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鍵付き剣の少女 ~ダイヤモンド越しにキスをして~  作者: MADAKO
第2章 セキュリティー・ガール
6/27

Ⅴ セキュリティー・ガール

「うん、うまいなこれ」

 テーブルの上の茶菓子を遠慮なくぱくぱくとやる遊姫。

 いささか彼女には緊張感というものが欠けている。井戸松建設の応接室のソファーに二人で並んで座りながらそんなことを思う。


 ここに来ることが決まったのは三日前。


「なあ、これうまいぜ。食ってみろよゴロー」

「後にしろあとに」

 回想を遮るなと思いつつも堂々とした彼女の様子には何となく安心させられるものがあった。

 ちなみに彼女は学校から直接ここに来たため制服姿だが、相変わらずあの包帯は付けているため包帯越しに菓子をつまんで食べているわけだ。

 ……食事の時も取らないんだな、それ。


「ふぅ」

 四日前、つまり遊姫と再開した日の夜。

 自宅に帰ってきた俺は彼女の電話番号と一緒にあの紙切れに書かれた謎の番号をメモしようとして、そこではたと気づいたのだ。

 あの井戸松建設の常務から渡された電話番号とそれが、寸分違わず一致することに。


「なあ、この菓子何ていうか分かるか?」

「頼むから黙って食っててくれ」


 次の日、遊姫と連絡を取って、日取りを決めて話を聞きに行くことにした。

 俺だけでは決め兼ねる案件だけに、遊姫が簡単に了解してくれたのは助かった。


「というか、俺たちはあの番号の主のところに来てるんだぞ。もう少し何というか、警戒したりだな」

「大丈夫だよ。ちゃんとコイツも持ってきてるしな」

 遊姫はソファーに立てかけた愛剣のケースをポンポンと叩くと、自信満々に胸を張る。

 彼女の胸が張るほどあるかは難しいところだが。

「いざとなったらゴローも守ってやるから」

「全く、男と女の立場が逆だな」

 これにはさすがに情けなくもなるが、事実は事実だ。俺よりもいざというとき頼りになる。だからこそここに連れてこようとも思えたのだし。


「でも、本当に危険なことになったら逃げるんだぞ。それは約束だ」

「分かってるって。でもあたしがいないと話してくれないんだろ、相手は」

「ああ、そう言ってるけど」

「ならあたしのことを記事にさせてやれないんだから、代わりにここでは協力してやるよ」

 そう言ってニコニコしながら次の菓子へと手を伸ばす。

 やはり彼女は俺のために会合に応じてくれたのだ。もちろん当事者として事情は知りたいと思っているだろうが。


 冷静に考えれば、本来はこんなところに来るべきではない。


 俺か彼女どちらが狙われたのかは分からないが、あの日の五人組とここの常務は内通していた。襲ってきた黒幕の所にわざわざ出向いて行くなど愚行だろう。


 それでもなおここに来たのは俺が記者だからだ。

 身の危険を冒してまで手に入れたい情報があるからだ。


 それに快くついて来てくれた隣で菓子を無邪気に頬張っている少女を見つめ、改めて言う。

「ありがとうな」

「……ゴロー、お前礼を言ってばっかりだな」

「事実してもらってばっかりだからな」

 遊姫は相変わらず礼を言われるのに慣れないようで、この間のように顔を赤くしている。

「おーし、じゃあまた今度おごれよ、ゴロー」

「へーへー、今度なんて言わずに今日にでも」


 言いかけたところで応接室のドアが開く。

 向こうから現れたのはスーツ姿の恰幅(かっぷく)のいい中年の男、そしてもう一人、あの常務の前田だった。


「本日は、ご足労願いまして」

「いえ、こちらこそ取材させてもらう身ですから」

 こちらも立ち上がって挨拶をすると、慌てたように遊姫もそれに合わせる。

「あなたが、例の鉄骨斬りをしたという」

 見知らぬ方の男は遊姫へと視線を向けそう問いかける。

「言っとくけど、弁償なんてしないからな」

 開口一番放たれた言葉はいかにも彼女らしい強気な一言だった。まあ、ここまで来て弁償の話などするわけもないだろうが。

「もちろんです。それどころか今日はお願いがあってお呼びしたのですから」

 どうぞ、と着席を勧めつつ男は俺たちの向かいに座る。


 身長は百九十近くあり、見るものを威圧するような雰囲気があるものの、態度自体は慇懃(いんぎん)で腰は低い。前田氏のほうはそのまま男のそばに控えるように立ったまま。

 とりあえず二人の上下関係は把握出来た。

「お願い、って、あたしにか?」

「はい、あなたのお力を是非お借りしたく」

 男は笑みを浮かべる。相手のご機嫌を伺うかのような仕草だった。


「まず初めに言っておきますが、私はここの井戸松の社員ではありません」

「えっ?」

 これには俺も遊姫も面を食らった。ここは井戸松建設の応接室だ。

「おいオッサン、あんたじゃあ誰なんだよ」

「お、おい」

 流石にその言葉遣いはNGだろう。

「いえ、私はこういうものでして」

 男は遊姫の言葉に動じることもなく名刺を差し出す。

SAK(サック)総合セキュリティー社長……」

「ええ、社長の坂田(さかた)(ふみ)()と申します」


 意外な肩書きだった。

 SAK総合セキュリティーと言えば、国内でも大手の警備会社だ。セキュリティー機器の販売や警備の請負などを行う会社として知られている。知名度で言えば井戸松よりも上だ。

