舞台の上を駆け回る。
「晴れてよかったな」
「ああ、絶好の観劇日和だ」
「お祭りみたい」
「有志で店が出てるぞ。『怪奇倶楽部』の面白グッズに手を出すなよ」
「『夕飯が美味しくなる憑かれの靴底』気になるなあ」
「ただの鉛らしいぞ。重いんだ」
「疲れてるだけじゃないか」
それぞれ好きなものを買って、適当な席に座る。気合の入った生徒はずっと前から席取りをしているらしい。強制のイベントではないので、見たい人間だけがこの舞台に集まっている。
席に座る。押すな押すなの大盛況だ。
ブ――――ッとベルが鳴った。しんと客席が静まり返った。
劇が始まる。
『ある老騎士の手記にこの物語は残る。これが史実か創話か、真実を知る者はもはやない』
ナレーションののち、舞台に春が現れた。
春の少女だ。長い金色の髪をふわふわとなびかせながら、軽やかな足取りでダンスを踊っている。
その動きの柔らかさ、微笑む顔の愛らしさ。指の先まで楽しげでありながら決して品を失わぬ動きに、彼女がただの娘でないことが知れる。
やがて彼女は動きを止め、美しく一礼した。上げた顔の瞳が夢見るように輝き、頬が薔薇色に色づいている。
「シルヴィア姫、13歳のお誕生日おめでとうございます」
「ああなんと美しい。まさに春の光の化身であらせられる」
「光の恵み少なきこの国の女神だ。シルヴィア様万歳」
彼女を褒め称える声に、おっとりと彼女は笑った。少女が動く度に、その周囲に光が散るようであった。
シルヴィア=フォン=デ=ルノアール、13歳。誕生パーティの夜である。
次々贈られる贈り物に頬を染め、喜び、驚くさまがいちいち可愛らしい。
だがただの夢見る少女でないことは、その送り主への気の利いた一言で知れる。己の立場、相手の立場を考えた上で返されるその言葉はいかにも適切で、下々のものへの労りに満ちている。
「わたくしは世界一幸福な娘です。皆様、本日は本当にありがとう」
美しい一礼とともに幸福な場面は終わった。どこからともなく聞こえる強い風に揺らされる葉の擦れ合う音が、どこか不安であった。
第一王女シルヴィア。兄のアレクサンドルは一つ年上で、彼こそが次代の王である。
男児しか王位継承権を持たぬこの国で、アレクサンドルとシルヴィアの間にはなんらの屈託もなく、傍目にも実に仲の良い、よく似た兄妹である。
寝室を訪れ妹に寿ぎを与え、兄は去る。ランプの明かりが消え、舞台は暗闇に包まれる。
ぱち、ぱち、ぱち、と音。
赤い光。シルヴィアが飛び起き、ベッドを降りる。
「何事です!」
「シルヴィア様! こちらへ!」
「城が燃えております! 疾くお逃げください!」
男が二人。ジェラルドとアルバンだ。
幼少より親しんだ、兄の忠実な騎士である。
「なぜあなたたちがここにいるのです! 兄様はもうお逃げになったのですか!」
「……」
「なぜ答えぬのです! ジェラルド! アルバン! 兄様はどこ!」
ジェラルドが背に負っていた男を振り向いた。
黒焦げ、その顔すらわからなくなった少年の姿だ。ピクリとも動かない。
その服は先程、妹の寝室を訪れた男の服だ。
「……」
「賊に斬られたのち、部屋に火を放たれたと見えます。我々が気付いたときには、すでに」
「……」
「叱責も、罰も、ここを出たあとに存分にお受けいたします。ですが今はお逃げください姫。幸いこちらにはまだ火はあまり回っておりません」
「……賊と思いますか、ジェラルド」
泣き出すだろうと思われた少女の、震えながらも芯のある声に男たちは顔を上げた。
赤い光が、揺れながら少女の頬を照らしている。
「賊が、音もなく次期王の寝室に入り込み、剣に優れた兄の腹を切り、火を付けまた音もなく逃げられると、そう思いますかアルバン」
「……」
「……証拠がございません」
「残しているはずもない。……これは簒奪です。己の欲のためにこのような非道な手を打つものを、わたくしは一人しか知らない」
