第十話 更けゆく空の下
手伝うと、は、かすれた声、松明の赤を入れた目の色、光が、レイショウ様に宿っている。
「兄上が、ここに来られる様に仕向ける、その時に死んでおれば良い」
その言葉に、サッと青ざめられたレイショウ様、戸惑う表情のお方様に、バム様がお近づきになられる。そして黒い薬の包を手渡す。上手くお使い下さいと、言葉を添えている。
「こ、これは?上手く使えとは………」
「後で、墓場から掘り出してやる。そういう物だ、母上様が調合された故、なんの心配も要らぬ」
その言葉を聞き、そして手に乗せられたそれを眺められ……、上を向き、瞑目をし………そしてゆるりと、石造りの床に平伏された。
一言 一言 意志を込めて答えられる。
「わかりました。三の妃様からのご配慮に報いる為にも、クシャル様のご期待は、トウ・レイショウの名前にかけて、裏切りませぬ」
………外に出る。倒れていた牢番は、既に片付けられ、別の人間に変わっていた。私達に丁重に礼をとる、ここに先に来ていた彼の姿は、主と共に既に無い。
「お待ちしておりましました、参りましょう」
ドイ様がその場にいた。私はここで別れた。クシャル様とバム様は、その場所へと、私はドイ様とある場所に………、グッと気持ちを締める。気にしてはいけない。
あの時の片目に、かすかに呼ばれた名前に、惹かれてはいけない。それはもう…………、忘れた記憶の名前と、優しい笑顔。どうしようもない、彼を想うと、自分の行動を振り返ると、どうにも出来ない。
歯を食いしばり、苦く熱いモノ飲み込んていった。
そして、ごめんなさい………、と謝る。それしか………出来ない。
「第一王子様は、今宵は共に参られておらぬ、だからおびき出す。そなたはここに疎いが、私が導く故それに従い走れば良い」
ドイ様と暑さから逃れる為に、外からの砂埃を防ぐ為に、連ねて植えてある植栽の中を進む。手入れはされているが、大小様々な木々が植えられている為に、空からの月明かりは、足元迄は照らす力は無い。
前も、後ろも、右も左も、木立の中は、とろりとした闇の中。
シッ!来られた、と鋭い視線を、木立の向こうに向けるドイ様。そして小声で指示を出される。
「いいか、捕まるな、惹きつけた後、つここに戻れ、そして走れ、耳が良いと聞く、鳥の声が導く」
頷きかな、同意を示した。乾いた唇をなめる。その時に備えて息を吸い込む、建物から出てこられた第一王子様のお姿。一人でも構わぬと、館に向かい声を出している………。篝火が、炊かれている事と、遮るものが無い空の下では、月の光も広く明るく漂う。
明るい、美しいな、と一人ごち空を見上げた後で、大きく一歩を踏み出し、館から離れ、潜むこちらへと近づいてくる………。
一歩、二歩と数え見る姿、肩をいからせて歩く、第一王子様。時を計るドイ様、私の青に気付ける距離、近すぎず、離れすぎない、それを数えている。そして!
立ちで傍らにいた私の背を、ドン、と強く押し、しげみの外に放り出した!始まる時。
私はざっという音とともに、地面に座り込む様に、姿を表す。突然現れた、女物の布をまとった人間………それに誰?と鋭く、こちらを見る第一王子様。
離れているとはいえ、松明の灯りを掲げてこちらを注視する。月の光がそれに加勢する。私の顔をまじまじと見る。ヨロヨロと私に惹かれる様に近づく。
立ち上がる、それらしく、ゆるりとした動きで立ち上がり、こちらに向かう視線に合わせた。私の青のいろ。
「サリアと同じ色ね」
三の妃様の声が蘇る。立ち止まる、身をふるふると動かしている。震えている。何かを思い出している、
そなたは………!その、その目の色は!ま、まさか生きて!との声が上がる、手にした灯りを投げ捨てた、ぼぅと燃える音がきこえた。
そしてカッと!目を見開き、私を凝視する第一王子、そのままに、ズガズカと、こちらに向かって来る。館からそれを聞きつけた者たちが、次々と外に出てきた。
捕まってはならない………その意味がわかる鬼気とした表情、私は身を翻し、脱兎の如く繁みに戻り、指示された方向へと向かう、それを追いかけてくるのは………当然の成り行き。
ただひたすら前を見て駆けた。身にまとっているそれを、からげ持ち、胸の前握りしめて、走る。駆け抜け、振り返らずに、走り抜ける。
ピュイ、ピュイ………闇の中から小さく響く鳥の声。それに従い、おいかけていく。
方向はあっているのか?分からないが、時に木々の小枝に切裂かれぬ様に避けながら走った。命を果たすために、駆け抜ける木々の中。
「森へ逃げろ」
途切れとぎれに残っている、赤い月夜に逃げた、逃げ惑った日の記憶。消えることが無い過去の思い出。声が聴こえる。
「逃げなさい!早く!早く!」
この声は多分父さん、朧な声、それに重なる、あの隻眼の男の残されていた瞳。それに出るな!と押し込める過去の記憶と、気持ちと、今見た光景。
私は逃げなければならない。あの時の様に捕まっては、ならないのだから………。後ろを振り向く、王子と少し距離を保たれている。
ピュイ、ピュイ、鳥が鳴く、ガサガサと音を立て、べきぺきと小枝を踏みしだいて、鳥が鳴いていた。
そして不意に私の腕に、通り過ぎる大きな木の影から、強引に引く力がかかった。私は、グイと引き寄せられ、倒れ込む様に、誘われた陰に入った。
誰だ?と、その力の元を見上げれば、先に別れたバム様の笑顔がそこにはあった。良くやったと目が褒めてくださっているのが、夜目に慣れた今、ぼんやりとだが分かった。
息を潜める、走って来たので鼓動が大きい、聞こえるかと思うほどにそれは高まっている。
「よくやった。時もおうた。おそらく………上手くいく。声を立てるな、わかったな」
バム様が指示を出された。息を整えながらそれに頷き応えた。どくどくとした、強く叩くような心臓の音が、外に漏れそうで怖い。
バム様が私の布地の色に気が付かれ、ご自身のまとわれていた黒を、私に被せて来る。自然に身体が動いた。出来るだけ身を低くする。もし見つかれはどうなるのか、
…………ガサガサ、ザザザ、ざわざわ………ジャリジャリ、ジャリジャリ、パキ、パキ………ズッ、ジャッ!
