2.領域の目覚め
『魔女領域』に入ってから2日目。ニーナは急に止った魔導車の壁に頭をぶつけて、目を覚ました。痛みに頭を抑えるニーナの視界に映ったのは、厳しい表情で話し合っているミアと魔導車の運転手の男だった。
「――ですが、本当に―――なのですか?相手は、あの―」
ミアに問う男の体は震えており、顔には怯えが見えた。必死に平静を保とうと両腕を抱きしめるようにして体を押さえつけている。
「うん、大丈夫の筈。あれは――の中でも一番おとなしい個体だから、こちらからちょっかいを出さなければきっと―――。」
そう運転手の肩を押さえて落ち着くのを促すミア。ニーナは現状が把握出来ず、頭を押さえながら尋ねた。
「何かあったんですか?」
その声でミアはニーナが起きている事にはっと気づき、ニーナの方を向いて答える。
「うん、少し厄介な事がね。」
「厄介ごと?」
「――四装の内の一体がこっちに近づいてきてる。」
その言葉にニーナは背筋に悪寒が走るのを感じた。
「四装って…あの四装ですか!」
驚きの声をあげるニーナ。運転手が何故震えているのか、そして今何故こんなにこの魔導車の中が厳しい雰囲気に包まれているのかニーナはその言葉だけで理解した。
『四装』、それはかつて魔女が纏ったとされる命ある4つの災害である。
「大丈夫。グラドボロスは四装の中でも一番大人しい。過去に魔女領域を案内した際に、グラドボロスとの邂逅は2度あったけども、その時も近くを通っただけで何もなかった。だから、わたしたちは静かにここにいればきっと大丈夫。」
そうニーナを安心させるように言うミア。だが、ニーナには今自分達が遭遇しようとしている物に対してそんな感想は抱けなかった。四装の手にかかって死んだ人間の数は10万はくだらないという。魔女が没するまでにその核を破壊し倒しえた四装は2体。魔女が討滅されて以降、『四装』は人を襲わなくなったと言われているが、それでも彼らが本気で人類に襲いかかろうとすればそれは莫大な被害が出る戦いに発展する。魔女領域への立ち入りが禁じられている理由の多くはこの『四装』がまだ魔女領域の中にいるからである。グラドボロスはその中でも一際有名な存在だ。『土槌』の異名を持ち、体の総ては土塊で構成されているのだという。非常に巨大な体が特徴的で、その巨体に押しつぶされた人間の数は知れない。
ニーナは気が気でなくなり、窓をあけて外を見る。まだ日が昇り始めたばかりで辺りは薄暗く。地平線の先がうっすらと見えるぐらいだった。けれど周りに何もいる気配はない。グラドボロスは書物によれば全長3000mを越える巨体だったという。そんなものが迫っているのならば、すぐに視界に入る筈なのである。つまり今近くにはグラドボロスはいないということ…。ニーナは安堵の息を吐いて、
「なんだ、そんな化け物なんていないじゃない。冗談はやめて。」
そう苦笑いで返した、けれどミアは相も変わらず険しい表情でいう。
「いえ、もう既に『彼』はそこにいます。」
そう告げるミアに何を言っているのかと言おうとした時、大地が大きく揺れた。
「どこでもいい!捕まって!」
ミアが叫ぶ。窓の外、3000mほど先だろうか、そこの大地が急に火山の噴火のように隆起する。ミアは慌てて魔導者の窓を閉じた。窓には吹き上がった土がつぶてのようにぶつかる。舞い上がる土埃、外の様子はもはや視認しづらい状況になっているが、その中かでかすかに何か大きな人の手のような物が見えた。いや、あれは人のなのだろうか?それはどう見ても一軒家と同じぐらいの大きさの代物ではなかったか?
隆起した大地は密度を増していき高くせり上がってくる。
「―――あっ―」
その光景にニーナは声にならない声をあげる。体の震えは隠せずに、ただ、ただ、まじまじとその姿を窓越しに見る。怖い。ただ、その異様な光景がひたすらに怖かった。隆起した物は形をなしていき山ほどの大きさの巨大な土の塊になった後、その土はまた地面に落ち、そしてその中から巨大な巨人が現れる。土で作られた空洞の瞳と口、二股に分かれた巨大な4本の腕、山の雄大さを感じさせる体躯は何事にも動じない堅固さと威圧を放つ。四装が一、『グラドボロス』。それは確かに今、ニーナ達の前に現れた。グラドボロスはその空洞な瞳をこちらに向け、こちらを見ている。
「慌てないで、こらえて…。」
そう、ミアはニーナの体を抱きしめた。ニーナは無いはずの瞳から放たれる視線を確かに感じる。見ている、あの化け物は間違いなくこちらを見ている。ニーナと運転手はその視線に磔になったようにして、動けなくなる。恐怖で体がすくんでいるのである。グラドボロスはその口を開き、咆哮した。大地を激震させる号砲。その声に魔導車は大きく揺れる。ニーナはふとその姿に、死の予感を感じた。自分はここで死ぬんだろうか?ここで死んでしまうのだろうか?そう自分の中で反芻する。グラドボロスがこちらに向けて歩を進める、一歩歩くだけで地響きがなった。横でうずくまる運転手が念仏のように唱える。
「生きたい生きたい生きたい生きたい、まだ死にたくない、生きたい、生きたい、生きたい。」
それは生への欲求。人間誰しもが持っているもの。では自分はどうなのだろうか?と迫るグラドボロスを見ながらニーナは思う。
(私は――)