Ⅵ ショートケーキ回顧録
目の前に表示された無数のグラフや信号、文章が点滅を繰り返し、新しく現れては消えていく動作を眺める。
これがバグなのか、人知の及びもしない創世の作業なのか、それとも単なる暇つぶしなのかは、今や私にも判断出来ない。
巨大なスクリーンをそんな風に眺めていると、不意に目の前の携帯電話が空中に浮かび上がる。
知らない人間が見ればさぞ驚くだろうが、私にとっては既に見慣れた光景だ。
間もなく宙に浮いた携帯から着信があり、まだ年若い女の声がした。
『準備は整いましてよ。今度の襲撃のご予定はいつなのかしら?』
私はいくらか間を置いてから、今月の五日と彼女に告げる。すると彼女は、ほとんど間を置かずにこう聞き返してきた。
『では、報酬はいつ頂けまして?』
せっかちなものだ。
報酬は全て前払い制で高額。
しかし依頼された仕事はソツなくこなす彼女に、『彼』は画面上から『振込済み』と赤く色付けされた文字を躍らせる。
「ああ、それはもう手配させてもらった」
『相変わらず用意周到ね。あなたのような素敵な殿方と出会えて嬉しいわ』
画面の向こう側からのラブコールは私に向けられたものだろう。
実際には全てを計画し、動かしているのは『彼』なのだが、彼女がそれを知る由は無い。
「確実な仕事を期待しているよ」
『ええ。あなたのご希望に添うためなら一肌でもふた肌でも脱ぎますわ』
上機嫌な彼女の声は、そこで途切れた。
宙に浮いていた携帯はゆっくりと机の上に降りていき、画面の上に忙しなく文字が踊る。
「次の襲撃には多少危険が伴う、か」
私は画面に映し出された文章から簡潔にそれだけ読み取ると、古風な刀を差した彼女の安否を思った。
――
俺は仕事を早めに切り上げて約束の場所へと向かった。
車で目的の喫茶店に着くと、遊姫は既に二杯目のコーヒーを飲み干した所だった。
「毎月五日はレディースサービスで、アイスコーヒーのおかわりがタダなんだとよ」
思ったより上機嫌な様子で三杯目を注文する。学校から直接来たのだろう、見慣れた制服姿でストローからちゅー、とアイスコーヒーを飲む。
もちろんその手は包帯ぐるぐる巻きなわけで、相変わらず異彩を放っている。
「アイスコーヒーおかわり自由って、やっていけるのかこの店」
「さーな、味は悪くねえぞ。飲んでみるか?」
くい、っと自分の飲みかけのグラスを差し出して勧めてくる。
「おいおい、俺が飲んでもいいのかそれ」
レディースサービスって名目なんだろ一応。
「口づけぐらい気にすんなよ」
そこは意図してなかった、いや本当に。
「じゃあお構いなく」
先程まで遊姫に咥えられていたストローは先端に少し噛み跡が残っている。思わず意識しそうになる自分を抑えながら口を付ける。
「……まあまあだな」
まあ可もなく不可もなく。喫茶店としての名目をギリギリ保てそうな味だったが、タダと聞けば少しはましか。
「そうか? あたしは好きだぞこの味」
「安上がりでいいな」
「悪かったな安っぽい舌で」
これは一応俺なりの褒め言葉なのだが、言われた相手は大抵馬鹿にされたものだと思うらしい。
どうやら遊姫も例外ではなかったようだ。
「それで、もう行くのか?」
「何言ってるんだ、ここで作戦会議してから行こうって提案したのは遊姫だろ」
「あ、そうだったっけか」
遊姫は自分で言い出したにも関わらずすっかり忘れていたようで、首をかしげつつ本気で悩んでいた。
「あー、ここのコーヒーが飲みたかっただけかもしれないな、それ」
「おいおい」
当時の自分の思考を考察したのか、まるで他人の頭の中を想像するかのような答え方をする。
「じゃあ、せめて状況のおさらいくらいしてから行くか」
遊姫に出会ってからこれまで、割と色々なことがあった。
「そういうのはなんていうか、さくっとな」
「そんなところだけ釘を指すな」
まあ、指摘通りに手短に済ませよう。
あの日の会談で聞かされたことを振り返る。
すべての発端はSAK総合セキュリティーを襲ったある女。
その女はSAKのセキュリティーに侵入し、ハッカーとしては前代未聞の手法で目的を果たす。
