間章 パンツ2
「ぶっっ!!」
「うわ……ちょっと何? 気持ち悪いんだけど」
口に含んでいた水が少しかかると、シエルは露骨に不快な顔を示した。
「ごほっごほっ」
「ハルト、大丈夫?」
「ああ、大丈夫……」
ハルトは再び水を飲むと、心を落ち着けた。
まさかその話が持ち上がるとは……。
「ちゃんと確認したの?」
レイナがそう言うと、シエルは指先を頭にコツコツ当てながら考えるようにして、
「今朝まではあったような気がするんだけど……。
ねぇ、まさかとは思うけど貴方取ってないわよね?」
シエルの追求に、俺はすぐさま否定した。
「と、とらねえよっ! どうして俺が……」
「いや、だって今焦ってるじゃない」
「それは、急にシエルがパンツとか言い出すから……」
と言ったものの、ハルトは冷や汗が止まらなかった。
恐らくシエルの言っていたパンツとは、今ハルトのポケットの中に入ってる白いパンツの事で間違いないだろう。
(あれシエルのだったのか……)
鍛錬している間は覚えていたものの、終わった後洗濯カゴに戻しておくのを忘れていた。完全にハルトのミスである。
しかし、だからと言って、“ごめん! 渡そうと思ってたんだけど忘れてた!”とか言って今出そうものならどうなるかは言うまでもない。
とりあえず、今は隠し通すしかない。
「じー……」
シエルは訝しげにハルトを見ていたものの、
「そう。知らないのならいいわ」
と言って話を切ると、ぷいっとハルトから顔をそらした。
(よかった……)
安堵すると、再び食事に戻る。
その後は、特にそのことについて触れることはなく、普通に話をしているうちに食事を食べ終える。
レイナは、コーヒーを飲み干すと、
「じゃあハルト、私はこれから少し部屋にこもらせてもらうね。片付けないといけないことが残ってるから」
と言って立ち上がった。
「わかった。じゃあ、部屋の前で待機しとくよ」
「いや、それもしなくて大丈夫。何かあったら呼ぶね」
「そうか……? わかった」
そう言うと、レイナは食堂を後にした。
手持ち無沙汰になったハルトはとりあえず皿洗いでも手伝おうとしたものの、シエルに拒否された。
“部外者”にそんなことを手伝ってもらう必要はないのだという。
「うーん……。
前から思っていたがシエルはやっぱ俺のこと嫌ってるよなぁ。
爺さんはともかく、シエルは最初から歓迎していなかったし。
でも、無理もないか」
というかむしろ大歓迎されたらされたでそれはそれで怖いし、当然の反応とも言えるだろう。
まあでもいつかシエルからも信頼される日が来るといいんだけれど……。
そして食堂を出ようとしたところで、リエルに引き止められた。
「お兄ちゃん、これから暇ー?」
「まぁ、暇といえば暇かな」
爺さんが帰ってくるまでは特にすることもなさそうだしな。
「じゃあわたしと遊んでー!」
と言ってその場を飛び跳ねる。
「おう、いいぞ。何して遊ぶ?」
遊ぶ、と言っても特に思いつかないが……。
「じゃあね、鬼ごっこ!」
「鬼ごっこかーいいぞ」
そう言って俺は軽いノリでそれを引き受けたものの、それは地獄の始まりに過ぎなかった。
ハルト達は早速外へ出てじゃんけんをする。
「じゃあリエルが鬼だ! お兄ちゃん逃げてねー」
「ああ」
リエルにそう言われ、ハルトは全力で逃げた。
大人気ないと思うかもしれないが、相手はリエルなのだ。きっと舐めてかかったらとんでもな―――。
「はい、タッチ! 次、お兄ちゃんの番ね!」
「え、ちょっ」
いつの間にかハルトに追いついてきていたリエルはそう言うと、庭を駆けていく。
「速すぎだろ……」
戦場でもすごい速度で駆けていたしな……。
と、こんなことしている場合じゃない。追いかけないと。
しかし、ハルトが追いつくことは永遠になかった―――――。
「ぜぇ……ぜぇ……こ、降参だ」
「ほんと!? やった~私の勝ちっ」
肩で息をしながら、ハルトはその場に座り込む。
かれこれ2時間はリエルを追いかけたものの、一度も追いつくことができなかった。
(もはや、これは遊びというよりは何かの修行だろ……)
朝の鍛錬で少し疲れていたということもあり、ハルトはもう動けなかった。
しかし、リエルはまだ全然平気なのか、楽しそうに飛んでいる蝶々を追いかけている。
「リエルとタイマンで戦っても、粘られてしまえば俺のスタミナ切れで負けてしまうかもしれないな……」
その後昼食を取ったあと、リエルと花輪を作ったりして時間を潰しているうちに、徐々に日が暮れ始めてきた。
「リエル、そろそろ屋敷に戻るか」
「うんっ」
リエルと遊んでいたおかげで、かなり時間を潰すことができた。
とりあえず、結構汗をかいてるから先に風呂に入りたいところだな。
リエルと分かれると、そのまま浴室へと歩を進める。
(しかし……今日は割とのんびりしていた1日だったな……。
いや、まぁシャンデリアの一件が残っているんだけどな。
結局、あの生々しい夢はなんだったのか。予知夢だったのか、それとも単なる偶然か……。
まぁいい、このことについては風呂の中でゆっくり考えよう……)
「ふぅー…早く汗を流してさっぱりしたいぜ」
と言ってハルトは浴室の扉を開けた。
「え――?」
思わず凍りついた。
何故なら、そこには着替える途中のシエルがいたからだ。
「シ、シエル……」
「……」
シエルと目が合う。
そしてハルトはその視線をリエルの頭から下に向けて徐々におろしていく。
メイド服は洗濯カゴに放り込まれおり、シエルのブラジャーのホックは外れかかっている。
幸い下は履いていたものの、シエルの白いパンツは丸見えだった。
「……」
「いや、その……」
無言のシエルに、体中の血液が逆流するほどの恐怖を感じる。
こんな恐怖を感じたのは、施設の中以来だった。
シエルは、不気味な笑みを浮かべつつ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「遺言はそれだけかしら?」
「ま、待て! 確かに俺がノックもせずに開けたのは悪かった。けど、鍵をかけ忘れていたそっちにも―――」
と言って俺が手を上げた瞬間、ポケットからはみ出ていた何かが引っかかり、それが飛び出してシエルの顔に当たった。
「え、なに……!?」
「あ……」
血の気がサーっと引いていくのを感じた。
シエルはそれを拾い上げると、呆然とそれを眺めた。
「これ……私のパンツ……」
な、なんということだ……。
この状況で、何を弁明したところで無駄だと悟ったハルトはもはや黙ることしかできない。
シエルは、しばらく茫然として虚脱の状態になっていたが、
「へぇ、そういうこと……」
そう言うとシエルの肩がぷるぷると震え始める。そして、
「……最低」
と言って、乱暴に扉を閉めた。
(お、終わった……)
ハルトは頭を抱えてその場に立ち尽くした―――。




