6話
早朝、大陸北東部に広がる山裾の森。
魔王と田衛文は、野草と果実だけの質素な朝食を済ませて、日課の食糧調達へと出掛けた。
まずは近くの菜園から野菜を少々……。
続いて、樹上の果物を目当てに小屋から少し離れる。
「隣りのロココ、ロココ♪」
ふと気が付くと、隣りでたわわに実ったミドリンゴをモギモギしながら、田衛文が、何やら聞いた事のある節を口遊んでいた。
ちなみにロココとは、都市伝説の一つ、狩人ロココのこと。
森の中に昔から住み着き、獲物をジッと狙い澄ましている、架空のいなせなハンターである。
どうにも上機嫌な彼女に、魔王がのんびりとした空気で理由を尋ねる。
「おっ、今日はヤケに機嫌が良いね。何かあったのかい?」
「エヘヘ、分かっちゃう? そうなんだよネ~♪」
両手を頬の横で重ねて、身体をクネクネと揺する田衛文。
どうやら本人、乙女チックな照れを演出しているみたいなのだが、普段の凶暴さをよく知る魔王の目には、可愛らしさよりも、わざとらしさが際立って見えた。
(可哀想に……。きっと、変なキノコでも食べたんだろうなぁ)
魔王が浮かべる脳内批判など露知らず、田衛文は嬉々とした表情で続ける。
「最近ネ、森の至るトコロで、誰かサンの視線を感じるんだ。コレは絶対、ボクの魅力に気付いちゃった所為……。ハァ、罪作りなボク……」
「ふんふん、そんな事もあるもんだ~」
(この、自意識過剰屋さんめ……)
すると田衛文が、なにやら意味深なウインクを魔王に送る。
「まぁたまたぁ……。釣れないフリなんかしちゃって。分かってるクセに♪」
「へっ、なんのこと?」
「もうっ……。照れなくっても良いヨ♪ 魔王でしょ、ボクにアツイ劣情を送ってたの」
「ええっ!? そんな訳ないだろう。だって僕は日課のあと、近くの渓流へ釣りに行っちゃうんだよ。田衛文の言う視線って、多分、その時に感じるんだろう?」
『『ガサガサ……』』
田衛文は、不審な葉擦れの音を気に掛けず、ガックリと大きく肩を落とす。
「ウ~ン……。そういえば、そんな気も……。じゃあ、ボクの勘違い?」
期待が大きかっただけに、失望の度合いも一層激しい。
その様子が何だか少し不憫なので、魔王が助け船を出してみる。
「あっ、そうだ。獣とかって線は? 昔、僕の部隊にいた、グリフォンとか狼みたいな奴」
田衛文が、口をOの字に開けて感心する。
「お、おーう……。ソレはアリだネ♪」
『『ガサガサ……』』
うんうん。心配事って、溜めると良くないもんね。僕だって最き……、
『『ガサガサッ!!!!』』
…………ん?
「ね、ねえ、田衛文。その視線ってさ、一体どの辺りで感じるんだい?」
魔王が不安そうに尋ねると、田衛文は頭上にハテナマークを浮かべつつ、記憶を掘り起こす。
「んとネ……。そういえば、確か、この辺りダッタ……」
『ガサッ、ベキベキッ!!』
…………良ぅし。
ここは一つ、状況を整理しよう。
人気のない森の中。
この辺りで感じる(多分、生温かい)視線。
喋り倒しの僕と田衛文。
ガサガサベキベキ音。
そして、獣……。
「お前の所為だい!」「魔王の所為ダ!」
まぁ、仲良し☆
「って違う! 田衛文が、もっと早く気付いててくれたら!!」
「なんでボクのせいなの!? カラダも声も大きい魔王が呼び寄せたに決ま……」
『『ガサリ!!』』
「うひぃ……。僕達が騒いだから、獣は一層、お怒りだぁ。田衛文、こうなったら君の魔法で……」
すると田衛文が、今にも泣きそうな顔で、首をブンブンと横に振る。
「無理ダヨ~。魔王を起こすのに消費して、残りの魔力が空だもん……」
「なんですと!? そ、それじゃあ、僕達は……」
「全、滅……。きゅうぅ……」
「だあぁ! 田衛文、僕を残して先に逝くな!!」
魔王は、空中でスローモーションに倒れる田衛文を抱き留めると、決死の覚悟で知恵を絞る。
「良ぅし……。こうなったら、僕も一緒に気絶して……」
(美味しく戴かれてしまうではないか!) ← 【決死】
田衛文が恐怖のあまり、わざわざムクリと起き上がって叫ぶ。