――
「サーバーの物理的破壊?」
あまり聞いたことのないセキュリティーへの侵入方法だった。
「そうです。我々の警備を突破してサーバー設置室へ向かうと、そのまま刀で直接破壊工作を行っているんです」
坂田氏がそう苦々しげに告げる。
いやはや、世の中にはいろいろな手口があるものだ。日々犯罪も進化しているということだろうか。いや、どちらかといえばこれは退化か。
「拳銃を持った警官や、我社の武術有段者の警備員をものともせずに侵入してくるのですから、手のつけようがありません。おまけにロックされたドアを壊すための爆薬に、それなりのコンピューターの知識も持っているようで、正直歯が立たない状態です」
「それは……心中お察しします」
よもやコンピューターを守るのに物理的な攻撃を覚悟しなければならないとは。
おまけに話を聞く限り手口はもはや軽いテロだ。
「なあゴロー、サーバーってなんだ?」
「サーバーコンピューターの略で、まああれだ、ばかでっかいパソコンみたいなものだ」
かなり適当な説明だが、遊姫はなるほどなー、と一応納得した。正直、詳しい説明を求められると俺では苦しい。
「大まかな認識としては間違ってはいません。専門のサービスを提供するための処理速度と高い信頼性を持った専用のソフトウェアのことです。我社のサーバーはセキュリティーの管理サービスを提供するためのものですから、セキュリティーシステムそのものと言っても過言ではありませんね」
「んー……うん」
専門家の説明があって、今度はかえって遊姫は混乱しているようだった。まあ、俺もコンピューターに対する知識が豊富でないため、イマイチピンと来てはいないのだが。
「そこを壊されると具体的にどうなるんです?」
「一時的にセキュリティーの機能が停止します。物理的なシステムもコンピューター上のガードも。そうなれば全国で我々が警備システムを設置している会社や住宅が、その間無防備にさらされることになります」
防犯上の観点から考えれば、それは致命的な被害だろう。
「ではその女の目的は」
「恐らくサーバー停止による空白の無防備の期間に、我社のセキュリティーが及ぶ範囲内での犯罪行為だと思われます。実際に被害を確認出来たのは一件だけですが」
なるほど。具体的に攻撃されているのはSAKだが、本当の狙いは別にあるのか。
俺たち消費者からセキュリティーに対する安心を奪い、狙われるかもしれないという恐怖感を植え付けるこの行為は、もはやSAKや警察の信用問題だけに留まるものではない。
「警察がひた隠しにしたいわけだ」
どうやら警察がこの事件をなかったことにしたい理由は、お偉いさんの保身だの、警察の失態隠蔽だの、そんなちゃちな次元ではないらしい。
「どういうことだよゴロー」
「このことが知れれば、国民の不安は一気に増大する。それに便乗して犯罪を行おうとするものだって現れるだろう。発展すれば他国からのサイバー攻撃を許すことにもなりかねない。被害の規模は測りしれない」
「そういうことです。被害を受けている警備会社は我社だけでないことを考えれば、かなりの範囲で危険な状態になることが予測されます」
まさかそれほどまでに巨大な規模のサイバーテロを、文字通り物理的に引き起こさせるとは。
退化などと先程は揶揄したが、実に恐ろしいやり口だ。
「では、実際に被害が確認された一件というのは」
「もちろんあの鉄骨落下事件です」
忘れもしない、俺と遊姫が出会うきっかけとなった事件だ。
「我社のサーバーが停止している間に我社からの通信を偽りクレーンに直接命令を受信させていたことが分かっています。その命令に従いクレーンは鉄骨を落下させたようです」
あの鉄骨落下を事故と言っていたのはこういうことか。
「先程も申し上げましたがあの女の本当の目的は分かりません。ですが結果として、あれには警察の警備を撤退させる効果がありました」
「警察を、ですか?」
SAKには警察の警備も動員されていたと語っていた。
……まさか、今は警察の警備は入っていないのか?
