2-2 宿にて休養
ラスターに言われ、ハルト達は急いで馬車の外へと出た。
まだ寝ぼけ眼のリエルの手をシエルがひいていく。
「……?」
最初に外に出て思ったことは、まだ明るいにも関わらず空が暗いということだった。
(さっきまでは快晴だったはずだが……)
ハルトは視線を上へ上へとおくっていく。
「え……なんだあれ」
空を見て、心臓に氷水を注ぎ込まれたように驚いた。
とてつもなく大きな黒い何かが空を覆っている。
「あれはまさか、セイントドラゴン……!?」
ルークラトスの声が、その場に響き渡る。
「ええ、あの長い首に黒光りした巨大な翼、そして無機物のような硬い尻尾は間違いなくセイントドラゴンでしょう。まさかこんなところで遭遇するなんて……」
ラスターは苦々しく舌打ちすると、そのセイントドラゴンを睨みつけた。
「あれがセイントドラゴン……初めて見るわ」
レイナ達はその大きさに圧倒されているようで、じっと空を見上げていた。
推定100mはあるその黒いドラゴンは、空高い位置からゆっくりと飛行していた。
しかし、こちらに気付く様子はない。
「あいつの何がまずいんだ?」
確かに、あんなのに襲われればひとたまりもない。未来予知があったところで何の意味もなさないだろう。
しかしまだ気づいているわけでもないし、今のうちにさっさと逃げればいいと思ったんだけど……。
「セイントドラゴンは馬を主食とするドラゴンなんだ。だから、馬車なんかで移動してたら、襲われる可能性がある。だから、慌てて馬車から降りるように言ったんだよ」
「馬を主食? えらい変わったドラゴンだな……」
とは言ったものの、そもそも俺自身もドラゴンなんて見るのは初めてなので、変わったもくそもないんだが。
「まぁ、このままこっちに気付かずに去っていくのを待つしかないね……」
一行は空高く舞うセイントドラゴンの動きをじっと注視しながら、去っていくのを待った。
「空船がセイントドラゴンに襲われて破壊されたという事件は昔から何度も起きていてね。だけれど、倒しようがない。だから、もしセイントドラゴンに会ったら大人しく去ってくれるのを待つしかないんだよ」
「へぇ……」
セイントドラゴンの羽ばたく風の音がこっちの方まで聞こえてくるのは圧巻だ。
他の騎士達を見れば、ビビってはいないもののそわそわしている者が多かった。
そしてしばらくすると、セイントドラゴンは大きな奇声を発しながらどこかに去っていった。
一行は安堵して胸を撫で下ろすと、再び馬車に戻る。
「いや~ヒヤヒヤしたね。こんなに背筋がぞくぞくしたのは僕も久しぶりだったよ」
そう言って笑むラスター。
その後は特に問題が起きることもなく、王都への距離を着実に縮めていった。
しかし、長時間の馬車の移動は、馬にも負担が大きく、中に乗っている人間もそれなりに負担が生じる。
その為、途中にあった小さな町で今夜は一泊することに。
町に入ろうとすると門番に止められたものの、ラスターが出てくると、兵士はすんなりと中へと入れてくれた。
中へと入っていくと、びっしりと立ち並ぶ家々に、ハルトは圧倒される。
(こんなに近かったら、火事とか起きたら一瞬で燃え上がるな)
そんなことを思いつつ、中へとずんずん進んでいく。
そうして、一際目立つ宿を発見した。
その近辺では兵士達数十名が警備を担当している。
「今日はこの宿に泊まることにしましょう」
中へと入っていき、手続きを済ませると、各人、部屋が割り当てられた。
レイナの部屋の両隣には、ラスターと、リエル、シエル。そしてその向かいの部屋がルークラトス、ハルトという割り当てだったのだが……。
「で、どうして爺さんも俺と同じ部屋なんだよ!」
なぜか、ハルトの部屋だけルークラトスと相部屋だった。
「小僧がお嬢様に変なことをしないか見張るためだ」
「は? そんなことしねぇよ!」
「どうだか。貴様、聞けばシエルの着替えをのぞき見たというではないか」
「ばっ……どっからそれを――」
「ふむ……やはり本当だったようだな。実に残念だ」
カマをかけられただけだったようで、ハルトは嘆息する。
