序章
この作品は《檸檬絵郎様》主催企画《魅惑の悪人企画》参加作品になります。
序章、最終章含めて十一話数完結予定、増えることはありますが、減ることはありません。先が長いので徐々に魅惑の悪人を探して下さい。何処かにいます。
ある世界、ある時、ある国………そこに白亜の王宮がある街、市中は、褪せた赤い色の石造りの建物が立ち並ぶ、灰茶け踏みしめられた土の道。
行き交う人々は強い日差しから身を守るために、色とりどりの意匠を凝らした布を身にまとっている。外出の折には男も女も、大人も子供も、頭から一枚の布をすっぽりと被る習わし。身分の差を一目でわかる習慣
綺羅びやか布、華やかな布、敢えて漆黒にと、意匠を凝らす物、そして染の無い無骨な白の布、持てる者、持てない者、様々な人々。
国を守るは砂の海、砂の風、神がその地に舞い降りられ、枯れぬ泉を与られた、さやさやと、砂ナツメの葉が生い茂り揺れる。
砂の海を渡るキャラバンの通過点、様々な品と人が混ざり合う国。駱駝に馬、羊に山羊も、乳を出す牛も………香料、穀物、野菜に果物、塩漬けの魚、燻製の肉、花に、赤い酒に白の酒、細工物、金銀宝玉、珊瑚玉、家畜に武器に奴隷、ありとあらゆる物が集まり、売り買いされる街。
雑多な喧騒は国の繁栄、裕福な国は諸国から厭われる存在。今日も隊を組み、前線に向かう兵士の姿がそこにはある。太鼓の音に背を押され、男達は見送る者達もなく死地へと向かう旅に出る………。
彼等は奴隷兵士、攫われ連れてこられた、異教の国の者達。
青い空を見上げる彼等、そこに見えるは、故郷と同じ青が広がる………、そして、流れゆく白い雲。千切れ筋を引き、風にのり漂う。そして彼等達は思い出す。
別れた家族の事、焼かれた村の事、断ち切らねばならない世界………ざっと風が吹き、砂埃が舞上がる。ジャリとしたそれが、歩き始めた兵士達の口内に入り込む。
………現実を飲み込む、ここは……優しい緑の風が吹く森の木立や、草原に囲まれた村ではない。風が吹けば、花の香りが、立ちあがり、緑の葉が優しくゆれる国ではない。
砂の海に囲まれ、砂の風が吹く、太陽の時は灼熱の、月夜の時には寒冷の………風が吹き抜ける異国の地。
………空の色、金糸の刺繍、鮮やかな衣装を着た子供が、拙いながらもつまることなく、難しい経典を読み上げている。それを真摯に聞く母親、ここは西の三の館と言われる小さな建物。壮大かつ華麗な宮殿に作られている物の一つ。
敷地に沿い植えられている、大小様々な緑の木々に囲まれた王宮は水路を張り巡らせ、泉を作り、至るところに花を、潅木を、木々を配されている為に、灼熱や、砂の風が幾分和らいでいる別の世界。
「母上様、上手く読めたでしょうか?大丈夫でしょうか?神官様の様に上手くいきません、」
長いそれを読み終えた彼は、ふう、と吐息を漏らすと、母親の顔を見、不満気な表情で問いかける。生真面目な彼はこの国の第三王子、明日7歳の祝を迎える者。
「そうね、まだまだです、抑揚、節回しなどなどあちらに行かれたら、いちから学びなさい、ここの暮らしは忘れるのですよ、もう王子では無いことを、まず心にとどめなさい」
それをまた生真面目に応じる母親、第三の妃、人目を引く風貌を持ち得ていない彼女、そんな妃は、館をを賜る他の妃、それと産まれた身分が高い事により、后とされている者から、その容貌を暗に揶揄されていた。
お美しくは無いけれどお美しく見えるお得なお方………
そう、王が愛したのは、彼女が持っていた深い洞察力ときらめく才知だから、対していて、話をしていて、面白い、そして………時には助けになると、重用されている女性であった。
それがまた、嫉妬の引き金をひく、狙われる我が子の命、我が身の危険。穏やかな気性に育ち行く我が子の行く先を考え案じ、早々に王籍から離れさすことを、選んだ彼女。
賢いお前が考え抜いた事だから許すが………お前はここに残るように、我の側にいてほしい………、母上様もお前の事は見込んでらっしゃる故。