ブルブルと少女は怒りに震える。
「兄様を消し、父までも狙う気か宰相グレゴワール。身に合わぬ権威を求める、けして尾を見せぬ狡猾な毒虫!」
姫が顔を上げる。
「……短刀を貸してジェラルド。アルバン、兄の服を脱がせなさい」
「……」
「……姫」
「……」
ぐっとこらえるように唇を噛み締め、姫は受け取った短刀でその長く美しい髪を切り捨てる。
赤の光の中を、金が舞う。
「姫は死んだ」
兄の服から燃えた布を取り、その麗しい顔になすりつける。
「王女シルヴィア=フォン=デ=ルノアールは本日死んだ」
炭で黒くなった少女の頬を、涙が一筋洗う。
「ここにあるのはアレクサンドル=フォン=デ=ルノアール」
凛と背を伸ばし、少年の姿になった少女は言う。
「グレゴワールの思うようになどさせるものか。我こそはアレクサンドル=フォン=デ=ルノアール」
赤い光が大きくなり、燃え上がる。
「次期王である」
暗転
沈黙
剣の音が響き、舞台が明るくなる。
騎士姿の男たちが、興じるように刃を合わせている。
甲冑を被った男の片方がバランスを崩し、その首元に剣先が突きつけられる。
「参った」
「その言葉が聞きたかった。左手の君相手でも嬉しいよ」
「不覚です」
笑いながら二人は面を外す。
騎士アルバンと、妹の死に一年の喪に服したのち表舞台に復活した、王子アレクサンドル。
先程あの柔らかな姫を演じた俳優とは思えぬ、だがしかし同じ顔の、どう見ても快活な少年である。
「午後はジルベール様がいらっしゃるのですね」
「ああ。最近チェシカの勝負が3石落ちで釣り合うようになってきた。家臣は皆手加減をするのでつまらないそうだよ」
「随分と仲良くなられた」
「ああ。王位継承権2位の尊きジルベール様。すくすくとお育ちでありがたいことだ。このところ随分とグレゴワールの手を離れ、オーバン氏寄りになってきていらっしゃる」
「誰の影響でしょうね、アレクサンドル王子」
「さあ。見当もつかないよ我が騎士ジェラルド。父にはあと二十年は王であってほしいものだ」
ふっと淋しげに笑う王子に、騎士たちは無言で従った。
暗い部屋、宰相グレゴワールのシーン。あの日確かに王子を殺したはずだと誰もいない部屋でグレゴワールは歯噛みする。病弱なる王の崩御ののち御年7歳のジルベール様を王位につけ傀儡とし、国の政を思うがままに操らんとする醜さを、彼は誰もいない部屋で独白する。
必ず正体を暴いてやる、王子の皮を被った、小賢しいシルヴィア姫めと叫び、鏡を割った。
王女シルヴィアが死んで3年の月日が流れる。王子としての道の先で様々な妨害をシルヴィア、否王子アレクサンドルは受ける。輝かんばかりの瑞々しい知性で、信頼する家臣との協力で、喪に服す1年の間に血反吐を吐いて鍛えた剣の技で、アレクサンドルはそれを躱し、ますます王子、次期王としての名を挙げていく。
華やかな王子の生活にハラハラするような危機が挟まれ、その度に王子と家臣の絆が深まっていく。徐々に、静かに、抑えたように、ジェラルドとの切ない恋の眼差しが挟まれる。人々は息を呑み、ときに涙してその様子を見守っている。王子の姿をした凛々しい少年が時々抑えきれずに溢れるようにして見せる少女の儚さ、柔らかさ、可憐さが切なく、愛おしくてたまらない。
また暗い部屋。豪奢なベッド。王がそこに横たわり、その手を娘が取り、母が泣いている。
「シルヴィア……我が娘」
「……アレクサンドルでございます、お父様」
「今だけだ……不甲斐ない父を許してくれシルヴィア……我が国の春……」
「……」
「弱く……己の力では身の内の害虫を排しきることも、貴族を牛耳ることもできぬ父であった……許せシルヴィア。そなたのおかげで、間もなく、間もなくそれが叶う。あと少し、あと少しだ。どうか堪えてくれ……愛している……我が娘。我が国の春」
