8話
陽射し柔らかな森の小径。
精根尽き果てた様子の魔王が、4人連れの最後尾をのったらのったらと歩く。
「で、一体なんで、僕はここに居るのかな、っと……」
皮肉タップリに魔王が尋ねると、反省と逆ギレの板挟みから、ログがぶっきらぼうに返した。
「なんでって、おっさんが負けたからだろ?」
辛辣だが正しくその通りで、あのあと魔王は、ログとトールの二人を相手に、
壮絶・痛烈・気分爽快にぶちのめされたのである。
酷い言い種にもグッと堪えて、ボロ雑巾同然の魔王が粘りづよく問い直す。
「いや、そうじゃなくてさ……。なんで僕と田衛文まで、君等の村に行かなくちゃいけないんだい?」
「そ、そりゃあ……」
と口籠もるログに代わって、トールが慎重な言葉づかいで説明した。
「あ、あのですね……。あんな所で暮らすのは不便でしょうから、良かったら、僕達の村に来ないかな、と……」
初対面と違って、えらく丁寧な喋り方なのは、魔王に対するニルス達の認識が、『単なる人嫌いのおっさん』に固まった好い証拠である。
事情はともかく、いじらしさ溢れる対応の変化に、ついつい魔王もからかってみたくなる。
「あれあれ? ひょっとして、心配してくれてるのかい? なんだ……。それなら初めっから、もっと親切にしてくれれば好かったのに」
性格違いのログとニルスが、それぞれ異なる反応を返した。
「バカッ、違ぇよ。最近流行りの孤独死を憐れんでるだけだっての!」
「おじさん。ホント、ごめんなさい」
(うんうん。若者独特の初々しい反応だなぁ……)
魔王のニヤケ笑いの斜め上で、田衛文は、両手をダランと地面に下ろして呆れる。
(で、魔王はやっぱり意地悪なんだ……)
あまり調子に乗せると碌なことが無さそうなので、位置的にも精神的にも上から目線で、田衛文が仲裁に入る。
「みんな、あんまり気にしちゃダメだよ……。魔王だって自業自得じゃない。本気になって、2人をやっつけようとするんだから……」
まるで、自分だけは正解者みたいな口振りだ。
田衛文の他人事めいた忠告を聞いて、魔王の態度が、一気に不機嫌なものへと
変わる。
「ヘン。僕を裏切った人に、そんなこと言われたくなんか無いね!」
売り言葉に買い言葉で、田衛文が眼光するどくメンチを切る。
「ナニ~。なんか文句あるの~!」
「勿論あるさ!」
(ぐぬぬぬぬっ!)
(ムムムムムッ!)
「お~い、二人共。そろそろ村に着くぜ~」
幼稚に睨み合っていた二人は、ログの呼びかけで我に返った。
前方に、村の入り口が見える。
とはいえ、そこにあるのは行く手を阻む壮大な門ではなく、獣除けに低い柵を張り巡らせただけの、形式的な木製の境界である。
それでも二十年ぶりの人里だけに、魔王と田衛文には新鮮な光景に映った。
そうして五人は、さっそく門を過ぎようとするのだが、柵の切れ目のど真ん中、如何にも屈強な中年男性が、木の槍片手にドデンと立ちはだかる。
「お前ら、ちょっと待て!」
見た所、年の頃は三十代後半。
縁の解れた緑のシャツに革鎧を着込み、腰ベルトにはナイフを装着。
顔は日によく焼けていて、頬骨がうっすらと見える痩せ形だが、身体の方はしっかりと鍛えられている。
ボッコリと逞しい上腕二頭筋が、頼れる男をハッキリと演出していた。
男は、先頭を行く三人の姿を認識すると、やれやれといった様子で肩を竦める。
「ログとトール、それにニルスか……。お前たち、さてはまた森に入ったな?」
のっけから叱られる三人だが、そうした事には慣れっこなのか、ログに悪びれる様子はない。
「へへっ、そうだよ。別に良いじゃんか」
すると男は、目線を合わせるようにして屈み、槍の柄を自分の首へと立て掛ける。
「森には、危険な動物が一杯いるんだ。危ないから行っては駄目だと、何度言えば分かる」
言い切りのあと、門番は思い出したように注意事項を重ねる。