「はい。どういう事情かは察しかねますが、警察はあの件があってから我社への警備を断っています。何か脅しになる力があったのではないかと」
ますます事態が混迷してきたな。
そういえばあの事件に関して警察は追加の発表を差し控えている。
警察が関わりたくない事情を作ったのか? あの鉄骨の落下にどんな意味があるというのか。
「不可解なことではありますが、事実は事実。これで我者への警備はますます手薄になりました。それであなたを至急お呼びした次第でありまして」
坂田氏の視線が遊姫へと向けられる。
「えっ、えと……なんだっけ?」
遊姫は今までの話を聞いていなかったのか、それともどこかで取り残されたのか一人事情を飲み込めていないようだった。
「だから、警備が足りなくなったからお前を呼んだんだってよ」
「え、ああ、なるほど」
「というかお前、勝算はあるのか?」
これは今はっきりと聞いておかなければならない。
遊姫は先ほど自分から引き受ける旨を宣言したわけだが、それだって本意ではないはずだ。聞けば聞くほど不穏な影が落ちる今回の一件。
もし遊姫の手に余るようなら最終的には手を引かねばなるまい。
「しょ、しょうさん?」
声の調子がいくらか落ちている。
「やっぱりちょっときつそうか?」
今までの話を聞いて流石の遊姫も怖気づいたのだろうか。
無理もあるまい、なにせ規模が規模だ。
「なあ、『しょうさん』って何だ?」
「は?」
遊姫はすごく困ったという顔をして小声で俺にそう尋ねる。
「いや、ええと……勝ち目はあるのかっていう意味だ」
「何だよ、だったら最初からそう言えよ」
遊姫はやっと悩みが解けたという様子で少し不機嫌気味にそう返してきた。
あれ、なんで俺怒られているんだ?
「勝ち目も何も、刀を使うってこと以外なんか分かってることないのか?」
遊姫は尊大な態度で坂田氏に尋ねる。先程までのおどおどした様子を一変させて。
「それなのですが、剣道有段者の我社の警備員によると、あの女の構えは刀を鞘に収めた状態での居合、抜刀術のような型だそうで」
剣道に詳しくないが、居合や抜刀術なら俺にも少しはわかる。
刀を収めた状態から瞬速の一撃を相手に叩き込む型で、相手より先に自分の一刀を入れることに主眼を置いている、いわば一撃必殺の剣。
理論上は相手より速く動けるならばまさに無敵の剣だ。
もちろん実際にはそううまくはいかないのだろうが。
「ゴロー、それってどういう感じだ?」
「なんでお前が俺に聞くんだよ」
思わずツッコミを入れてしまった。
「ほら、お前も漫画とかで見たことないか? 刀をしまった状態から一気に抜くやつ」
「ああ、何となく分かるかも」
遊姫はようやく的を射たように頷く。
遊姫は自分の事を話してくれないから分からないが、どうやら剣術に詳しいというわけでもないらしい。
「けどよ、それだけじゃさっぱりだ。あとは何かないのか?」
「申し訳ありません。先程も申しましたが被害に遭っているのは我社のセキュリティー。映像の管理もそこで行っているので、データがほとんど残っていないのです」
なるほど、さっきの分かりづらい映像しかなかったのはそういうことか。
「警備員の話では身のこなしも非常に素早く、目にも止まらぬ速さで剣を振る、と」
「目にも止まらぬ速さ、ねえ」
遊姫は黙って何か考え込んでいる。
俺も坂田氏も、そして会話に参加していない前田氏も彼女の動向をその場で伺う。
しばらくあって遊姫は坂田氏に向き直り口を開く。
「なあ、やられた奴らは怪我とかどうなんだ」
「重傷者は八名ほどですが、幸い刀で切られた社員も全員一命を取り留めているので死者はいません。他には峰打ちによる打撲を負った者が何名かいます」
