第1部 * 7 *
9月の 午後3時ちょっと前の太陽が、日陰のほとんど無い園庭の地面を容赦なく焼く。
ショーコは、ベビーカーに乗った清次と共に、幼稚園の園庭の隅の指定された場所で、他の園児の母たちの中に交ざり、貫太の降園時間になるのを待っていた。
貫太が今の幼稚園に通い始めて1週間。
もともと貫太は、年少、年中の頃には幼稚園に通っていたため、幼稚園児の母たちの雰囲気は、ショーコにとって溶け込み易いものだった。
「キーちゃん、こんにちは」
2歳の男の子・望を連れた、貫太と同じクラスの榊健人の母が、清次に話しかけようとベビーカーの前にしゃがんで顔を覗きこむ。そして清次が眠っているのを見、小声で、
「あらあら、また ネンネでしゅかー? 」
言って、立ち上がり、ショーコに、
「何か、いつも寝てるよね。家でも、こんな、よく寝てるの? 」
返してショーコ、ベビーカーに乗せると寝てしまう。家では、これほどではない、と。
それを受け、榊健人の母は、この子もそうだった、と、望に目をやり、笑う。
「あ」
ふと昇降口のほうへ目をやった榊健人の母が、会話の流れを止める声を上げた。
ショーコも、つられてそちらを見ると、園服に通園帽、指定のリュックを背負った園児たちが、次々に昇降口から出てきたところだった。
そうして外に出てからは、各家庭の都合に合わせ、そのまますぐに帰宅しても、園庭で少し遊んでから帰ってもいいことになっている。
昇降口方向を向いて出迎える自分の母のところへ真っ直ぐ走って来て「ただいま」を言い、早速、幼稚園での出来事を報告し始める可愛い子もいるのだが、貫太は、外に出るなりショーコのほうをチラリとも見ず、リュックも下ろさず、榊健人と連れ立って、直接、ジャングルジムへと走った。
榊健人の母が叫ぶ。
「こらこらこらー! ただいまくらい、言いなさーいっ! 」
貫太は、ジャングルジムのてっぺんまで登り、腰掛け、榊健人と笑いあい、実に楽しそう。
仕方ないな、といった感じで溜息を吐く榊健人の母の隣で、ショーコは、貫太を微笑ましく見守っていた。
と、その時、望が空を指さす。
その指先を追って空を見た榊健人の母は、血相を変えて望を抱き上げ、ジャングルジムへと駆け出した。
(? )
ショーコは首を傾げる。
貫太を見つめるショーコの視界に体が半分入っていた、幼稚園での出来事を自分の母に報告していた可愛い子・やはり貫太と同じクラスの田村鈴夏の母も、榊健人の母につられるように空を仰いだ直後、それまでの笑顔を凍りつかせ、田村鈴夏の手首を掴んで自分のほうへ引き寄せ、空を見据えたまま固まっていた。
(? ? ? )
ショーコは周囲を見回す。
他の母たちも、それぞれとても慌てた様子で自分の子供の許へ走る。ついさっきまでとは、うって変わった、緊迫した雰囲気。
全く状況が掴めないショーコを、榊健人の母がジャングルジムの前で振り返り、無言で大きく手招く。
わけが分からないままベビーカーを押し、ジャングルジムへ向かうショーコの視線の先で、榊健人の母は、榊健人をジャングルジムから下りて来させ、貫太にも、下りるよう手招きした。
榊健人の母、田村鈴夏の母、他の母たちも、皆、一様に空を気にしているようだ。
ショーコは上空に目をやる。
(あ……! )
そこには、日空人が1人。幼稚園の真上、かなり高い所を、ショーコの自宅とは真逆の方向へ飛んでいるところだった。離れすぎていて、全く気配を感じなかった。ショーコは、やっと状況を把握し、同時に、幼稚園の母たちが日空人に対して驚くほど敏感になっていることを知った。以前ショーコは、日空界による侵略の危機に瀕しているこの状況下でも幼児教育を続けようとする地表人に疑問を持ったが、少なくても、この母たちは、勤勉であることには間違いないが、平和ボケなどでは絶対にない、と。幼稚園を休園にしようとしない行政の方針(と言うか、そこまで気が回っていないだけのようにも思えるが)に従い、地表人の気質上、目立つことを嫌い、皆が皆、周囲に合わせて、自主的に子供を休ませるなどという行動を取れずに、不安を持ちながらも通わせているのだ、ということに気づいた。
榊健人の母は、ジャングルジムから下りた榊健人と望を、腰を屈めて、まとめてギュッと抱きしめ、小さくなる。
ショーコは急いで、小さく固まった榊母子の傍らでポツンと立ち尽くしている貫太の許へ行った。
もともと空に溶け込んでしまっているくらいに遠かった日空人の姿が、完全に見えなくなる。
ややして、榊健人の母は、腰は屈めたまま、そっと恐る恐る顔を上げ、空を見て、ホッとしたように大きく息を吐いて、健人と望を放し、身を起こした。
榊健人の母は、もう1度、大きく息を吐いてから、手で顔を扇ぎ、
「暑いねー、今日も」
独り言のように言い、榊健人に、
「そろそろ帰ろっか」
健人が頷くのを待ち、
「じゃあ、また明日」
ショーコに会釈。
門のほうへ去って行く榊健人母子の後ろ姿を、ショーコと貫太は見送る。
榊健人は貫太を振り返り、バイバイ、と手を振ってから、母に、
「あいす たべたいー」
続いて望、
「のぞみ もー」
返して母、
「じゃあ、買ってく? でも、2人で半分こね」
ブーブー言う健人と望。
そんな榊母子のやりとりを聞きながら、貫太、
「あいす……」
呟く。
ショーコは、可哀想だと思いつつも、聞こえないふり。
(ゴメンね、カンちゃん……)
生活費は、出来るだけ切り詰めなければならない。1個100円くらいもするアイスなんて贅沢品は、買ってあげられない。