3話
広場から北へ北へと離れた結果、二人はフェルメンティアの政治的中枢である
白亜の宮殿、フェルメンティア宮へと迷い込んでしまった。
幸運にも、追っ手は撒いたようである。
しかし、2人の逃避行を表現するならば、たとえ言葉を選んだとしても、絶望的と言って良かった。
此処、蒼空の杖は、遙か上空に広がる岩の大地である。
駆け抜けた先にあるのは空の境界ただ一つで、とてもでは無いが、陸路での生還は望めない。
唯一の救いと言えば、同行する田衛文の魔法力が並外れている事と、思考の一部を彼女と共有できる二点くらいである。
「とはいえ、思考共有も使いようによっては便利なんだろうけど、ここから大陸に戻る手段としては、役に立ちそうもないなぁ……」
魔法とて、空を自由に飛べる万能の技ではない。
空中浮遊や滞空制御のような精密詠唱は、一部の種族を除いて、魔法を極めた
魔王ですら不可能だった。
さらに追い打ちを掛ける事として……、
「な、何じゃあ、こりゃあああぁぁ!!」
通路の壁に付いていた姿見には、ボロ布一枚を身にまとった、いかにも貧弱そうな自分が映っていた。
「なにか変だと思ったら、これじゃまるで、一般市民Aじゃないか!」
ペタペタと全身を触る魔王とは対照的に、田衛文はウキウキとした表情で感想を述べる。
「ドッカ不満でもあるの? ボクとしては、厳ついマッチョよりかは可愛いと思うな♪」
「そういう問題じゃないやい! 道理ですぐに疲れるし、動きも鈍いと思ったよ……」
この分だと、魔法もすっかり使えなくなっている。
原因に心当たりのある魔王は、キッと鋭い視線を田衛文に向ける。
「で、いつからこうなの!」
「ボクが召喚された時には、もう、そんなカンジだったよ。理由はよく分かんないケド……」
「誤魔化しちゃ駄目だよ。九分九厘、君のせいだよね!」
「ウン♪」(ニッコリ)
「微笑んでもダメ!!」
魔王は顔を歪めて怒鳴りつけると、すぐに虚しさが込み上げてきて、深い溜め息をついた。
精霊とは、言ってみれば、高純度の魔力を秘めた思念体だ。
処刑前に捧げた祈りが体内魔力の一斉放棄を促し、強引な空間変調を起こして
田衛文を召喚したのだ。
そのため、召喚魔力を吸収した田衛文は、本来の魔力保持者である魔王と表層意識が繋がってしまったのである。
そうした事情を知ってか知らずか、田衛文は魔王の強い叱責をスルーして、親愛の眼差しを向ける。
「まぁまぁ……。じつを言うと、ボクも魔王に呼び出された御陰で、けっこう助かったんだよネ」
あれれっ……。しれっと呼び捨てにされてしまったぞ?
「ダ・カ・ラ……。御詫びに、コレからずーっと一緒に居てアゲル♪」
「そのずっとって、警備兵に捕まるまでの、ほんの短い間でなければ好いなぁ……」
そのためにも、まずは何処かに身を隠す必要がある。
魔王は通路をすばやく見回して、建物の構造に気を配った。
低い天井と、白塗りの清潔な壁。
微かに鼻をつく薬品臭からして、どこかの研究施設らしい事だけは想像が付いた。
「何処か……。どこかに隠れる場所は……」
通路端にそそくさと身を寄せると、田衛文が何かを発見して声を掛ける。
「アッ。魔王、アレ見てヨ!」
【人がスッポリ入れそうなダンボール】
「おをっ!? あれに見えるは、潜入任務の必須アイテム! これはもう、使うっきゃない!」
凹凸の少ない身体をスポッと潜り込ませると、魔王がホッとした声で呟いた。
「う~ん。なんだか、とても落ち着くや。ちょっと歩き難いけど……」
「でも、コレで姿を見られずに行動できるネ♪」
ちなみに表面には、『要焼却』と書いてある。
姿を見られずとも、二人が危険な事に変わりはなかった。
パイプが剥き出しの廊下を、コソコソ歩いてはパコッと箱化。
危険を感じてはジーっと停止を繰り返すうちに、二人は研究員の憩いの場、ラウンジへと辿り着いた。
魔王には馴染みのない、リノリウムの床とコンクリの柱。
そして、金属板に囲まれた無機質な空間を、数脚の白いテーブルセットが、かろうじて寛ぎを添える。
そんな中、歩くダンボール(魔王と田衛門)は、ゴミ箱の横という絶好の位置を得て作戦会議を始める。
「潜伏はコレで良いとしても、肝心の脱走手段が問題だなぁ……。田衛文、なにか良い考えは無いかい?」
狭いダンボールでは、思うように身動きが取れない。
魔王が首を固定したまま呼びかけると、身体の小さい田衛文は、魔王の肩に手を置いて前のめりに提案する。
「いっそのこと、誰かを人質にしちゃうのはどう? ボク達、ココの事をなんにも知らないんダカラ」
「なるほど……、そいつは名案だね。いざとなったら、そいつを盾にも出来るし」
「デショデショ♪ アッ……。ちょうど、誰か入って来たみたい」
「どれどれ……と、あらら?」
覗き穴から様子を窺おうとするも、さしもの巨大ダンボールも、成人1・5人分では中が窮屈。
魔王がモゾモゾと手間取ってるうちに、侵入者は箱に背を向けてしまった。