「……死んじゃいねえってことか。斬られた奴らは大丈夫なのか?」
「いえ、切られた箇所は全て急所を外れているのですが、日常生活にはいくらか支障が残るようです。足を切られた社員も多く、歩く分には問題ないらしいのですが、もう一生走ることは出来ないと」
死者が出なかったとはいえ、決して楽観出来る被害じゃないな。
警備の仕事をしている以上はそういうことも覚悟しているかもしれないが、一生モノの傷や怪我となれば、その後の人生も変わってくる。
「……いけ好かねえな」
遊姫は眉間にしわを寄せ、険しい目つきをしている。
初めて見る表情かもしれない。
たまに見せる鋭い目つきとはいくらか違う。
目の奥に火が灯っているような、激しくなくてそれでいて怒りの温度が伝わりそうな静かな怒気を感じる。
「そんなにまでして、あんたらは何を守ってるんだ?」
突然、その怒りの矛先は坂田氏に向けられる。
「お、おい遊姫」
「ゴローは黙っててくれ」
あくまで口調は静かだが反論を許さないようにピシャリと言い放つ。
「事情はよく分からねえが、襲われたこと隠してるからおまわりは動いてくれないんだろ? だったらバラしちまえよ。そうすりゃ自分とこの警備員が傷つかなくてもいいかもしれないだろ。それとも、あんたが守りたいのは面子ってやつか?」
遊姫は挑発するように坂田氏に食ってかかる。
今まで尊大な態度は何度も見せてきたが、こういう威圧の仕方は見せたことがない。
「……あなたのおっしゃる面子、がそうかは分かりませんが」
坂田氏は静かに言葉をつなぐ。
「確かに、我々にとって大事なのはその『面子』です」
「っ! てめぇ……」
「ですが」
今にも乗り出して行きそうな遊姫を遮るように坂田氏の言葉が飛ぶ。
「我々の考える『面子』とは我社のセキュリティーへのお客様方の安心と信頼のことです」
坂田氏のほうも今まで見せたこともない真剣で殊勝な顔つきになる。
「私がこう言うのもなんですが、一般住宅やオフィスに泥棒が入る事など希なことです」
坂田氏は警備会社の社長としては一風変わった切り出しで続ける。
「今またあの女が再び侵入してサーバーを破壊していったとして、偶然被害に遭われるお客様が出る確率は極端に低いでしょう」
「そりゃまた随分な言い訳だな」
「確かにこれで被害に遭われるお客様が出れば、ただの我々の傲慢ということになりましょう。ですが事実としてそんな確率はほとんどありません。サーバーもすぐにとはいきませんが、代わりのものを購入しセッティングするのには半日もあれば十分です」
遊姫はなおも目つきを変えなかったが、場の空気は少しずつ和らいできていた。
「しかしこれが、この件が世間に知られれば話は別です。先程も峰岸さんがおっしゃられたように我社のセキュリティーの危機をいいことに犯罪を働く輩が現れないとも限りません。そうなれば滅多に起こらないはずの事が起きてしまう、もしくは起きるのではないかとお客様を不安にさせるでしょう。我社としてはそれだけは何としてでも避けたいのです」
睨みつけるようだった遊姫の視線が、徐々にその火の勢いを弱めていく。
「あなたのおっしゃるように、峰岸さんのような報道の方にこのことをお伝えすれば警察は動かざるを得なくなるでしょう。これまでどおりの警備が得られれば我社の社員の安全も高くなります。ですがその為に守るべきお客様の側を危険に晒すことは出来ません」
坂田氏は迷うことなく言ってのける。
確かに今の発言には多分に自社の不徳を隠す部分があるだろう。
安心が利益につながる商売な以上、邪心がないと誰が言えよう。
