Ⅷ 月下の恍惚(前編)
俺たちは知らせを聞いてすぐに外へと出た。
着物女はそもそも姿を隠すつもりがないのか、会社のゲート前に堂々と佇んでいた。
「後はお願いします!」
「おう、任せとけ」
警備の説明を受けた時にもいた従業員三人が、俺たちの横を駆け抜けて本社の方の警備に回る。
こんな言い方をすればいかにも作戦を実行しているような感じがするが、要は遊姫の邪魔にならないように退避してもらったのだ。
「遊姫、今更だけどもう一回聞くぞ。これで良かったんだな?」
「しつこいなゴローも。さっきの連中、あの感じじゃ足手まどいだ」
遊姫はやはり意見を変えるつもりはないらしい。
「お前こそ大丈夫かゴロー。いざという時かばってやれないかもしれないぜ?」
「ったく、立場が逆だよな普通」
男として幾分情けなくとも、事実俺は遊姫に守ってもらう立場だ。
「せめてお前の邪魔はしないようにするさ」
「ああ、そうしてくれると助かるな」
俺と遊姫は、目の前にいる例の着物女に向き直った。
「随分と待たせてくれるじゃない」
月をバックに、その姿が映し出されている。
「あら、今夜はどんな御もてなしをして下さるのかと思えば、まさか用心棒?」
遊姫の剣を見とがめたのか、そう言って月下のステージで着物女は怪しく微笑んでいた。
月明かりと照明で照らされた彼女は、夜だというのにその衣装のせいでどこかぼんやりと背景から浮いている。
帯から何まで真っ白い、裾や袖がダボつくような本人よりもいくらか大きめのサイズの着物を羽織り、艶やかで長い黒髪を優雅になびかせている。
顔立ちは少し離れていて分かりづらいが、なかなかに整っているように見えた。
ふさふさしたまつ毛に似合う切れ長で美しい瞳。
小ぶりな口で微笑む様は絵になっている。
背の高さは遊姫より少し上くらいですらっとしている。
どことなくまだ幼さが抜けきれていない感じで、年齢は少なくとも二十代前後と言ったところか。
「最初は警備の人たちが中々こっちに踏み込んで来なかったから、今夜の対応は少しお粗末ね、って落胆していたのだけれど」
そう言って着物女は右手の袖を口元に持っていき、そのまま手をするすると襟元まで伸ばして、少しずつ広げていく。
こちらも真っ白な着物に負けず劣らずの肌が、ゆっくりと顕になっていく。
「勇敢な殿方が二人もお相手してくださるなんて、感激ですわ」
蠱惑的な笑顔を浮かべて着物女はそう囁いた。既にはだけられた部分は肩近くまで達し、妖艶な誘いを持ちかける魔女のような佇まいを見せる。
身長の割には豊かな谷間もしっかりと強調され、男心的には何とも嬉しい光景だった。
「おいてめぇ、あたしは女だ」
当然遊姫には効果はないようで、むしろ先程の発言に怒りを覚えているようだった。
「あら、それはがっかりね。なかなか好みだったのに」
着物女は本当に気軽に会話を楽しむような様子で、ケラケラ笑うようにそう言った。
「あなた、ソッチの方がいいわよ。なんならいい手術先を紹介しようかしら?」
「ソッチってのはどっちだよ。ああ、ついでにこっちのゴローはセコンドみてえなもんだ」
遊姫も多少熱くなってはいるようだが、今のところ引けをとってはいない。
特に臆することも硬くなることもなく、いつもの姫山遊姫だ。
「セコンド、ねえ」
着物女は何か吟味するように呟く。
セコンドというのはボクシングなどの格闘技で選手につくサポーターのことだが、なるほど言い得て妙だ。暗に役たたずとも言うが。
「ふぅん、そう。じゃああなたが私のお相手をして下さるのかしら?」
「お前がまた悪さしに来たっていうならな」
少しずつ空気が緊迫していき、風の音が先ほどよりも大きく聞こえる。
「刀同士の対決だなんて気の利いた趣向ね。今夜は少し、楽しめそうかしら?」
着物女はこちらから見て少し斜めに構え、こちらへと一歩、一歩と踏み出してくる。
「……着物女、てめえには聞きたいことがあるがまずは」
遊姫もこちらは着物女に正対したまま歩をゆっくりと進めていく。
お互いがお互いにそうやって距離を詰め、そして――。
始まりは唐突だった。
二人が同時に勢いよく駆け、互いの獲物をぶつけ合う。
金属同士がぶつかり合う高音が鳴り響き、戦いの火蓋が切って落とされたのだと告げる。
遊姫はまだ鞘に入れたままの剣。
対する着物女はやはり日本刀。どこに隠し持っていたのかは分からないが、時代劇でも馴染み深いあのつばのついた侍の刀を携えていた。
「あら」
着物女も遊姫も剣をぶつけ合って、その反動と一緒に一歩ずつ大きく飛び退いていた。
「ふふ。結構やるじゃない、あなた」
「言いたかないけどお前もな、着物女っ!」
