1-3 齟齬
「う……」
次に目を覚ました時、ハルトはベッドの上だった。
どうやらいきなり牢屋にぶち込まれるだとか、そういったことはなかったらしい。
とりあえずそのことに安堵すると、突如ハルトの顔の目の前に誰かの顔がぬぅっと、近づいてきた。
「目が覚めたかね」
「うわっ―――いてっ!」
突然現れたその顔に、思わず飛び上がったおかげでそいつと顔をぶつけてしまった。ハルト達は痛みに顔をしかめる。
「いきなり、何をするかこの小僧が!」
「突然目の前にしわくちゃな顔が現れたら誰だってびっくりするだろっ」
「誰がしわくちゃだ! 失礼な小僧め」
そう言って怒る老爺。
片眼鏡をぎらりと光らせ、年季の入った瞳がハルトを睨んでいる。
よく見れば、その爺さんの身なりはかなり綺麗で、まるで執事のような……。
「んっ……?」
っと、そこでハルトは自分の体が動くことに気がついた。
「もう動けるようになってる……」
手の甲を裏返したり、肩を回したりしてみるが全然違和感がない。
どうやら、完璧に治っているようだった。
「ふん、レイナお嬢様に感謝することだな。あと少し治療が遅れていれば、本当に死んでいた可能性もあったのだぞ」
そう言うと、老爺は偉そうに鼻をならした。
「レイナ……?」
(……確かさっきあのメイドの子が言ってた―――)
「こら! 気安くお嬢様の名前を呼び捨てにするでない。お嬢様は我らの当主であられるのだぞ」
(当主……。あっ、そうか。
そういえば俺は、あの砂浜で眼帯をした女の子に突然手刀を食らわせられて気を失っていたんだ。
あの女の子、小さいのによくこんな芸当ができたな……)
「それで、あんたは……?」
あんた、と言われてその老人は眉を釣り上げたが、
「私はこの屋敷の執事兼、レイナお嬢様の護衛のルークラトス=エッジという者だ。
全く、どうしてお嬢様はこんな素性もわからない者を連れてきたのか……」
なんだか知らないがひどくご立腹なようだった。
しかし律儀に自己紹介をしてくれる辺り、そんなに悪い人ではないのかもしれない。
ハルトは改めて、部屋の隅々を見渡してみる。
寝ていたベッドはとてもふかふかで、高価な素材が使われているのが一目でわかった。
左方には服や小物を入れる棚がおいてあり、その真横には窓、そして小さなテーブルと椅子が並べられている。
壁には明かりを保つためのロウソクがかかっており、まだ明るいためか火は灯っていない。
広さ的にも、人が住むには十分広いスペースであり、まだ屋敷の全容を見ていないもののその広さが伺えた。
「とりあえず小僧。お嬢様を呼んでくるから絶対にその場を動くんじゃあないぞ? わかったな!」
そう言うと、ルークラトスと名乗った老爺は早足で部屋から出ていく。
しかし、部屋から出る時にもきちんとドアを閉めるなど、変なところで律儀なのでだった。
……が、一旦部屋に戻ってくると、
「いいか! お嬢様に決して変な口を聞くんじゃないぞ!」
そう言ってハルトに念押しすると、今度こそ部屋から出ていく。
「す、すごい剣幕だったな。
しかし、変な口を聞くなと言われてもな……。
俺に礼儀作法なんてあるわけないし、そもそも教えられていないし
まぁ、一応気をつけておこう」
やがて少女の後ろに続くようにして、ルークラトスが部屋に入ってきた。
さっきも見たが、やはりこの少女が当主のようだ。
「起きたみたいね」
「ああ、おかげさまでな。お前が助けてくれたのか?」
ハルトが気兼ねなくそう言うと、その少女は思わず驚く。
ん……どうしたんだ?
「なっ! 小僧口の聞き方には気をつけろと……!」
「いいのよ、ルークラトス」
そう言って爺さんを制止すると、レイナは微笑みながらこちらに寄ってきた。
「初めまして。私はここの屋敷の当主であり辺境伯のレイナ=クラリスよ」
そう言って右手を差し出してくるレイナ。
「ハルト=ストームレイジだ」
そう言ってハルトはレイナと握手した。
「ハルト……。いい名前ね、覚えておくわ。
それでハルト、見慣れない服装をしているようだけれど一体貴方は何処の国の人なの?」
興味深そうにハルトの服装を見ながら言うレイナ。
ハルトの服は、宴の時のままの服だ。あまり見かけない服だとは思うものの、
それはハルトから見ても同じだった。
レイナは、辺境伯でありながらもそこまで華美な服で着飾らず、軽装しているだけだ。
ハルトの世界では、貴族や豪商達は豪華な装飾品を着飾ることで権力を象徴していた。
「ああ、俺はオルパ王国という国にいたんだが……」
「オルパ王国……。聞いたことのない国ね。ルークラトス、貴方は何か知っているかしら?」
「存じ上げませぬ。小僧、まさかその場を凌ぐために虚言を吐いているんではなかろうな?」
「んなわけねえだろっ。こんなところで虚言吐いて何のメリットがあるんだよ」
助けてもらったとは言え、今ハルトの命の手綱はこの目の前のレイナという少女に握られている。
虚言を言ってもしばれてしまえば、どうなるかわからない。
ルークラトスは疑うようにしてハルトを覗き込んでくるが、ここで目をそらせば面倒なことになると思い、ハルトもそらさないようにした。
「ふむ……まあよい」
そう言うと、ルークラトスはレイナの後ろに控える。
しかし、その目はいつでも攻撃できるように警戒していた。
ハルトはそれを横目に見つつ、
「こっちからも聞いていいか? こここそ一体何処なんだ?」
「ここはミトス王国の領土内で、ルベライト王国との国境沿いに位置している平地よ。
私は、ここでルベライトの手の者が国をこえてこないよう監視しているの」
ミトス王国……? ルベライト王国……?
どれも聞いたことのない国で、ハルトは頭が少し混乱してきた。
まさかこんなことで嘘をつくとも思えない。
どうやら、海を漂流している間にハルトは謎の国に迷い込んでしまったようだ。
「その顔だと、どうやらお互いわからないことばかりみたいね……。うーんどうしたものかしら」
「じゃあお互いに、知っていくことを話していくってことでどうだ?」
「小僧っ! 貴様提案できる立場だと――――」
「ルークラトス。黙ってて」
レイナが目を細めると、
「……申し訳ございません」
そう言って、渋々ながら閉口した。
(いやぁ、怖いオーラがものすごい出てるよ爺さん……。視線だけで俺を殺せそうだ)
……と、その時ハルトの腹が盛大に音を立てた。
すると、レイナがくすくす笑った。
「ハルト、貴方きっとしばらく何も食べていないのでしょう? 今リエルとシエルに料理を作らせているから、一緒に食べる?」
「い、いいのか?」
「ええ。じゃあ続きは食事を取りながらゆっくりと話しましょう。後で呼ぶから、まだ安静にしていた方がいいわ」
そう言ってハルトに笑いかけると、レイナとルークラトスは部屋から出ていった。
(な、なんていい子なんだ……。
素性もわからない俺を助けてくれただけでなく、ご飯までご馳走してくれるなんて……。
あのメイドの子、処分がどうのとか言ってたくせに全くそんなことないじゃないか。
あいつ絶対俺をからかったな……。
まだ若いのにしたたかな奴だ……)
「とりあえず、剣に異常がないかだけ確認しておくか」
そうしてハルトは食事に呼ばれるまでの間、部屋で静かに過ごした。