幸福の終幕
私は弱い者を守りたいとかそんな大それた考えは持っていない。
何処にでも転がっているようなほんの小さな感情を形にしただけだ。
綺麗なハッピーエンドばかり読んでいると終わってしまった時の現実の醜さを思い知らされて、幸せな話が自分を追い詰めるように脳内に数多く浮かび上がっては喉を息苦しくさせ、頭を抱えて踞る自分の惨めさを浮き彫りにさせるのです。
そんな物語を私はとても怖いと思っていました。
紙の上で幸福に微笑む皆が恐ろしくて目をキツク瞑っては、何も話さない物語に耳を塞いで背中を丸めて世界を遮断しました。
とても可笑しなことをしているとわかってました。
変なことを考えるのだと自覚していました。
…しかし、この思考は何を理由に沸き上がるのか自分でもわからないのです。
知りたくても答えが見つからないのです。
震える体を掻き抱いて不安を和らげる為に深呼吸を繰り返し、繰り返し、また繰り返し、落ち着くまで何度でも。
ようやっとまともになって一番に目につくのはやはり元凶の本で、つい顔を顰めてしまうのは仕方ないことです。
動悸が治まりません。
手汗が気持ち悪いです。
視線が泳いでしまいます。
けれど、
……パサッ…
恐ろしいけれど、何度も繰り返してしまうのです。
長いワンピースを引き摺って、もう一度だけ。
我ながら愚かしいとは思います。
しかし、こんな未来が本当に有るのだろうかと…一時希望を抱いてみることはいけないでしょうか?
また自責自虐の数々を一身に刻み付けるのですが。
私には友達がいます。
数は少ないですが一人一人を大切にしています。
その内の一人、比較的大人しい子を私は特に気に掛けていました。
その子はあまり社交的ではなく、自分から話し掛けるよりも話し掛けられるのを待つ受け身なところがありました。
しかし仲良くなれば冗談も自分のことも話してくれ、人の心情に敏感なのか困っていれば然り気無く相談に乗ってくれる優しい子でした。
その反面、自分のことになると限界を越えるまで無理してしまう不安定なところもありました。
私はあの子が心配でした。
我慢してしまうからこそ常に気に掛けていました。
それでもあの子は笑うのです。
『大丈夫』なんて嘘を吐いて私を騙すのです。
そんな見え透いた優しさを私は悲しく受け止めていました。
分けてくれない感情をもどかしいと下唇を噛み締めました。
何も出来ず背中を擦ることしかできない不甲斐なさに何も言葉が出せませんでした。
触れることも言葉を交わすこともできるのに。
表情で会話をすることも肩を並べて帰ることもできるのに。
私は何もしてやれません。
苦しんでいることがわかるのに傍にいてやることしか方法が見付かりません。
壁が厚くて脆いけれど頑丈で、痩せ我慢が保たれてしまう。
そんなあの子に私は…。
幸福完結を望みました。
私ではなく優しいあの子の人生がこれからずっと倖せであるように。
愛しいあの子がずっと笑っていられるように。
神さんなんて実在していないと思っていますがどうか、私の分の幸福ゲージを削って良いからあの子に分けてやって下さい。
こういうことを好まない性格なので黙ってて下さいね。
君の居場所にはなれなかったけれど、きっと大丈夫。
私の代わりなら幾らでもいるから。
君が死ぬまでにはきっと最愛のパートナーが見付かるよ。
君の夢も絶対叶うから。
だから…と言ったら卑怯だね。
でもお願い。
独りで泣かないでね。
それが将来強さや思い出になるかもしれないけれど、私達のことも考えて。
大切な君が悲しんでいたら私達だって泣きたくなるから。
笑顔が好きだよ。
君の自然な笑顔が。
周りを和ませてくれる柔らかいけど変な笑い方が大好きだったよ。
今までありがとう。
白い天井に白い壁、病的な程青白い顔色に病院専用の服。
あれから数年経ったけれど、君は何も変わらない。
温かい手の平が冷え性な私を溶かして程好い温度を保つ。
頬をボロボロとボロボロと落ちる涙を掬いたいけれど点滴が刺さる腕は持ち上がらない。
私の前で一度だって泣かなかったのに、酷い奴だな。
くたっと疲れた笑顔を浮かべると君は悪態を吐いて、痛いくらい手に力を込めてくる。
壊れてしまうだろ。
痛いってば。
眉を下げて『ごめん』と言えば『馬鹿』と返された。
『泣くなよ』と呟けば『泣いてない』と俯かれた。
全く、嘘吐きは何時直るんだい?
心音を測る機械が一定のリズムを刻む。
カーテンが爽やかな風を運ぶ。
揺れる手入れされた黒髪に、昔よりも綺麗になった君の顔がよく見える。
私は精一杯の笑顔を浮かべると、ゆっくりと目を閉じた。
これが私の人生の終幕だ。
『あなただって酷い奴じゃない』
本当は謝りたかったけれど、もう瞼を持ち上げる力も残ってなかった。
※あの子side
冷たくなった手が私の体温を分けても温まらなくなってしまった。
ピーーという機械の音が煩く鳴いて、鳴いて、私も一緒に泣いて。
起きなくなってしまった体に踞って抱き締めてももう出遅れで。
子供のように駄々を捏ねてもあやしてくれる腕は動かなくて。
前に進めなくなった時に向けられる優しい笑顔も言葉ももう与えられなくなると思うと息が苦しくて、辛くて辛くて頭がどうにかなってしまいそうで。
あなたは狡い。
ここまで私を甘やかしておいて、急に放り捨てて此処に置き去りにして。
あなたは酷い。
私が何の為に頑張ってきたのかわかってない。
私が何を糧に努力できたのかを知らない。
胸を叩いて止まってしまった心臓を動かそうとするけど左手を痛めるだけ。
揺さぶっても耳元で叫んでも困った顔で起きてくれない。
私が好きだったあなたはもういない。
悲しみだけを残してあなたは逝ってしまった。
崩れたメイクを気にせず手で涙を拭い、嗚咽を漏らさないように口紅を引いた下唇を噛み締める。
私が耐えていたら何時だってあなたは傍にいてくれた。
ずっとずっとそうだった。
今だって変わらないに決まってる。
この目を開けたらあなたは起きていて、悲しそうな表情で『泣かないでよ』って無理なお願いをする。
絶対そうに決まってる。
そしたら泣かないよ。
もう二度と涙を流さないって約束してあげる。
あなたを困らせないって誓う。
だから、だから…お願い。
勝手に幸福未完結にしないで。
起きて続きを一緒に見させてよ。
馬鹿。