1-7 闘いの予兆
「これはこれはアレイスター公。このようなみすぼらしい店へようこそおいでくださいました」
マスターがそう言うと、アレイスターは頷く。
「ああ……ちょっと気になることがあってね」
そう言うと、アレイスターという男は周囲をぐるりと見渡す。
やがてなにもなかったのか、嘆息すると、
「マスター。ここに、怪しげな奴は来なかったかい? こう、両手首にブレスレッドをつけた奴なんだけど」
「怪しげな奴……?? そんな者は見ておりませんが……」
アレイスターから目をそらさずに言うマスター。
しかし、その額からは冷や汗が流れ出ていた。
アレイスターはそのまま険しい顔をして沈黙していたが、やがて表情をやわらげると、
「そうか、ここにもいないか……わかった。
皆、せっかく楽しく飲んでいたのに申し訳ない。私達はこれで失礼するよ。
アレク、エミリー、行くぞ」
と言って、すぐに店から出ようとする。
「えええ~? せっかく店に来たんだから何か食べない? エミリーちょーお腹すいたんだけど」
「今はそんな時じゃない。あいつを見つけるまではな」
「えぇ~……今日まだ朝から何も食べてないんだけど……」
「あとで食べさせてやるから我慢しろ」
文句を言うエミリーという女に、鎧の男がそう言った。
「うぅ、わかったわよ……」
エミリーはお腹をさすりながら言った。
そうして3人はお店を後にした。
店を出る直前アレイスターと一瞬目があったが、興味がなかったのかそのままスルーされた。
緊張していたお店の中が、また騒がしさを取り戻す。
マスターと従業員は同時に安堵の息をついた。
「はぁ~よかった……特に何もなくて」
「マスター、今のは?」
会計を済ませながら、そう聞いてみると、
「今のお方はアレイスター=ユーウェンという公爵様だ。
そして脇に控えていた2人の男女はその護衛さ」
「こ、公爵……?」
国王に次ぐ権力の持ち主だったっけ……と、ハルトは思い出す。
(たとえ国王でも簡単に処罰することができないんだったか)
「アレイスター公は、この小国で貧しいミトス王国に多額の資金援助をしていて、この街もその恩恵を受けている。
顔は勿論、知力、武力、財力、地位そのどれもに優れ、この国の誰もアレイスター様には逆らうことはできないぐらいだ」
「へぇ……資金援助しているなんてすごいじゃないか」
それだけ財源に困ることがない……というわけだろう。
ハルトがそう言うも、マスターのその表情は芳しくない。
「まぁそうだが……私はどうも、アレイスター公の事は信用しきれない」
「へぇ、そりゃまたどうして」
「なんでだろうね……。別に何か悪い噂があるとかそういうわけじゃあない。けれど何か、裏の顔がある気がしてならないのさ。ま、ただの勘さ。忘れてくれ。
――――お釣りだ」
そうしてハルトはマスターからお釣りを受け取ると、店を後にした。
「ふむ……」
アレイスター=ユーウェン……見た感じだと裏の顔だとかそう言う雰囲気は感じなかった。
しかし、なんでまたこんなところに公爵がいたのか・
客やマスターもびっくりするのも無理はない。
誰かを探していたようだが……お尋ね者なのだろうか―――
そうしてハルトはその後宿屋で一泊したあと、何かいい仕事はないかと、広場の掲示板を見に行ってみた。
「なるほど……確かに、傭兵の募集が多いみたいだな……。内容も追って話すと書いてあるし。
依頼主が匿名というのが怪しさ満点だが……」
周囲には腕に自信のありそうな男達がごろごろいる。皆、掲示板で仕事を探しているようだった。
「どれにするか……」
当たり前だが、危険そうな仕事ほど賃金も高い。特にこの“マーガールドの守護獣グレゴールを倒した者には金貨5000枚”というのには目を惹かれたが、なんとなくやめておいた。いきなりこの仕事はハードルが高すぎる。
とはいえ、逆にこの落し物を探して欲しいとかいうのはもはや仕事ではなく手伝いではないのではないかとハルトは思った。
見つけたら金貨1枚というのは中々だが、見つかる保証もないため、やめておくことに。
「悩むなー」
そうしてハルトがどの仕事をするか悩んでいると、何か複数の足音のようなものが聞こえてくる。
本来、こんな人通りの多く雑音も大きい場所で足音が聞こえるなんておかしい。そこから推測すると、大人数で移動してきているということがわかる。
ハルトはその足音の聞こえてくる方向に行ってみると、そこには多数の武装した兵士達が行進していた。
その大行列を避けるようにして、街の人達は通っていく。
「な、なんだ?」
その大行列はいつまでたっても途切れることはない。
ハルトは思わず、歩いている兵士達に聞いてみる。
「なあ、この大行列は一体何だ?」
すると兵士はハルトを怪訝そうに見ながら、
「なんだ、お前知らないのか? 我々はこれから起こる戦いに備えて、領主であるレイナ様の元に向かうのだ」
「は……な、なんだって?」
ハルトは思わず聞き返す。
「待て、戦いってどういうことだよ」
「文字通りの意味だ。ルベライトがこっちに攻めているという情報があってな。まず最初に落とされるとすれば国境沿いだ。
だから、我々も援護する為に向かっている最中なのだよ」
(なんということだ……。じゃあ昨日マスターの言ってたことは本当だったというわけか。
……レイナの奴どうしてそんな大事なことを俺に言わなかったんだ)
「正直我々ミトス王国には、戦える兵士というものは非常に少ない。
だから今回の戦いに勝つことは非常に難しいだろう。だが、それでも我が主アルテミシア王女の為に我々は華麗に散っていく所存だ」
そう言うと、兵士はハルトの方から顔をそらし、そのまま先へと進んでいった。
「くっ……」
ハルトはそこでようやく、シエルの言っていた“二度と来ないことね”“これは別に貴方が嫌いとか、そういうことも含めた警告でもあるわ”という意味が理解できた。
あの時既にもう戦いは始まっていたのである。
二度と来るな、というのは、シエルなりの気遣いだったのかもしれない。
そしてレイナはハルトを戦いの場から遠ざけるため、この街を紹介した。
もしあの場でこの戦いの事を説明すれば、ハルトが一緒に残るとか言い出したかもしれないから、だからあえて知らせずにこの街に来させたんだろう。
この街にまで敵が攻めてくるにはまだ時間がかかる。それを考慮した上で、時間稼ぎをしてくれたのだ。
(ちぃっ―――!)
ハルトは、馬の背になると全速力で走らせた。
もう戦いは始まっている。そして兵士の発言から、相手国はそれなりに強いのだろう。
ならばもしかすると、レイナの屋敷はもう―――。
ハルトは焦る気持ちを必死に抑えながら、とにかく馬を走らせた。
最初は近かった街が、だんだんと遠くなり、どんどん小さくなりやがて見えなくなる。
「間に合え―――」
レイナは素性もよくわかっていないハルトを助けてくれた恩人。
そんな恩人をこんなところで死なせるわけには行かない。
それにまだ、お金だって返していない。
そうしてハルトは、レイナの屋敷への道のりを急ぐ――――ー