心の底では、自身もここを出て神に仕える暮らしにと、考えていたのだが、王に頭を下げられ、皇太后の名前を持ち出されれば、それを押してまでは出来ない事。諦めて、王宮に残ることを承諾した三の妃。
私は出れない………ここから、ここに来たのも運命だと思った。才知しか無い私が選ばれた。そしてお子を得て………今度は残れと言われる。お手つきになっても、一時の栄華の世界。
次々に変わる女達、流れる赤子、死ぬ子供。他国にやられ、長じて他国に嫁ぎ、他国で死ぬ王室の者達、即位に絡む骨肉の争い、他意が無い様に、籍を抜いておかねば巻き込まれ、消される新たな王の兄弟達。
その子達もそれが定め。この閉ざされた世界に生を受けた、そう………神から決められているのでしょう。ならば私もそれに従う、ここで生きて行く………堕ちたりはしない。
外に出る私の子供の為にも、先を目指す、結局最後は、出自が物を言う、親の身分が子供の行く末に立場に、物を言うのだから………
別れが近い我が子を眺めながら、彼女は強く心に誓う。
さあ……母様のところにいらっしゃい、と手にした経典を大切な宝物の様にそろりと、父親である王から賜った小箱に片付けている彼。その手元のそれは、東方から献上された逸品、螺鈿で細工され、金泥銀泥、色漆で美しい花々が描かれている。
「もう、大きいのです、ここにいるのならば、祝を終えれば、別棟に住まうのです。ちゃんとお側仕えのお人が来るのです。そりゃ、まだ成人の儀式じゃないけど、でも、ちょっと大きくなるのです」
気恥ずかしく思うのか、口多く他愛のない事を話ながら、錦の布でそれを包みつつ、照れ臭い笑顔を別れが近い母親に向ける。その姿に目を細める母親。
「そうね、心配はしておりません。貴方ならきっと大丈夫ですよ。それにここを出て、離れていても貴方の母は私、父はこの国を統べるお方、先程ここの暮らしは忘れる様に言いましたが、出自は忘れてはなりません、その事だけは………忘れてはなりませんよ、わかっておりますね。他人とは、対する人間をそういう事で見る、計るところがあります、育ちを疑われぬ様、自らを律するですよ」
母の教えの言葉を、しっかりと頷きながら聞きとめる彼。開け放たれた扉から、風が吹きこんてくる。親子の優しい時。では………お茶を飲みましょうと座っていた椅子から立ち上がると、我が子の為に、運ばれている甘いお茶を手ずから茶器に注ぐ。
「今朝方、離宮から貴方にと、祝の品と菓子が届いたの。貴方がお好きなお菓子よ、もうすぐ産まれるというのに、あの子も何をしているのやら」
少し動いた方が良いのですと、先日訪れた折の出来事を思い出しながら、器に入ったそれを差し出す。様々な形をしている甘い焼き菓子は、四の妃の得意な物、縫い物に刺繍、そして菓子、母から教えられましたのと微笑む、穏やかな姿が目に浮かぶ三の妃。
「おいしいです、母上………でもあちらに行けば………食べられなくなるのですね」
ほろほろとした口触りの良いそれを、口に運びながらその年の子供らしく、幾分気を落として寂しげな顔をする。それに対して、そうね、今の様にはいかないけれど、文と共に送りましょう、作り方を習っておくわ、と優しく話す。
「…………母上がお作りになられるの?」
母の言葉に不安気に返事を返す。まぁ………そのお返事は、どういう事ですか?と即座に受ける母。彼はにこにことしながら、こう答えた。
母上は縫い物をすれば溜め息ばかり………指にはお怪我をなされます。三の妃様は、縫い物も刺繍もとてもお上手。この上着も、外出の布の刺繍も、皆作ってくださいました。我はちゃんと見ております。と菓子を手にしながらあどけなく話す。
「あら………手伝って頂いていたのを、知ってたのですか………」
「はい、我も簡単な縫い物は出来る様にと、教えて頂いてたのです。母上より真っ直ぐに縫えていると、合格ですよ、と褒めて頂きました、そしてお菓子も我は作れるのです」