「井戸松建設とあなたと今回の事件、一体どういう繋がりなんです?」

「何、話せば単純なのですよ。井戸松のセキュリティーの大部分を我社(わがしゃ)が管理しているもので」

「セキュリティーの管理? SAKが井戸松の?」

「ええ」

 目の前の男は表情を崩さない。底の読めない感じだ。


「それで、これも端的に申し上げますが、今回の事故はそのセキュリティーの障害が原因で起きたものです」

 私どもの過失ではありません、と言った前田氏の言葉を思い出した。

「セキュリティーの障害、といいますと」

「もちろんあのクレーンに搭載されていた制御コンピューターに発生した異常です」

 あのクレーンとは、当然鉄骨をぶら下げていたタワークレーンのことだろう。


「我社のコンピューター制御ソフトは、重機にも使われていましてね」

「クレーンにコンピューターが必要なのですか」

「もちろんです。人の運転だけで動かしていたのは昔の話。今や精密な作業には欠かせないものになっています」

 今やどこへ行ってもコンピューターの入っていないところはないというが、まさかそんなところでもしっかりコンピューターの恩恵を受けていたとは。


「それでですね、今回の件は我社のセキュリティーに侵入したものが引き起こした、いわば故意の事故なのですよ」

「ん? 何ですって?」

 俺は思わずメモへ落としていた視線を引き上げて真っ直ぐに彼らを見た。


「ですから、今回の事故は人為的に引き起こされたものだと申し上げたのです」

「人為的、ということは、あの鉄骨は誰かが意図的に俺の上に落としたものだと?」

 何やらとんでもない話になってきた。


 人為的にそれがなされたというのならそれはもはや事故ではない、事件だ。

 いや、もっとはっきり言おう。


「誰かが俺を殺そうとしたと?」


「お、おい、どういうことだよゴロー」

 遊姫もまた動揺していた。

 まさかこんな話になるとは彼女も想像していなかっただろう。

「いえ、意図してあなたを狙ったかどうかまでは分かりません」

 坂田氏はあくまで落ち着き払ったようにそう付け加える。


「事故を意図的に起こさせたのは間違いありませんが、その目的があなたを狙ってのものかどうかは、推測の域を出ない議論です」

「目的は、あくまでも事故を起こさせることにあったと」

「我々はそう考えています」

 先程は空恐ろしいものを一瞬感じたが、俺が巻き込まれたのが意図的だと決め付けるのはまだ早いようだ。


「ゴロー、すまん、話がさっぱり分からねえ」

 隣に座る遊姫は眉を寄せ、心底困ったという顔で俺に助けを求めてくる。

「俺もまだ分からないことのほうが多いけど、どうやらあの事故は偶然起こったわけじゃないらしい」

 巻き込まれたのは偶然かもしれないけどな。

 いや、そうであって欲しいとは思う。


「それで、一体誰なんです? そのセキュリティーに侵入して事故を引き起こしたのは」

「目星は付いています。ですから、今回あなたをお呼びしたのですよ」

 その視線の先には、未だ困惑顔の遊姫。

「あなたには、犯人を仕留めて頂きたいのです。同じ刀の使い手として」

「……人を殺し屋みたいに言うな」

 遊姫は先ほどの言葉に気分を害したようで、むすっとした様子で坂田氏にそう言う。