「それと、もう一つ……。どうせ柵を越えて行ったんだろうが、そういった事も止めるんだ。ほかの子が真似をしたら大変だろう?」
すると、もう一人の問題児であるトールが、ログの勢いを借りてのほほんと口答えした。
「おっちゃん、平気だって。なんたって此方は、三人もいるんだから」
一人でも手一杯なのにと、門番はさも厄介そうに口端を吊り上げた。
「あのな……。三人だからって、危険なことに変わりないだろう。そうやって、すぐに調子に乗る所がお前の悪い癖だぞ、トール」
次々に注意点が見付かるために、門番の小言も一度切りでは収まらない。
「あとな……。トールだけだぞ、俺をおっちゃんと呼ぶのは。こちらも真似されたら敵わんから、ちゃんと『ローガス』と名前で呼んでくれ」
(ふむふむ……。どうやら此のオッサン、ローガスっていう名前らしいぞ)
ローガスの注意事項を、魔王がフレンドリーに了解する。
「分かったよ、ローガス」
門番が、電光石火の勢いで魔王にブチ切れる。
「黙れ浮浪者! なんで初対面の貴様に、ローガス呼ばわりされにゃならんのだ。つーか、俺が呼び止めた一番の原因は、どう見てもお前だろうが!」
(ムカッ!)
「なんで、僕が浮浪者なんだよぅ!」
不当な扱いに断固抗議を入れてると、田衛文が平然とした声で助言する。
「とりあえず、ソレで合ってるんじゃない? 普通の人からすると、ボク達、二十年も放浪してる事になるんだから」
(納得……。やっぱり、田衛文の言う事は含蓄あるなぁ……)
魔王が無意味な感慨に耽る一方、ローガスは田衛文を指差して、半泣きのみっともない表情で叫ぶ。
彼の人生経験はあくまで対人用のもので、規格外生物の前では全くの素人なのだ。
「おいぃぃぃ! 今、そこの虫が喋ったぞ!」
「ムシって言うなぁ!」
相手がガクガク震えていようとも、田衛文のツッコミは待ったなしだ。
(フフフ……。狼狽えてる×2。どうやら此のオッサン、精霊を初めて見たんだな……)
「クソ……。なんか、腹立つような目で俺を見てる。悔しいから教えてくれ、ニルス。コイツら、いったい何者なんだ!?」
解答を迫られたニルスだが、ローガスの激しい狼狽に気圧されて、言葉がうまく出てこない。
「えっと……。このおじさん、魔王って言ってね……」
ローガスの疑念が、頭の中で激しくスパーク。
常識溢れる絶叫が、天に大きく木霊した。
「なんで浮浪者が魔王なんだあぁぁ…………!!!!」
十分後、ようやく事情を飲み込めたローガスだが、その顔には強い警戒心が残っている。
「なるほどな……。昨日、森から帰った時に言ってたのは、コイツらの事だったのか」
適当にはぐらかされていたのを知って、ニルスは不満そうに口を尖らす。
「あのとき、僕、ちゃんとそう言ったのに……」
「むうぅ、そうは言ってもなぁ……」
チラッと新参者に目を向けるローガス。
一人は、空飛ぶ不思議な小型生物。
もう一人は、如何にもけったいな格好の青年。
これで魔王だ何だと言われた所で、信じてくれと言う方が、どだい無理な話である。
「ふうん……。コイツ等がねぇ……」
彼としては、魔王なんて無茶な設定を信じるつもりはない。
かといって、昨日のニルスへの対応を聞く限り、頭から危険人物だと判断する事も出来兼ねた。
今だって小っこい方は、こちらの視線を意識して、ササッとポーズを取る適当ぶりである。
否、彼女はまだ好い。
とにかく問題があるとすれば、媚びる事を知らないもう一人である。
(むむむ……。無遠慮にジロジロ見るなんて失礼な。ここは年長者として、少しは礼儀ってものを教えてやらないと)
お節介にも、魔王が相手の言葉づかいに文句を入れる。
「此奴じゃないぞ。みんながそう言うといけないから、ちゃんと『魔王』って呼んでくれ」
「真似すんな!」
(あれれ。怒られてしまったぞ?)