だがそれ以上に坂田氏の言葉は、誠意ある社長としての発言だった。
「……そうか」
遊姫の火は完全に収まっていた。
遊姫の琴線に触れたのが何であるかは分からないが、どうやら遊姫も先程の坂田氏の発言を信頼したようだ。
「そうだったのか!」
と思ったのも束の間、突然の遊姫の大声に皆がびくりとする。
「すまねえっ! カンペキにあんたらを誤解してた!」
叫ぶと同時にまるで土下座でもしかねない勢いでドン、と頭を応接室のテーブルに叩きつけて謝る遊姫。残っていた菓子類が跳ね、俺を含む全員が唖然とする。
「い、いえ。こちらとしても意向が伝わっていただけたようなので」
坂田氏も目に見えて動揺している。なんだかんだ遊姫とやりとりする坂田氏がかわいそうに思えてきた。
「いや、悪かった! こないだの変な奴らとつるんでたっていうから、お前たちてっきり悪いモンかと思っちまって」
いやいや遊姫、あれは確実に悪いモンの仕業だからその認識であっているぞ。
というかこの一連の流れで気づいたが、遊姫のこの言い回し、江戸っ子調なのか?
「い、いやそれはその……」
こうなってしまっては坂田氏もバツが悪い。
あいつらの目的が何であったかはさておき、こう年下の少女に頭を盛大に下げさせておいて先程のような態度は取れまい。
かくして坂田氏は俺たちへの襲撃の理由を申し訳なさそうに語りだすのだった。
――
「まあ、あの時は目的がすんなり聞き出せたからタイミング的には良かったんだけどな」
「何のことだよ」
遊姫は追加注文したショートケーキにぶっきらぼうにフォークを突き刺している。
「ほら、あの五人組が俺たちを襲ってきた理由が聞けただろ。向こうからすればわざわざそこを話す必要はなかった訳だから、遊姫がああして掘り下げてくれなかったらうやむやにされてたかもしれない」
「あー、なるほどな。あたしのファインプレーってところか」
ファインプレーというか奇策というか、まあ天の岩戸を開けたのも旅人を全裸にしたのも力技よりからめ手だったわけだが。
ここからはさっくりと話そう。
坂田氏が申し訳なさそうに語りだしたことによると、あいつらが襲ってきたのは遊姫を例の着物女と間違えての事だったらしい。
どういうことかと言えば、彼らは前田氏を経由して坂田氏から遊姫を探すように頼まれていたらしい。
俺からはアポを取るように手筈を整えながら、それがうまくいかなかった時の為に前々から遊姫を探していたということだ。
遊姫を探していた目的は二つ。
一つ目は落下してきた鉄骨を一刀両断するなど信じがたい荒業をやってのけた遊姫なら、あの着物女を撃退出来るのではと考えて協力を依頼するため。
そして二つ目は、そんな大層な剣の達人なら、もしやあの着物女本人ではないかと確かめるため。
俺から連絡がなかったことが、二つ目の可能性を濃厚にした。
とはいえ彼らも遊姫に出会ったのはあの時が初めてだったし、襲いかかったのも彼らの独断なのだとか。責任逃れの言い訳のような響きが所々にあったが、聞けばあの五人はSAKのとある社員の親友で、その社員の敵を打ちたいと躍起になっていた節があるとか。
現在その社員は入院中。坂田氏の話にもあった、もう一生走ることが出来ない人物だ。
「ガラの悪そうなやつらだったけど、仲間思いのいいやつらだな」
……いいやつら、ねえ。
「いいのか遊姫、そんなあっさりと許して」
初めてこの話を聞いた時もそうだったが、遊姫はこれといって怒る様子もない。
人違いで襲われたというのにのんきなものだ。
「別にいいさ。こっちもボコっちまったしな」
確かに、現実を見れば一方的にこちらが加害者な気もするが。