「というか、誰をどうするって?」

「ですから、幾度となく我社のセキュリティーを攻撃してきたあの女を倒して欲しいのです」

 話が見えないまま、何やら物騒な単語が飛び交う。


「ちょ、ちょっと待ってください。彼女にその犯罪者を捕まえさせようというんですか?」

「そうです。それこそが私どもがあなたをここにお呼びした理由です」

 おいおいちょっと待て、そんなもの一介の女子高生に頼むことじゃないだろう。

「そんなのはあれだ、おまわりの仕事だろ? あたしになんて頼むなよ」

「いえ、これはあなたにしかお願い出来ないことなのです」

 坂田氏はそう強調し、一層頼み込む姿勢を強くする。

「どうか、わたくし共を助けると思って力を貸して頂きたいのです」

 深々と頭を下げ、遊姫の反応を伺う坂田氏。


 というか、何だかとんでもない事態に巻き込まれてしまった気がする。

 話を整理すると、井戸松建設のあの事故は人為的に起こされたものであり、そのセキュリティーを請け負っていたSAKの社長が遊姫に犯人を止めて欲しいと頼んできたわけだ。


 そして俺は聞き逃さなかった。

 いや、聞き逃していたかったような気もする単語が二つ。


「犯人は、刀を持っていると?」

「はい、その通りです」

 現代の日本で遊姫以外にもそんなものを持ち歩く人間がいるというのか?

「今時刀なんて使ってるやつがいるわけねーだろ」

 おい、その意見はごもっともだと思うがお前が言うセリフじゃないだろ。

「いいえ、信じがたいでしょうが事実です。というか貴方もそうでしょう」

 案の定坂田氏にも突っ込まれる有様だ。

「映像もお見せしましょう」


 言うが早いか、坂田氏は備え付けのテレビに何やらセットし始める。

「これが、我社に侵入してきた彼女の映像です」

 テレビには薄暗い何もない通路が映る。

 しばらくすると、不意に何かそこを横切った。

 全体的に白っぽいシルエットをしたそれは――。


「今のが犯人と思われる女です」

 映像がスロー再生され、その姿がはっきりと映し出される。


 白い着物のようなものを来た人物。


 後ろ姿で顔はよく見えないが、背の高さは大体遊姫と同じくらいだ。

 そして腰の部分には、確かに日本刀を引っさげている。


「……女性、ですか」

 坂田氏が言うように、見る限りでは女の風貌をしていた。

 たなびく着物とそれに尾を引く長い黒髪。

 体のラインも柔らかく女性と判断できる材料は揃っている。

 しかし何というか、俺の知っている女性像と少し異なるというか、いや、最近似たものを見た気もするけれど。


「速い、ですね」

 スロー再生にしなければまともに姿が捉えられないほどの瞬足。

 確か女子百メートルの世界記録は十秒後半だったから、時速に直せば約三十キロか。その選手が本気で走るのを映せばこんな感じだろうか。


「どうですか?」

「ん? あたしに言ってるのか?」

 坂田氏は遊姫に恐る恐る尋ねた。ここに来て彼が見せた初めての不安げな様子だ。

「ああ、速いんじゃないか。実際見てみないと分からんけど、ひょっとしたらあたしと同じかそれより速いかもな」

 自分より速い、と言いつつも遊姫に不安や焦りはない。

 というかお前もこの速度で走れるのか?

