第1部 * 2 *
「ショーコちゃん、もう上がっていいよ。後は、僕がやっとくから」
夕方5時、ハンドパッカーで仕越し分のパックをしていたショーコに、30代後半のチーフ・黒田が声を掛ける。
タークからの再度の攻撃を避けるため、出来るだけ急いで、出来るだけ遠くへ、と、まだ首も座っておらず長時間の外出は無理な清次を連れて1日で決めるという条件下では限界の距離である隣の町で、即日入居可の賃貸物件を探し、甘い審査を軽く通り抜け、タークの襲撃を受けた翌々日、ショーコたち母子は引っ越した。
それから3ヵ月。タークのことがあり、離れている間の不安は大きいが、生活のため、ショーコは、貫太と清次を町立の保育園に預け、徒歩で通うには少し遠いスーパーマーケット「フレッシュマート」の鮮魚部でパート勤めをしている。
「お先に失礼します」
黒田に挨拶をして作業場を出、タイムカードを押してから、更衣室で着替え、ショーコは、職場で夕食の買物を済ませる。
夕方の混雑時。人手不足でレジに駆り出された50代の女性店長のレジを通ると、店長、
「今日はハンバーグ? 子供って、皆、ハンバーグ好きですよね」
ニッコリ笑顔で話しかけてきた。
「子供さん、ママの帰りを待ってますね。お疲れさま」
「お先に失礼します」
ショーコも笑顔で返してから、買ったものを持ってサッカー台へ移動。レジ袋に詰めて、フレッシュマートを出、貫太と清次を迎えに保育園へ。
*
フレッシュマートから保育園へは、徒歩で15分ほど。丁度、フレッシュマートから自宅への道のりの中間地点くらいだ。
フレッシュマートの前の道路を、左手方向へと坂道を上り、下り坂に転じてからも、ひたすら道なり。小学校と道路を挟んで向かいにある車の通れない細い下り坂を下りきって、住宅地の中の直線道路100メートルほどの地点右手側。
保育園の門を入ったところで、
「ままー! 」
園庭の砂場で遊んでいた貫太が、ショーコの姿に気づき、駆けて来て、腹にギュッと抱きつく。
それを受け止め、ただいまを言ったショーコに、貫太はニコッと笑って頷き、回れ右。ちょっと得意になった感じでショーコの先に立って清次の保育室へ歩いて、保育室入口の引戸を開け、
「きーちゃん、ままが きたよー。かえるよー」
保育室の中で、清次の担任が、貫太越しにショーコに会釈してから、マットを敷いた床の上で転がって獲物をむさぼる野獣のような凶暴な表情でガラガラを口に突っ込んで遊んでいる清次に向かい、
「清次くん、お迎えですよー」
声を掛けた。
それから担任は、清次の荷物を持ち、清次を抱き上げてショーコの前まで来、先ず荷物、次に清次をショーコに引き渡しながら、今日の園での清次の様子を簡単に話す。
一通り聞いてから、ショーコは担任に挨拶。
担任が挨拶を返してくれてから、登園時に園に置きっ放しにさせてもらっていたベビーカーに清次を乗せ、ベビーカーの座席の下のカゴに買物の袋を入れて、今度は貫太の保育室へ。
保育室前の通路にクラスメイトたちの荷物と一緒に並べてある貫太自身のカバンを、貫太が背負うのを待ってから、ショーコは、貫太と手をつなぎ、空いているほうの手でベビーカーを操り、園庭を見回して貫太の担任を捜す。
門を入ってすぐ左手の滑り台横に、その姿を見つけ、貫太・清次と一緒にそこまで行って、声を掛けた。
貫太の担任から、
「貫太くん、プールで顔を水につけれたんですよ」
清次の時と同じように今日の園での様子を聞いてから、挨拶をするショーコ。
担任はショーコに挨拶を返してから、貫太にも、
「貫太くん、さようなら」
ニッコリ笑い、手を振る。
担任に向かって、貫太は、バイバイ、と空いているほうの手を振った。
*
貫太と手をつなぎ、片手でベビーカーを押しながら、人工的に作られた貯水池の脇を、ショーコは自宅方向へ。
歩きながら池を眺めていた貫太、
「かめ だ! 」
見れば、どこかの家で飼われていたものか、妙に大きく成長したミシシッピアカミミガメが、茶色に近い緑色の水面にチョコンと顔を出していた。
「ホントだ。カメさんだねー」
この町は、本当に長閑だ。
ショーコたちの通る、この時間、貯水池の向かいのゴルフ練習場には全くひと気が無く、道を歩いている人もいない。
しかし、立ち並ぶ民家からは、しっかり生活の気配。…煮物の匂い、焼魚の匂い、カレーの匂い、揚げ物の匂い……。