ローガスは、魔王の没・社交的な反応に一吼えすると、ウンザリとした顔で本音を述べた。
「あのな、まず初めにハッキリ言っておくが……。俺はどうにも、お前のことが
信用できん」
「ええっ、なんでなのさ!?」
「なんでって、当たり前のことだ。お前が魔王な訳ないだろう」
クスン……。結局、信じてもらえないんだね。
「好いから早く本名を教えろ。でないと、こっちもどう呼んで良いか分からんだろうが」
押し問答が始まりそうな空気を察して、田衛文が2人の会話に割って入る。
「あの、チョット良いかな……」
「お、おう……。なんだい、嬢ちゃん」
まだ、田衛文のことが少し怖いのか、ローガスは、服の上に着込んだ革鎧を小さく揺らした。
その心の隙を突くかのように、田衛文が語気に哀しみを、話の中身に嘘を混ぜて語り始める。
「ある地方では、怖い物の名前を呼び名にするコトで、ソレを克服するって言い伝えがあるの。彼の両親はそれを真に受けて、読みだけはおんなじの『マオウ』って名付けたんだ……」
これこれ、田衛文や……。
その設定、どんな反応を期待してるんだい?
なんか、呆れを通り越して、いっそ感心……、
「なんだか大変なんだなぁ、そいつも…………」
(嘘でしょ。それ、信じるの!?)
魔王の驚きを余所に、ローガスは何やら、『ふぅむ……』と深く考え込んでから、いぶし銀な表情を魔王へ向ける。
「よし。そういう事なら、もう聞かない事にする。なぁに、俺とて鬼ではない」
親切なのは分かったけど、暗にバカにされた気がして腹が立つよ。
このままじゃ悔しいし、こちらも相手の痛いところを突かないと……。
「ヘン、同情なんて要らないやい! おっさんだって可哀想な癖に……」
「おっさんと呼ぶな! それと、なんで俺が可哀想なんだ?」
すると魔王が、確信を持ってローガスの図星を射す。
「惚けたって無駄だよ。なにか悪い事をしちゃったから、そこに立たされてるんだよね」
「ちっがぁぁぁう!! だぁれが立たされ坊主だ! 俺は歴とした自警団の仕事で、この場所を守ってるんだ!」
(しまった……。おっさんの中で、僕の不審者説がどんどん加速して行ってる!)