時折あちらに行っていると思えば、その様な事を習いに………そういえば私もあちらに行った時に、何やら笑われましたけど、はぁ、何故なのかしら、真っ直ぐ進んでいると思えば、気ままに動いているの、おかしいわ………と情けなさそうに話す。
「でも、母上は先程、習って我に送って下さると言いました。ちゃんとお聞きしました、あちらで待ってますから、頑張ってください」
にこにことしながら、甘いお茶を飲む。もう………そういう意地のお悪いところは、お父上にそっくりです。そう………獅子の刺繍、ああ!何故に獅子に見えないのかしら、ねぇどう思います?と、編み細工の籠から、途中迄縫い取りをしてある布を見せると
「………猫?それともおとぎ話に出てくる動物ですか?母上……これは違います、獅子ではございません」
「ええ、貴方の父上にも、しっかりとそう言われました。何故かしら?意匠をちゃんと、絵師に描いて貰ってるというのに………私も見えない」
なんとかしなくてはね、と笑いながら、それを片付けていると、騒がしい風が開け放たれた入口から入って来た。この館で仕える者達の声と気配が、慌ただしく近づいてくる。
それを耳にすると、母上、何か騒がしい………と、母の側に寄り、そろりと身を寄せる。不安に包まれ抱き寄せる。ええ、珍しいわね、この館で勤めるものは、静かな所作の者が多いのだけど………何があったのかしら、ああ!そう!
何かに気が付き、不安がぱちんと弾けて消えた三の妃。嬉しそうに顔をほころばせると、腕の中の我が子を力いっぱい抱きしめた。突然の事に驚き、わ、わ、突然声が上がる。
「うふふ。きっとそう、良かったわ、貴女の出立迄に間にあって、さぁ………どちらかしら?ねぇ………どう思いますか?」
身体を離し、顔を覗き込む、頬を赤くした彼は、目をしばたたかせる。そして笑顔の母親を、まじまじと見ながら答える。
「何が?母上はよくそうやって、突然!聞いてきますが、何処がどうなる………そんな事が無いので、わかりません」
「ああ!ごめんなさい、そうね、あのね……、あら、もうわかってよ、いいわ………入りなさい」
慌てて話そうとしていると、居室に入る事を問いかける声がかかる、それに明瞭に許しを出す。
失礼いたします、此方の者が、お知らせをお持ちいたしましたと、その者を誘い入ってくる、瑞兆を含んだ声と笑顔の者。許しを得て、柔らかな物腰の使者の口上が上がる。
「失礼いたします。離宮にお使えしている、バムと申します者で御座います、三の妃様には、ご機嫌麗しく存じ上げます」
入口で礼を取る、成人を迎えたばかり、まだ初々しさが残る使者の姿。ここに住まう他の王の女達とは違い、離宮と行き来がある彼女にとって、顔馴染みの者。三の妃は、気さくに声をかける。
「ああ、堅苦しい挨拶は抜きにして!それでどちらなの?そして大丈夫でした?あの子はあまり丈夫では無いから……」
弾む声、それに対して明るい声をかえす。
「王子様で御座います。ご立派な………皇太后様におかれては、一目見るなり、王と生き写しなと、たいそうお喜びで御座います。そして、四の妃様もお健やかで侍医も静養をなされれば大丈夫と、言われておりまする」
「そう、ああ!良かった、本当に………皇太后様がそのような事を、そして王は?もう向かわれておられるの?逐一知らせを送る様に、貴方のお父様を、あちらに向かわしていたでしょう?私の時もそうでしたから………」
それに、対して大きく頷きながら笑顔を見せる使者。どうされますか?と今から出られますか?お会いになりたいと、申されておりました。と主の言付けを述べるバム。
「母上、母上!行きましょう!我は会いたい、弟になるのでしょう、そうでしょう!早く行きたい!」
嬉しそうに袖を引き、声を上げる三の王子、花が開いた様な笑顔に、彼女は視線を合わせて頷く。
「勿論ですよ、この日の為に私は贈り物を縫っていたのです。ちょっと歪んでいるけれど……大丈夫です。ええ、大丈夫なはず………赤子ならば………まだわかりません」