「あたし、かけっこでは負けたことないんだぜ」

 俺の意図を察したのか親指立てて得意げにそう言う。

 こんな風に遊姫が自慢しているところを見るのは初めてだ。今はいささかそのリアクションは場違いな気もするが。


「そ、それでやれそうですか?」

 坂田氏は向かいのソファーから少し身を乗り出し興奮気味に聞く。

「だーかーら、人を殺し屋みたいに言うなっての」

 遊姫はなおも坂田氏には不服そうな態度を崩さない。

「さっきも言っただろ、そういうのはおまわりの仕事だって。そっちに頼めよ」

「警察は既に失敗しています。あなたにしか頼めないんです!」


 ん?


 警察が失敗?


「警察が失敗したとはどういうことですか?」

「公には発表されていませんが、我社への侵入、および妨害工作は前回で三度目です。二度目の時点では我々は既に警察に警備を依頼していましたが、あの女一人の前に為すすべもなく打ち倒されてしまいました」

「警察が警備してなお捕まえるどころか侵入を防ぐことが出来なかったと!?」

「ええ、まるで鬼人のような強さです。我社の武道有段者どころか警察の拳銃でさえも、あの女を止めることはかないませんでした」

 おいおい、どんな化け物だ。


 しかし話が本当なら、一介の企業とはいえ警備会社の警備どころか、国家の一警察組織が介入してそれでもなお対処出来なかったことになる。


 これは紛れもない一大スクープだ。


「ですが警察が介入したのなら何故それが一般に公表されていないのですか?」

「警察にも面子(めんつ)があります。もちろん我々にも。公表は差し控えて頂けると助かります」

 確かに警備会社が女一人の侵入も阻めなかったと知れればいい笑いものだ。信用失墜は免れまい。警察も同様だ。

 だが、記者がそんな極上の餌を黙って見過ごすとでも思っているのか。

「もちろん、記事にしたところで世間は信じないでしょう。それにこの件は、警察も躍起になってもみ消したい事件のはずです」

「組織の不正、不出来を暴くのも我々の仕事ですよ」

「勘違いをされてもらっては困ります。あれの侵入を防ぐことが出来た企業は今のところひとつもありませんからね。我々の落ち度ではないのですよ」


 ちょっと待て、また話が一回り大きくなった気がするぞ。


「というとまさか御社だけではなく」

「ええ、あの女の襲撃を受けた企業は我社だけではありません」

 話を聴けば聴くほど事態は大ごとの様相を露わにしていく。

「確かな数字はこちらでも把握していませんが、既に数十社のセキュリティーがあの女によって侵されています」

 おいおい。

「そんな大事件が、未公表のままになっている訳が……」


 報道規制の話は入ってきていない。

 つまりこれは、報道関係者達にも知らされない、『なかったこと』にされた事件だ。


「記者のあなたからすれば信じられないでしょうね。ですがこれは事実です」

 きっぱりと言い放つ坂田氏に若干気圧される。

 自分の常識が通じない時に生じる虚無感に似たやるせなさと、そして同時に疑わしくも超特ダネの匂いを醸す今回の事件への興奮。

 それらがない交ぜになってどんな風に反応していいか分からなくなる。


「なあゴロー、話がよく分からなくなってきた」

「ああ、俺もだ」

 人間、自分の許容量を超える出来事の前では喜ばしいことでも頭を抱えたくなるのだと悟った。

 これがスクープなのは分かりやすくていいが、何事も程々がいいのかもしれない。


「峰岸さん、くれぐれも今回の件に関する事と我社への悪評となる記事は書かないと、今お約束していただけますか?」

「俺がその提案を飲むとでも?」

「これはあなたの為でもあります。ここまでの事件を、警察が報道各社にも隠しているという意味がお分かりでしょう?」

 そう、静かな凄みを潜ませた声で坂田氏は告げた。


