5話
同・フェルメンティア宮、北東部。
研究区画に隣接した格納庫内で、魔王が驚きに息を飲んだ。
「これが降下艇かぁ……」
中に入ってすぐ、金属舗装された内壁を背景に、機体の左右に砲座を取り付けた重武装の赤い鉄塊が見える。
小型というものだから二人乗りのボートをイメージしていたが、実際には一軒家と比較しても遜色のない大きさだ。
こんな物が空を飛ぶなんて、俄に信じがたい。
――周囲に人影はない。
魔王は左前方にある搭乗口から、降下艇へと乗り込んだ。
とはいえ、何もかもが初めて目にする物ばかりで、手順がサッパリ分からない。
つい今しがた閉めた機体扉だって、果たしてちゃんと閉まってるかどうかも疑わしかった。
加えて、待てど暮らせど機内食が出てこない。
最近流行りの低価格航空なんだろうか……。
「それで……。まずは何からすれば良いんだっけ?」
魔王が正解を導き出すより早く、田衛文が、瀞流から受けた指示を復唱する。
「確か、端末にキーを差し込むんじゃナカッタっけ?」
「ああ、そうだった、そうだった……。ええっと、端末は……」
右に左に首を動かし、すぐに目当ての物を発見した。
座席のすぐ前には操縦桿。その奥に、計器やボタンスイッチと一緒に、研究室で見た物とソックリな機械が並んでいる。
(こういう風に知ってる物が一つでもあると、なんだか少しホッとするや……)
頗る小市民な心意気でキーを挿入し、魔王が端末を起動させる。
程なくして、小さな画面に瀞流の顔が映し出された。
「どうやら、うまく乗り込めたみたいですね」
「アッ、瀞流だ。いつの間にか、ボクより小っちゃくなっちゃったネ♪」
律儀な性格なのか、ニコニコと手を振る田衛文に、瀞流がいちいち脱力してみせる。
「否、そんなお約束のボケは好いですから……」
「そうだよ、田衛文。小っちゃくなったんじゃなくて、『モニター生物』に身体を改造しただけなんだから」
けど、今度の瀞流って顔デカイなぁ。
なにせ一頭身なんだもん……。
「冗談はそれくらいにして、画面横のボタンを押して下さい」
「ボタンだね、良ぅし」
・右 (赤一色)
・左 (ドクロマーク)
魔王の決断が冴える!
「左かな」
「イヤ、その即答、ゼッタイ間違ってるから」
田衛文の心温まる助言を受けて、魔王が右のボタンをプッシュ。
機体が鈍い音を立てて振動し、座席の肩口からベルトが垂れ下がった。
「ベルトを締めて下さい。飛行経路はこちらで設定します」
端末の映像が、縁の乱れたワの字型をしたサンセベリア大陸図へと切り替わった。
ルートを示す矢印が、画面端の海を越えて更に西へ。
今度は南に折れて、目的地の魔王城へと延びる。
進路設定が完了すると、端末の画面は、瀞流を中心とした研究室の映像を表示した。
「飛行準備、完了です。出発後は、発進記録の改ざんに時間が経かるので、一時的に通信を切りますけど、端末の電源はONのままにしといて下さい」
「ワカッタ、いじんないでおく♪」
スピーカーから小さな警告音が鳴り、格納庫の扉がゆっくりと開く。
フロントガラスの向こうでは、夜の闇が大きな口を開け、二人を外の世界へと飲み込もうとしていた。
少なくとも、発進前に聞く事は何もない。
別れ際、瀞流は沈んだ声で、複雑な心境を打ち明けた。
「悔しいですけど、あなたはきっと、死んではいけない人なんでしょうね……」
モニターの指示に従って、赤いボタンを再びプッシュ。
降下艇は風を裂き、凍てつく夜の闇へと溶け込んだ。
自動操縦に任せていれば、あとは何もする事がない。
暇なのか、それとも今日一日の目まぐるしさに疲れたのか、田衛文は魔王の膝上で冒険着に包まり、静かな寝息を立てていた。
こうして息つく暇を得ると、魔王は漠然と、自身の立場を整理する。
戦いを一方的に棄てた自分。
責任を取るべき自分。
本当なら、死ぬべきなのではないか?