「シエルがリエルに話しているところをたまたま聞いていてな。
シエルは貴様を嫌っておる。だから、単に小僧の悪評を広めたいだけかと最初は半信半疑だったのだが……その反応を見て確信したわ。やはり、貴様はレイナお嬢様に近づけるわけにはいかぬ」
「いや、待ってくれ。俺は別に、のぞき見ていたわけじゃあない。あれは事故だ」
剣を研いでいるルークラトスに若干恐怖を抱きながら、ハルトはそう言った。
「事故だろうがなんだろうが、見たのは事実……。
そうだ忘れておった! この事、レイナお嬢様に報告しなくては――――」
そう言って部屋から出ようとするルークラトスに、ハルトはしがみついてそれを阻止する。
「アホかっ! どうせ爺さんのことだから盛って話すのは見えてんだよ! そんなこといちいち報告すんじゃねえ!」
「離せ! さもなくば、この剣の錆に――――」
そうして2人が言い合っていると、不意にドアが開けられる。
「2人共、食事ができ――――」
そこに現れたのは、シエルだった。
「…………何をしているの?」
まるでゴミ虫でも見るかのような、シエルの蔑んだ目。
それもそのはず、ハルトとルークラトスは必死の攻防で汗だくになっていたのだから。
「おお、シエルか。ちょうどいい、お前からもレイナお嬢様に言ってやってくれ」
「何のこと?」
「お前、小僧に着替えを覗かれたのだろう?」
「んな――」
まさかそんな事を言われると思っていなかったのか、明らかに狼狽するシエル。
「私もまさかとは思ったが、これはレイナお嬢様に報告しておいたほうが良い。シエルもそう思わ―――ぎゃべっ!?」
シエルの懇親のパンチがルークラトスの顔面に直撃した。その拍子に、片眼鏡が粉々に砕け散る。
シエルは顔を真っ赤にしながら、
「この変態! まさか爺までそんなことをしているとは思わなかったわ! このエロ爺!」
と言って、乱暴にドアを閉めるとそのまま部屋を後にした。
床で伸びているルークラトスに、ハルトは近づくと、
「なんかえらい怒ってたみたいだが、何したんだよ」
すると、ルークラトスは流血した頭を手で抑えながら立ち上がりつつこう言った。
「知らぬ……。何故あいつは私に怒ったのだ。悪いのは小僧だというのに……」
なぜかは知らないが、シエルの逆鱗に触れたルークラトス。
「というか、その話ってどこで聞いたんだ?」
「風呂場だ」
「は……?」
ぴしゃりと言い放つルークラトスに、ハルトは思わず唖然とする。
「風呂に入った時に、大事な愛剣を風呂場のタオル入れ付近に置きっぱなしなのを忘れていてな……。取りに行ったとき、風呂場の中からシエル達が話しているのを聞いたというわけだ」
「……」
ハルトは、開いた口がふさがらなかったが、すぐに我に返ると、
「じゃあ、つまり、シエル達が入浴している間に外で盗み聞きしていたと?」
それなら、シエルが怒るのも納得するだろう。
お風呂の中で話していたことが、何故か知れ渡っているのだから。
「盗み聞きとは失礼な! たまたま聞こえてきただけだ!」
「それでも、2人が入浴してる時に風呂場に入るってのもどうなんだよ。
エロ爺さん」
「うっ……言われてみれば」
よくよく考えれば、危険なことをしたということを自覚したルークラトス。
ハルトは、意地の悪そうな笑みを浮かべつつ、
「よーし、じゃあその事も含めてレイナに報告しないとな。
おーいレイ―――」
「ま、待て!」
部屋から出ようとすると、ルークラトスに手を掴まれる。
「ちょ、血のついた手で触るんじゃねえよ!」
「わ、わかった。この件については不問としよう。
だから、小僧もその件については決して他言無用だ。わかったな?」
そういって強がるものの、ルークラトスの額からは汗が出ていた。
戦場でもこんなに狼狽したルークラトスは見られないだろう。
「こんな時でも上から目線なのな……まあいいや」
ハルトは笑いをこらえながら言うと、ベッドに立てかけている剣を手に取る。
「何処へ行くんだ」
「飯だよ飯。さっきシエルがそう言いかけてただろ」
「あぁ……そうか」
ルークラトスはハンカチで血を拭くと、ハルトと共に食堂へと向かった。




