4話
十分後…………、
「はうぁっ!!」
全身に痺れるような激痛を感じて、魔王が昏迷とした無意識の闇から引きずり起こされる。
「ヨカッタ~、ようやく目が覚めた……」
「やっぱり電気ショックが効いたみたいですね」
声の方を向くと、そこには何故か相棒の田衛文と、仇敵・瀞流のホッとした表情があった。
(どうやら僕は、負けてしまったみたいだぞ)
ボンヤリとした思考の中、それだけはハッキリと自覚できた。
「ハアアァァ……。僕はきっと、人体実験の材料にでもされちまうんだろうなぁ」
魔王の深々とした溜め息に、研究用の白衣を掛けた瀞流が、どんよりと表情を曇らせる。
「あの、ずっと前から気になってたんですけど……。その反応からして、僕ってそんなに悪人に見えますか?」
(あれれ? なんだか、急にしょんぼりしちまったぞ)
情緒不安定な瀞流の横で、田衛文が脇の下へと両手を固めて、肩を突っぱらせる。
「モ~、失礼ダヨ! このヒト、せっかくボク達を匿ってくれてるのに」
「へっ? だって今、電気ショックとかって……」
身振り手振りを交えた説明をしようとして、はたと気が付いた。
「あれれっ、まったく拘束されてないぞ?」
手足は元より、体を固定するベルトはおろか、室内には、改造手術さながらの
凶悪な機器も見当たらない。
部屋の広さとしては、ざっと4トール(6メートル)四方といった所か。
ボルトの見えたメタリックな壁は分かるとしても、コタツやぬいぐるみ、本棚に観葉植物と、研究施設にはおよそ似つかわしくない私物の数々が転がっている。
それでも申し訳程度に、壁際一角には、作業用デスクと箱型の機械が置かれてあった。
瀞流は魔王の覚醒を確かめると、気を取り直して、軽い状況説明を始める。
「ここは、フェルメンティア宮・北東ブロックにある僕の研究室。ラウンジであなたと戦ったあと、ここまで運んできたんですよ」
運んできた、という口振りから、通報や監禁といった意図が微塵も感じられない。
(だとすると、僕をどうするつもりなんだ?)
不思議に思う魔王に、田衛文が興奮気味に要点を述べる。
「聞いてよ。なんと彼、ボク達をココから逃がしてくれるんだって♪」
ますます訳が分からない。
瀞流は敵性人種のうえ、勇者を支えた闘士の一人だ。
逃走幇助はつまり、自ら捕まえ、自ら逃がす愚かさに等しい。
(だったら初めから、戦わなければ良い……)
この時ばかりは、ひ弱な青年と成り果てた魔王の瞳に、かつての厳格な王に相応しい、するどい猜疑の光が宿った。
「いったい、どういうつもりなんだい?」
瀞流にも退けない事情があるのか、物怖じせずに理由を語る。
「時間がないので簡単に説明しますが……。僕達 ― つまり、あなたがた魔族が言う所の『先史文明人』の中にも、魔王処刑を快く思わない者がいるんです」
(魔族か……)
魔王は一瞬、魔族という表現に苛立ちを憶えた。
魔族など、この世に存在しない。
それは、彼等が信奉するアルメリア教がでっち上げた怪物であり、フォルトへの差別用語である。
転じて、魔族の王も存在しない。
『フォルト部族を束ねし者、魔法の頂点たるべし』
魔王の名とは、魔法の王を由来とした敬称なのだ。
しかし、敗北種の事情を知らない瀞流は、その点に引っかかりを覚えず説明を続ける。
「それで僕は、他の『勇者候補』に所属する2人から、仲間の1人であるザヴィニアさんと連携して、あなたを逃がすように頼まれたんです」
勇者候補とは、数ある魔王討伐チームの一つを指す。その中でただ一つ、実際に魔王を討ち果たした者達だけが、正式に勇者チームと呼ばれる習わしだ。
敵対種族の魔王にとって、瀞流の説明は、今ひとつ納得できない。
「それで僕を救けようって訳かい? どうにも信じられないなぁ……。田衛文だってそう思うだろう?」
捻くれ気味に同意を求めると、田衛文から思わぬ返事が返ってきた。
「ウウン。ボクだったら、別にイイかなって思うよ」
「ムッ……。なんで瀞流の肩なんか持つんだよぅ」
すると田衛文が、その理由をアッサリとした口調で言ってのける。
「だって今の魔王、すっごく弱いんだもん」
「なっ、なんですと!?」
(酷い……。ここに来て田衛文からのまさかの誹りに、流石の僕もショックを隠せないよ。しかも、弱い事とどうして関係があるのさ!?)