(どうして僕は、わざわざ逃げ出しているんだろう……)
仲間達は手に手に武器を取り、勇者らに死闘を挑んでゆく。
飛び散る剣戟の火花は時間にして短く、数にしては数多。
その幾つもの煌めきに、魔王は未来を視た。
世界は、敗北者に何を与えるか。
――それは、残酷なまでの屈辱だ。
勝者は嘲り、敗者は踏み躙られる。
その先に、一人一人の意志など存在しない。
皆、社会という形のない、しかし圧倒的な化け物に操られ、知性を、理性すらも失ってゆく。
敵とは恐怖。
恐怖とは、対抗すべき存在だ。
対抗存在を消し去らなければ、安息の日々はない。
(けど、本当に先史文明人は、フォルトが恐れるような存在だったんだろうか?)
答えはノーだ。
戦わなければ、フォルトの生活は確実に奪われていただろう。
だがそれでも、彼等は憎悪の対象ではなかった。
(どうしてあの時の僕は、先史文明人を滅ぼしてやろうと考えてたんだろう……)
…………理由は分からない。
ただ一つ言えることは、『先史文明人を滅ぼすべし』という強迫観念に取り憑かれていた事だけだ。
(あのとき僕が勇者と戦っていれば、フォルトは間違いなく戦争に勝っていた)
だがそれは、『見下す側』と『見下される側』を取り替えるだけの行為に過ぎない。
だからこそ、誰かがその連鎖を断ち切る必要がある。
戦いは終わった。
僕が終わらせた……。
そして世界は、敗北者に何を求めたか?
(世界は………………僕の死を求めた)
内向きの思考と疲労感が、運動機能を衰退させる。
やがて魔王は、心地良い微睡みに身を委ねて、うつらうつらと、夢の旅路へと舟を漕ぎ出していった。
明け方、二人の乗る降下艇が、異常な爆発に大きく振動する。
「うわっ。いまの揺れはなんだ!?」
同じく田衛文もあわてて目を覚まし、背後を指差して機内の異常を訴える。
「大変ダヨ、魔王。後ろが燃えてる!」
二人が目にしたのは、後方、機関部と思しき場所からの出火であった。
整備不良のしわ寄せが、一番重要なエンジン部分に集中していたのである。
「クソッ。こんなの、どうやって消火すりゃ良いんだ!」
周囲を闇雲に窺うが、目に留まるのは、ダークグリーンの内壁金属ばかり。
途中、赤い円筒物が見えるが、機械文明に疎い魔王は、それが専用の消火器だとは気付かない。
「そうだ! コンナ時、瀞流に聞けば……!」
試しに田衛文が端末のボタンをいじくり回すが、相手からの応答は返ってこなかった。
「ウソ! ド~シテ何の反応もないの?」
「きっと、この異常事態に気付いてないんだ」
魔王は反射的に操縦桿を握り、機体の安定に心掛ける。
「田衛文、こうなったら自力で不時着させよう。手動操作に切り替えられるかい?」
「ウン、やってみる!」
魔王と違って機械文明と相性が良いのか、田衛文の操作によって、機体がガクンと揺れて手動に切り替わる。
不自然な揺れを合図に、魔王はモニターの指示に従って、操縦桿を目一杯に引き起こす。
だが、上昇するだけの推進力がそもそも足りていない。
機体は見る見るうちに高度を下げて、側面部分の窓に山の尾根が映り込む。
座席の隣りで、田衛文が険しい表情で悲鳴を上げた。
「ウワ~ッ、墜落スル~!!!!」
絶体絶命の状況に、魔王はフッと自嘲の笑みを浮かべた。
――これで良い。これで何もかも帳尻が合う。
やがて機体は山肌を滑り、大陸北東部の森へと不時着した。
「……オウ。マ……ウ、返事をシテ!」
田衛文の呼び声に目を覚ます。
どうやら、まだ生きているようだ。