「……それでも記事にはさせてもらいますよ」

 ここまで来て引き下がれるかという姿勢を見せる。

 正直、警察が圧力をかけるような記事なんて書いたことなどない。だが、いやだからこそやれるところまでやってみたいという意思は既に固まりつつあった。

 記者として憧れという訳じゃあないがこういう陰謀めいた記事、一度は書いてみたかった。

 圧力? 箝口令? どんとこい。


「例え何があろうと、何をされようとも」

「例え彼女が警察に突き出されようとも?」


 突然矛先を変えるかのように(ささや)かれた言葉に、一瞬胸ぐらを掴まれたような感覚になる。


「失礼。あなたのことは少し調べさせてもらいましたよ峰岸さん。あなた彼女のことを知りつつまだそのことを記事に書かれていないようですね」

 先程の威圧的な口調から一転、弱みを握った相手につけ込むように意地の悪い声が響く。

「彼女をその剣の所有者として警察に突き出せば、困るのはあなたではないですかね」

 坂田氏は彼女が俺の何であるかは指摘せず、けれど言葉に確かな自信を込めて言った。


 彼は俺と遊姫の関係がどういったものなのかは知らないだろう。

 実際俺と彼女は別に付き合っているわけではないし、身内というほどの仲でもない。だが少なくとも、遊姫が俺のアキレス腱になると考えているのは明白だった。

 そしてそれは、恐らく的を射ている。


「遊姫を、俺への脅しで使うつもりですか?」

「まさか。我々は彼女に依頼する身です。報酬も峰岸さんと彼女の二人分きちんと用意させて頂きます。ですがまあ、必要とあらばこちらにも準備があると知ってもらおうと」

 うまい具合に落としどころを決めて話を纏めようとしてくる。

 確かに彼の指摘通り俺は遊姫のことで弱みを握られていることになるのだろう。彼女と約束を交わしてから俺は一度も彼女のことを記事にしようなどと思っていない。


 それが遊姫を(かば)ってのことなのは、俺自身よく分かっていた。


 何故かと聞かれれば、少し答えにくい。

 言っておくが別に好いた()れたとか、そんな理由ではない。友情で庇うわけでもない。

 彼女が悪人でないと信じるから庇うのだ。


 俺たち記者は何も悪いことをしていない人間をことさら(おとし)めようなんて思っちゃいない。俺たちは社会的に『罪』を犯す悪党が嫌いなだけだ。


 彼女の所持している剣は確かに法的には『罪』なのだろう。

 だが彼女はそれで何か悪を成しただろうか? その剣で、誰かを悪戯(いたずら)に傷つけるような娘だろうか?


 二度も助けられた俺は知っている。答えは否だ。


 ここで俺が記事を書くといえば、俺の代わりにその身に傷を負うのはまだ歳若い少女。

 俺の命を救ってくれた、今俺の隣に座っている彼女。

 そして俺には、二度も俺を助けてくれた恩人を裏切る真似は、どうしても出来ない。


 答えは、最初から決まっていた。

 遊姫が『罰』を受ける理由など――、


「カン違いするなよ」

 突然、鋭い(りん)とした声が響く。

「遊姫……」

「ゴローにとっちゃ、あたしはおどしの材料にはならねーよ」


 そこには不敵に笑みを浮かべる遊姫の顔があった。

 切れ長の目が鋭い光をたたえ、向かいの坂田氏を睨みつける。

「それはおかしいですな。現にあなたのことは記事になっていない」

 にたにたとした表情を浮かべ、優位に立った姿勢を崩さずに勝ち誇ったような坂田氏。

 恐らく彼には分かっているのだ。遊姫をダシに取れば結局はこちらが折れることを。


 俺は、遊姫があの剣を持ち歩く理由を知らない。

 けれど銃刀法違反なのは間違いない上、遊姫は事が露見することを恐れている。

 どの道警察にバラすと言われれば迂闊(うかつ)には動けない。


 ……どうする気なんだ?