二人は再び距離を詰めてまた打ち合う。目まぐるしく剣を振るい、それに合わせて剣と鞘の打撃音がリズムを刻む。
遊姫は果敢に攻めているように見えた。
何度も力強い一撃を素早い動きと目にも止まらないフットワークで自在に繰り出している。飛ぶように立ち位置を変え、駿足の一歩で攻め入っては引き下がりを繰り返しながら怒涛の勢いで打ちまくる。
そんな目まぐるしく立ち回る遊姫に対して着物女は滑らかに動き、その激流を制している。
ある攻撃は捌きある攻撃はかわし、隙を突いて一刀を入れてくる。
遊姫のかわした着物女の一刀が自販機を貫き、遊姫の一撃が着物女ではなくゴミ箱を砕く。どちらも女の体だ、一発でも受ければそこで勝負あり、そんな鬼気迫る攻防が続く。
当たり前のことではあるが、どちらの攻撃も容赦のない本気の一撃。
俺は、この場を支配しているこの空気の中、初めて実感を込めてこう感じた。
二人は、戦っているのだ。
不良の喧嘩や怒りに任せた乱闘などとは次元が違う。
これが、本当の戦い。
転機は唐突に訪れた。
遊姫の砕いたゴミ箱の中身に僅かに着物女が足を取られた。広範囲に飛び散った破片をバックステップで踏んでしまったのだ。
恐らく、それは着物女が見せた隙だったのだろう。そしてそれを見逃す遊姫ではなかった。
遊姫はそこから仕掛けた。
持ち前の駿足でもって一気に距離を詰めて横凪に剣を振るう。
着物女は後ろに飛び退きそれをかわすが、遊姫は勢いそのままに一回転し再び一撃を繰り出す。
着物女は今度はそれを受ける。いや、正確には受け流した。遊姫の剣は振り抜かれ、逆に今度は遊姫が無防備を晒す。
そこに正面からまっすぐ打ち下ろす一刀が遊姫を襲う。
だが遊姫はあえて立ち止まらず、勢いを殺すどころかさらに加速した。
着物女の一刀をギリギリで左に飛び退いてかわし、空中でダイナミックな横回転を決めながら、着物女の顎をすくい上げるように三度目の攻撃を繰り出していた。
あの土手で襲われた時にも見せてくれた技だが、いつ見ても驚嘆に値するトンデモ曲芸だ。
そのトンデモ曲芸には流石の着物女も今度こそ態勢を崩した。
先程は綺麗に受け流していたというのに、今度は素人の俺から見ても分かるくらい強引に受け止めた。
一際甲高い金属音が響き渡る。
勢いのあった分遊姫のほうが力は上回る。着物女はガードを崩されて飛び退き、遊姫は逆に見事な着地を決めた。
どちらも負傷しているわけではないが、今の一連の競り合いでは遊姫の方が一歩優勢だったのは明らかだ。
しかし何という戦いなのだろうか。
目にも止まらない速さの攻防が、今現実に繰り広げられている。映画やドラマのようにCGで誤魔化すことも出来ないリアルで。
俺の思考が追いつく頃にはもう二人は次の段階へと移っている。いや、次の次まで読んだ上で立ち回っているのかもしれない。
人間の反射神経や運動神経というものに限界があるとすれば、二人ともとうにそれを超えている。
もはや常人のついていける領域ではなかった。
「本当に大したモノね」
着物女は僅かに戦いの緊張を解き、刀を下げて遊姫へと語りかける。
「私、こんな獲物で仕事してきたけど、実戦で刀同士で戦うことなんて初めてなのよ」
着物女はやはり余裕の表情を浮かべている。
先程のやり取りでは遊姫のほうが押しているように見えたが、着物女が強がっているようにも見えなかった。
「ああ、あたしも今のを防がれたのは初めてだな」
遊姫も負けている様子はない。
気迫を見せる遊姫に対して余裕を見せる着物女。雰囲気からすると両者は対極だ。
「少しだけヒヤッとしたわ。それに今のも本気というわけではないのよね?」
着物女は視線を遊姫から遊姫の手元に、正確にはまだ抜かれていない剣へと向ける。
「随分と変わっているわね。鞘の部分に鍵を付けた刀なんて見たことも聞いたこともないわ。あなた自身といい、とても魅力的よ。興味があるわ」
怪しげで魅了するような口調で、遊姫に語りかける。
「その刀、まだ抜く気はないのかしら?」
「さあな。見たけりゃ抜かせてみろよ」
「ふふ、鳴かぬなら、鳴かせてみせろ、ということかしら?」
挑発的な遊姫の台詞に火が付いたのか、少しだけ着物女の声の調子が変わった。
「ならこっちから少し本気を見せてあげる」
今回から投稿は毎週土曜日から、何日か連続して投稿していこうと思います。というわけで、今日の投稿分です。続きは明日投稿します。月曜日まで連続で投稿する予定ですので、お付き合いください。
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