魔王が驚きに固まっていると、非情にもそこへ、瀞流が畳み掛けてくる。
「そこですよ! 気絶してる間に聞きましたけど、あなた、本当に魔王なんですか!?」
「ううっ……。それ以上は言わないで欲しいな」
魔王の哀願も虚しく、何が良いんだか、瀞流が熱っぽく話を続ける。
「いやあ……。僕としても救けるつもりは更々なかったんですが、今となっては話は別です。人魔大戦も終わったし、あなたはもう、人類の脅威になりそうも無いし、僕にとっては最高のシチュエーションです。だからこうして……」
「僕をいじめるために、わざわざ部屋に連れ込んだ、と……」
掛け布団にでも包まって、果てしなく不貞腐れよう。
うん、それが好いや……。
「あっ、その……。済みません」
瀞流がどんよりと反省の弁を垂れるが、不機嫌な魔王の視線は、壁際にギッチリと固定されたままである。
田衛文が重苦しい空気を引っくり返すように、魔王の肩を布団越しにポフポフと叩く。
「ホラ、あんまり落ち込まないの。ココから出る方法を、瀞流が教えてくれるんだって」
「本当にぃ~?」
布団に身を包んだままクルリと反転すると、瀞流が朗らか笑みで頷く。
「ええ。ここにお二人を連れて来たのも、半分はそのためなんです」
これを見て下さい、と瀞流が紹介したのは、さきほど部屋の隅にチラッと見掛けた謎の機材。
他にも、文字やら画像やらがガラス面に映った四角いモニターもある。
「今、この機械が行ってる処理は、降下艇を利用する際に必要な『カードキー』の作成です」
専門用語の頻出に、魔王が一瞬、ポカンとする。
「その鍵って奴で降下艇を動かせば、僕はサンセベリア大陸に戻れるのかい?」
「はい。目的地は、ここから遠くて安全な場所が良いですから、大陸南東部が適切でしょう」
「つまり、魔王城に帰れるって事かぁ……」
すると、モニター画面を興味ぶかく見ていた田衛文が、やおら2人の方へと向き直る。
「でもさ、ソレ、誰が動かすの?」
確かにそれは大きな問題だった。魔王と田衛文では動かせっこない。
だからと言って、瀞流に同行を頼むのも気が引けた。
「心配には及びません。ある程度の座標指定さえすれば、あとは自動で航行してくれるようになってます。なにせ、これから二人が搭乗するのは、最新型の小型要人機ですから」
ただ……、と付け加えて、瀞流が不安要素を重ねる。
「最新型と言うだけあって、現在、出力調整の真っ最中なんです」
「ジャア、飛べないの?」
「いえ、飛べるとは思うんです……。それに他の機体は、先の戦いで全部、出払ってますから」
「だったら選択の余地はないよ。ここで処刑されるよりは余っ程マシさ」
魔王が言い終えるのと同時に、機械から短い警告音が鳴る。
「どうやら、最後の仕上げに入ったみたいですね。ちょっと失礼……」
画面前の田衛文を横にずらし、瀞流が椅子に腰掛ける。
やがて短く操作を終えてから、真剣な眼差しで振り返った。
「良いですか? 今から発行されるカードキーは、降下艇に乗るときだけでなく、フェルメンティア領の各地に設置された、情報端末の利用にも欠かせない物です」
耳慣れない単語を聞いて、魔王が少しだけ不安になる。
「情報端末って……。目の前にある、その四角い箱みたいな機械のことかい?」
「そうですね……。まあ、大体はこんな形をしています。端末を使えば、領内の色々な情報に接触できるうえ、合い鍵を持っている人とも通信できるんですよ」
安心材料を示したつもりだが、機械に不慣れな魔王の頭は、すでにパンク状態だ。
ぽつねんと石地蔵のように固まる魔王に代わって、すぐ横の田衛文が、瀞流の
気さくな呼びかけに答えた。
「フゥゥン……。どういう仕組みか分かんないけど、ずいぶん便利なんだネ♪」
「はい。ですから、今から設定する『使用者名』と『暗号』は、しっかりと憶えておいて下さいね。………………これで良しっと。さあ、名前は何にします?」
すると魔王が、真っ先に思い付くハンドルネームを口にする。
「じゃあ、魔王と……」
「否々……。それじゃ、使用者名から潜伏先がバレちゃいますから」
「おバカだね、魔王ッテ♪」(ナデナデ)
違わい。何気なく振られたから、つい、軽く答えちゃっただけだい!
「ええっと~……。それじゃあ、『‐et』で」
「分かりました。『エト』ですね?」
瀞流が指示通りに入力する間、田衛文が不思議そうに魔王へ尋ねる。
「ネエ、なんで『エト』なの?」
「うん? ああ……。僕の幼い頃の名前だよ。魔王になると同時に、それまで使ってた幼名は捨てるって決まりがあるんだ」
「フ~ン。そうなんだ……」
続いて暗号設定に移り、瀞流がモニターから目を離して、再び魔王へと振り返る。
「で、暗号の方はどうします?」
どうすると言われても、名前はともかく、暗号までは判断が付かなかった。
「それは特に好いや。好きに決めちゃってよ」
「え~っと。それなら、『ファンタジスタ』っと……」
入力が完了すると、二枚のプレートが機械から吐き出された。
「これがカードキーです。魔王さん、一枚はあなたに。もう一枚は僕が預かっておきますから」
「うん。入力暗号は、『エト』と『ファンタジスタ』だね」
ハイ、と同意を重ねつつ、瀞流は壁の収納から、二着の着替えを急か急かと引っぱり出した。
その二着ともに、魔王は見覚えがある。
「まずはコレに着替えて下さい。そんなボロボロの格好じゃ、目立ってしょうが無いですから」
と最初に手渡されたのは、白を基調としたデザインの肩パッドが入った警備服。
恐らくコレで変装して、降下艇のある場所まで行け……という事なのだろう。
そして、もう一着は……。
「そっちの服って、もしかして……」
「ええ。以前、使っていた冒険着です。僕にはもう、必要のない物ですから……」
そう口にする瀞流の顔は、ひどく儚げな空気であった。
彼の冒険はすでに終わりを迎え、いま新たに、魔王へと受け継がれようとしている。
瀞流を覆う翳りの元は、つまる所、自身の冒険の果てに訪れた、魔王逃亡の皮肉さに根ざしていると見て間違いなかった。
(そういえば、どうして僕を逃がそうとする奴等がいるんだろう……)
魔王は迂闊にも、その疑問を瀞流にぶつけることなく研究室を後にした。