「イヤだぁ! 死にたくナイ~!」
「ひいぃぃぃ、たぁすけて~」
(この二十年間、命乞いばっかだなぁ。僕って……)
二人が絶望に掌を合わせたその時、叢から『バサリ!』と、二足歩行生物が飛び出した。
「ほえっ?」
不思議そうな幼い声が、辺りの空気を漂白する。
どう見ても、野生動物の類ではない……。
華奢な体格と、筋肉の少ない輪郭。
その上に被さる、洗い立ての毛布に似た柔らかい皮膚。
五本の指にゴツゴツとした節はなく、まっさらと傷もない所が無垢でもあり、
苦労を知らない何よりの証と言える。
せめてもの抵抗にクリーム色の探険ズボンを穿いているが、そんな事では雑草どもの洗礼は免れない。
両者の沈黙から数秒後、魔王の肩がピクンと跳ねて、硬直から復帰した。
「なにやら、小っちゃいお子さん(♂)出て来ましたけど……」
「ホントだ……。デモ、どうしてこんな所に?」
魔王と田衛文は、不思議さに顔を見合わせる。
せいぜい獣がやっとという、この森の奥深くに、子供がたった一人、無事でいられる筈はないのだ。
と言っても、それは二人の勘違い。
大陸間戦争が終結して二十年、先史文明人は、その生活圏を大いに拡大させていた。
従って、二人が潜伏するこの森も、今や深山幽谷の地ではなく、ちょっと遠出をすれば、誰でも来ることの出来る散歩コースとなっていた。
少年は困惑する魔王へ向けて、恐る恐るに口を開く。
「あ、あの……。ぼく、肝試しをやってて、それで、道に迷っちゃって……」
と、その途中、たどたどしい口調の少年が、フワフワと宙に浮く田衛文を目撃する。
「わぁ、本当だ……。妖精って、本当にいたんだ!」
むんずと聞こえてきそうな感じに捕獲されて、田衛文が手足をバタ付かせる。
「チョッ……。勝手に触んないでヨ~!」
田衛文の抗議を無視して、少年が瞳をキラキラと輝かせる。
「凄い凄い! おまけに喋ってる。良かったぁ、此処まで来て……」
あらら……。田衛文のヤツ、玩具みたく扱われてら。
「ううぅ……。魔、じゃナカッタ……。キミもボーッとしてないで、なんとかして!」
呆気に取られていた魔王は、田衛文の呼びかけを聞いて平常心を取り戻した。
「おっと、そうだった。事情を聞かないと……。ねえ、君ぃ。ちょっと良いかな?」
ほえ? と少年が田衛文の頭を撫で撫で、魔王に注意を向ける。
「その……。どうしてこんな所に居るんだい? ここは森の奥だから、うんと危ない場所なんだよ?」
「う~んっと……。それは……」
口を開きはしたものの、田衛文人形(本当は実物だけど)をゲットした少年は、少し怯えた表情となり、そのまま口を閉ざしてしまう。
「ありゃりゃ……。相手の歳が離れてるうえに初対面なんだから、戸惑うのも無理はないか」
魔王は難儀な表情でしばし固まり、やがて明確な解決手段がないと分かると、
長期戦を覚悟で話しかけた。
それから更に数分後、魔王は苦心の末、なんとか事情を聞き出す事に成功した。
少年曰く、数日前、村で有名な悪ガキのログとトールが、森の中を散歩している途中、田衛文を見掛けたらしい。
その後、村に帰って頻りに自慢する二人の話を、『妖精なんて居るもんか!』と、少年は真っ向から否定。
すると相手の二人から、『森が怖いんだろう』と思わぬ挑発を受け、口喧嘩と
意地の張り合いの末、単身、森へと冒険に出掛けてみたものの、結局は迷子になってしまったというのだ。
(う~ん。こいつは飛んだ無鉄砲だぞ……)
忘れてはいけないが、田衛文の身長からすると、少年とは、頭一つ分しか違わない。
本気を出せば、両手の捕獲アームから簡単に抜け出せるのだ。
「んも~う、チョット離して!!」
駄々っ子風に、ジタバタと暴れる田衛文。
彼女がやっと少年の魔の手から逃れると、魔王は早速、相棒と相談を始める。
「ねえ、どうしたもんだろう。田衛文?」
漠然とした問いを持ちかけられて、田衛文は返事に困った。
「ウ~ン、ボクにもチョット……。ダッテ、この子のお家がどっちにあるのか分かんないと、道を教えようがないんだもん」
