2話
歴史書とは異なり、真実、世界には2種類の人類が存在する。
片や、太古の時代に繁栄せし、猿を起源とする人類。
名を、先史文明人。
彼らは、迫りくる災厄から大陸を棄て、西の果て、天空に聳え立つ岩の塊、蒼空の杖へと姿を消した。
片や、人去りし後、各生物より独自の進化をとげた新人類。
名を、フォルト。
新たに大陸原住民となった彼等は、己が種族の掟に従い、地上で静かに暮らしていた。
先史文明人とフォルト。
天地に隔絶された両人類は、そのまま互いの存在を知ることなく、自らの文明を繁栄させて行くかに見えた。
しかし、運命は皮肉にも両人類を邂逅へと導き、サンセベリア大陸の覇権を賭けて争わせる。
やがて、二百余年に渡る『大陸間戦争』は、フォルトの象徴たる魔王の降服により、一応の終結をみたのである。
しかし、全フォルトが屈服したわけではない。
それ故に、時代は尚も血を欲していた。
街の中心に位置する聖堂前広場。
いま其処に、常には設置されていない磔台が用意されていた。
処刑場から見て右奥、石段上の貴賓席で、一人の老紳士が立ち上がった。
灰白色のサーコートを羽織り、まっすぐとした長い顎髭を蓄えた、険しい目付きの男であった。
「これより、魔族の王、魔王の処刑を執り行う!」
フェルメンティア最高評議会・議長、衲衣纓=グランバーテムの宣言が荘厳に響く。
フェルメンティアとは、《蒼空の杖》頂上部に広がる、先史文明人唯一の国家名称。
そして最高評議会・議長とは、彼ら先史文明人の最高権力者にあたり、その頭上には、智慧の象徴たる『円の法輪』が輝いている。
この異国の地へと連行された魔王は、ボロ布一枚に身を窶し、極太の鎖で何重にも身体を拘束され、広場の中央で磔にされていた。
みずからの死を前にしても、魔王は凛然とした態度を崩さない。
(すでに死ぬ覚悟は出来ている……。永き戦いの中、多くの同胞が散って逝ったのだ。ならばその最後を飾るのは、やはり私であるべきだろう)
素足に覚えるは、寒々しい風の感触。
身を包むは、観衆の冷たいヤジ。
施された拘束に何一つ抗うことなく、魔王はジッと屈辱に耐えた。
願う事は、ただ一つ……。
(どうか我等が種族フォルトが、後世に虐げられる事のなきよう祈る……)
黙祷が済むと同時に、議長・グランバーテムの号令が耳朶を揺らす。
「魔導鎚、魔力充填よーうい!」
重低音の振動と共に、大型杭打ち機の先端に怪しい光が灯る。
魔王の体躯に刃は立たない。
魔力を物理的な衝撃に乗せ、圧し削る気なのだ。
魔王は最後に、遠く離れた故郷、サンセベリア大陸に感謝の念を捧げる。
(大地よ、森よ、山よ。この身、この力を産みし母なる大陸よ……。我が身に授かりし全ての恵みを、今、御身に返そうぞ!)
辞世の句を抱いたその瞬間、魔王の願いは、思いも寄らぬ形で叶えられた。
突然、魔王の身体から強烈な光が迸り、体内魔力が暴走を始めたのである。
「な、なんだこれは……。私の身に、いったい何が起きている!?」
異変は光だけに留まらない。
制御を離れた魔力は大気をも震わせ、やがては広場全体の地面を隆起させる。
混乱、悲鳴が凄まじい。
まるで空間そのものが圧壊するかのようだ。
止まる事を知らない地形の変容が、警備隊長の脳裡に警鐘を鳴らす。
「イカン! ヤツめ、自爆するつもりだ。ただちに魔導鎚を起動しろ!」
「ダメです。魔導電流が暴走して、まったく操作を受け付…………」
制御技士が報告を終えるより早く、閃光と衝撃波が広場を駆け抜けた。
……魔王は見た。
眩い光の中に浮かぶ、黒き翼を広げた少女の姿を。
「き、君は……?」
翼持つ精霊は、ノイズ混じりの幻聴を交えて柔らかく微笑む。
「ボクの名前は、田衛文。反……のつ……。精霊の田衛文……」
――それが、僕と田衛文の初めての出会いだった。
世界が再び色を取り戻した時、目に映ったのは、機能を失った文明の残骸と、折り重なるようにして倒れた大勢の見物人の姿だった。
無事なものといえば、惨事の中心で呆ける青年と、田衛文と名乗る一体の精霊のみである。
ウン……と小さく喉を鳴らし、周囲をいったん見回してから、田衛文が魔王に話しかける。
「ネエネエ、コンナ所でボーッとしててイイの? キミ、殺されちゃうヨ」
至極真っ当な意見だが、広場を埋め尽くす暴威の跡と、いきなり出現した不思議少女の存在に、頭がうまく働かない。
「えと、その……。なんで君、僕が処刑されそうな事を知ってるんだい?」
魔王が不思議そうに尋ねると、目の前の少女は、辺りをキョロキョロと見回す。
「エッ、そ~だったの?」
あれれ……。なんか、話が噛み合ってないぞ?
「だって今、自分で『殺されちゃうヨ』って、僕に教えてくれたじゃないか」
「ウン……? ああっ~!!」
田衛文が掌をポンと軽く打って、言葉の意味をようやく理解する。
「君のコトじゃなくて……。ボクが言いたかったのはコッチの事だよ」
田衛文はパッと明るい笑みのまま、ニアピン廃墟な光景を指差す。
「コレ、全部キミのせいって言われるよね。多分……」
「ヒドイ、僕は無実なのに!」
「ソレで皆が信じてくれると思う?」
不安を感じる魔王が、右・左と周囲の状況を確かめる。
率直に考えて、言い訳は不可能だ。
仮に犯人だと思われなくても、重要参考人として拘束されることは間違いない。
非人道的な扱いを予想した魔王は、しょんぼりと肩を落とした。
「…………そ~だね」
そうして二人でまごついてる内に、一人、また一人と意識を取り戻してゆく警備兵たち。
周囲で徐々に高まる物々しい空気に、小市民の魔王がパニックを起こした。
「ど、どうしよう。このままじゃ、僕は凶悪犯罪者になってしまう…………と思ったら、僕はすでに、魔王という名の凶悪犯罪者だったぞ♪」
(なら、問題なしっと……)
ホッとした顔で自己完結すると、田衛文が間髪入れず、魔王の襟首を掴んで心の声にツッコミを入れる。
「問題大ありデショ!! バカなこと考えてないで、さっさとココから逃げるヨ!」
「えっ? あっ、ちょっと……。そんなに引っぱらないでよ。自分で走れるってば……」
半ば引きずられるようにして走りながら、魔王は不図、不思議な事に気が付いた。
どうして彼女は、自分の考えている事が読めたのだろうか。
そして、もう一つ。
一体いつから、自分の一人称は『僕』になっていたのかと……。