感極まったように母が娘の肩を抱く。
父を許すように微笑みながら、それでもそれが叶わぬことであると知るかようにほろほろと少女は泣く。短い金の髪を揺らし、少女の顔で。
「次! 舞踏会だ! みんな最高に可愛く頼むよ!」
チャーリーが衣装を王子に着替えながら言う。ドレスを纏った元少年たちが扇を振り振りホホホと笑っている。
その様子をアントンは見ている。目の周りをユリアンに茶色くされながら。
「みんな可愛いなあ」
「動かないで。目玉を茶色くしちゃうよ」
「涙が止まらなくなっちゃうね」
「縁ギリギリまで塗るからね。それでいいんだろう」
「うん。顔をはめるところが僕の顔にぴったりで、そうすると全然わからないんだ。黒目で良かったと今日ほど思ったことないよ」
「そう」
手を止め、ユリアンがフッと笑った。
「なんだい」
「いいや。よく似合ってるよ。何かこういう動物がいたような気がする」
「愛玩動物かい」
「珍獣だったと思うな」
「そう。珍しいのはいいことだね。木、被せて」
「まだ早いんじゃないかい」
「役に入りたいんだ」
「そう。手伝ってくれステファン」
「わかった」
そうして木が完成した。
ざわざわと揺れる。まるで風が吹いたようだ。
「すごい。どう見ても木だ」
「この細かいところまでのこだわり。流石はエセルバードだ。見習いたいな」
「本当だね」
「ざわざわ」
華やかな少女たちが、可愛らしく笑いさざめきながら舞台に出ていく。
音楽は生演奏だ。楽器のできる一年生が、この日のために練習した一曲を見事に披露している。
音楽に合わせ少女たちが華やかに踊る。王子アレクサンドルはそれを、憧れの目で見つめている。
ここぞとばかりに飾られた華やかな髪型。細やかな化粧。細い腰を、豊満な胸を強調するようなきらびやかなドレスを。
王子が……王子の皮を被った少女が何よりも欲しい、きらめくもの、美しいもの。得るはずだった、3年前に失った、得られなかった少女時代を、王子は見つめている。
華やかな、楽しげな人の中。麗しき王子だけが悲しみの中に沈んでいる。
「次だ。頼むよジェラルド。切なげな君の顔、素敵だよ」
「了解だ我が姫。愛してるよ」
「ざわ……ざわ……」
不穏な風の音の中、部屋に王子姿の娘が一人。
同じ俳優、同じ王子の服ながら、鏡に映るその顔は少女のものだ。
「アレクサンドル様、失礼いたします」
扉を開いたジェラルドに、王子は顔を上げる。
その唇の端にほんの少し、塗りかけた赤い紅。
ジェラルドを認め震え出した王子の指が、赤く染まっている。
「……」
つかつかと歩み寄り、ジェラルドが無言でその唇を布で拭う。
「……貴方様らしくもない」
「……」
言い訳も、謝罪もなく、アレクサンドルは唇を拭われながらほろほろと涙する。
男の手でまた失われていく、少女がかつて失ったもの。きっと彼女を彩るはずだった、美しい色。
「……」
声もなく少女は泣く。
ジェラルドが何かを堪えるように歯を食いしばり、それでもその色を残さぬよう落とす。
「……貴方は王子アレクサンドルだ」
「……そうだよ、ジェラルド」
全ては国を守るため。そのために捨てたもの。それでも羨ましくて、羨ましくて仕方がなかった、美しい色。
「そうだ……」
密かに恋い合う二人の腕はそれでも親愛の範疇を超えることなく肩に置かれている。
最後の涙が一粒、アレクサンドルの柔らかな頬からジェラルドの制服に落ちた。
「……私はアレクサンドル=フォン=デ=ルノアールだ」
ざわざわと風の音がする。崩壊の足音が聞こえるようであった。
「よし出番だ悪党ども! 剣を目に刺さないように気をつけて!」
あれ今の声どっからだ? と悪党役の生徒は振り向いた。そこにはざわざわと揺れる木しかない。
まあいいかと前を向く。襲撃のときだ。