「え………母上、一度それを見せて、それからの方が……」
突然の、母親の言葉に言葉を斬りこむ彼は、心配の色が顔に出ている。そしてそれを聞いた使者バムも、戸惑う表情を隠せない、それのなく見知っていたからだ。
そして勿論、ここに居合わす仕える者たちも、王子様に従がって下さい、と言いたげな面持ちで、三の妃の取り出す品を見守っている。
「何かしら、何故におめでたいというのに神妙なの………贈り物には決まりがある事位、わかっていてよ。男ならば、獅子を、女ならば花を、そう決まっているのだから………だから産着は二色用意しましたの」
不安そうに、息を潜めて、ふありとそれを広げる、裁縫が苦手な三の妃。丁重に、心を込めて縫っている事は一目でわかる、暖かみあふれる品。彼はそれを目にし、ごくんと何かを飲み込んだ。そして………、
それを目にし、母がそれに対して評価を期待する視線を感じる彼は………懸命に考え、そして答を導き出す。
「産着………獅子、母上がお作りに、そうですか、そう………うん、そう!これは………多分凄い魔除けになられると思います、そう!魔除けとして………バム、そうでしょう?我はそう思うのです!さあ!母上参りましょう!お祝いのお品としてはこの上なく!相応しいです、流石は母上です!」
「は!はい、見事な魔除けかと!バムもそう思います」
話を振られて慌ててそれにのるバム、仕える者たちも次々に口を揃える。そそくさと、手にした祝の品を包んで来るように取り計らう、三の王子。
そしてそれを眺めながらら、軽く頬を膨らませている三の妃。何かを考え、そして思っている様子。やがてまとまったのか、用意ができたら参りましょうね、と声を放つ。
「ええ、用意ができたら参りましょう、魔除けですもの、早い方が良いわ、置いとくだけで、きっと、どんな災厄の神でも逃げ出すと思うから」
クスクスと笑いながら、後しばらくで離れる我が子の手を取り握る。その笑顔を見上げながら、ホッとした顔を見せる子供。その様子を微笑ましく皆は眺めている。
母上、その………あの、ね、出掛ける前にね、と、何かを思うのか、その言葉を言いたそうに、そして言い出せない様子を見せる彼、その意を察した彼女は優しくほほ笑みながら、それに応える
「そうね、貴方の母上は魔除けを刺せるのよ、貴方があちらに行くときの御守も………それはもう!とても良い出来なのよ、出立の折にこっそり渡すわ、大切にしてね」
「は!はい!大切にします。するけど………ちょっと先に見せてはもらえませんか?母上………」
子供が母に問いかけた。首を振り目で笑う母。やがてご用意出来ましたとの知らせが来る。参りましょうね、と差し出される、落ち着いた色目に、草葉の刺繍をほどこされた布をふありと被る。
外に出る。穏やかに晴れ渡る空。流れる雲、出立の日も晴れが良いわね、暑いけれど曇に覆われた空より、晴れが良い。と彼女は、軽く見上げてそう思った。
―――この日から数日後、よく晴れ渡った青空の下、彼は王宮を出立をした。人前では涙は流さぬのが上に立つもの、笑顔を見せなさいと教えられてきた彼は、それを守り、別れのつとめを見事にはたした。
挨拶のあとに胸に手を当てた彼。そこには約束の品が大切に忍ばせてあった。身に着けていられる様にと、小さな布地に施された刺繍。
それを見せられて、二人で笑った親子の時。
「どう?立派な魔除けでしょう?」
おどけた様に話す母。
「はい、立派な魔除けです」
それに返した子供。
とても良い出来の魔除け………
果たしてそれは何を刺繍していたのかは、
母と子だけが知る秘密。
出立の折に受け取った品物、それは
この先俗世を離れ
神に仕える第三王子と………
宮殿に残り己の道を歩く………
第三の妃との二人だけの秘密。
そして始まる物語。
産まれたばかりの第四王子
今は眠る揺りかごの中
優しい母の子守唄
吹く風優しいその場所で
赤子の王子は 何も知らずに
無垢のまま 柔に拳を握って
眠ってる…………。