風が揺らす枝葉の音に混じり、落ちた小枝を踏みしだく音が、立ち止まり苛立ちを含んだその場を踏みにじる音が、耳に流れてくる。
息を飲む気配が頭の上からした。目に入る力が入られたバム様の手、来た……声?クシャル様と………何処かで聞いた様な、甘くあまえるような媚を含んだ女の人の声音と、濃厚な香の薫りが鼻につく。少し顔を上げて見る。
するとあろうことか目の前には王子の背中がある。しかしはりつめた何かをまとわれ、月夜に照らされ、篝火が焚かれている庭を、全てを忘れたかの様に、一点を眺めておられるご様子。
……大丈夫か?闇の中の私は………少しだけそれを外すように、気配を殺して位置をずらした。
「まぁ………このような時間に、どうされたの?御用があるの?夜風が冷たいというのに………バムは?居ないの?」
あ、れ?この声………そしてお二人が相対するこの姿………何処かで見たような、とざわめく物が湧き上がる。何処か………ここではない、そう………思いを巡らしていると、目の前から、母上?との声が小さく上がった。
「………父上に、お目にかかりたくて………抜け出して、こっそりと来てしまいました」
…………どきん、とした。頭一つ小さなその人を、見つめ、囁く様に話している笑顔のクシャル様、その声音、顔を晒して月夜に映えるその姿。
「まぁ………悪い事を、ほほほ、貴方らしいけれど。成人の儀間近に迎えられ、ご立派になられたわね、王の覚えめでたいクシャル、此方に来られるのを、楽しみにしておりますよ。貴方も私の大切な………ふふふふ、愛しいお子ですもの、ね」
「ありがとうございます。お后様には、そう………何時も優しくしていただき、兄上に知られると………怒られそうです。それよりお顔のお色が、この前出会った時より、お悪いですが、大丈夫ですか?」
側使え者達が控えている事と、正殿近い場所でもあることから、当たり障りの無い会話が、繰り広げられてはいるが、妙な親しさと媚が込められる会話。
………母上??何だ?親しげ、な、覚えが良い父上に………われは言われた事など無い、王宮に身を置いていない!粗野な育ちの者が良いと?どういう事なのだ!我は何も知らされて居らぬ!第一王子のわれが………!
ふるふると震える背中が目の端に入る、それに伴う声も………何かに裏切られた様な、何かを悟った様な、それは己の信じていた世界が、広がっていた未来が………違っていたという事を、知ってしまった絶望が込められている。
「夜も遅いわ、明日にしなさいな、王はまだ大丈夫ですから………、ありがとう、気を遣って頂いて、そう、少し疲れたのかしらね」
辺りには夜警の為の兵士の姿は無い、人払いがなされている。お后様のお付きの者が数人、私とバム様、そして王子、ドイ様もどこかにいらっしゃるのだが、その気配は読めない。
「早くお帰りになられたほうが、風が冷えてきました」
聞いたことも無い、優しく儚げなクシャル様の声。それに甘える様な素振りで言葉を返すお后様。
「ええ、そう、ね、夜風が冷たいわ、少し冷えたようよ、ねぇ、貴方も、お身体が冷えたでしょう。我が館にいらっしゃいな、温まってからお帰りなさい」
甘い言葉、それには妖艶が含まれている、やがて、帰りますよ、と声を立て、クシャル様と、熱く視線を交わしてから、その場を立ち去るお后様………
ふっと肩の力を抜かれるクシャル様のお姿。目の前の、第一王子様は、固く力を込められておられるのか、ブルブルと震えて………、そして、館へと向かった姿が見えなくなった時。
「どういう事だ!説明しろ!」
憤った声が、辺りに響く。