というわけで俺たちの身に起きた、あの謎めいた襲撃事件の真相はこのように少しお粗末だったわけだ。話を要約してしまえば人違いとは。
一応彼らの心情を察すれば思うところはある。
風体はチンピラっぽかったが、遊姫の言うように仲間思いの連中なのかもしれない。
別に彼らはプロというわけではない。
普段の仕事もあれば生活もある。
家族もいる普通の人だ。
だがそんな素人のはずの彼らがあれほどまでに敵意をむき出すほど、人の怨みや怒りというものも大きい。口で言うのは簡単だが、実際に対面してみれば何とも恐ろしいものだった。
坂田氏からの依頼の内容はどうであれ、恐らく彼らは初めから本気でその着物女を、そしてまかり間違えば今俺の目の前にいる遊姫を……。
「遊姫、今更こんなこと言うのも気が引けるんだが」
俺はこれまで、認識が甘かったのかもしれない。
遊姫が警察に連れて行かれる事態は恐れていても、遊姫が返り討ちにあう事態はあまり想像していなかった。というより、そもそも遊姫が負けるなど考えられなかったのだ。
だが聞く限り相手は女とはいえ極めて危険な人物だ。
今まで死人が出ていないとはいえ一歩間違えば命の危険すらある。
「今からでも断っていいんだぞ。そうなっても遊姫は警察には突き出させない。そこは俺が保証する」
そんなことは当然保証出来るものではないのだが、何としても遊姫を守り抜こうと決めたのは本当だ。覚悟だけで何かが出来るわけではないが、少なくともその覚悟はあった。
「ありがとよ。だけどいい」
簡潔にたったそれだけ言うと、遊姫は再びショートケーキをぱくつく作業に戻る。
「どうしてだ? いくらお前が喧嘩が強いからって、こういうことは初めて……じゃないのか?」
ひょっとして経験あるのか?
「あたしのことは話したくない、って、流石にそんなこと言ってられねーか」
遊姫も一旦手を止め、少し調子を直すように咳払いをする。
「まあ、ぶっちゃけこういうことの経験なんてない。同じ刀を持ったやつと戦ったことはあるけれど、今回みたいに危険はなかったし」
刀を持ったやつと戦うだけでも十分な経験だが、今回はあまり茶化したりはしない。
「それじゃあ何で引き受けたんだ。相手はあのチンピラ共とは違うだろう」
「どの道おどされてたろ、おまわりに突き出すって。まあゴローが守ってくれるなら大丈夫かもしれんんけど……」
うーん、と唸る遊姫。自分でも言いたいことがまだ整理出来ていないのかもしれない。
「そうだな。これはあたしも引き受けたいって思ったことなんだよ」
「引き受けたい、って、何でだよ」
あれほど最初は乗り気でなかったというのに。
「あたしがいなかったら、あのおっさん達困るんだろ。そりゃ自分から首突っ込むのは嫌だけど、ああやって頼られたらやっぱ断れねえよ」
結局、遊姫は頼まれたら断れないタイプらしい。
あの日俺を救ってくれた少女は、土手で転んだ俺を見捨てなかった少女は、どうやら今も健在のようだ。
「けど、それだけじゃないんだろ」
俺だって、短い間だが遊姫を見てきた。
遊姫がただ優しいだけのお人好し少女でないことは、何となく肌で感じている。
時として見せる感情の激しい部分も、どことなく頑固な性格も、今は知っている。
「……ゴロー、お前、誰かに斬られたことあるか?」
「え?」
遊姫はどこか塞ぎ気味に目を細め、視線を下に向けたままそう呟いた。
「斬られるってな、すげー痛いんだぜ」
遊姫は自分の心情を少しずつ吐露するように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「なんつーか、殴られるよりきついんだ。殴られても痛えは痛えけど、斬られたらなんかよ、自分の体がそのうちバラバラになっちまうんじゃねえかってくらい不安になるんだ」
