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松賀騒動異聞 第十七章

第十七章


 松賀騒動に対する私たちの研究も済んで、私たちはまたそれぞれの生活に戻って行った。

 図書館に通うのも週一度くらいとなり、小泉正一郎に会うことも稀となった。

 そんな或る日、久しぶりに小泉さんに会いたくなった。

 小名浜から海岸沿いの産業通りを通り、泉の小泉宅に向かった。

 庭先の道路に車を停め、小泉宅に目を向けた。

 珍しく、居間の大きな窓が開けられ、人影が見えた。

 おやおや、美智子さんには珍しく、部屋の掃除でもしているのかな、と思いながら、玄関のチャイムを鳴らした。

 応答の声がした。

 柔らかな声だった。

 お久しぶりです、木幡です、とインターフォンに向かって言うと、少し、待って下さい、と言う返事が返って来た。

 少し、美智子さんの声とは違って聞こえた。

 美智子さんならば、四つ下の後輩の私に丁寧な言葉なぞ使わない。

 ちょっと、待ってね、というような返事しか帰って来ないはずだ。

 やがて、ドアが開き、顔を覗かせたのは、美智子さんでは無く、姪の雅子さんだった。今の流行り言葉で言うと、アラカンの美智子さんでは無く、アラフォーの雅子さんであった。

 怪訝そうな顔をしている私に向って、雅子さんは微笑みながら言った。

 少し、驚いた。

 何と、小泉夫婦は雅子さんに留守を頼んで、ヨーロッパに旅立っていたのだった。

 それも、二、三週間といった半端な旅では無く、数か月のロングステイの旅であると雅子さんは言った。

 ギリシャ、イタリア、フランス、スペインというエーゲ海、地中海沿岸をそれぞれ一ヶ月程度は滞在するという計画らしい。

 雅子さんの話に依れば、美智子さんはこの旅行に備えて事前に、秘かにギリシャ語を勉強していたということだ。

 ロシア語のアルファベットの基本となったギリシャ語を懸命に学習する美智子さんの姿を思い浮かべ、私は思わずニヤリと笑った。

 美智子さんは中学で一番を通した時のような真剣な顔をしてギリシャ語と格闘していたのに違いない。

 私の笑い顔に怪訝な表情を向けながらも、雅子さんは少しお茶でも飲みながら話をしましょうか、と私を庭先のテーブルに誘ってくれた。

 私は雅子さんと南側の庭先のテラスの椅子に腰を下ろして、紅茶を飲みながら、いろいろと他愛もない話に興じた。

 私は雅子さんから小泉さんに関する情報を入手した。

 あらかた、小泉さん本人から直接聞いていた話がほとんどであったが、いくつかは新しい発見もあった。

 小泉さんは大学卒業後、或る大手の商事会社に入り、そこで数年勤め、主任クラスとなった時、新入社員として入って来た馬目美智子さんと知り合い、恋に落ちたようだ。

 勝気で男勝りの美智子さんとの仲は順風満帆とまでは行かず、結構いろいろとあったようだが、とにかく二人は結婚した。

 その後、数年間の外国勤務を経た後、小泉さんは突如として会社を辞めた。

 辞めて、小泉さんが新入社員の頃、仕えた上司が立ち上げた貿易会社に入った。

 そこで、創立まもない小さな会社で小泉さんは、美智子さんの言葉で言えば、愛妻をほったらかしにし、寝食も忘れて、精力的に働いたようだ。

 昔の上司が社長となり、小泉さんはナンバー・ツーの専務となり、会社は結構うまく成長していった。

 その内、社長が会長となり、小泉さんが社長となった。

 しかし、社長になった小泉さんはだんだん失望するようになっていった。

 上司と小泉さんのような緊密な関係に匹敵する関係は、小泉さんと部下の間にはついに出来なかったらしい。

 自分ががむしゃらに働いて大きくした会社は大きくなるにつれて、トップに立った小泉さんにはどうもよそよそしく映ったらしい。

 会社は創世記はともかく、大きくなり、年数も経って来ると、次第々々に官僚的になって来る。

いわゆる、大企業病もどきの現象が現れて来るのだ。

 そして、嫌気がさした小泉さんは五年前に社長を辞めて、きっぱりと会社と縁を切って、この街に引っ越して来たというわけだった。

 美智子さんは東京の暮らしに馴染んでおり、いくら自分が生まれ育った郷里とは言え、戻りたくはなく、そのまま東京に居たかったらしい。

 だが、夫唱婦随とでも言うのであろうか、美智子さんも結局は同意して、ここに落ち着いたという次第であった。

 やはり、私が思った通り、小泉さんの上司が内藤義概で、小泉さんは松賀族之助であったのだろう。

 小泉さんが怒りを覚えた部下たちはなべて、当時の内藤治部左衛門以下の藩官僚と同じ臭いを発していたに違いない。

 私はふと思った。

 義概に仕えていた族之助は楽しかったに違いない。

 失敗もしたであろうが、都度、義概は笑って許したに違いない。

 働いた分だけ評価され、失敗しても少しは甘えられるという境遇に居るというのは、おそらく最高の環境であろう。

 しかし、藩の官僚となると、話は違って来る。

 自分たちだけは安全な場所に置き、つまり、自分たちの経費削減を含め、痛みを伴う歳出の減少は図らず、歳入増加を領民に平気で押しつけるということになるのだ。

 隗より始めよ、という言葉なんか、とんでもない話だ、自分たちの権益は既得の権益であり、死んでも守らなければならない、経費削減を図る者には鉄槌を下さなければならない、ということになるのだ。

 私は、藩政改革の途中で散って行った正元・伊織父子、島田理助父子の無念さを思った。


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