現在、連日テレビや新聞で報じられている、首都圏で起こっている戦闘。……先日、初めて自分たちのことを日空人と名乗った白い侵略者相手の、それが、ここで生活していると、映画かテレビドラマか何かの中の出来事のように感じられる。
ゴルフ練習場脇の細い坂道を30メートルほど上り、左へ曲がる。
公民館前の横断歩道を渡り、少し行くと見えてくる、白い外壁の、見るからに古い昭和時代に建てられたアパートの、1階の一室。
そこが現在、ショーコたち母子の自宅だ。
*
玄関の前でショーコがポケットから家の鍵を出すと、貫太、
「かんちゃんが あけるー」
ショーコから鍵を奪い、鍵穴に差し込む。
しかし、開けられない。古いアパートの玄関の鍵。開けるにはコツがあるのだ。
鍵くらいで悪戦苦闘している貫太が、あんまり可愛くて、少し笑ってしまいながら、ショーコは貫太の手に自分の手を添え、鍵を開けた。
鍵が開いた音が聞こえると、貫太はドアノブを掴んで、後ろへ体重を移してドアを開け放ち、家の中へ駆け込んで行く。
ベビーカーに乗ると短い距離でも眠ってしまう習性を持つ清次は、今も、やはり眠っているため、ショーコはベビーカーのストッパーをかけ、動かないよう固定してから、先にカゴの中の買物の袋を玄関の中に運び、それから清次を片腕に抱き上げ、もう片手でベビーカーを畳んで持ち上げて、玄関を入った。
ベビーカーは玄関の壁に立て掛け、ドアを閉め、内側から鍵をかける。
靴を脱ぎ、清次を居間の座布団の上に寝かすべく居間へ向かいがてら、ショーコは台所の床に散乱している貫太のカバンと通園帽、園服を、溜息まじりに拾い集めて歩いた。
そして、居間のテレビの前に陣取って保育園の男の子たちの間で人気の特撮ヒーロー・スーパーファイブのビデオを見ている貫太に、突きつける。
「ちゃんと片付けて」
貫太はカバン・通園帽・園服を受け取り、
「はーい」
と返事するが、それらを抱えたまま、ビデオに見入り、片付けようとする気配がない。
ショーコは座布団の上に清次をそっと寝かし、上にバスタオルを掛けてから、もう一度、貫太に、
「片付けなよー」
言ってから、再び玄関へ。
置いたままにしてあった買物の袋を台所のテーブルの上に運び、夕食の仕度を始める。
流しの横に包丁とまな板を用意し、玉葱の皮をむいていると、
「ままー」
背後から声が掛かる。
手を休め、振り向くと、貫太が居間から出て来ながら、
「きょうの ごはん なあにー? 」
「ハンバーグだよ」
ショーコの返事に、
「ちょうど たべたいと おもってたんだー」
と、貫太はニコニコして調子良い言葉を返した。
夕食の仕度やメニューとは全く関係無いが、
「あ」
ショーコは、ふと思い出し、
「カンちゃん、カバンとお帽子と園服、片付けたの? 」
絶対に片付けていないと分かっていながら、聞いてみる。
ニコニコしたままの貫太の答えは、やはり、
「あ、わすれてたー」
そして、ショーコに何も言わせまいとしたのか、ニコニコ顔のまま、
「ごめんごめん、いま かたづけるよ」
言って、逃げるように居間へ。
ショーコは玉葱の皮むきを再開。
むき終え、水道でサッと洗って、みじん切りを始めたところで、また、
「ままー」
振り返ると、貫太は折り紙製の手裏剣を片手に1つずつ持ち、
「みてー。ほいくえんで つくったんだよ。はるきくんが おしえてくれたんだー」
「そう。上手に出来たねー」
ショーコは笑顔で返しておいてから、
「ところで、カバンとか、片付けたの? 」
すると貫太、
「あ」
独り言のように、
「そうだった そうだった」
言いながら、居間へと姿を消す。
ショーコは溜息を吐いてから、みじん切りの続き。
みじん切りを終え、ボールに移し、その中に挽肉も入れた、その時、ドスン。居間で震動。
続いて、「とうっ! 」「はっ! 」と声。
(……? )
ショーコは仕度の手を止め、居間を覗きに行く。
「……」
ショーコは頭を抱え込みたくなった。
居間の貫太は、背の低い棚の上から飛び下り、部屋中走り回り、手にしていた手裏剣を投げ、拾い、また投げ……。
カバンと通園帽と園服は、テレビの前に転がったまま。カバンなどは中身まで散乱している。
タークの一件以前のショーコであれば、こんな時、とっくに、せっかくキレイに片付けてあった部屋を散らかされたことで、片付けをした自分が可哀想になり、
「ちょっと! 何回言えば分かるのっ? さっさと片付けな! 」
などと、感情にまかせて怒鳴っていたはずだが、最近は、すっかり甘くなった。
