【セントノリス中1−1】初夏の芸術祭1
ほっぺたペカペカの一年坊主が落ち着き、そろそろ夏休みに入る前にそれはある。
「アントン、役を取ったそうじゃないか」
台本を大切そうに胸に抱き、ほっぺたをピカピカに光らせいつもよりさらに目を輝かせた黒髪の少年に、フェリクス=フォン=デ=アッケルマンは歩み寄った。
芸術祭。具体的には演劇会だ。学年ごと有志のなかから配役を決め、全校生徒の前で演じる。セントノリスには専用の野外の丸い舞台があり、学年ごとに三夜続けてここで劇を行う。古代からの伝統を今に伝える、セントノリスの誇る一大イベントだ。
今年の一年生に与えられた演目は『王子姫シルヴィア』
なかなかの当たり年だ。悲恋や英雄物が多い中、先鋭的で異色の演目と言ってもいい。
シルヴィア=フォン=デ=ルノアール。雪深き北の小国の姫として生まれた少女の、その悲劇の生涯を辿る物語。
友人アントン=セレンソンがあんまりにも嬉しそうにフェリクスを見上げぴかぴかしながら頷くので、フェリクスは思わず笑ってしまった。
「なんの役なんだい? もしやシルヴィアを?」
主役ならすごい。まあ彼ならば少女の役をやってもなんの違和感もないだろうと思いながら問いかける。彼は首を振った。
「木」
「……え?」
思わずフェリクスは聞き返した。きらきらの目が興奮に染まってフェリクスを見返す。
「木!」
「……へえ」
「最高の木に! 僕はなる!」
「……うん」
「『ざわ……ざわわ……』」
最後のは木らしい。なんてことだどうやら彼はもう役になりきっている。
最高に張り切っている様子のアントンに、フェリクスはそれ以外言えなかった。
ガラシアの木
悲劇の姫シルヴィアの国グラシラッセに多く生える、この国にとっては一般的な木だ。
花を咲かすことなく、実をつけることもなく。
それでも山を覆い、脈々と一年を通して丸に短い針の生えた緑の葉を生やす、この国以外には育たぬ不思議な木。
その幹は良質な薪となって人に暖を与え、大木の洞には動物たちが丸くなって眠る。
どんな大雪にも折れることはなく、溶けた水をその深き根によって吸い込み山を支える。
花もなく、実もなく。盛りもなければ変化すらもない。
風が吹けばざわざわ、しゃらしゃらと悲しげな音を出す、北の国グラシラッセの、平凡な、不思議な木。
「……一応聞くけど、やる気はあるんだよね」
パアンと台本を手のひらに打ち付けた音ののち、冷えた声が、しんと静まり返る練習場に響いた。
皆の視線の先にはこの劇の主役、シルヴィアを演じるチャーリー=アビーがいる。
何度見ても息を呑んでしまう、凄まじいほどの美形だ。
細く長い首の上に乗った小さな顔、それをふんわりと包む透明なプラチナブロンド。光の加減でときどき桃色に見える色彩の薄い茶の大きな目を髪と同じ色の長いまつげが縁取り、大理石のような透明な頬に形のいい鼻とふっくらとした唇がこれ以上ないと思える采配で配置されている。
神様というのは人をお造りになるさい、きっと気分におおいにムラがおありだ。彼は間違いなく神が一番気合が入っているときに、魂を込めノリノリで作られたのだと思う。
少女役だが女装の必要すらない。皆と同じ深緑の制服を纏っていても、彼は美少女にしか見えない。
「聞かれる意味がわからないな。俺のセリフは完璧だったと思う」
悪びれるでもなく、相手役のブラットフォード=エイジャーが言った。こちらもすごい。
背が高い。手足が長い。同い年のはずなのに2つか3つ上に見える。長い前髪をかき上げ、ふっと笑う彼にはどこか甘い雰囲気がある。
美術のデッサンに使う彫刻のような、均整の取れた彫りの深い顔。まつげが長いのに彼に女らしさはない。こちらもまた神が大変コンディションのよろしい日に、『よし今日はいっちょ新しい画風でやってみちゃおっかな』とパーンと気合を込めて作ったものだとわかる。
二人が立っているだけで風景が美術館だ。この二人が主役に決まった瞬間、よし今年は行けると誰しもが思った。
が、いざ蓋を開けてみたら、この二人の相性の悪さはとんでもなかった。真面目で几帳面なチャーリーと、おおらかで感覚派のブラットフォード。台本を読み合わせるときから小さな違和感のようなものはあったが、いざ動き出してみたらもうあまりにも合わなすぎて、チャーリーの我慢が限界に達してしまった。
「ここがなんのシーンがわかってるのかブラッドフォード。シルヴィアが長年、必死で秘めていた少女の憧れが堪えきれずに溢れ出し、彼女を想うジェラルドがそれを知りながらも必死でそれを諌めるシーンだ。そんな、男友達に軽い調子で注意するみたいな言い方になると、本当に君は思うのか」
「心を込めてるつもりだよ」
「そうは聞こえない」
「またそれか。本当に君はこだわりが強いなチャーリー。俺としてはこの後の戦闘シーンをもう少し長くやりたいな。見せ場だろう」
「そこにつながるキーポイントなんだ。わかってくれないか」
「うん、努力するよ。このシーンもう良いかな。俺は早く自分の見せ場で動きたくて仕方がない」
「……ご勝手に」
唇を噛み締め、チャーリーが舞台袖に下がった。今日は野外ではなく室内の舞台で練習している。
ふう、とチャーリーは詰めていた息を吐いた。少しやりすぎたかもしれないと思う。
台本を固く握っていた手をほどき、チャーリーはそのタイトルの字を撫でた。
開いた窓から吹いた風がチャーリーの輝く髪を揺らす。




