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 俺が少女の随身になってから、二週間ほどが経過した。

 後でわかったことなのだが、宴の時、あいつと話したあの場所は『神奈備』と呼ばれているらしい。その神奈備は、今やすっかりと様変わりしていた。なんでもここは儀式の時に用いられるらしく、何もなかったはずの砂利の空間には、巨大な八角形を描くようにして立てられた柵が。その八角形の頂点となる場所に立つのは石灯籠が設置されている。

 俺はこの二週間、殿守たちと共にずっとこの設置作業に追われていた。しかしそれもようやく完成し、今は儀式の時を待つだけだ。

「いよいよ明後日、か……」

 いまいち実感も湧かないまま、俺は神奈備を一望できる本殿の縁側に腰を下ろし、ぼんやりと空を眺める。

「なんじゃ、もう準備は終わったのか?」

 声をかけてきたのは、兼義だった。

「ああ……さっきな。殿守たちなら、もう解散したぞ」

 何気なくそう言ってから、俺は閑散とした神奈備を見渡した。

「そういや、祇鶴もそうだけどさ、最近爺さんの姿もあまり見かけないよな」

「この頃になると、皆忙しいからの。儀式もそうじゃし、麓で市の話なんかも出とるから、わしはここから村まで何度も往復じゃ」

「市の話……?」

 兼義は俺の隣に腰を下ろすと、

「うむ、何やら近々……というか明日からじゃな。麓の街道で市を開こうかという話になっての。一応、わしも国司の長じゃ。色々と仕事をこなさねばならんのじゃよ。まぁ、面倒になったんで、細々としたことは全部、郷長の奴に押し付けて来たわい。いやぁ、良き旧友を持てばまことに便利じゃのう。ほっほっほ……」

「おいおい……」

 微塵も悪びれることなく、楽しそうに笑う兼義。

「いいんじゃよ。あやつも、最近は暇にしておるでな。じゃから、引退したなどと抜かすその首に縄をつけて引っ張ってきたわい。ま、仕事でもすれば老いも若返るじゃろ」

 相変わらず滅茶苦茶だな、この人は……。まあ、この爺さんを見ていると、それも本当になりそうな気もするが。

「そう言えば、儀式……月詠の儀、だっけ? それって、結局何やるんだ? 祇鶴は烏衣神様の怒りを鎮める、とか言ってたが」

「さよう。月詠の儀は、『朔の禍刻』が起こらぬよう、巫女様が烏衣神様の怒りをお鎮めする儀じゃ。朔の日の早朝――つまりは、明後日の日の出前じゃな。その時刻に月詠の儀は行われる……というのは聞いたかの?」

「ああ。確か宴の時に、祇鶴がそんなことを言っていたな」

「この場所は神奈備と呼ばれておってな。見ての通り、月詠の儀の前にはこのように玉垣と灯籠で囲って舞台を作る」

「舞台……?」

「巫女様が、この中で舞を舞うのじゃよ。生きとし生けるもの全てに捧げる……『最期の舞』を、な」

 最期の……舞?

 そう言えば祇鶴も、『巫女様の舞も、もうすぐ見納めだ』って――

「なあ。それって、どういう――」

「さて。ではわしは、祇鶴たちの様子でも見てくるとするかの。向こうはちと手間取りそうでな。終わるのは早くても、明日の夕刻くらいかのう」

 兼義は立ち上がり、神奈備の様子を軽く見渡すと、

「ま、おぬしは明日一日、ゆっくりとするがよいぞ。ではの」

 そう言って兼義は、俺が何か言い返す暇も無く去って行った。

 それにしても……さっき兼義が言ってた――『最期の舞』って一体どういう意味なのだろうか?

「まさか、あいつが……」

 一瞬脳裏に、嫌な考えがよぎる。

「ま、考えすぎ……だよな」

 俺は、浮かんだ考えをかき消すように、大の字になって後ろに寝転んだ。ぼんやりと見上げたその天井に、ふと影が差し――


「――悩みごと?」


「うわっ――!?」

 視界の先には、逆さまになった少女の顔。後ろからこちらを見下ろしているのだ。

 俺はあわてて飛び起き――かけて、寸前で止める。

「あ、危ねぇ……」

 体を起こした勢いで危うくぶつかりそうになったお互いの額は、僅か数センチの距離。

 少女のかわいらしい顔立ちが間近で見え――じゃなくて。直前で寸止めできて、良かった。剣術で培った反射神経がこんな所で役に立つとは……。危うく少女に渾身の頭突きを喰らわすところだった。

「ったく、驚かすなよな……」

 少女の「?」という顔を避け、ゆっくりと身体を起こす。

「あ、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんだけど……」

 今になってようやく気付いたのか、少女はそう言って頭を下げた。

「いや、別に謝ることはないが……」

 それよりも頭突きに対する恐怖心とかはなかったのだろうか……。

「その……となり、いい?」

 少女が指差す先は、俺の隣。さきほどまで兼義が座っていたところだ。

「ああ」

 俺は少し横にずれ、少女が座れる場所を空ける。少女はそこに腰を下ろし、俺の顔を覗き込んで……

「な、なにか、俺の顔についてるか……?」

「う~ん……何だろ?」

「何だろって、おい……」

 少女の言動が変なのは、もはやいつものことなので、それ以上は口に出さないでおく。

 ただ少女は、ちょこんと首を傾げて、

「でも何となく……悩んでるっていうか、思い詰めてるような気がして」

 そんなことを言った。そして……案外、的外れでもない。

 まさか、兼義の言葉を気にしていたことが、そんなに顔に出ていたのだろうか?