山肌を滑る減速と樹々のクッションが、機体の損傷を和らげてくれたのである。
代わりに機内は凄い煙だ。
仄かに甘い一酸化炭素の幻覚臭と、吐き気を催すゴムの匂いに何度も咳き込む。
魔王は呼吸が少し落ち着くと、涙と不安で顔をクシャクシャにする田衛文の頭に、掌をそっと乗せた。
「大丈夫だよ……。ちゃんと生きてるさ」
「ヨカッタ……。だって、ずっと眠ったままなんだもん。ホントに死んじゃったのかと思った」
ぐじゅぐじゅと洟を啜り、魔王の胸に顔をすり寄せる田衛文。
煙で黒く濁った空気の中、魔王は不思議に思った。
「どうして君は、僕なんかのために、そんなに必死なんだい?」
田衛文は頭を上げると、顔が汚れるのも構わず、煤だらけの腕で涙を拭った。
「ダッテ、ボクには分かるもん! リンクが有るから、魔王の気持ちが分かるんだもん!」
すっかり忘れていた。思考共有……。
僕と彼女は、魔法の力で繋がってたんだ。
「墜落する直前、このまま死んでも良いかなッテ考えてたでしょ?」
図星だった。
機首を上げようとした時、それがすでに手遅れだと気付いた瞬間、こうして死ぬのも悪くはないと思った。
自分が事故死した裏で、残された仲間達は魔王生存の希望を抱きながらも、フォルトの復権に尽力する。
そして田衛文たち精霊は、姿形の一時的な消滅はあっても、死の概念はない。
魔王からの返事を待たず、田衛文は悲痛な想いを連ねる。
「死ぬって、すっごく寂しいコトなんだよ! ずっと独りぼっちッテ事なんだよ? 戦争ダッテ、魔王だけが悪いとは限らないよ…………」
本当は、自分に言えないその言葉を、ずっと誰かに言って欲しかったのかも知れない。
魔王は泣きだしそうな笑みを浮かべて、田衛文の頭を優しく抱き寄せた。
「君ってヤツは、本当に優しいんだね……」
魔王の賞賛に、田衛文は短く本音で返す。
「もう、独りぼっちはイヤだよ……」
「独りぼっちか……」
思考共有を介すまでもなく、魔王は、田衛文の気持ちが手に取るように分かった。
おそらく彼女は、世界中から嫌われている魔王の心情を、自身が長年、封印されていた過去と重ね合わせているのだ。
(いや、そんなことを考えるのは止そう……)
たとえ、その半分が自分自身にあてた同情であっても、魔王は純粋に、田衛文の心遣いが嬉しかった。
「君のリンクって、本当に凄いや。実際、こうやって生きて行くのに一番、役に立ってるんだから」
田衛文の優しさに、魔王の思考が切り替わる。
こんな状況になろうとも、田衛文と瀞流、その二人だけが運命に抗い、今も自分を生かし続けている。
――抗おう。それが今の僕にできる、唯一つの意志なのだから……。
だがしかし、同胞の期待に背き、一方的に戦いを棄てた罪からは逃れるべきではない。
機体は損壊、端末も故障。
それに加えて、周囲は無人の樹海である。
それでも魔王は、森を出て人里を求めるような事はしなかった。
薙ぎ倒された樹々を集め、持てる知識を余すことなく揮い、降下艇を森小屋へと擬装する。
そして何をするでもなく、ただジッと其処に住み続けたのである。
何故ならそれが、魔王が己自身に科した罰なのだから。
不老不死の魔王でも、精神と肉体が永久不滅というわけではない。
彼は心身が粉微塵になるその日まで、静かに、そして孤独にこの森で生き、果てようというのである。
それが、魔王の生と死を両立させる唯一の償いに思えた。
光輝く森。
そこは美しい光景とは裏腹に、頑なで悲愴な墓場。
言うなれば、時の牢獄であった。
やがて魔王不在の世界に、二十年もの月日が流れる……。