「記事になってないのは……あー」

 遊姫の言葉が不意に止まり、隣にいる俺を見る。

 一瞬目が合い、それからにまっとした顔を遊姫が浮かべた時、俺は言い知れぬ不安を感じた。


「それはゴローがあたしをおどしているからだ」

「……はい?」

 反応したのは坂田氏。

 何を言っているのだと言わんばかりの表情で困惑している。もちろん表情については俺も同じだが。

「逆らえば記事にするぞってあたしをおどしてるんだよ」

 遊姫は思わせぶりにそう付け加える。一体、何を考えているんだ?

「あなたを脅してどうするというのです?」

「バカだなおっさん。女をおどしてすることといえばひとつしかないだろ」


 場が一瞬で凍りつく。


 先程までの熱気はどこへやら。

 遊姫以外の、その場にいた全員。

 目の前の坂田氏も立ったままの前田氏も一様に目を丸くし、そしてその視線はすぐに俺へと向けられる。


 いや待ってくれ、冤罪(えんざい)だ。


「ゴローに言うこと聞かせたいんだったら、ベッドの上であたしと同じことしてみせろ」

 マテマテ待て待てっ!

「おいこら遊姫!」

 遊姫は悪びれた様子もなく、今にも舌を出してしてやったぜという台詞でも吐きそうなほど生き生きとしている。

 いや、流石にこれはちょっときついぞ。


「そ、そうでしたか」

 あれほど優位を保っていた坂田氏が、別の意味で一気に気勢を削がれた様子でいる。焦燥感漂う声が何ともいえない。

 いや、誤解だ。本気でそんな目でこっちを見ないでくれ。

「で、だ。ゴローには記事を書かせてもらうぜ」

「っ! それは……」


 坂田氏は返答に窮した。

 抑えていたはずの相手の首根っこがいつの間にか外れて、後ろを取られてしまったかのような気分を味わっているだろう。


 この場合、遊姫が脅されていることには変わりはない。

 だが、俺が遊姫の協力者ではなく、実際は坂田氏と同じように脅す立場にいる人間だとなれば、俺の弱点は遊姫ではなくなる。

 つまり坂田氏は俺に対する交渉材料を何一つ持っていないことになる。


 優位にいたからこそ話した情報は、今やこちらの武器になってしまっている。それに対して坂田氏は、自身を守る盾を失ったのだ。


 形成は明らかに逆転していた。


「まあおたくらがみっともなくなるような記事は書かないと思うぜ。安心しな」

 何を根拠に言っているのか、遊姫は自信を持って言い放つ。

「そうだな、あたしがその着物女を……退治(・・)した記事なら書いても問題ないだろ」

「し、しかし」


 暗に遊姫が協力を承諾したにも関わらず坂田氏は決め兼ねている様子だ。

 当然だろう。記事にされるリスクはこちらの弱みを握っていることで考えていなかったようだし。

 だが、落としどころとしてはここがベストだ。


「それとこちらからも一つ。あなたがたがつい先日、若者五人を使って俺たちを襲わせたことも調べがついています」

「なっ!?」

 それには坂田氏だけでなく前田氏も動揺の色を浮かべる。

 こちらの最後の切り札として取っておいた情報だが、ここで使うのが最善手だろう。


「住所氏名年齢全て押さえています。あなた達との関与を裏付ける証拠品も押収しました」

 多少誇張交じりだが、効果はばつぐんだった。

 前田氏は目に見えるほど汗をかき、坂田氏は額にしわを寄せて唸っている。

 どうやら彼らとの関与を指摘されるとは思っていなかったのだろう。本来ならこの程度の揺さぶりでは動じなかったかもしれないが、それでもこの混乱の状況の中で指した一手だ。

