3.悪夢の目覚め
LU3005年 魔女が生まれた村イノリス村 ニーナ・リアス 13歳
急に決まった旅行だった。父の勤め先の生糸工場が軌道に乗り、一番の功労者であった父は長期休暇を工場から与えられた。それを受けて、帝都に旅行にいこうという話になった。私が父に買って貰ったお気に入りの人形を抱えながら勉強をしていた時、父は私にこう言った。
「おまえ達にはいつも辛い思いさせてきたからな、今回の休暇で良いところで寝て、美味いもん食えるよ
うにプランを叔父さんに組んで貰った。楽しんでいこうや。」
父は毎日工場に夜遅くまで仕事をしていたので家族サービスを出来るような人ではなかった。父自身それに負い目を感じていたらしく、奮発して多めの出費で旅行にでる事になったのである。帝都第四区展望塔近くの高級宿舎、第三区高級料理店での夕食など普通は出来ない贅沢もあったが、中でも大きな目玉だったのが国営歌劇団の観劇だった。他の劇団に移れば花形になれるような演者を何十名も抱え世界最高の劇団と揶揄される魔法を交えたパフォーマンスは世界中を虜にした。国営歌劇団のチケットは普段は販売から数瞬で売り切れると言われていて私のような田舎ものはどうやっても手に入れる事が出来ない代物だ。それを父が工場先の伝手を使って特別席のチケットを確保してくれたのである。私は一生ものの自慢になると思ったし、父に感謝をした。
出発の日、私たちは馬車に乗って街を出た。馬車の窓から見える緑が茂る草原の光景は私の目を輝かせたし、近くを飛んでいた鳥たちはまるで私を祝福するかのようにさえずりをした。帝都へ行くには二日ほど時間が必要だった。その為、途中で宿を取り、次の日また帝都に向けて出発する必要があったのである。
宿で寝ようとする私は、1ついつもと違う事に気づいた。いつも大事に肌身離さず持っていた手乗りサイズの人形。それを家に忘れてきたのだ。それに気づいて私は帰りたいと泣き出した。私にとっては父がいない時にもずっと一緒にいてくれた父代わりの人形だった。だから私は大事が家族がいなくなったかのような喪失感を覚えて私は泣き叫んだ。
くだらないと誰かは言うかもしれない。ああ、私も今はそう思っている。なんてくだらない事で泣いたのだろう。くだらない―――本当にくだらない。
父は泣き出す私をあやしながら、少し考えるようにして母と何か相談をしていた。母はそれに対して反対し、苦言を呈していたが父はそれを聞かず決断したそうだ。次の日の朝、泣き疲れた眠りから覚めた私は、目をこすりながら起き上がった。既に母は起きていて、宿から出て馬車に乗る準備をしていた。母は、起き上がった私を見て、「おはよう」と声をかけた。ふと周りを見渡してみると父がいなかった。「お父さんは?」と私が母に尋ねると、母は少し困ったような顔をして言った。
「ニーナ、お父さんはね、一度村に帰るって昨日の夜、最後の馬車に乗って村に戻ったわ。」
私は驚いた。もしかして父は仕事で呼び戻されたのだろうか?そんな思いが私の胸中を支配した。
「どうして?」
「お父さん、ニーナの人形取りにいくって昨日の夜から聞かなくてね、たぶんあなたに格好良いとこ見せたいんでしょうね。1日遅れて帝都に着くから、二人は予定通り旅行を楽しんでくれって.…。劇団の公演は明日だっていうのにあの人ったら…。」
母は苦笑いして私の頭を撫でた。それは、父が劇を見ることが出来なくなったというのを意味していた。私だけではない父も楽しみにしていたのだ。それを娘の為にと投げ捨てて、人形を取りに戻ってくれたのである。私は父に感謝と同時に申し訳なさを感じた。明後日父と帝都で合流したら、ちゃんと感謝の言葉を告げて謝ろう。そう思った。
けれど、その日、魔女は村に現れた。
イノリス村、『始まりの村』、魔女が最初に現れ、最初に『魔女領域』の中に取り込んだ村。それが私、ニーナ・リノスの故郷だ。そして、父は『魔女領域』に取り込まれ、その命を落とし、私は父に謝る機会すら失った。
何故、私はあの時、泣いたのだろう?あんなくだらない事で泣いたのだろう?ああ、今も後悔している。私があんなくだらない事で泣かなければ!