「参ったぞ。あの人、椅子に座っちゃったよ……」
手の指3本分のわずかな隙間から見えるのは、上体をベッタリと机に預ける十代男性の後ろ姿。
体付きは警備兵に比べて一回り小さく、白く艶やかな手の甲が機械油でベットリと汚れている所からして、恐らく機械整備の補助員といった所だろう。
いくら弱体化した魔王とて、もうそんな奴なんか、ほんの一捻りである。
しかも相手は、ひどく弱っている様子である。
白衣の男が、陰鬱な空気で弱音をはいた。
「ハア……。何処に行ったんだろ……」
瞬間、魔王の瞳にキラーンと好戦的な光が輝く。
「しめた! ヤツは今、ものすごく油断してるみたいだぞ」
箱ごと前後の位置をカコッと入れ替えて、田衛文が相手の隙を窺う。
「確かに今なら、仕掛けるチャンスだね……」
「うん、慎重に近付いてみよう」
『ズリズリ、ズリズリ…………』 (← ダンボール接近中)
不図、机越しに妙な振動を感じたのか、青年が異変を察知して振り返る。
「あれっ? 今、なにか動いたような……」
『ピタッ!』 (← ダンボール)
「まさか、このダンボールじゃないですよね?」
『フルフルッ!』(← 横に揺れるダンボール)
「ですよね~♪ ハァ……。疲れてるのかな、僕……」
男の気が逸れると同時に、田衛文が小声で魔王に尋ねる。
「ネエ、魔王。なんで今、箱を横に振ったの?」
「ゴメン。自分でも、何故かは、よく分からないや……。でも、これは大チャンスだよ。動く段ボールに疑問を抱かないなんて、敵は相当なマヌケと見たね」
(いったい相手は、どんな顔をしたヤツなんだろう……)
魔王が立ち位置を微妙にずらして、青年の横顔を盗み見る。
『チラッ……』
確認対象: 魔王を追い詰めし勇者達の一人・瀞流=コールナー
ドバーン!!(← 魔王がダンボールを破る音)
「貴様ーっ!! なんだ、その反応は! 『フォルトは、こんな奴にも負けますよ』ってバカにしてんのかーっ!!」
いかに異人種とて、忘れもしないその素顔。
精強極まる魔王軍を打ち破り、大陸間戦争を終結に導いた七人。
そのうちの一人、瀞流=コールナーと言えば、数々の機械武装を駆使し、勇者フィーダを支えたという、フェルメンティア屈指の機甲整備士である。
それが目の前で、この体たらくなのだから、降服・処刑未遂・逃亡の三重苦も相俟って、魔王が怒りを爆発させるのも無理はなかった。
とはいえ、当の瀞流に対し、目の前の不審ダンボールにその自覚を示せ、と言うのは筋違いである。
常識人は、箱形梱包材とは意思疎通が出来ないのだ。
突然かつ至近距離でのサスペンス映像に、瀞流が驚愕の悲鳴を上げる。
「うわぁ~! ダンボールが急にっ、ウワーッ!!」
「なにが『うわー!!』だ。他人の話を聞けぇ!」
それは魔王にも言えることで、横から田衛文の厳しい指摘が走る。
「このおバカぁ!! コレじゃ、今まで何のために隠れてたのか分かんないヨ!」
「そんな事はどうでも好いんだい。どうせ此奴は、今から僕に成敗される運命なんだからね」
状況の読めない瀞流は、黒いオーラをまとう魔王に勢いを飲まれっ放しだ。
「な、なんで箱から出てきた初対面の人に、僕が恨まれなきゃいけないんですか!?」
そう。
瀞流が知っている魔王とは、威容ただならぬ鋭い眼光と、屈強な肉体を持ったかつての姿であって、追い剥ぎに何もかもを奪われたような今の彼ではないのだ。
しかし、当の本人はそんな事にも気が付かず、いきり立って拳を構える。
「ヘン、しらばっくれても無駄だい!」
「うわっ。今度は凄まれた……」
警戒心をわずかに残し、日常会話よろしく、瀞流が魔王に問いただす。
「あの……。結局、あなたは僕をどうしたいんですか?」
むむっ、流石は勇者一行の一人。
もう平常心を取り戻してら……。
「ヘッ、そいつは簡単さ……。お前を倒して、人質にしてやるんだ! 田衛文、ここは僕に任せて、君は辺りを見張っててくれ」
「ウン、それは良いケド……。一人で大丈夫?」
「なぁに、相手も一人なんだ。どうって事ないって」
こうして心配そうな田衛文を下がらせたのは良いものの、肝心の瀞流が、戦う
気配を一向に見せない。
「あの……。どうして僕を人質に取るんですか?」
(これじゃあまるで、他人に道を尋ねるような口調だ。ちょっと危機感が足りてないみたいだし、ここは一つ、挑発してやるのが一番だね)
おっかなびっくりに迎撃体勢をとる瀞流に、魔王が、カッコ良さ重視で挑発をかます。
「フフン……。そいつは僕を倒したら教えてあげるよ」
(おおぅ……。この台詞、一度は言ってみたかったぞ♪)
内心、感動に打ち震える魔王に、田衛文が透かさず警告を飛ばす。
「ダメ、魔王。そのセリフ、死亡フラグ!」
しかし、その言葉を脳内処理するより早く、瀞流が姿勢を前のめりに傾け、
「分かりました……。では、行きます!!」
魔王の懐あたりに、イイ感じの一撃が届いた…………。