「えっ? ああ……。それは、そうなんだけど……」
魔王が言い淀んでいると、田衛文がすぐに名案を思い付く。
「そうだ! なにか目印になる物を教えてもらいなよ。そうすれば……」
魔王がまたしても首を振って、田衛文の言葉を遮った。
「否々……。僕が聞きたいのは、そうじゃないぞ」
「チガウの? ……ハッ、まさか食べる気!?」
「違うって」
「ジャア、身代金!?」
(ハァ……。僕って、トコトン信用ないんだなぁ……)
心中、深い溜め息をついた魔王が、声を強めて捲し立てる。
「なんでそうなるんだよぅ。僕が聞いてるのは、一人称は『僕』で良いのかなって事だよ!」
田衛文の表情が、胡散臭さから脱力感へと一気に変わった。
「…………好きにスレバ」
むうぅ、何故だか幻滅されてしまったぞ……。
まぁ良いや。まずは、この子の相手をしよう。
「ええと、迷子になっちゃったんだよね。あのね、実はオッサンねぇ……」
魔王の自称に、田衛文が即座に反応する。
「凄いチョイス! って言うか、ほかに思い付かなかったの!?」
「良いだろう、別に……」
魔王は不満顔で言い返すと、目の前の少年に改めて告げる。
「オッサンね、最近、この森から出た事がないんだ。だから、外の事はよく知らないんだよ」
力になれない事を正直に伝えると、少年は落胆の表情で俯き、小さく呟いた。
「そっかぁ……」
なんてこった。これでは僕の罪悪感が、てんこ盛りに……。
ここは一つ、田衛文が考えた案を採用しよう。
「でも、目印さえ教えてくれれば、大体の位置は説明してあげられるぞ。例えば、昔からある、大きくて凄く目立つ物とか」
「本当!?」
「ああ、任せてくれよ。オッサン、こう見えても色んな道を知ってるんだから」
活気を見せる2人の横で、田衛文が誰にも聞こえぬよう、口の中で小さく漏らした。
「主に、ヒトが通れない道だけどね。魔王ダケに……」
いっぽう、活路が見えたことでホッとしたのか、少年が屈託のない笑みで魔王を見上げた。
「あっ、そうだ! 僕、ニルスって言うんだ。おじさんは?」
首をコテンと傾ける仕種が、実に愛らしい。
魔王は、ニルスの無邪気な風貌に癒されて、ポワポワとした長閑な声で答えた。
「おっさんかい? おっさんはね、魔王って言うんだよ♪」
瞬間、ニルスの表情が急速に凍り付く。
「えっ? ま、おう……」
ニルスの絶句を追いかけて、田衛文の叱責が魔王の耳を貫いた。
「魔王のバカァ! 正直に言うヤツがドコに居るの。折角、それを隠した二十年だったのに!」
(しまったぁ! ニルスがあまりにも自然に話すから、つい爽やかに白状してしまったぞ!)
焦燥感に駆られた田衛文が、魔王の袖を強く引っぱる。
「マズイよ、早く逃げないと!」
「逃げるって、何処にだよぅ……」
「んもぅ!! ソンナの知らないヨ。とにかく、外の連中に捕まりさえしなければ……」
二人でワタワタと狼狽えてるうちに、ニルスの方が先手を打った。
再び首を、コテンと傾け……、
「マオウ? 変な名前……」
「……………………」
沈痛な面持ちを浮かべる魔王を、田衛文が乾いた笑みで慰める。
「んと、フォローし辛いケド……。ネエ、魔王。あんまりクヨクヨしちゃダメだよ。外の世界って、ボク達が思ってる以上に、時間の流れが速いんだヨ。
多分……」
(却って、田衛文のフォローが心に沁みるや……)
うん……。首を傾げただけだった。
なんだろうね、僕の、この二十年って。
(えぇい、こうなったら……!!)
「そいつは酷いなぁ。おじさん、これでもその名前、結構、気に入ってるんだよ」
とりあえず、勢いに乗っかってみました。
だって、実害なしだもんね☆
「そっかぁ、ゴメンネ……」
「別に好いんだよ。ただ単に、そういった名前が珍しいだけさ。それより遅くなるといけないから、早く目印を教えてくれるかい?」
「うん、分かったよ。変な名前のおじちゃん!」
(…………もう、なんでも好いや)
気を取り直した魔王は、ニルスの言葉を参考にして、少年をなんとか村の方角へと送り出すのであった。