いつまで一緒にいられるか分からない。もしかしたら、1秒後には再びタークに襲われ、タークでなくても、他の、ショーコより強い日空人によって、3人一緒にではなくバラバラに連れ去られるなどして、離れ離れになってしまうかもしれない不安が、常につきまとう。
貫太や清次と一緒にいられる、当たり前でない、宝物のような一瞬一瞬を大切にしたい。笑顔でいたい。悲しい顔など見たくない。
大切にするのと甘やかすのは違うことくらい、分かってる。しつけ上よくないことも、充分承知だ。
「…カンちゃん……」
ショーコは、そっと呼びかける。今は、それが精一杯。
しかし、怒っているショーコのイメージが強いのか、貫太はピタッと動きを止め、ショーコを振り返り、
「あ、かたづけるよ……」
転がっているカバンに手を伸ばした。
夕食の仕度が丁度終わったところへ、清次の泣き声。貫太が大騒ぎしていた傍でも平気で眠り続け、今、ようやく目を覚ましたのだ。
そろそろ、授乳の時間だ。
ショーコは消毒済みの哺乳瓶に湯を入れ、冷蔵庫の中に作っておいた湯冷ましで温度を調節してから粉ミルクを入れて溶かす。
ショーコは、このところ母乳の出がすっかり悪くなり、完全に粉ミルクに切り替えていた。
ショーコが調乳している間、ショーコに「早く来い」とでも言っているのか、清次は狂ったように泣き続ける。貫太があやしてくれている声が聞こえるが、全く効果無し。
貫太の赤ちゃんの頃に比べ、清次の泣き方は激しいような気がする。
しかし、タークに襲われた時に現れた清次の翼は、ショーコが苦労して仕舞って(翼を自在に出し入れ出来るようになるには訓練が必要なため、今の清次が自力でそれをするのは無理)以来、現れていない。
泣く度に翼が出てきてしまうのではないかと、ショーコは心配していたが、どうやら、激しい泣き方であっても、日常生活の中で泣くぐらいでは、翼は出ないようだ。
翼の出現と、泣くという行為は、無関係なのかもしれない。
考えてみれば、赤ちゃんにとって泣くことは自分の要求を伝える手段であり、言葉の代わりだ。大人の月空人が、言葉を発するだけで、仕舞ってあった翼がとび出すということなど、無い。それと同じだ。
ショーコが哺乳瓶に作ったミルクを手に居間へ行き、座って、清次を膝の上に抱き上げると、清次はピタリと泣き止んだ。
そして、ショーコが持っているミルクを見つけたのか、ミルクを飲む形に口を開ける。
清次の授乳後、ショーコが台所のテーブルの上に夕食を並べ、
「はーい、ゴハンでーす」
呼ぶと、貫太は、
「はーい」
と元気に返事をし、台所へ駆けて来て、自分の席に座る。
「いただきまーす」
と挨拶をし、食べ始めた貫太が食事中に話すのは、専らスーパーファイブのこと。
このところ、いつもそうだ。たまに、
「きょう ほいくえんで、よっちゃんと すーぱーふぁいぶごっこ したんだー。よっちゃんが れっどで、かんちゃんが ぶるーで、さあちゃんが ぴんくで……」
といった具合に、保育園での出来事を話すこともあるが、やはり、スーパーファイブから完全には離れない。
幼稚園に通っていた頃に比べ、保育園では、親が関わる場面が少ないため、本当は、もっと保育園での話を聞きたいのだが、特に何も言わないということは、特に問題無く楽しく過ごせているのだろうと解釈し、ショーコは、貫太の話の腰を折ってまで保育園での話を聞き出そうとしないことにしていた。
夕食の後は、ショーコ・貫太・清次、揃って風呂の時間。
それぞれの頭と体をキレイにしてから、3人一緒に浴槽で温まる。
清次は、湯面を手のひらでパシャパシャ叩き、湯を飛ばして貫太の顔にかけて楽しそうに笑い、貫太も、湯をかけられては手のひらで拭い、嬉しそうだ。
遊びながら温まった後、風呂から上がり、パジャマに着替え、歯磨きをして、寝室に布団を敷き、湯冷めしないうちに布団の中へ。
ショーコを真ん中に挟んで、右に貫太、左に清次。3人一緒に1つの布団にもぐり込んだ。
貫太のリクエストで、今日は、仔ダヌキを擬人化したキャラクターが活躍する絵本「オマメタヌタヌのぼうけん」を読む。
清次も、まだ分からないだろうに、大人しく聴いていた。
絵本を読み終え枕元に置いて、
「おやすみ」
横になったまま消せるよう長くした電気のヒモを引っ張る。
少しもしないうちに、貫太も清次も、寝息をたてはじめた。
遮光でないカーテン越しの外からの明かりに照らし出される貫太と清次の寝顔を見つめながら、ショーコは、このまま、この穏やかな日々が続いて欲しい、と願った。