 しらばっくれることも詳しい追求もされることなく彼らの心に王手をかけることが出来た。


「こちらとしても悪戯(いたずら)に御社の評判を(おとし)めるような記事を書くつもりはありません。どうでしょう、これがどちらも納得のいく結論だと思われますが」



――



「お前たちの負けだ。おとなしく記事にさせろ」

「そんなこと一言も言ってないだろ」

 遊姫の身振り手振りを交えた先程の再現を見終えての感想第一声。

 あの日遊姫と出会った土手を再び並んで歩きながらそんなやり取りをする。

 夜の帳は既に降り、空には夜道を照らす月が浮かぶ。


「何だよ、大体あってたろ」

 俺のその指摘が不服なのか、遊姫はぷくっと頬を膨らませる。

 何というか、今日の一件のあと細かい仕草をよく見せてくれるようになった気がする。

「合ってないさ、大体こっちとしても結構な制約を喰らったわけだし」


 最終的に決まった約束事は大きく三つ。


 一つ目は、向こうは遊姫を警察に突き出さないこと。

 二つ目は、こちらはあの着物女の退治に全力をあげること。

 三つ目は、SAK総合セキュリティーにとって不利益となる記事を一切掲載しないこと。


 三つ目はほとんどこれまでのことを記事にしないと言っているのに等しい。

 もちろん守らなければ遊姫を警察に突き出されてしまうわけだから、効力は絶大だ。


「ひょっとしてあたしに気を使ってガマンしてくれたのか?」

 遊姫は浮かれていた声を少し落として聞いてくる。

「気を使ったわけじゃないさ。それに遊姫がハッタリかましてくれなきゃ記事にすること自体禁止されただろうからな」


 あの駆け引きをうまく成立させることが出来たのも遊姫のおかげだ。俺だけでは立場を対等まで持っていくことすら出来なかったかもしれない。

 ああいう時は自分を捨てる覚悟でギリギリまで粘れとよくデスクにも言われていたというのに、俺もまだまだだ。


「なあ、怒ってないか?」

 隣からトーンの落ちた声がかかる。

「え? 何をだよ」

「だって、ほら、ゴローをヘンタイにしちまっただろ」

 その言い方はどうなんだ?

「あの場合は仕方ないだろう。とはいえ、二度と御免だけどな」

 結局誤解を解くことは出来なかった。

 いや、解いたら駄目なのだけれど。


「その、悪かった」

 いつになく殊勝な様子で遊姫が俺に謝る。

「あたしなんかと変な風に見られるの、メイワクだよな」

「いや、遊姫との関係をどうこう見られるのより、その方向性が問題というのか」

 恐らく人間性に問題があると見られても、趣味が悪いとは思われなかっただろう。


「よく分からないけど、すまなかった」

 しゅん、となってしまう遊姫。何故だかひどく落ち込ませてしまったようだ。

「謝るなって、むしろ感謝してるんだ」

「え?」

 遊姫は何を言われているのか分からず困惑している。

「ヘンタイに見られたかったのか?」

「違う」

 誰がそんなこと願うんだよ。


「俺は、いや、俺一人じゃああうまくはいかなかったと思う。これでももうそれなりに経験を積んできたっていう自信があったんだけど、全然ダメだった。遊姫があの場の空気を変えてくれなかったらどうなってたか」