いっそ話の筋を変えられないかと見回すと、ログがソワソワしてるのが目に映った。
「なぁ、ローガス。そろそろ良いだろう。俺達、コイツらを村に案内しなくちゃいけないんだ。通してくれよ」
ナイスフォローだぞ、ログ。
もちろん、子供一人に頼ませるなんて心苦しい。
僕も一緒にお願いしてみよう。
「そうだ、通せ通せ!」
「クッ、なんて嫌な奴なんだ……!」
ローガスが露骨に顔を歪めるのを見て、田衛文がニコニコと魔王へ近付く。
「魔王~、チョット御免ネ~♪」
「うん? なんだい、田衛も……」
『バリィ!!』 (教育的制裁・電撃パンチ)
「げふぅ……」
お腹に響く強烈な衝撃と痺れ。
この華麗な一発二連撃は、喰らった人にしか分からない。
初手の拳で相手の意識を喪失させておきながら、続けて襲う雷のダメージで、
強制的に目覚めさせるんだから……。
「ま、まぁ、仕方ない……。これ以上、ここに居てもらっても迷惑だしな……」
完全に二人から目を逸らした状態で、ローガスがぎこちなく道を譲る。
お説教から解放された喜びか、ログが晴れ晴れとした声で仕切り直した。
「んじゃ、早く行こうぜ♪」
するとローガスの手が、ログの襟首をむんずと掴む。
「おーっと。常習犯のログとトールは、ここで俺の手伝いだ」
「ぐええ! なんで俺達だけ……」
それでも前に進もうと苦しみ藻掻くログに、ローガスは平然と言ってのける。
「どうせ、お前達の事だから、ニルスをムリヤリ連れて行ったんだろう。だからニルスは、そいつ等の案内で勘弁してやるんだ」
事情をバッチリと見透かされて、トールが力なく項垂れる。
「あちゃあ、バレてら……」
落ち込んでるのは、なにも悪ガキ二人だけではない。
一人だけ罰を逃れた形のニルスが、心苦しさを感じて、ローガスに頭を下げていた。
「あの、ごめんなさい……」
「そう思うのなら、今度からは自分の意思で行動するんだ。リュンだって、きっと心配しているぞ」
魔王と田衛文は、リュンという名前にまったく聞き覚えがなかった。
しかし、少なくともニルスには大切な人らしく、ばつが悪そうにたじろいで、
「あの……。お姉ちゃん、怒ってました?」
と、心配する明確な素振りを見せた。
ローガスは、フッと堅苦しい表情を弛めると、ニルスの頭にゴツゴツとした掌を乗せて、元気付けるように撫で回す。
「いや、今日はまだ会ってない。だから、早く顔を見せに行くと良い」
「ハイ!」
ニルスは元気よく返事をすると、柵の向こう側へと、テコテコと小走りに通過して振り返る。
「それじゃ、マオウのおじちゃんと妖精さん、行こっか?」
「オッケ~♪ 二十年ぶりの人里だし、なんだかワクワクしちゃう♪」
陽気に答える田衛文。
魔王も彼女とおんなじで、村がどうなっているのか興味津々である。
「よぅし、ついに村に入れるぞ~! それじゃ、ログとトールも達者でね~」
去り行く三人の背中に、ログとトールが喚き声を浴びせる。
「呼び捨てにするな!」
「裏切り者ぉ~~!」
(陳腐な捨て台詞だなぁ……)
許可を得て歩き出した二人を、何事か、ローガスが急に呼び止めた。
「おっと、ひとつ聞き忘れてた。えーっと……、浮浪者!」
「魔王っ!」
ムキになって振り向くと、ローガスの幾分真剣な眼差しとぶつかった。
「確か、森で生活をしてるんだったな。なら最近、動物はよく獲れるのか?」
――おっさんの様子が少しおかしい。ひょっとして、村に何かあるとか……?
魔王は、相手の態度にきな臭さを感じながらも、素知らぬ振りで誤魔化した。
「全然……。昔はともかく、近頃は姿も見掛けないぞ。田衛文の方はどう?」
「ボクも最近は、見てないかな……。もしかすると、ココに村が出来たから、群れ全体が、別のトコに移動したんじゃない?」
「………………」
聞き耳も漫ろに、ローガスは、その場で頻りに考え込んでいる。
「で、もう良いかい?」
魔王が聞くと、ローガスは何事もなかったように、二人が通り抜けるのを許可した。
「ん? ああ、済まなかったな。村に入ったら、くれぐれも変な騒ぎは起こすなよ」
「ほーい」
「ハイ、ハーイ♪」
適当に返事をして、ニルスを追いかける魔王と田衛文。
村門から離れること暫し、魔王は早くも、眩暈に似た不穏な空気を背中に実感した。
(危うく忘れる所だった……。僕は魔王。この世界から拒絶された存在なんだ)