「お前、さ……」

 言いかけて、止めて――もう一度、口を開く。

「お前、その……」

「?」

 少女は首を傾げる。

 その表情は――その瞳は、どこまでも天真爛漫で。

 楽しそうだな、と思う。

 どうしてかはわからないが、それでも本当に。

 少女は、この時間に幸せを感じているようで。だから――


 ――儀式の時に、死ぬのか? なんて、訊けるはずもなく。


「お前……なんでこんな所で、巫女なんかやってるんだよ?」

 気付けば、そんな言葉を口にしていた。

「う~ん……」

 少女は、しばらく考える素振りを見せたあと、

「――守りたいから……かな」

 柔らかく、しかし確固たる意志を秘めた声で。

 はっきりと、言葉を紡ぐ。

「わたしはね、大切な人を守りたいから。だから、こうして『玉響の巫女』をやってるの。わたしの力は、多くの人を救える。でもそれは、兼義さま、祇鶴どの、殿守のみんな、ここの村人たち、そして……渉くん。そういった、お世話になった人たちを、ただ失いたくないだけ。そうやって、自分の力でみんなを守れるなら、それはとっても素敵なことだな、って……そう、思うから。だからわたしは、『玉響の巫女』であり続けるの」

 そう語る少女の眼差しは、どこまでも真っ直ぐに前を向いていて。

 だからこそ……どこか無理をしているんじゃないかと、そう思えてしまう。

 俺が知っているこの少女は、相変わらず妙ちくりんで夢見がちなやつだが。巫女として振る舞う時の少女は、そうではなくて。

 だとしたら、こいつは。

 本当のこいつは、一体どこにあるというのか。

 何が――こいつの本心なのか。

 そんなふうに思えてきて――


 ――『わたしね……。この空を見る度、思うんだ。この空の向こうには、一体何があるんだろう。この森の先には、一体何が広がっているんだろう、って』


「…………なぁ」

「?」

「市に……行ってみないか?」

「え……?」

「月詠の儀の準備も今日で終わるらしいんだ。だからさ……」

 突然何を言い出すのだろう、と我ながら思う。自分でも、どうしてこんなことを言っているのかわからなかった。ただ、こいつの真っ直ぐで、温かくて、でもどこか寂しそうな瞳を見ていると、何でもいいから、何かしてやりたくて――

「……ダメか?」

 これは、月詠殿の掟を破る行為だ。俺だって、それは充分に理解している。だが……だからといって、このまま何もせずにいることなどできなかった。

「いい……のかな?」

 短い逡巡のあと、少女は、おずおずと訊ねてくる。

「一日くらいいいだろ。それに……随身の俺だってついてるんだ。妖とかが出ても……俺がお前を、守ってやる」

 ――俯いた少女の表情は、長い髪の影に隠れてしまって。

 だけど。喜んでいるのだろうな、ということだけは。

 何となく、わかった。

「……じゃあ。お願いしても、いいですか?」

 やがて、顔を上げた少女は、輝くような笑顔を浮かべていた。

「あ、でも……」

 声を上げた少女は一転、困ったような表情になる。

「どうした?」

「服……。何着ていけばいいんだろう?」

「あぁ……なんだ、そんなことか」

 だが確かに、そう言う少女の服は、出会った時と同じいつもの巫女服。夜空を思わせるその色彩では……とても平民に紛れるのは無理そうだ。

「まあ……確かにその恰好じゃな……」

 特に市みたいな場所では、人目に付きすぎるだろう。正体を隠さなければならない以上、何か他の服を用意する必要が……

「待てよ、そういえば一つ心当たりが……」

「心当たり?」

「ああ。実は俺、前に女物の服を――」

 ――待て。そんなことを言えば、あらぬ誤解を受ける恐れが……

「――と、とにかく。服は俺に任せろ。後は……」

 他に必要なもの、か……。こいつの正体がばれないようにするためには……

「…………名前、だな」

「名前?」

「ほら、村の方へ下るのに名前が無いとかおかしいだろ。一応平民のふりをするんだからさ。そうだな……」

 少女を見て、何が良いか考える。

 ……マフラー? いやいや、さすがにそれはないだろ。ミコやマイだと、あまりにそのまんますぎるし……

「……………………まゆ、とか?」

「え……?」

「いやさ。玉響の巫女のたまゆらから、まゆって取ったんだが……嫌か?」

「ううん、そんなことない!」

 少女は、千切れんばかりの勢いで首を横に振る。

「じゃあ、今日からお前の名前は、まゆだ。まあその……改めてよろしくな、まゆ」

「…………まゆ、か」

 少女――まゆは、自分の名前を噛み締めるように呟いたあと

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 この少女がこんなふうに笑うのを見たのは、これが初めてなのかもしれない。

 まゆを見て、俺はそんなふうに思った。


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