とあるエルフの慟哭
昨日、友が死んだ。
身命を賭して国を救い、戦場を駆けた英雄の死に国中が涙した。王は英雄の安寧を願い、小高い丘の上に墓を建て、鎮魂の守としていくばくかの木を植えた。
「愛されてるねぇ。相棒」
月が高く上った夜更けに、俺は友の墓を訪れた。石碑の隣に座り込み、秘蔵の火酒と燻したチーズ、干した木の実をつまむ。
静かな風が草花を揺らしていった。
眼下に望む街並みは暗く森閑としていて、まるでこの世界にたった一人で取り残されてしまったかのようだ。頼る者も、守る者も、すがる者もなく。ただ、ひとり―――。
「けど―――」
とうの昔にわかっていた。未だに慣れない、この不安と恐怖と、えもいわれぬ喪失感を味わうことになるのは。
「お前と出会って6……70年か。長いようで短いような。いや、やっぱり長かったな!」
自然と笑みが溢れた。断言できる。かれこれ数百年生きてきて、1番長い70年だった。
親に売られて奴隷に落ち、命からがら脱走し冒険者となるも、かつての因果からは逃れられず大切なものを全て失った。自棄になり死を選ぼうとした、その矢先。
友に出会った。
「そっからはもう!厄介事の連続だったよなぁ!姫さんの誘拐にドラゴン退治、隣国と戦争して……あ、あと王権争いにも巻き込まれて。くははっ。でもまぁ結局、お互い無事に生きて、お前は美人な嫁さんももらって子供もできて優雅な余生も謳歌したんだから、大したもんだよ」
雲が流れ、月色が翳る。重みを増した夜風が翡翠色の髪を弄んでいった。
人間である友と妖精種の自分とでは、どうしたって命の時間は違う。友に己の剣を預けると決めたあの時から、この日が来ることを覚悟していた。そして、それは友も同じだったのだろう。ツマミを入れて来た麻袋を探る。薄くカサついた感触を引っ張り出し、空にかざした。こんな暗闇の中でも、狩人として鍛えた瞳は難なくその手紙を読みあげる。
―――"相棒たる我が友へ"―――
表書きはそれだけ。裏返すと金烏を象った封蝋が丁寧に捺されている。老衰により寝たきりとなってからは、こんなものを用意する体力などなかったろうに。手紙を宛てられていそうな奴の顔を思い浮かべ、その数の多さにため息が出る。本当に変なところで几帳面なやつだ。
ナイフを抜こうとして、自分がいつもの服装ではないことに気づく。当然ナイフもない。小さく苦笑し、手で封を切る。中には便箋が1枚。
___"悪いが少々先に行く。お前はあとからゆっくり来い"___
遺書と呼べるのかさえわからない、メモ書きのような短い1行。
ところどころ震えて掠れたような跡はあるものの、昔からかわらない流れるような文字だった。
「……余計な、お世話だっての。言われなくても、あと千年は逝かねぇよ……っ」
風がやむ。
震える長耳に、ぽたりと夜雨が降り始めた。
それから幾度も季節が過ぎ、あいつ以外の友人も仲間も、その子供も孫も曾孫も玄孫も……とうに見送った頃。清々しい春の日差しを連れていつものように丘を上る。英雄のために植えられた木々はゆっくりと根を伸ばし、今では丘の背を覆う程の雑木林に成長した。踏み均された林道口にある碑は、昔の輝きを失うことなく木漏れ日をはじく。
さわさわと揺れる葉の音が心地いい。微睡むように目を閉じ、ゆっくりと息をする。遠くから焼きたての香ばしい匂いが流れてきた。薄目を開けてみると、赤レンガの煙突から細い煙がひとすじ立ち上っている。あと数刻もしない内に街は目覚め、活気あるざわめきが風に乗ってこの丘を走り抜けて行くだろう。
ふと、指先に硬い感触が当たった。ベルトから提げている短剣だ。唯一身につけてきたそれを撫で、友の墓を見据える。迷いはなかった。黒馬革の鞘に擦れた刃が鳴る。一瞥もせず、逆手にひらめかせ全力で振り下ろす。耳を貫いた激しい打突音。つかの間の静寂。鈍い痛みを訴える右手をあやしつつ、口元にニヤリとした笑みを浮かべる。
「どーよ、完璧じゃね?俺芸術家としても生きてけたかもなぁ。優秀すぎる己の才能が憎いわ」
乳白色の台座に埋まった一振りの短剣。艶を帯びた漆黒の鍔柄が垂直に立ち、かつて自分の渾名の由来にもなった深緋色の美しい剣身がわずかに覗く。その様はまるで貴婦人を彩る宝石。石碑と剣と木漏れ日が誂えたかのように納まっていた。
「俺の剣はとっくの昔に、お前に預けたからな。平和なそっちじゃ必要もねぇだろうが……。ま、邪魔じゃなけりゃ貰ってやってくれ」
これで後顧の憂いは無くなった。
麻のシャツにズボン、革のブーツ。質素な装いではあるが、年寄り最期の散歩にはちょうどいいだろう。
雑木林へ踏み込んでいく。木の枝をくぐる毎に心が、身体が、自然にとけていくのがわかった。木々とひとつになる間、ただの一度も振り返ることはなかった。
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「ねえ、しってる?」
カーテンレース越しの光がまどろみを誘う。
「なにを?」
「"えいゆうのもり"のはなし」
「とりでのそとにある、もりのこと?」
「そう!」
真っ白なシーツの海で少女は笑う。
少年はコテリと首をかしげた。
「あのね、パパにきいたの。もりのおくには、あかいけんがささったせきひがあって、そのけんをひきぬくと"せいなるけもの"がどんなねがいもかなえてくれるんだって!」
赤い瞳が瞬く。
「……なんでも?」
「なんでもよ!あまいおかしも、ステキなおようふくも、すっごいまほうだってつかえるようになるんだから!」
「でも、もりはあぶないからちかづくなって、かあさんが……。それに7さいにならないと、とりでのそとにでられないんだよ」
「まものがたくさんいるからでしょう?しってるわ。だから7さいになったら、ふたりでもりへさがしにいくの。ね、やくそくよ」
「……うん、いいよ。やくそく。」
そう言って、2人は小指を重ねた。
「ふふっ、きまりね。ねぇ、もしほんとうにみつけられたら、なんておねがいする?」
「え?……ぅうん」
「わたしはね、おしろにつれてっておねがいする!フワフワのドレスをきて、クルクルまわっておどるのよ」
「ぼくは、そうだなぁ……」
「?」
「ぼくは、――――――――――――。」
少年の言葉は光にとけた。
蛇足 : 種族図鑑 P169
【ハイエルフ】
妖精門妖精属妖精科。エルフの森の泉から生まれるとされ、泉に帰属する精霊属精霊科ではないかという説もある。頭髪・虹彩ともに翡翠のような緑色をしており、姿形は人族と酷似している。耳が異様に長い。寿命を迎えたハイエルフは大地の輪廻へと還り、消滅することなく聖霊へと転生すると言われる。稀少種族のため歴史上でも3体しか確認されておらず、詳しい事は何もわかっていない。
補足→活動報告:
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