雪の日
「雪だ、灰莉!積もってる!」
郵便物をとりに出た悠介が、バタバタとはしたなく足音を立てて玄関に入るなり、うれしそうに叫んでいる。
それに応じて腰を上げ、玄関に出る。
「見てくれ、ほら雪だ。初めて見た」
「そうだな、雪だ」
近年の京都市街地では、雪がこんなに積もることは、なかった。一面真っ白で、まさに雪景色というにふさわしい。子供のように目を輝かせてはしゃぐ悠介が微笑ましくて思わず頬が緩んだ。
「灰莉はこんなに積もった雪を見たことがあるのか?」
「ああ。小学生のときに」
たしかまだ低学年の頃だ。3つ離れている悠介は、まだ4つや5つだったはずだ。覚えていなくてもしかたがない。
僕はあの日同じように窓から見える景色にはしゃいで、めずらしく家にいた父に外に出たいと強請った。だめだと一蹴されて悲しかった記憶があるけれど、今思えばそれも父の優しさなんだろう。寒いと僕が風邪をひくから、体調を気遣って…………。
「雪合戦でもしてみるか?」
「いや、いい。灰莉の体調に障る」
そういう悠介は、少し寂しそうだ。けれど僕はもう大人だし、自分の体調くらい自分で気遣える。それに、残り短い命なのだから、したいことは気にせずしてみてもいいかもしれない。
「少しだけ、しよう。昔は喘息がひどくて外にも出してもらえなかったんだ。おれも、してみたい」
そういうと悠介は嬉しそうに笑って、手袋取ってくる、といって部屋に戻った。僕も自室に戻って、普段つかわないクローゼットを開けた。父が大切に取っていた、母の服がかけられている。その中から、真っ白のダウンコートを取り出す。
黒いものしか着ない戒めは、もういらない。母の着ていたコートを着て、母の手袋をするのは夢でもあった。
昔、あの雪の日と同じころ、自分に好き嫌いという感情の起伏がないと父に言って悲しそうな顔をさせてしまったのを覚えている。今なら分かる。
僕には好きなものもあるし、嫌いなものもたぶん、ある。こうしたいという願望もある。使命はもう終わりだから、あとは自分のしたい気持ちに従って生きぬきたい。
「灰莉、そのコート」
自室から出てきた悠介が、僕の姿を見て呟いた。
「どうかな、似合う?」
いつもはからかうためにいう言葉を、今度は本当の意味で使う。
悠介は僕の言葉に目を丸くして、それから嬉しそうに笑って、言った。いままでとは違う。
「すごく似合ってる」