 変態にされたのは痛いが、それを差し引いても感謝すべきは俺の方だろう。

「だからまた言わせてくれ、ありが……」

「ちょ、ちょっと待て!」

 遊姫は僅かに顔を赤らめつつ俺を差し止める。


「お前またあたしに礼を言おうとしたろ」

「いやまあ、そうだけど」

「だーかーら、そういうのナシだって言ってるだろっ!」

 この反応は本当に苦手なのだろう。照れ隠しを通り過ぎて怒っているようにも見える。

「そっちこそ謝ってたじゃないか」

「そ、それはこっちが悪かったからだろ」

「こっちだって礼をいう立場だったから……」


 遊姫と目が合って、そしてまたどちらからともなく笑った。

 何とも微笑ましいというか、どちらも子供というか。

 客観的に見たら俺たちはどういう風に見えるのだろうか。


「まー、あれだ、あれ」

 笑いながら遊姫は言葉を繋いでくる。

「ダチを気遣うのは当然だろ。だからこれでおあいこな」

「え?」

「だーかーら……ダチだって言っただろ」

 もう一度繰り返すのは恥ずかしいのか、少し言い淀みながら遊姫は口にする。


「ダチならダチを気遣うのは当たり前で、それに礼とか、まあ、謝るのとか……とりあえず次からそういうのナシな」

「ダチって、友達って意味だよな」

「ほかに何かあんのか?」

 ふふっ、と俺はまた笑う。

「何だよ、何かおかしいか?」

「いやまあ、嬉しいなって思ってな」


 最初の頃から比べれば信じられないくらいの進歩だった。


 あの日俺を助けてくれた少女が、俺をバカ呼ばわりして颯爽と駆け抜けていった少女が、今日この国の一大手企業と手に汗握る駆け引きをし、今また俺を友達と言った。


 何だかそれが無性に嬉しく、そして面白いと感じた。


 人生の波乱万丈が一度に押し寄せてきたような気分だ。


「変な奴だな」

 遊姫もそう言いつつどこか嬉しそうにしている。

 俺たちは互いに少し照れながらも歩を揃えて土手を進む。


「お前はもう少し悪い奴かと思ってた」

 遊姫が唐突に口にする。

「何だよそれ」

「記者って、ほら、あれだろ。なんか悪いやつな感じがするだろ。人の秘密を無理やり暴くみたいな感じで」

「それは誤解だな」

 誤解じゃない部分も多分にあるが。


「俺たち記者は人々の『知りたい』っていう欲求を代わりに満たすためにいるのさ。だから本当に悪い奴っていうのがいるんだとしたら、それは望む側の聴衆なわけだ」

「な、なんか難しくて分からねえよ」

 そんなに難しくしたつもりもないんだが。


「つまりだ。記者が悪いんじゃなくて、それを知りたがる客が悪いのさ。芸能人のスキャンダルなんか無理やりにでも聞き出したり探りこんだりしなきゃ手に入らないものばっかりなんだ。当然嫌がられるわな。でもその情報をみんなが知りたがってる。情報を手に入れる過程なんて知らずにな。つまり俺たちは汚れ役を買ってるってわけだ」

 まあ、これは記者側の言い訳の部分も大きいのだが。


「でも俺たちだって人の心がわかる程に人情もある。きちんと節度もわきまえてる」

「そうなのか?」

「ああそうさ。その証拠に、アイドルのパンツの柄も下着の趣味も記事にしたことはない。知りたがってるファンはたくさん居るだろうに。こういうのをプライバシー保護って言ってだな」

「ぷっ」

 隣で遊姫が吹き出した。


「なんだ? 何かおかしなこと言ったか俺」

「そんなのプライバシーの保護もくそもねーだろ」

 あはははと腹を抱える勢いで笑う遊姫。

 今のは俺の合コンネタだが、こんなにウケがよかったのも初めてだ。


「そんなに面白かったか?」

「だ、だってお前、パンツの柄とか下着のシュミとかどうやって調べるんだよ。そんなもんストーカーだって知らねーだろ」

「リアルに想像するなよそんなこと」

 あんまり追求されると俺が犯罪者みたいじゃないか。

「あー、悪いやつじゃないって言ったのは取り消しな」

 せっかく汚名を返上したところで挽回させられてしまった。

「まあ、そういう役回りも慣れてるけどな」

「おーおー、悪いやつだ」


 俺たちはそんな風にして帰路についた。

 だが、俺はこの状況をそれほど楽観視していたわけでもなかった。


 警察と警備会社を相手に打ち勝った、あの着物女の退治という大捕物が残されていたからだ。

 遊姫がどれほど喧嘩に強かろうと、果たしてそんな相手に対抗出来るのか、と。


 そしてこの時はその着物女が俺たちをさらに厄介な事件へと招くことになるとは、当然ながら夢にも思わなかったのである。


投稿は毎週金曜日と、月~水の間のどこかで定期的に行っていこうと思います。感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。


このたび小説のタイトルを少し変更しました。何となく寂しかったので、ちょっとロングに。

Amazonでポケモン注文したら、発売日に届かないようなので次話は予定通り投稿出来そうです。よかったのか悪かったのか。

次回、月曜日にお会いしましょう。

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