背筋がいくらか寒くなった。
「そのうち体のいろいろな部分がちぎれていって、あたしがあたしじゃなくなっちまうような気がしてよ」
遊姫は自分の体を自分でそっと抱きしめるように腕を組んで、どこか遠い目をする。
その仕草がどうにも儚くて、あの遊姫が年相応の、悩みもあれば傷つきもするただの少女に見えて、心臓が締め付けられる思いがした。
「だからかな。頼まれたからっていうより、あたしが助けたいって思うから、助けたいんだ」
これが、優しい少女の本当の姿なのかもしれない。
颯爽と駆け抜けて華麗に俺を助けてくれた少女は、実際は俺の見えないところでこんな悲痛な表情を浮かべていたのだろうか。
あの時見えた背中の向こうで、彼女は俺が受けるはずの痛みを思って必死にあの鉄骨に挑んでいたのだろうか。
彼女は、ヒロインではなかった。
こんなにも傷つくことに恐れを抱き、誰かの痛みを自分に感じて、それでも自分を奮い立たせてきたのだろう。
俺のような誰かを助ける為に。
「それと、あの着物女にも用がある」
遊姫は続ける。目には強い意志の灯がともり、もう先程のような儚く脆い少女の姿はない。俺のよく知る姫山遊姫に戻っていた。
「確かめたいことがある」
「そうか……」
遊姫の決心はどうやら硬いようだった。
なら、俺に出来る事をしよう。
「じゃあ俺はお前につきっきりでSAKと例の着物女の取材をさせてもらうかな」
「ああ……って何だって!?」
遊姫はワンテンポ遅れた、所謂ノリツッコミで返してくれる。なかなかいい反応だ。
「そんなに遊姫がしたいっていうなら止めたりは野暮だしな。これからは毎日通うことになるんだし、だったらつきっきりでお前が危ないことにならないように見張ってるよ。取材はまあ、ついでだ」
そう、これからは毎晩あの着物女が現れるのを待ちながら警備に参加するのだ。
まさか初日に出没することはないだろうから、しばらくは待機するだけの日々が続くだろう。
そんな時、俺の知らないところでまたさっきのような顔をされてはたまらない。
「何だよ見張るって。というか、危ないことになったらあたしがゴローを守る立場だろうが」
「それもそうか」
遊姫は怪訝そうな顔で笑う俺を見ている。
「でもまあ、何というか、一人で全部背負い込む必要はないってことさ。そりゃ俺は戦力にならないだろうけど、それ以外のことなら何でも引き受ける気でいるからな」
「え、あ、ああ……」
遊姫はどこか毒気を抜かれたようにしていたが、やがて苦笑いを浮かべた。
「やっぱお前って変な奴かもな」
「お前に言われたくはないな」
遊姫はぼんやりとでも、俺の行動の意図を理解しているだろうか。それは男が女に向ける一般的な好意なのか、それとも友情の類のものなのか、俺自身にも分かっていないそれを。
「なあ、これ食うか?」
遊姫はてっぺんにいちごだけ残したショートケーキの残骸、もとい柱のようになったものを俺に差し出してくる。
器用に倒さず食べていたため、本来の高さそのままてっぺんのいちごとその下だけ残ったようだ。
「いいのか? そこは一番いいところだろ」
「いちごは甘すぎて嫌いだ」
やっぱりお前の方こそ相当変な奴だろう、と心の中だけでそっと呟いた。
投稿は毎週金曜日と、月~水の間のどこかで定期的に行っています。感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。
次回なのですが、金曜日ではなく土曜日に投稿したいと思います。